甘野さんの手伝い
「……前よりは良くなったよ」
相変わらず低い声。鋭い視線、どころか今日は目も合わない。
この返事を待っていた。
「ありがとうございます!」
「前よりは、ね。少しは残業しなくてもいいように努力してね」
流石は鬼上司、浮かれている俺に釘を刺す。
今日新たに作成しないといけない書類に目を通す。
……言った傍から残業かもしれない。
「鬼塚くん、お昼行こ~」
俺に声を掛けてきたのは、同期の天宮幸。
うるさいし扱いに困ることが多いが、正直で根は良い奴なので何かと信用しているところもある。
「鬼塚くん、せっかく私が飲み会誘ってあげたのに来なかったんでしょ!」
「強制参加じゃないんだから別に良いだろ。」
それに、言い方からするとコイツ、酔って記憶ないな。
「そーだよ、栞が来なかったから、天宮の世話係俺になったんだけど?」
横から割って入ってきたのは、同じく同期の上地瑞希。からかうのが好きな奴で、よく天宮なんかは掌で転がされている。悪趣味な奴だが、面倒見が良いのでよく頼らせてもらっている。
俺と天宮、瑞希の3人が同期で、よく絡んでいる。
「そういえばさ、最近鬼塚くんお弁当じゃないよねぇ」
日替わり定食の唐揚げをリスのように口に詰め込んでリスのようになっている天宮が、聞かなくても良いことを聞いてきた。
「時間がないんだよ」
「嘘吐け、お前家から会社徒歩圏内だろ」
よし、やっぱり早急に引っ越そう。
「彼女にフラれたんだよ、休日出勤ばっかで!」
「あらまぁ」
「ドンマイだねー」
軽い返しをした2人だが、きちんと俺の話を聞いてくれた。
休日出勤、平日も残業ばかりで会える時間が少なくなり、そろそろと将来のことまで考えていた彼女に先日別れを告げられたばかりだ。
「栞って、いつもそんな感じで続かないよね」
「ま。鬼塚くんならまた良い人見つかるよぉ」
「何だよ最後の取って付けたような他人事感!」
「だって他人事だもーん」
人がフラれたばかりで傷心中だというのに、コイツらも鬼上司も遠慮がない。
「もう昼休み終わるよ?」
時計を見れば、あと5分程。あまり良くないが急いで定食を食べて、オフィスに戻った。また、永遠に続く書類作りだ。
本当、俺にだけ態度が違うな……。俺と話す甘野さんと、他の人と話す甘野さんは全くの別人格。温度差で風邪を引いてしまいそうだ。
棚から資料を取ろうとしているのか、手が届いていない。
「んぅっ、ぬぅっ……!」
頑張って背伸びをしている甘野さんは、小動物みたいだ。
取れないなら、そう言えば良いのに。
「この資料ですか?」
おそらく、去年の夏のデータをまとめたファイルを探しているのだろう。棚から抜き取り、少し屈んで目線を合わせてから、甘野さんに渡した。
「ありがとう、鬼塚。」
なぜかむすっとした顔で礼を言い、ファイルを開きながら自分のデスクへ戻って行った。顔が赤いのは気のせいか、怒りか……。
俺、もう何しても怒らせるじゃん。
「俺ってなんかダメなとこある?」
「何急に。フラれた理由探してんの? そりゃ全部だね」
「即答すんな。あと違ぇし!」
天宮に聞いた俺が馬鹿だった。
フラれた理由は仕事で会えていなかったから。ほったらかしにしてた訳じゃないけど、会えてなかったのは事実で、明らかに俺が悪い。
「はぁ……」
一度落ちてしまった気分を上げるのは難しく、中々手が言うことを聞いてくれない。
「鬼塚」
と、そこにまた鬼が来た。勘弁してくれ……。さっき渡したあの企画書にミスでも見つけたのかもしれない。
「はい、何でしょうか……」
「ちょっと来てくれる?」
そう言って、スタスタと俺の前を歩く小動物……じゃなくて甘野さん。昼休み終わりの直後だから、廊下には人がいない。
俺は甘野さんに連れられて、あまり使ったことがない資料室に入った。
あまり使われないため、電気を付けても薄暗く、おまけに物もゴミも多い。
「ここの片付けを手伝ってほしいんだけど」
足の踏み場が限られている床の段ボールをせっせと動かし始めた甘野さん。
手伝うのは別に大丈夫だけど……。
「なんで俺なんですか?」
書類がたくさん入っている思い段ボールを運びながら聞く。
「昨日、営業部に頼まれたの。でも、来てみたら意外と広いし、男手が欲しくって」
「あぁ、なるほど……?」
いや、俺が本当に気になっているのは……なんであんなに嫌われているのに俺に頼んだんだ、ということだ。
男手なら瑞希だっているし、他にもたくさん男社員はいる。何もそこから俺を選ばなくても……。まぁ、書類作りよりかは力仕事のほうが単純で助かるけど。
甘野さんは、下の棚に入っている比較的軽めな段ボールやファイルを、俺は上の棚や書類、重い物が入ったものを整理している。
床に物が散らばっていて、甘野さんが時々躓きそうになっている。周りは金属の棚で囲まれているし、床に置いてある物の中には硬い物が多いから、もし転んだら危ない。
薄暗いのは、どうにかならないのか。俺も甘野さんも、スマホをデスクに置いてきてしまったようなので、ライトで照らすこともできない。
仕方なく、細心の注意を払いながら片付けを続けていた。
「……だいぶ片付きましたね。」
部屋に入ってから、30分くらいは経っただろうか。
だいぶ綺麗になったし、もう使わない資料などの整理もできた。
「けど、まだ奥があるの」
「そこもするなら、何か明かりがあった方が良いですね。俺、スマホ取ってきますよ」
扉を開けておくのは駄目だ。たまに通る通行人に迷惑なので閉めなければいけない。なら、奥も片付けるのは今のままだとさらに危ない。
色々運んだり動いたりで疲れているだろうから、俺が行こうとしたのに止められた。
「私も、着いて行く……」
なぜか俺を追い越して部屋を出て、そそくさと歩いて行く。
まぁ、甘野さんが行くって言うなら別に止めないけど……。
「甘野さん、疲れてるなら後は俺1人でやりますけど……」
さっきから様子がおかしいから、疲れたのかと思ってそう言った。
「別に、大丈夫。それより、さっさと終わらせましょう」
女性の大丈夫は大丈夫じゃないと聞いたことはあるけど、相手に言わせてしまったのだから、どうしようもない。
デスクからスマホを取って、また2人で資料室に向かった。