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第3話 『完璧』な令嬢

 東の空が白み始める頃、私はようやく『ルクレール』での仕事を終え、ルミエールの屋敷へと戻っていた。馬車に揺られながら、帰り際に部下から受け取った今月の『ルクレール』の売上予測に目を通す。


 ……これだけあれば、孤児院の修繕には十分。教会の炊き出しも予定通り実施できるだろう。


 ホストクラブ『ルクレール』をはじめとした事業の利益は、孤児院や貧民など、弱者への支援に活用していた。



 私の夢――それは貴族たちの富を回収し、弱者に再配分する仕組みを作ること。

 この志をもつのは、母と妹の姿を、忘れられないから。



 母はルクレール伯爵家の屋敷で働くメイドだった。既に爵位に就いていた父に手をつけられ――私たち双子を産んだあとは屋敷を去り、下町で慎ましく生きていた。


 けれどある秋の日。私をかばった妹が貴族の馬車に跳ねられ、歩けなくなった。母は髪も身体も売って治療費を捻出しようとしたが……その冬、流行病で亡くなった。


 時を同じくして流行病で正妻と後継ぎを立て続けに失った父はどこかから私と妹を見つけ出し、言った。



『過去と妹を捨て、完璧な令嬢として生きろ。その代り、遠くで妹を生かしてやる』



 私はその言葉を受け入れ、以来、『完璧』な貴族令嬢を演じている。



 今もどこかで、妹は――リリィは生きている。


 あの子は足が悪いから、どこか療養院で暮らしているはず。そう思って、長い間地道に療養院や孤児院を捜索したが……まだ、成果はない。悔しいが、父は有能だ。後継ぎである私を逃さぬため、周到にあの子を隠しているんだろう。



 あの子の食事が、少しでも豊かになれば。

 いつか、一目でもあの子に会えれば。


 どこにいるかもわからない相手を想って慈善事業に勤しむなど、馬鹿なことだと分かっている。



 けれど、この夢を捨てれば、きっと私は生きていられない。



 馬がひとついななき、音を立てて馬車が停止する。どうやら、屋敷に到着したらしい。御者が扉を開けると、燕尾服を着た初老の家令が私を迎え、父からの呼び出しを耳打ちしてきた。


 あの男は私と同じく、ほとんど眠らない。だから、夜明け前にも平然と家の者を呼びつける。特に、誰かを叱責するときなどには。




 家令に先導されて父の書斎に入ると、すぐさま厳しい視線が私を射抜いた。銀の混ざった金髪に、冷えた色の青い瞳。彫像のような温度のない顔立ちに、目じりや口元の皴がかろうじて人間味を与えている。


 ……この男の前に立つと、いつも吐き気がする。自分の容姿がどれだけこの男に似ているか、思い知らされるから。


 父は椅子に浅く腰をかけ、細かく足をゆすっている。……典型的な機嫌が悪い時の彼の仕草だ。


「……グレイハート家の嫡男に、婚約破棄をされたそうだな」

「はい、お父様。レオ様には別に、意中の方がいらっしゃるようで」

「今回の婚約のため、私がどれだけ苦心したか分かっているのか!」


 重厚な机に、拳が強く打ち付けられる。面子を重んじる父のこと。婚約破棄を受ければ叱責をされることは予想していた。


「何のためにお前をこの家に呼び戻したと思っている?! ……『あの娘』が今も永らえているのは私の許しがあるからだ。まさか、忘れたわけではあるまい?」


 『あの娘』……リリィに触れられ、反射的に口元が引きつりかけるが、寸でのところで堪えた。私は素直に深く、しおらしく、頭を下げてみせる。


「……お父様。婚約破棄という結果を招いてしまったこと、深くお詫び申し上げます。しかし……私は今回のこと、我がルミエール家にとってはむしろ好都合であったと考えています」


 僅かに目線を上げ、父の顔を伺う。父の眉がわずかに上がった。私はその揺れを逃さないよう、そのまま続ける。


「グレイハート家のような大貴族が、感情に流される若い当主を抱えれば……必ず家は乱れます。そのような家に振り回されるよりも、他にもっと有望で堅実な縁を探すべきではないでしょうか」

「……有望な縁、だと?」


 父の声色にはまだ怒りの色が残っていたが、言葉尻からは期待が覗いている。


「隣国のバリエール公爵家の三男に、ぜひ会いたいと仰って頂いております」


 父は立ち上がり、窓際に立つ。そのまましばし黙り込んで、何事かを思案しているようだった。


 ……空が白んできた。そろそろ夜明けも近い。


 ようやく、父がこちらを振り返る。その表情は逆光の中に沈み、はっきりとは見えない。けれどどうせ、いつものように人を見下すような不快な表情を浮かべているに違いない。


「……良いだろう。その話を進めてみろ。ただし、失敗は許さなれい。分かっているな?」

「もちろんです」


 父の許可を得た私は、再び頭を下げてその前を辞し、部屋の前で控えていた家令にバリエール公爵家に連絡を入れるように頼んだ。……常識的な時間になってからの着手でよいと添えて。


 父にはあえて伝えなかったが、バリエール公爵家の三男坊はまだ14になったばかりの少年だ。上手く話が進んだとしても、結婚となるのはもうしばらく先になるはず。


 折角、レオとの婚約がなくなって自由に使える時間が増えたのだ。もう少し身軽でいたとして、罰は当たらないだろう。



 屋敷の廊下の窓から外を見る。貴族街の先に連なる屋根の群れの向こう、灰青い空を押し上げるように朝日が姿を現しつつあった。



 ――今日も、伯爵令嬢ソフィアの『完璧』な一日が始まる。

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