紅影:頼もしい吸血鬼様
「なんだ、これは……」
俺がたどり着いたのは左右対称に建てられた紅魔館の中心にあたる場所。玄関を伴う巨大なホールだ。玄関扉の頭上の色彩豊かなステンドグラスは太陽光を集光し、温かみのある光を提供している。それだけでなく、欄干一つ一つそれぞれに凝った意匠が施されており、紅魔館自体の芸術性の高さがうかがえる。
しかし、そんなものよりももっと目を引くものがあった。
「こんなにいたのかよ……」
俺はごくりと生唾を飲み、僅かに開けた扉の取っ手をギュッと握る。
そこには、何十体とも知れぬあの黒い異形たちが闊歩していた。扉の隙間から覗ける平たい銅鏡のような顔面には何も映っておらず、ただ濁った黒色だけが怪しく映るだけだ。どの個体も同じような体つきであり、細身の体に比率の合わない頭部、長い腕と鋭く研磨された爪、怪しく蠢く鉤爪状の髪。
ゆらゆらと彷徨うような歩行はたどたどしく、それでいてどこか明確な動きのようでもある。まるで猿のように、長い腕を地面につけて前足のようにして歩いているのは頭が重いせいであろうか。
まだこちらには気づいていないためか、殺気を向けられている感じはしない。というよりも、そもそも気配が薄すぎる気がするのは俺の気のせいだろうか……。素人目で判断するのは危険だから何とも言えない。
そして、今も階下で戦闘と思わしき爆発音や剣戟の音が鳴り響いている。衝撃で床か壁が破壊される音や何かがぶつかったときの音に混じり、明らかに自然のものではない声も聞こえた。
「アハハッ! もっと、もっと、来てよ、ねぇっ!!」
「――ン、もう少し落ち着いて殺りなさい。吸血鬼たるもの、常に優雅に立ち振る舞うべきだわ」
戦場にはあまりに似つかわしくない子どもの高い声が聞こえる。歓喜に打ち震えて狂ったような笑い声と、それを諌める冷静で落ち着きを孕んだ声。それは轟音が炸裂する戦火の中で場違いなのではないかと思うほど。
二種類の違った声は、少し離れたここからでも知り合いだと判別できるほど通った声だった。
「む~、お姉さまは固いなあ。こんなやつら、一気に倒そうよ」
「落ち着きなさい、と言ったでしょう? 心配しなくても、これからハプニングなんていくらでも起きるわ……」
「?」
二階であるここからでは一階にいる彼女らの姿は確認できないが、間違いない。スカーレット姉妹だ。
子供特有のより高い声を出すのは妹のフラン。フランドール・スカーレット。
それよりもワントーン低い、子供らしくない言葉遣いをするのは姉のレミリア。レミリア・スカーレット。
紅魔館当主のレミリアとその妹のフランがここにいる。他の面子は、二人の様子からどうやらいないらしい。はぐれたのか、それとも元々別々の場所にいたのか。実情を知ることはできないが、今はとりあえずいないと考えた方がいいだろう。
「ハプニング?」
「ええ。とっても、愉快で滑稽なハプニングよ。今にも起きるわ」
俺は二人にどうやってアプローチするか考え出す。現状、あの二人に直接会いに行くのは不可能だ。目の前でたむろしている異形どもが邪魔でこれを突破するのは俺の力ではまず無理。瞬殺されるのがオチだ。
ならば方法として、向こうからこちらに気づいて近づいてきてもらうより方法はない。あの二人の力を持ってしてならそれも十分に可能だろう。
さて、それじゃあその向こうにこちらの存在に気づかせる方法なわけだが、と俺がさらに思考を沈めようとしたとき。
「―――、」
「な……っ!?」
そいつは、現れた。
いや、その言い方は大いに誤謬を含む。
(いつの間に……!? 警戒は怠らなかったはず……!)
