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第2話 ホストクラブ『ルクレール』

 ――貴族街の裏通りにひっそりと佇む店がある。


 その店の名は『ルクレール』。男性ホストが女貴族をもてなす「ホストクラブ」と呼ばれる業態が流行り始めてすぐ、私が出資して開店した店だ。店名が刻まれた白金の看板は、ランプの柔らかな光に照らされ、夜の静けさの中で控えめに輝いている。


 この店のホスト兼オーナーを務める私、ソフィア・ルミエール……いや、クロード・ルクレールは店の裏手に回り、密かに扉を開いた。


「お疲れ様です。クロード様」


 扉を開けると右目に傷のある黒服の男――レインが私を迎える。黒髪をオールバックに固めた彼は、私の腹心の一人だ。


「遅くまでご苦労。準備が出来たら私もすぐにホールに出よう」


 軽く会釈をし、奥の専用部屋へと進む。部屋の中に設えられた大きな姿見を使い、改めて自分の装いを確認する。


 姿見には洒落た黒いスーツを着こなした美貌の貴公子が映っている。入念に身嗜みを確認した後、サイドテーブルの小箱から豪華な意匠のカフスボタンを選び出し、身に着けた。


「これでいい」


 ネクタイに手をかけながら、私は煌めくシャンデリアが照らすホールへと足を踏み入れる。ホストクラブ『ルクレール』の主役として、今宵も舞台に立つために。



 * * *



 ホールは、洗練された華やかさと熱気に包まれていた。こだわって買い付けた装飾や調度品、厳選されたホストたちの接客が、訪れる客を煌びやかな夢の世界へと誘っている。


 そのまばゆい空間を貫く通路を行けば、自然とこちらに熱い視線が集まり、あちこちで小さなどよめきが広がっていくのがわかった。



 ――貴族が気楽にはしゃぎ騒いで、馬鹿らしい。……いや、そんな風に思ってはいけない。奴らは感情の機微に目ざといから、すぐに内心は露見する。



 この店に富を運ぶお客様には、いつだって最大の敬意ともてなしを。今、私はこの空間の主・クロードなのだから。


「クロード!」


 そして、ホールの中でもひときわ豪華なテーブルから、澄んだ声で名前を呼ばれる。その声の主はシャーロット――この国の第二王女で、このクラブの常連客――だった。煌びやかなドレスを纏った彼女は、余裕たっぷりに手招きしてくる。


「お待たせしました、シャーロット様」


 私は軽く片膝をつき、シャーロットの手を取って口付けをする。優雅に、そして挑発的に。


「遅かったじゃない! ……そのカフス、私の贈り物ね?」

「ええ、シャーロット様をいつも感じていたくて」


 シャーロットは満足げに微笑み、私を隣の席に招き入れた。


「いつものお飲み物を」


 私が軽く指を鳴らすと、すぐに黒服が白ワインを持ってきた。私がグラスを差し出すとシャーロットは、さらに顔をほころばせる。


「クロード、貴方っていつも完璧……どうして?」

「お褒めに預かり光栄です。けれど、必死に取り繕っているだけですよ」


 やや遠慮がちにそういうと、シャーロットは「お上手ね」と軽やかに笑う。しかし、急に瞳に醒めた光を宿し、耳元で囁く。


「貴方が何を取り繕っているのか……いつか見透かしてしまいたい」


 首筋にひたりと、寒気が走る。この人はたまに危うい言葉を吐く。……恐らくは、珍しく慌てた私の顔を見てみたいのだろう。


 そう解釈して、目を見開き、小さく息を吐いて見せてやった。すると、シャーロットは餌を得た猫のように、満足そうにその眼を細めた。どうやら、これで正解だったらしい。


「そういえば知ってる? グレイハート家の嫡男、貴族の娘との婚約を破棄して、平民と婚約するらしいわよ」


 つい数刻前の出来事が既に噂として出回っていることに内心で少々驚きつつ、私はシャーロットに相槌を打つ。


「あの大貴族の、ですか」

「そうよ。今は身分違いの恋に酔いしれているんでしょうけど、きっとすぐ破綻するでしょうね」

「なぜそう思うんです?」

「平民に貴族が務まるはずがないからよ」


 シャーロットと軽口を交わしながらも、私は周囲に目を配る。客一人一人の表情や飲み物の減り具合、ホストたちの動き――そして綻びに気が付いたときには、さりげなく合図を送る。そうすることで、私はこの店をより《《理想》》の空間に仕立てるのだ。


「おっしゃる通りです。貴族の皆様がどれほどお心を砕いて、平民に施して下さっているのか……」

「クロードは貴族でしょう?」


 シャーロットのはっきりとした口調に、意識がふと現実へ引き戻される。所作を見れば、私が何者かなど察しのいい者にはすぐにわかるだろう。だが、こちらから明かす必要などない。


「……そのように言っていただけるなんて、光栄です。シャーロット様からのお言葉なら、なおさら」


 私はうっとりと微笑み、胸にそっと手を添える。シャーロットがその仕草を受け止めたのを確かめてから、ひと呼吸おいて静かに立ち上がり、彼女の視線をさらりと断つように背を向けた。


「この胸の熱を冷ましてきます」

「あら、別の卓へ? ……仕方ないわね」


 不機嫌を隠さない、棘のある声。けれど、今日はまだ、彼女だけに時間を使う訳にはいかない。それはシャーロットも分かっているはずだ。


 絡み付くような彼女の気配を振り切るように、私は卓を後にした。



 その後、私はいくつかの卓に顔を出し、私を待ち望む客たちをもてなした。誰もが私の容姿に見惚れ、所作にときめき、声に浸る。……最初のうちは自分の才能が少し恐ろしかった。もう慣れたが。


 あるテーブルに活けられた百合の花がふと目に留まる。――妹が、今の私を見たらなんて言うだろう。「お姉ちゃん、素敵」と笑うだろうか、それとも……。



 顔を出すべき卓を一通り回ったあと、シャーロットの元へ戻る。席に着くなり、彼女は唐突に身を預けてきた。


 頬はほんのり紅く、瞳孔は開き気味。口元も緩んでいる。どうやら、ずいぶん飲んだらしい。


「ねえクロード。今日はこれから朝までずっと、私の隣だけにいて? ……おねがい」


 いつものことだ。私が他の客のもとへ行くと、彼女はすぐに酒を煽り、酔いに任せて私を独占しようとする。


 王室に居場所のない放蕩姫――そんな彼女が今、依存しているのがクロードという夢。


 私は彼女の肩をそっと引き寄せ、唇を耳元に寄せる。


「シャーロット様がそう望むなら」


 その一言で、シャーロットの表情が子猫のように幼くゆるむ。


「もうその顔、その声……! 一晩中貴方を独り占めにできるだけのシャンパンを、すぐに持ってきて!」


 彼女の号令に、特別なオーダーを知らせるベルが鳴り、ホールには瞬く間に輝くグラスのタワーが組まれた。私がその頂きからシャンパンを注ぐと、白い泡がタワーを伝い幾千の宝石のようにきらめき、宴にさらなる熱を添える。



 この虚飾の舞台に惜しみなく金が注がれるたび、私の夢は確実に現実に近づいていく――そんな実感に、私は唇の端をわずかに上げた。

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