幻想の現状。
説明分過多。ちょっと読みにくいかも、です。
突然の浮遊感とともに俺は目覚めた。
皆も経験があるのではないだろうか。
眠っている間にふわっと一瞬落ちる、といった感覚を。
それをたった今経験しながら俺は目覚める。はっきり言って気持ちのいい目覚めではない。
逆に好きなやつがいたら教えて欲しいね。
…でも、一体あれはどうして起こるのだろうか。別に本当に落ちている訳でもないのに。
まあいいか。
と、まあしょうもない冗談を独りで呟くぐらいには俺も落ち着いた。
「………いや、落ち着いてる、のか?」
落ち着いてる……筈だ、うん。そう思おう。
嫌な寝起きだったためか、頭は妙にスッキリしていた。
俺は布団代わりの固い床から起き上がり、腕をぐーっと伸ばす。そして弛緩。
固い床で寝たせいか、体のあちこちが妙に凝っている。仕方ないといえば仕方ないのだけれど。
台所で顔を洗い、外の空気を吸いにいった。
早朝の空気は美味い。周りが森林だから尚更だ。
軽く体操をしてまだ若干寝ぼけていた頭と、完全にお休みモードの体を起こす。
今日の俺も平常運行だ。
……が、平常になれない部分もあった。
部屋に戻り、敷いていた布団の前に胡座をかいた。
「まだ目が覚めないか……」
突然倒れた紫。布団の上で静かに眠る彼女は、御伽噺の眠り姫のようだった。もっとも、紫を姫と呼ぶには大いに抵抗があるが。
目が覚めない紫の前に、俺は色々と想像してしまう。
幻想郷のことだ。
昨日紫は幻想郷は崩壊したと言っていた。
なら、その後幻想郷はどうなった?
幻想郷の皆は?
何故幻想郷は崩壊した?
俺達はどうしてこんな所にいる?
そもそもここはどこだ?
……もやもやとした感情が渦巻く。
とどのつまり、俺がいくら邪推しようとも、正しい結果は紫が握っているし、それが覆ることもない。当の紫は倒れてしまい、何の情報も俺は得られていない。
結果、紫が起きるのを待つしかないわけだが……ご覧の通り目を覚まさない。
まぁ、紫がこんな朝早くから起きたことなど一度もないから何とも言えないのだが。
俺は辛抱強く紫の前に座り続けた。
「…ん……」
30分くらい経ったか。もう一寝入りするか迷っていた所に紫の微かな声が聞こえた。
俺は紫の枕元にかじりつくように近寄った。
「…んぅ……」
微かに持ち上がる眼。
淡く灯る命の炎。
紫色の瞳は今、この場に、確実に生きているということを立証してくれていた。
キョロキョロと視線をさ迷わせる。俺と視線が交錯した時、紫は微かに微笑んだ。
「……おはよう、圭吾」
小さな声だったが、それは、確かに紫の声だった。
「…おはようじゃねえよ、馬鹿。心配かけやがって」
「……ごめん、なさいね」
「それと…気づいてやれなくて、ごめん」
紫は暫くキョトンとしていたが、すぐに事態を理解した。
「圭吾が謝ることじゃ、ないでしょ。あの場じゃ、仕方なかったもの」
「けど」
のそりと、ゆっくり紫の手が布団から伸びてくる。拙い動きで俺の頬を撫でた。
「……ありがとう」
紫の今笑える最高の笑顔。撫でる手は愛しみを孕んでいた。
何も気負わなくていい、そう暗に言ったような優しいものだった。
あぁ、紫はいつ何時でも俺に優しくしてくれる。こんな寝込んでいる時でも、俺を第一に視野に置いてくれている。
紫の優しさに甘えてばかりだ、と自分を恥ずかしく思う。
頼ってばかりじゃダメだから、俺は紫の元から離れて一人暮らしをしてるのに。
これじゃいつまで経っても独り立ちなんか出来やしない。
強くなりたい。
せめて一人でも生きていけるような強さがほしい。
出来る事なら、紫を助けられる強さもほしい。
願うだけじゃダメだ。
実行に移さないとダメだ。
