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第13話 【エリナ視点】『会いたい』

 ほんと、退屈。


 辺境の修道院とやらにきて、数ヵ月。

 何度心の中で「退屈」と言ったか分からない。


 朝早く起きて掃除して、祈ってまた掃除して、祈って寝て……その繰り返し。


 掃除なんて毎日やらなくなって生きていけるって。暇つぶしと仕事を勘違いしてるんじゃないの? なんて、先輩修道女に愚痴っていたらいつの間にかやんわりと周りから距離を置かれるようになった。ま、余計な仕事を頼まれる機会が減ったからいいけどさ。


 すっかりはみ出し者になった私に、今日、新しい仕事が割り当てられた。



 それは、『リオン』という少年の世話だった。



 リオンは生まれながら足が不自由らしく、歩くことができない。病気で目も不自由で、声を出すこともできない。噂によるととある貴族の縁者で、屋敷で面倒を見られない事情があり、ここで預かっている……らしい。全部聞いた話だ。


 彼は修道院の離れの塔の最上階に、事実上閉じ込められているという。 ずっと彼の面倒を見ていた年老いた修道女がついに塔を登れなくなったらしく、私にお鉢が回ってきたという訳だ。



 私は息を切らせながら高い塔を上り、リオンに食事を届ける。そのあと、鍵束から教えられた通りに銀の鍵を選び出し、扉を開く。




 扉を開けると、ふと、肩口を涼やかな風が通り抜ける。


 風の来た方を見ると、痩せこけた一人の少年がいた。――リオンだ。



 リオンは狭い寝台の上で上半身を起こし、窓の外の方を向いて静かに祈っていた。


 まだ弱い朝の陽が短く刈られたくすんだ金色の髪と、白くやつれた頬をほのかに照らしている。ふたつの碧眼は白濁し、彼に光がないことが一目でわかる。


 けれど彼には悲壮感がなかった。人生を諦めているかんじもない。なんだか、不思議な雰囲気だ。



 一歩踏み出すと、足音で私が来たことに気が付いたのか、リオンはこちらを振り返る。見知らぬ修道女の姿に驚いたのか、小さく肩をびくつかせた。


「はじめまして、リオン。私はエリナ。いつもの婆さんはもう塔に上るのキツイらしいから、今日から私がお世話係になったの」


 彼の喉がくぐもった音を鳴らす。……たぶん、挨拶でもしてくれているんだろう。


 今日の朝食は固いパンと、薄い、少しのスープ。修道女たちのあまりものが彼の食事だ。


「さ、どうぞ」


 スプーンとスープの入った器を握らせてやると、目も見えないはずなのに、リオンは器用にスープを掬い、すぐに平らげてしまう。続いてパンを渡してやると、嬉しそうに目尻を緩めて軽くおじぎをしてくれる。



 笑った時のリオンの目の形に、胸がときめく。

 ……なんで?


 不可解な感覚の理由を明らかにしたくて、彼をまじまじと見つめて……ようやくわかった。


 リオンの目元は、クロードにほんの少しだけ似ているんだ。金の絹糸のような長い睫毛。細められると艶やかさが引き立つ、涼し気な目元。痩せて落ちくぼんでなかったらもっとクロードらしいのに。



 クロード。今、どうしているの?

 ……きっと今でも素敵に、『ルクレール』で活躍してるよね。


 私以外の人に、優しくしてるかもしれないと思うと切ないけど……元気にしてくれていたら、幸せでいてくれたら、それだけでいい。



「私には好きな人がいるの。クロードって言って、もう夢みたいに綺麗な男の人なの」


 気持ちが昂って、つい口からクロードの思い出がこぼれてしまった。

 ま、どうせリオンはろくに返事もできない。穴にでも呟くつもりで、気晴らしに話してしまおうか。


「クロードは綺麗だけじゃなくて、とっても優しいの。色々あって落ち込んでた私にとっても美味しい紅茶をごちそうしてくれたり、怪我したときに冷たい布をあててくれたり……」


 『ルクレール』での日々が胸をかすめ、切なさがこみ上げる。シャンデリアが煌めくホール、真っ白なクロスが掛けられた卓。そして隣には、あのクロードがいて、甘くて優しい時間をくれた。


