第9話:死と眠りの口づけ
「ふふっ,ちゃんと言いつけを守って来てくれたようね」
レイラはボクを快く歓待しているような感じだった。
ボクは覚悟してきたけど,とても緊張している。
足の裏がなかなか床から離れないんだ。
「緊張しないで。さあ,こちらに来なさい」
レイラの足音がこちらに向かってくる。
そして,ボクの手を掴み,こちらに来るように促してくれた。
レイラの手は相変わらず冷たい。
けど,何だか気持ちよい感じの冷たさだった。
「ここに座りなさい」
ボクはレイラに手を引かれるがままに座り込んだ。
レイラのベットだ。
そして,ボクの隣にレイラが座る感触がベットを通して伝わってくる。
「これで二度目ね。私のベットに男を座らせるのは。しかも一度目と同じ男…」
レイラはしみじみと言いながら,ボクに何かを渡してくる。
この手触りはボクのハープだ。
「夜はまだ長いわ。リディアから聞いたわよ。物凄く綺麗な音色を奏でるって。私にも聴かせてくれないかしら…」
レイラはボクの世話をしてくれている。
それにレイラに出会うことでリディアとお友達になることもできた。
怒りっぽいけど,本当は優しいレイラ。
だから,ボクはレイラに感謝の気持ちを込めてハープを奏でた。
ハープの音色はレイラの部屋を包み込み,静かな夜を彩っていく。
ハープはボクの気持ちを表す鏡のようなもの。
ボクはレイラへの気持ちをハープの音色に乗せていった。
「綺麗な音色だわ。天使共の音楽よりもよほど深みがある。貴方は良い経験を積み重ねて生きてきたのでしょうね…」
いつも怒っているレイラが喜んで拍手をしてくれる。
ボクは照れくさくなってしまった。
「そういえば,貴方とこうやって他愛も無い話をすることは無かったわね。ねえ,貴方は神の力を得て,どんな道を歩んできたの?」
レイラは優しげな声でボクに話を促してきた。
今日のレイラは何だか優しい感じだ。
何だか別人のように感じてくる。
けど,確かにレイラなんだ。
ボクは神の力を手に入れたことから今に至るまでの経緯を話した。
レイラはボクの話をただ静かに聞き入ってくれる。
ボクの村が焼かれてお母さんが死んだこと。
空腹で死にそうになっていたときに神の声を聞いて,力を手に入れたこと。
ボクの最愛の騎士リーゼとの出会い。
アインシュタイン家の一員になったこと。
悲しい運命を背負った双子との壮絶な戦い。
ボクとリーゼが一緒に困難を乗り越えてきたこと。
リーゼと過ごしてきた日々。
そして,別れ。
「そう,そのリーゼと言う人間は強い女性だったのね…」
リーゼは誰よりも強く優しい騎士だった。
ボクにとっての最愛の女性にして永遠の存在。
ボクの作った曲のほとんどがリーゼのための曲だ。
「リーゼという女性は幸せ者ね。貴方にこんなにも想われているのだから。少し妬いてしまいそうよ…」
レイラは少し悔しそうな感じでしみじみとリーゼのことを褒めてくれている。
何だかとても嬉しかった。
レイラがリーゼを認めてくれたみたいな気がした。
そういえば,ボクはリーゼのことを他の人に話すのは随分と久しぶりな気がした。
世界中を旅してきて,色々な人達と出会ってきたけど,リーゼの話はしたことがなかったんだ。
だったら,ボクはレイラに心を開いているということになるんだろうか。
「私がリーゼを強い女性だと言ったのは貴方と変わらず最後まで側に居続けることが出来たことよ」
レイラはリーゼが強いと言った理由を話してくれた。
ボクは永遠に生き続ける存在だ。
だけど,リーゼは有限の時を生きる人間。
ボクとリーゼとは同じ時間を過ごすことは決してできない。
それでもボクとリーゼは最後まで変わらず毎日を過ごすことができたんだ。
「リーゼは確かに貴方の最高の騎士だったわけね。だから,貴方は騎士をもう必要としていないということなのかしら?」
レイラは何を言ってるのだろうか。
ボクにとって騎士はリーゼだけだ。
代わりなんていない。
「私としたことが愚問だったわね。だったら,言い直しましょうか。寄り添う相手はもういらないのかしら?」
寄り添う相手。
考えたことが無かった。
ボクはもうリーゼ以外は愛せないと思っていたから。
「確かリーゼが貴方に最後に言った言葉は素敵な出会いを見つけて,だったわね。その素敵な出会いの中に貴方が再び寄り添い合える相手は含まれていないの?」
素敵な出会い。
別れが悲しいのは素敵な出会いが出来た証。
リーゼがボクにそう教えてくれた。
ボクはリーゼとお別れして以来,寄り添えるような相手との出会いは無かった。
いや,出会おうとしなかった。
どうしてなんだろう。