知と行は平行して行われることで意味をなす。
俺は、強さがほしい。
紫に頬を撫でられながら、そう決意したのだった。
◇
目覚めたのは良かったものの、紫は衰弱が酷かった。
立ち上がることはおろか、布団から起きあがるのも一人では厳しい状態だった。
幸いというべきか、喋ることは普通に出来たため、意志疎通は可能だった。
で、困難を極めたのが着替えなのだが、当然紫自身が一人で着替えることは出来なかった。よって俺がしなきゃならないのだが……いくら親とはいえ、相手は女性だ。抵抗感はある。
当の紫はそんな事歯牙にもかけず、俺は一人だけ悶々としていた。
結局、下着は自分でなんとかしてもらい、その他は俺がやる事になった。妥当なラインだと思う。
何故か紫は不機嫌だったが。
俺は母親の体を見て喜ぶ性癖など露ほどもない。
さて、一段落ついたところで、本題に入ろうか。
バタバタと歩き回っていた俺は再び紫の枕元に陣取り、聞く準備を整えた。
紫は寝たままだが、仕方ない。
「さて、どこから話しましょうか……」
思案顔になる。
俺としては幻想郷がどうなったのかをまず最初に聞かせてほしいものなのだが。
その事を紫に進言すると「わかったわ」と返事が来た。
「昨日も言ったけど、幻想郷は崩壊したわ。正しく言うと、博霊大結界が破られたのよ」
幻想郷を包む博霊大結界。一般人には基本的に馴染みのないものだ。
それは、俺も含めて。
「破られるだけなら問題ないのよ。破られるだけ《・・》、ならね」
「破られる以外には問題があるみたいな言い方だな」
「ええ。
そもそも幻想郷ってのは外の世界と地続きなの。博霊大結界で柵を敷いただけ。破られるのは、危ないけど、柵が取り払われるだけだからね。
問題はそこじゃなくてね。幻想郷と外の……何と言ったらいいのかしら、空間の違いってやつなの」
「…空間の違い?」
「幻想郷と外ではあまりにも世界が、常識が、通念が違いすぎてるの。…まぁ私がそう意図して幻想郷を創ったんだけどね。大体100年…いや、200年くらい違うかしらね」
「200……」
200と言ったら。
全然違うではないか。一つの時代を跨いでしまう。
鎌倉時代だって、100年と少ししかない。
そんなに時代が変われば、
技術も変わり、
風習も変わり、
人間も変わる。
おじいちゃんの頃に流行っていた遊びが、その孫の頃には廃れているように。
「時代が違いすぎてね、空間が歪んでしまうの。歪で異質───」
俺は、ゴクリと固唾をのんだ。
「世界は、それを良しとしない。繋がっている以上、混沌を許しはしない。世界は常に統一されなければならない」
「……」
「つまり、幻想郷は外の世界にのまれちゃう」
「のま、れる?」
「ええ。世界は幻想郷より圧倒的に大きい。なら包括されるのは幻想郷の方。世界は溶媒、幻想郷は溶質」
溶かすものと、
溶かされるもの。
世界がどれだけ広いか実感できないけれど、それでもスケールの違いはひしひしと伝わってくる。
痛い程に。
「その違いもね、小さかったら問題なかったんだけど、200年も離れたらね、差が大きすぎる」
「確かにな…200年は、長すぎるな」
こくり、と紫が頷く。
「坂道で丸い玉を転がして坂の下の積み木を壊す、と考えてみて。坂道が急になればなるほど破壊力は増すでしょう?転がす位置が高くなればなるほど破壊力は増すでしょう?」
それと同じ、と紫は言った。
つまり、年を重ねればそれだけ破壊力は増すってことだ。
「……世界は、意外と脆い。そんなに違いが大きければ、どうなると思う?」
「……どうなるんだ?」
「耐えられなくて、壊れる」
「っ!」
「勿論、この場合は幻想郷の方ね。外の世界は大きいから、容量はたっぷりある」