既に現れていただ。
だが、おかしい。俺は周りには十分に気を配っていたつもりだ。そもそも俺は剣技や格闘術、魔法の一つも使えない。そのため常日頃から周囲には人一倍気を配っていた行動していた。
それが、こうもあっさり打ち破られようとは……。
俺がいるホールの二階は一階ほどスペースがなく、先程の廊下よりも一メートルほど細い。その通路は壁伝いに反対側まで続いて左右対称になっていて、一階から見れば二ヵ所同じ位置に扉がある感じだろう。
そのあまり広くないスペースにあの黒の異形いる。それも一体だけではなく一、二、三…四体もいる。その四体が扉を囲うように陣取っているのだ。
「―――」
何も言葉を発することのない、無言の重圧。風も起きていないのに揺れる鉤状の髪は、もしやあれ単体だけが生きているのではないかと思う。
そう言えば聞いたことがある。西洋の神話でとある女神の髪の毛が生きた蛇で、その女神の瞳と目を合わせると石化してしまうという神話を。
「………」
ここで嫌なことを思い出してしまったと遅まきながら後悔する。思い出してしまったものはもはや記憶を彼方にやることは難しい。しかも、こういう切羽詰まった状況ではほぼ不可能に近い。
恐ろしい神話を思い出したことも相乗して、さらに目の前の異形が不気味に感じてくる。奴に瞳はないが、もっと恐ろしい手段で迫ってくるかもしれない、そう思うと恐怖は止まらなくなる。
「あ、あ……」
足がまるで金縛りにあったかのように硬直して動けなくなる。後ろには逃げ道があるというのに、敵から目を離せない。何かに取りつかれたかのようにそれをじっと見ていることしか叶わなくなる。何かを忘れている気がしたが、それさえ一瞬で消えうせてしまう。
そして続く恐怖の連鎖。動けなくなった俺に、もはや成す術などない。
ゆっくりと近づいてくる異形ども。ゆらゆらと左右に揺られながら俺の方へと進む。その足取りは揺れているもののしっかりしていて着実に俺の方へと進んでくる。
(殺、され……!)
俺は恐怖の中、死の存在を実感する。死とはあまりにも身近、とはよく言ったものでまさにその通り、身近なものだった。
ゆらゆらと進むそれは、まさに死神。死の象徴。地獄から俺に死を運んできた、黒い使い。死神の象徴たる鎌こそ持ってはいないが、そのあまりにも人間離れしたその姿は体色が黒というのも相まって並みの死神よりも恐ろしいかもしれない。無論、俺は死神なんか見たことないから、死神がどんななりをしているのかなんて知る由も無いが。
そんなことを考えられているのも、もう諦めがついてしまったからだろうか。何故だか、妙に頭がスッキリして死への恐怖なんかどこかに行ってしまったかのようだ。
ああ、俺は死ぬのか。
こうして夢半ばで。紫の俺に託した願いも聞き遂げられずに無様に散って逝くのか俺は。
思えば短い人生だった。まだ成人の儀も済ませていない子供のままで、早世してしまうのか。
思い浮かぶのは紫と過ごした日々。八雲の家で過ごした日々。つらさの中で、過去の思い出を消化させながら過ごした日々。何度も何度も紫に甘えた日々。成長して人里で過ごすようになった日々。
楽しいことばかりじゃなかったけど、つらかったことが多かった人生だったけど。
……もう、終わりなのか―――
死を覚悟した俺のもとに、死神たちの黒き手が迫ってくる。今にも手が触れそうになった。
「ほらね。愉快で滑稽で、バカみたいなハプニング」
そこに、あまりにお門違いな声が響く。
―――神槍「スピア・ザ・グングニル」
凛とした声が届いた瞬間。
―――ガアァァァァァァァァン!!!
壮絶な爆発音と衝撃が俺を包む。一気に意識は強制覚醒されて目の前に暴風のような一撃が通過し、決して軽くない体が吹き飛びそうになった。
弾け飛ばされそうになるのを扉を掴むことで防ぐが、衝撃と同時に襲った破片はどうしようもなく、腕や体に当たるのを気力で我慢。ビシビシと破片が直撃し大して強くない貧弱な体が悲鳴を上げ始める。頑張れ、俺の体。と自らエールを送って励ます。
衝撃は激しかったものの、一瞬だった。数秒もしないうちに衝撃は止み、俺は力を緩めることができた。周りが一体どうなったのか、俺は気になって目を開けた。
「な……」
そこは、別世界だった。
赤色のカーペットは衝撃で見るも無残にズタズタになっており、手すりの役目を果たしていた欄干など崩れてしまって見る影もなく一部僅かに手すりだけが宙ぶらりん状態になっているだけだ。
そして肝心の異形どもだが、こんな変わり果てた中にいるはずもなく、一体残らず消滅していた。そりゃ、あれだけの衝撃だったんだから消滅して当然だ。むしろこれで生き残っていたらとんでもない化け物だ。
「全く……運命ってのは、本当にままならないものね」
俺が状況を必死で整理していると、一階へと通じる階段の方から声が聞こえた。この声がこれほど頼もしく、安心できるものだと知ったのは今日が初めてだ。
声のする方へと顔を向ける。そこには、予想通りの見知った顔が見ることができた。
「圭吾、まさか貴方とこんなところで見えるなんてね」
吸血鬼にして紅魔館の現当主、レミリア・スカーレットに。
途中からスカーレットが空気。




