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今日は、仕事が早く終わった。
なぜか甘野さんの機嫌が良いのと、金曜日で流石に俺も定時で帰りたかったから。
「鬼塚、飲み行こ」
「えっ」
甘野さんと2人だったエレベーターで、俺は間抜けな声を出した。
普通の世間話だったり、月曜日の打ち合わせの話をしていただけなのに、急にだ。
「嫌?」
「いやー……」
俺が答える前に、エレベーターが1階に着いた。俺は開けるボタンを押して、甘野さんが先に出る。
「嫌とかじゃないです。行きましょう」
甘野さんと、サシ飲み……!
でも、金曜日だから他の人達も飲みに行くと思うけど……俺だけってことは、何かあるのかな。
「2人です」
初めて行く店。甘野さんは慣れているようで、店員に人数を告げ、スムーズにカウンター席に腰掛けた。俺も、その隣に座る。
他にも客は結構いて、賑やかな空間だ。
天宮と瑞希の3人や、同じ企画部の同僚と飲みに行くことはたまにあったけど、誰かと2人で飲むなんて、しかもそれが上司の甘野さんなんて。
「鬼塚、何飲む?」
「あ、じゃあ生で」
「はーい」
メニュー表を俺たちの真ん中に置いて、店員を呼んだ。
「生2つ。あと……ポテトサラダと、出汁巻き。鬼塚、なんか食べたいものある?」
「あー、じゃあ……唐揚げで」
店員が注文を繰り返し、キッチンに戻っていった。
こんなところに、こんな店あったんだ。
他のテーブルに運ばれた料理は、どれも美味しそうだ。
「生2つでーす」
さっきとは違う店員が、俺と甘野さんの前にビールを置いた。
「じゃあ、乾杯っ」
「お疲れ様です」
かんっと控えめな音がして、それぞれ口にビールを流し込む。
定時終わりで飲むビールは、控えめに言って最高すぎた。
「鬼塚、今日頑張ってたね」
顔を少し赤らめた甘野さんが言った。
「ありがとうございます」
俺の返事に対して大袈裟にうんうんと頷いた。
「ふぅ……」
暑いみたいで、軽く結っていただけの髪を、頭の上の方ぎゅっとで結んだ。よくある、女性のドキッとする仕草。まぁ、うん。分かる気がする。
「甘野さん、お酒弱いんですか?」
「んー……」
返事を聞くまでもなく、弱いらしい。顔は真っ赤だし、汗かいてるし、なんか異常なほどに笑顔だし。
「あ、甘野さん。出汁巻きですよ」
甘野さんの取り皿に、出汁巻きを一切れ乗せた。
嬉しそうな甘野さんは、ぱくぱくと出汁巻きを口に運んだ。
「鬼塚、仕事どお?」
「仕事……まぁ、ご存知の通り順調ではないですけど、自分的には結構頑張っ……て、え。聞いてます?」
「聞いへるほ?」
口に唐揚げを詰め込んでいる。リスみたいで可愛い……じゃなくて。
「もう、なんなんですか……!」
俺も、唐揚げを1つ食べた。揚げたてで、柔らかくて、美味しかった。
一方、甘野さんは大好物を目の前にした子供のように、次に運ばれてきたポテトサラダを見て目を輝かせている。俺のことなんて、多分忘れている。
「甘野さんは、もうビール駄目ですよ」
まだ少し残っているけど、こんなにすぐ酔ってしまうのにこれ以上飲ませるのは流石に危ない。
ちなみに、俺は強い方で、結構な量を飲まないかぎりは、目立った普段と違う行動などはない。だから、いつも介抱係になってしまうんだ。
お預けをくらったからなのか、甘野さんは何か言いたそうな表情をしている。
今の状態なら、可愛くねだられたりするのだろうと思っていたら。
「鬼塚、いつも怒ってごめん……」
「え?」
予想外のセリフ、というか。甘野さんが言わなそうな言葉だった。
「いや、あの……?」
驚いて、咄嗟に言葉が出てこなかった。
「怒られるのは、俺が仕事出来てないからですし……?」
甘野さん、酔いすぎじゃないか?
どうにかしようと思っても、何をしたら良いのか分からず。甘野さんへの返事も疑問形になってしまう。
「鬼塚は、私のこと嫌い?」
突然、甘野さんがそう聞いてきた。
これは、酔って、変なこと言ってるだけ? それか……本音。
甘野さんの声も、表情も、雰囲気も、言っていることも。全部、甘い。
「嫌いじゃないですよ。というか、いつも怒らせてすみません……」
嫌いじゃない、むしろ……。声に出そうとして、やめた。今言ったって、明日には忘れられている。それに、そんな、軽々しくたくさん言うような言葉じゃないと思う。
「んー……」
いつの間にか、甘野さんは静かになっていた。