 でも――彼のことを思い出すたび、不安がよぎる。


 頭の中で繰り返すあの言葉、本当にあのときの声のままだろうか。

 一緒に飲んだ紅茶の香りは……まだ、覚えていられてる? 私は、あの瞬間のすべてをちゃんと記憶していられるんだろうか。もう、少しずつ忘れ始めていたりは、しないだろうか。


 眠るたび、宝石のように輝いていた想い出が、気づかないうちに色褪せていく気がして――それが怖い。


 だから本当は、すぐにでも会いたい。クロードの声を、確かに聞きたい。記憶を、確かめたい。


「……私は、クロードが大好きなの。だからいつか、絶対にここを抜け出して王都に行くって決めてる。あの人に、もう一度会いに行くって」


 リオンはパンをかじりながら、まとまらない私の話をどこか神妙に聞いていた。


 パンを食べ終えたリオンは、ぼんやりと宙を見つめた後、枕の下から布を取り出し、膝に広げて見せる。


 その布には、均等に刺繍された文字が並んでいた。……声を持たない彼を哀れに思った前任の修道女が、彼のために作ってやったのだろうか。


 リオンは布の端からゆっくりと指先を滑らせゆっくりと辿るように……文字を指さしていく。



『私もここから出たい』


『王都に行きたい』


『姉に会いたい』



 示された文字を繋げると、そんな意味になった。ここから出て、王都に行きたい……? しかも、姉に会いたい?


「姉? あんた、お姉さんがいるの?」


 私が問うと、リオンはこくんのひとつ頷いた。どうやら、私が受け取ったメッセージは彼が意図した内容らしい。


 それで……王都に行きたいって? そんなこと言われて、どうしたらいいの? 私だって行けるものなら行きたい。けど……


「……さっきはああいったけど、すぐ王都に行くなんて無理よ。ここは修道女を閉じ込めておく場所なの。敷地内には衛兵がずらりって有様なんだから」


 ここに来てすぐに、私は脱走できないか何度か試みてみたが……その企みはすべて失敗した。先輩修道女にチクられたこともあれば、普通に衛兵に見つかってしまったことも。修道院長からは次脱走すれば鞭打ちだと言われている。


 私一人でもそんな調子なので、歩けないリオンを連れて脱出するなど、夢のまた夢だ。しかしリオンは表情を変えず、また布の端に指を戻し、ゆっくりその上をなぞる。


『それでも会いたい』

「会いに行ってどうすんのよ、そんな身体でさ。迷惑かけるんじゃないの?」

『会いたい』


 見ると、『会いたい』をなぞったリオンの指先は、微かに触れていた。想いが、あふれ、こぼれそうになっているようにも見えた。



 ……会いたい……ね。

 私も会いたい。クロードに、会いたい。すごく。



 一途に会いたいと訴える彼に、なんとなく自分が重なって……ある提案が口からこぼれる。


「それじゃ、手紙でも出してみる?」


 リオンはきょとんと首を傾げる。


「実はね、私、今度クロードに手紙を出そうと思ってたの。私書係の司祭様に一生懸命お願いしたら、特別にいいよって言ってくれて」


 本来、この修道院では親族へ手紙を出すのも許可制で、内容を検閲される。しかしたまたま私書係の司祭様と懇意にする機会を得た私は、持ち前の交渉術で彼を『説得』した。


 結果、私的な手紙を1通だけ、検閲なしで差し出すことを許されていた。


「あんたの手紙も一緒に入れてあげる。クロードは優しいから、あなたのお姉さんに届けてくれるかもよ?」


 クロードが優しいと言っても、見知らぬ少年のためにそこまで手をかけてくれるかは分からない。けれど、彼の顔の広さは王都でも随一。その辺に適当に手紙をほおっておくよりは、リオンの姉に届く可能性も高いだろう。


「どう、書いてみる?」


 私が訪ねると、リオンは顔いっぱいの笑顔を浮かべて、大きくうんうんと頷いた。……なかなかどうして可愛いやつめ。


「よし! じゃあ次はこっそり紙とペンを持ってくるから、手紙に何を書くか考えておきなさい。あんまり長いのはダメだからね?」


 リオンの喉が再び鳴る。たぶん、「ありがとう」かしら?


 さて、そうと決まればさっさとリオンの部屋の掃除を終わらせて、また神に祈りにいきますか。無心で祈って働けば、退屈な時間が過ぎるのが早くなるからね……多少は。

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