分からない。
けど,したらいけない気がするんだ。
ふとボクの頭が柔らかいものに包まれる。
「貴方こそが天使なのかもしれないわね。世界の清さと濁りを渡り抜きながらも貴方の心は直向きに純粋なのだから…」
ボクはレイラに抱きしめられている。
優しく包まれるような感じで気持ちよかった。
「ふふっ,いつもこれぐらいにお互いが素直だったらもっと楽しかったはずなのに。つくづく不器用なものね…」
レイラはさらに強くボクを抱きしめてくる。
「貴方は誰もが諦めていたはずのリディアを救ってくれたわ。本当に感謝している。それにこの私と対等に喧嘩してくる相手も初めてだった。私をガーランド帝国の宰相ではなく,ただのレイラとして接してくれたのは貴方が初めてなのよ…」
レイラがガーランド帝国という国で偉かろうがボクにとってはちょっと怒りっぽいレイラであることに代わりがないんだ。
「そうね,だからこそ,リーゼもそんな貴方に惹かれたのかもしれない。この私のように…」
抱きしめていたレイラの腕がボクを持ち上げ,ボクの唇に柔らかいものが押し当てられる。
レイラの唇だった。
ボクの唇にレイラの冷たい唇の感触が染み渡ってくる。
ボクとレイラの初めての唇同士の口づけ。
レイラの唇がすぐに離れる。
「ふふっ,唇同士の口づけも良い物ね。唇を通して感じ合えることができる。血の口づけでは得られない感触だわ…」
ボクの唇にはレイラの唇の冷たい感触が残っていた。
なぜか胸が高鳴っていた。
こんな感覚はリーゼ以来だった。
ボクはどうしたのだろうか。
そんなボクの様子にレイラは笑う。
「戸惑いなさい。そして,答えを見つけることね。さあ,ご褒美とお仕置きをあげましょうか…」
ボクはベットに押し倒される。
ボクはとうとうレイラに吸い殺されてしまう。
けど,恐怖を感じていない。
生き返るとはいえ,死んでしまうのになぜ怖くないんだろうか。
「貴方は不滅なる肉体を持っているから食べなくても寝なくても死なない体。だから,真の意味で眠りたい思いに駆られることはない。だけど…」
ボクの首筋に生暖かいものが擦り付けられる。
レイラの舌だ。
「れろっ…私は貴方を真の意味で眠らせることが出来る。死という形で…あむぅ…」
レイラの舌がボクの首筋を舐め回してくる。
「ぴちゃ…死は苦痛を伴うのがほとんど…あむぅ…けど…ちゅう…私が与える死は快楽の海…ちゅば…エテルナ,貴方を快楽の海に沈めるように眠らせてあげる。大丈夫,怖くないわ…ちゅ」
ボクの首筋はレイラの唾にまみれていた。
けど,サーシャと同じように別に気持ち悪くは無かった。
レイラの愛情がボクの首筋に塗られているような気がしたから。
レイラはボクの首筋から舌を離してボクに話しかける。
「死と眠りは兄弟であると伝えられているわ。私は貴方の死と眠りの兄弟を引き合わせる架け橋になりたいのよ。だから,お願い。私を受け入れて,エテルナ…」
レイラの縋るような声がボクの胸を打つ。
そうだ。
ボクはレイラを信じると決めて,ここに来たんだ。
レイラはボクに自分の心を晒したんだ。
だったら,ボクはそれに応えないといけない。
ボクはレイラの背中に腕を回した。
ボクはレイラを受け入れるという意味を込めて。
「嬉しいわ,私の死と眠りの口づけで貴方を安息の眠りにつかせてあげましょう…」
ボクの首筋にレイラの冷たい唇が押し当てられる。
ちくっとした痛みがくる。
ボクの熱がレイラの唇に吸い込まれていく。
同時に違う熱がレイラの唇からボクの体に注がれていく。
今までにレイラの口づけとは違っていた。
まるでお母さんに抱かれている赤ん坊みたいな気分だった。
「ちゅうちゅうちゅうちゅう…」
レイラの冷たい口づけが気持ちいい。
これが死と眠りの口づけなんだろうか。
だんだんと眠たくなってくる。
「そう…ちゅ…私の…唇で…眠るのよ…ちゅぱっ」
体中が心地の良いしびれを感じてくる。
暖かくて気持ちいい。
暖かい中でレイラの冷たい唇が心地よく感じてくる。
ボクはレイラに全てを委ねるんだ。
「ちゅるちゅるちゅるちゅるちゅる」
ボクはレイラの中で眠りにつくことになるんだ。
「ちゅう…貴方は…ちゅば…私の者…ちゅ…だから…離さないわ…ちゅ」
ボクはレイラに屈してしまう。
だけど,不思議と悔しくなかった。
レイラはボクの死と眠りの兄弟を引き合わせていく。
「ぢゅうぢゅうぢゅうぢゅうぢゅう…」
もう眠たくなった。
だから。
おやすみ。
レイラ。
「ちゅぱ…ふふっ…お休みなさい…」
「貴方は私の者よ…」
「二度と離さないわ…」
「永遠に…」
「愛してるわ…」
「ちゅっ…」
「エテルナ…」