機械人間
真夜中、妙な喉の渇きで目が覚めた。枕元のデジタル時計は午前二時を指している。薄ぼんやりとした光を放つ数字を見つめながら、もぞもぞとベッドから抜け出した。夏なのにやけにひんやりとしたフローリングの感触が足の裏に伝わる。
音を立てないように階段を下りると、リビングの明かりがついていた。こんな時間に珍しいな、と思いながら覗き込むと、信じられない光景が目に飛び込んできた。
母と父、そして高校生の兄が、ソファに並んで座っていた。三人とも、いつも見慣れたパジャマ姿だ。だけど、その姿勢が、まるで精密に作られた人形のように完璧に揃っていて、微動だにしない。そして、何よりも異様だったのは、彼らのうなじに、それぞれ延長コードのコンセントが差し込まれていたことだ。
「え……?」
思わず声が出そうになったのを、慌てて手で口を覆って押し殺した。心臓がドクドクと不規則に脈打つ。リビングの薄暗い照明の下、うなじから伸びる黒いコードは、まるで彼らの生命線のように見えた。よく見ると、コンセントが差し込まれている部分の皮膚が、不自然に盛り上がっている。そこから覗くのは、人間の肉ではない、無機質な金属の部品だった。精密に組み合わされた歯車のようなものや、複雑な配線が、脈動する皮膚の下で鈍く光っているように見えた。
呼吸が浅くなる。目の前の光景を理解することができなかった。彼らは眠っているのか、それとも意識があるのか。父の肩が、微かに、規則的に上下しているように見えた。それは呼吸ではない、何か機械的な駆動音のような。母の顔は、いつもと変わらない穏やかな表情をしているのに、その眼は妙に窪んで見えた。兄はヘッドホンをつけたまま、目をつむっている。
恐怖が、全身を硬直させた。一歩も動けない。ただ、その異様な光景を、息をひそめて見つめることしかできなかった。彼らは、人間なのか? 私の家族は、一体いつからこんな姿に?
何分そうしていただろう。永遠にも思える時間が過ぎていった。しかし、彼らがこちらに気づく様子はない。無機質な充電の音が、静かなリビングに響いていた。
私の家族は、一体何なんだろう。
このままリビングにいるのは危険だと、本能が叫んだ。足元を凝視しながら、ゆっくりと、来た道を戻る。一段一段、階段を上がるごとに、心臓の鼓動がますます激しくなる。二階にたどり着き、自室のドアを閉めると、へたり込むように床に座り込んだ。
息を整えながら、先ほどの光景を頭の中で反芻する。うなじに刺さったコンセント。むき出しの機械部品。あれは夢だったのか? 悪夢を見て、それで喉が渇いたのか?
いや、違う。あのコンクリートのひんやりとした感触。リビングの明かり。そして、家族の異様な姿。あまりにも鮮明だ。
翌朝、カーテンの隙間から差し込む光で目を覚ました。寝汗で体がべっとりしている。昨夜の悪夢のような出来事を思い出し、跳ねるようにベッドから飛び起きた。
リビングに降りると、ダイニングテーブルからは香ばしいトーストの匂いが漂ってくる。母がキッチンで朝食の支度をしていて、父は新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。兄はスマホをいじりながら、食パンをかじっていた。いつもの朝の風景だ。何事もなかったかのように、日常がそこにあった。
「あら、花。おはよう。よく眠れた?」
母が優しい声で振り返った。いつもの笑顔だ。昨夜の恐ろしい家族とは、まるで別人だ。しかし、私の心は落ち着かなかった。昨夜の記憶が、まざまざと脳裏に焼き付いている。
私は、恐る恐る家族のうなじに目をやった。父はシャツの襟で隠れている。母は髪をまとめているのでよく見えるはずだ。兄もそうだ。
母のうなじを見た瞬間、私は息をのんだ。そこには、確かにあった。昨夜、コンセントが刺さっていた場所に、薄い線の跡が残っていたのだ。皮膚の色とはわずかに異なる、ほんのわずかな線。髪の毛で隠れるような、注意して見ないと気づかないほどの線だ。だけど、私にははっきりと見えた。まるで、皮膚を縫い合わせたような、あるいは接着したような痕跡。
兄のうなじにも、同様の線がうっすらと見えた。彼は気にすることなく、パンを口に運んでいる。父のうなじは、やはりシャツの襟に隠れていて確認できない。
どうしよう。やっぱり、昨夜のことは夢じゃなかったんだ。うちの家族は、偽物なんだ。ロボット? それとも、サイボーグ?