「壊れたら……どうなるんだ」
「さあ、わからないわ」
布団の中で肩をすくめて紫は、
それでも、申し訳なさそうに言った。
「…大体はわかるんだけどね、確証がなくて。多分、中のモノが、なくなるのかな」
「それって……」
「人間も妖怪も死ぬ、ってこと」
「そんなっ…!?」
なんて……なんて理不尽なんだ。
幻想郷の皆に罪はない。
知らぬ間に壊れて、知らぬ間に死んでしまう。
皆、何にも悪くないのに、ただそこにいたという理由だけで巻き込まれてしまった。
見知った顔が幾度なくよぎる。
人妖問わず、俺の頭に浮かび上がってくる。
好きなやつも、嫌いなやつも、皆々。
もう二度と、彼らには───
「待って待って圭吾。幻想郷は崩壊したと言ったけど、幻想郷の人達はまだ死んでないわ」
「…えぇ?だって、今の説明じゃあ…」
「だってこれから話す事だもの」
もう、早とちりなんだからー、とくすくす笑う。
何だ……早計だったのか。
良かった。本当に良かった。
紫はこほん、と改めて言う。
「幻想郷は崩壊した。説明した通り、普通なら世界にとけ込まれ、違いの大きさに耐えられなくなる。…だから、私は幻想郷を緊急避難させた」
「緊急避難?」
「そう。“次元の狭間”にね」
「次元の狭間ぁ?」
こりゃまたスケールのでかそうなお話で。
「“次元の狭間”はね、言ってしまえば緩衝地帯のようなものなの。定義さえ曖昧な、不確かなもの。本当に、緊急避難用ね」
「その次元の狭間、とは?」
ふぅ、と呼吸を整える紫。
本調子、どころか病み上がりのため紫はちょっとしんどそうだ。
ごめん、と心の中で謝りながらも紫の言葉に耳を傾ける。
「何ものにも、どんなものにでも、二つの異なる空間があればそこに“間”が存在する。凄く小さな“間”もあれば、大きな“間”もある。身近な例で言うとそうね…家の外と中と、それを仲介する玄関かしらね」
「成る程…」
確かに、玄関は“間”と言える。
外と中を隔てる空間。
もし無ければ、履き物を脱ぐ場所がなくて困る。
まさしく緩衝地帯だ。
「私が創った幻想郷は外の世界とは異なる。そして、そこにも“間”は存在する。もっとも、玄関のように明確なものじゃなくて、定義のような不明瞭なものだけどね、それでも緩衝地帯には違いないわ」
「そこに幻想郷を移して、事を逃れたと……」
何とも壮大な話だ。
人間がどうこうしようとしても、どうにもならないな。
まさしく、人外の所業だ。
「でもさ…」
「ん?」
一抹の不安は残る。
「緩衝地帯って言うけどさ、本当に大丈夫なのか?定義さえ曖昧って言うけど、そんな所に避難させて幻想郷は安全なのか?」
いくら緩衝地帯でも、世界丸々一個入るような規模はあるのだろうか。
それに、安全とは限らないのではないだろうか。
元々狭間と幻想郷は違うものだ。そんなのが一緒にあって、平気な筈がない。
異質なものなのだから。
紫は顔を伏せた。
図星なのだろう。
「……そうよ。“次元の狭間”といえど、完璧なものじゃない。異質なものはどこまで行ったって異質だからね。交わるものじゃないわ」
紫は自虐気味に笑った。
───けれど、
「一応手は打ってあるのよ?」
「そ、そうなのか」
なら早く言ってほしい。
「もしも、幻想郷に何かあった時のためにと、私は保険をかけた」
それが───
「“宝珠”よ」
ちなみに、眠ってる間にふわっと落ちる感覚の原因は、体の成長と心の不調和のためらしいです。若い方が見る夢としては問題ないようです。肉体的、精神的な成長期の状態だと見やすいようです。そのため、解決法はなくて、成長期が終われば自然と見なくなっていくらしいです。
大人になって見たら、ちょっとマズいのかもしれませんね。ふふふ……