知らない天井。
タイトル名は、言わずもがな。新世紀的なやつですね。
ピチョン───
暗い。
世界の闇をかき集めたような、昏闇。
光さえ飲み込む黒。
何も見えない。
いや、
何もないのだ《・・・・》
ピチョン───
一寸先は昏闇だ。
何もない闇。
虚無。
有り得ない黒。
有り得ない闇。
有り得ない、絶望。
ピチョン───
疲れた。
闇に蠢くのに、疲れた。
ひっそりと生きていくのに、疲れた。
嫌になった。
闇と隣り合わせが嫌になった。
絶望の中で生きるが、嫌になった。
ピチョン───
…………か…ら───
声が、届く。
頭にとけ込むような、優しい声色。
な………可…………を…………───
暗くて見えない。
声の主がわからない。
けど、そもそもこれは《・・・》何なのだろう。
暗くて暗くて絶望し疲れていたはずなのに、どこか他人事のように見ている自分がいる。
……あぁ、そうか。
だからそうなのか。
今明…り…つけ……ね───
景色がぼやける。
消えて、なくなるように。
闇に、光が広がった。
絶望を振り払うように。
霞む視界の中に見えた最後の光景は、
長い金色だった───
◇
夢を見ていた。
ただ、漠然と見たという感覚だけでそれを詳細に思い出す事は出来なかった。
それでも微かに残る小さな暖かさ。きっと見た夢は、いい夢だったのだろう。
不思議と眠気はせず、はっきりと意識がある。そのまま眼を開く。
「……知らない天井だ」
天井が高い。俺の家よりも幾分高いかもしれない。
更に天井の材質が違う。
俺の家は一枚の板のような天井だ。一般家庭にもある平均的なものだ。
だが、ここの天井は丸太だった。丸太をそのまま使った風貌、いわゆるログハウスの体を成している。
つまり、ここは俺の家じゃない、と。
ぼんやりとした頭をたたき起こし、そう結論づける。
ならばここはどこだろう……?
必然的にそういう疑問に立ち返る訳だ。
それになんか記憶がごちゃごちゃしてて、よく思い出せない。記憶喪失ではないのだが……一応整理してみよう。
「名前は、秋庭圭吾。性別、男。年齢、14歳……」
ふむ。記憶はちゃんとあるようだ。
「好きな食べ物……何でも。嫌いな食べ物……なし」
「好きな人は?」
「………」
誰だこのあからさまな質問をするやつは。いや、声で誰かは判明してるし、そもそもこんな質問をするのは一人しかいない。
「…紫」
「やっほ~。圭吾」
少し離れた所に、紫が楽な格好で座り込んでいた。帽子の中に収められていたはずの金髪は床に広がって、まるで木が根を伸ばしているようだった。
「俺、どのくらい寝てた?」
「1時間弱くらい、かしらね」
昼間から寝てしまったのは農作業をして疲れが溜まったせいかもしれない。普段は真っ昼間から寝ることなんてしない。
時間がもったいないからな。
「それより、ここはどこだ?俺の家じゃないし、実家の方でもないだろ」
俺の知る限り、天井が丸太で出来た家に心当たりはない。そもそも、丸太小屋なんて山小屋じゃないんだから、今時建てる人は少ないだろう。
そう言うと、紫は突然眉をひそめた。
…何か変なこと言ったか?
「……圭吾、覚えてないの?」
「何を?」
「……ついさっきの、こと」
紫はつらそうに、声量がだんだんと小さくなっていった。その表情は沈痛に耐え忍んでいるといった、見てるこちらもつらくなるようなものであった。
何があったんだ…?
思い出そうとしてみるが、何故か叶わない。記憶が雑多になっているというか、ぐちゃぐちゃになって大切な情報が見失われているような感じだ。
散らかった部屋のような感じ。
「……記憶が、ぐちゃぐちゃになっててな。何かあったような気はするんだけど……ごめん、思い出せない」
暫くすればちゃんと整理されると思うのだが。紫の様子を見ていると、今すぐにでも思い出さなければいけないような気がしてならない。
そんな俺を見て、紫は1人納得顔をしていた。
「そっか……まぁ仕方ないわね。あれほどのことがあったんだもの、正気でいろと言われる方が酷な話ね」
ため息一つ。
紫は姿勢を崩し、四つん這いで俺に近寄る。そして人差し指を俺の額に当てた。
「何を?」
「記憶の整理。境界を操って、あなたの頭の中の要らない情報を隅に置いて、大切な情報だけを表に出させるの」
ああ、成る程ね。
紫は能力を使うようだった。記憶の整理にも使えるとは……やっぱり万能だな、紫の能力は。
そんな事を考えつつ、俺は頭がすっきりしていくのを感じた。部屋が掃除され、邪魔なものが取り払われクリアになっていく。
が、予想しなかった事態になる。
(っ、何だ、この感じ…)
胸が苦しい。物理的に胸が痛むとかじゃなくて、つらくて胸が張り裂けそうな思いがする、そういった感情だ。
俺は一体、何を忘れているんだ?
こんな気持ちになるほどの事とは、一体……
そしてふと、思い出す。
忘れてしまっていた事実を。押し出していた記憶を。
「あ」
溢れ出す記憶。情報の奔流が押し寄せる。
そうだ。そうだった!
どうして俺は忘れていたんだ!
仕事を終え、博霊神社に向かう途中で、空に亀裂が入って、それから……
それから、どうなったんだ?
俺が知っているのは、亀裂が入って紫が魔法陣を展開した事だ。紫が叫んで、俺は立っていられなくなって……
紫は指を離した。その顔には疲れが滲んでいたが、興奮状態の俺は、その事に到底気づくはずがなかった。
「…思い出した、のね」
「あれから、一体どうなったんだ!?揺れが酷くなって、地響きもたけなわになって……!」
紫は言いにくそうに顔を背ける。
言いたくない、言うのが憚れる、明らかな表情。
でもそれも束の間。
意を決し、紫は俺を見据える。その顔には迷いはあったけれども、言わなければ、という観念につきまとわれているようだった。
「……そうよね、もう巻き込んじゃったんだもの。無関係ではいられないわよね……聞いて、圭吾」
「うん」
「これから話す事はつらい現実なの。あまりにもつらい、残酷で非情な現実。決して虚構ではない、信じ難い本物。絶対に現実逃避しないで、必ず正面から受け止めると約束して。怖くなっても、私がいるから」
「…わかった」
紫の長い念押し。それは正気でいられる事が難しいと、暗に示してもいる。
俺は意を固める。
自分のために、
何より、紫のために。
紫が何を話すかわからないが、誰かのためなら、俺は大丈夫だ。それが紫なら、尚更だ。
紫の口がゆっくりと開く───
「幻想郷が……崩壊したわ」
「……………は?」
口走った言葉は、予想の斜め上をいくものであった。