考えれば考えるほど、頭の中が混乱した。食欲もわかず、トーストを少しだけかじって、無理やり牛乳を胃に流し込んだ。
「ごちそうさま。行ってきます。」
私はほとんど会話をすることなく、家を飛び出した。重い足取りで学校に向かう。通学路には、いつものようにクラスメイトたちが歩いている。みんな、楽しそうに談笑している。だけど、私の目には、彼らがまるで精巧に作られた人形のように見えた。もしかしたら、この世界にいる人間は、私以外みんな、中身が機械なのかもしれない。
そんなことを考えていると、前から歩いてきた友人のミオと目が合った。ミオは満面の笑みで手を振ってくる。
「花! おはよう!」
ミオは明るくて、いつもクラスの中心にいる人気者だ。彼女のうなじには、果たして線があるのだろうか。確かめたい衝動に駆られたが、そんなことをしたら怪しまれる。
「おはよう、ミオ。」
いつも通りの笑顔を返そうとしたが、顔が引きつるのがわかった。
ミオと並んで歩き始めた、その時だった。
「キャー!」
甲高い悲鳴が響き渡った。隣を歩いていたミオが、突然、よろめいたかと思うと、車道に倒れ込んだ。そして、その瞬間、轟音とともに一台のトラックが、ミオの体を巻き込んだ。
「ミオ!」
私は叫んだ。体が震える。何が起きたのか理解するのに数秒かかった。トラックはそのまま走り去っていく。アスファルトの上に、ミオが倒れている。その足が、不自然な方向に折れ曲がっていた。いや、折れ曲がっているだけではない。
ミオの右足が、太もものあたりから千切れて、路上に転がっていた。
吐き気がこみ上げてくる。私は目を背けようとした。しかし、その光景から目が離せなかった。そして、信じられないものを見た。
千切れたミオの足からは、一滴の血も流れていなかった。
アスファルトの上には、血だまり一つない。ただ、千切れた足の断面が、むき出しになっていた。そこには、人間の骨や肉ではなく、複雑に絡み合った金属の配線や、銀色の部品がぎっしりと詰まっていたのだ。まるで、精密に作られた機械人形の内部を覗いているかのようだった。
「あ……」
ミオの口から、か細い声が漏れた。私は恐る恐るミオの方を見た。ミオは、痛がる素振りも見せず、ただ呆然と自分の千切れた足を見つめている。そして、私の目を見て、少しだけ、笑った。
その笑顔は、どこか諦めているような、そして、寂しいような、複雑な表情だった。
ミオは、ゆっくりと、震える手を伸ばした。千切れた足の断面から、小さなネジのような部品を拾い上げた。まるで、それが自分の一部であるかのように、大事そうに握りしめている。
その瞬間、私の頭の中で何かが弾けた。
ミオも、家族も、みんな、人間じゃない。中身は機械だ。私以外の人たちは、みんな、人間じゃないんだ。
そう考えた途端、全身に鳥肌が立った。得体の知れない恐怖が、私を支配する。私は、この世界でたった一人の人間なかもしれない。
逃げなきゃ。ここから、どこか遠くに逃げなきゃ。
私は、ミオを残して、がむしゃらに走り出した。学校とは反対方向へ、ただひたすらに。車のクラクションの音も、周囲の騒音も、何もかもが耳に入らない。ただ、この場所から、この偽物の世界から、逃げ出したかった。
車道の端を走り続けていると、反対車線から猛スピードで走ってくる車があった。私の体は、なぜか動きが鈍かった。避けようとしたが、足が思うように動かない。
次の瞬間、全身に衝撃が走った。
「ぐっ……!」
視界がぐにゃりと歪み、体が宙に投げ出される。アスファルトに叩きつけられ頭を強く打った。
私は、死んだと思った。
だけど、痛みがない。
全身の骨が砕け散ったような衝撃だったはずなのに、痛みを感じない。そして、何よりも、血の匂いがしない。
恐る恐る、体を起こそうとする。左腕が、妙に軽い。感覚がない。
視線を左腕にやった。
私の左腕は、肘から先が、無残にも千切れていた。
アスファルトの上には、私の千切れた腕が転がっている。しかし、そこには、血の一滴も流れていなかった。
腕の断面からは、ミオの足と同じように、複雑に絡み合った配線と、金属の部品が、鈍く光っていた。
ああ。
そうか。
私も、機械だったんだ。