後日談
辺境の冬は厳しい。
午後のティータイム、ぱちぱちと音を立てる暖炉の前で、ソフィアとエリックは向かい合って温かいハーブティーを飲んでいる。
そのすぐそば、ゆりかごの中には、小さな男の赤ちゃんがすやすやと眠っていた。
「はぁ……幸せだな。毎日君と一緒にいられて、その上こんなにも愛しい宝物まで授かって」
「そうね」
「君はいつまでも美しいな。むしろ、子を産んで表情がより柔らかくなり、魅力が増している。毎日見惚れて、僕の心臓がもたない。早死にしそうだ」
「それは困るわね。まだまだ働いてもらわなくちゃ」
「…………僕はただの労働力か? ソフィア、君の口から聞かせてくれ。僕のことをどう思ってる?」
「もちろん、愛しているわよ」
「僕もだ! 世界一愛している」
このやり取りを何万回繰り返しただろう、とソフィアは考える。
結婚してからというもの、エリックは毎日この調子である。よくも飽きないものだと感心する。
しかしその分、エリックのソフィアへの気持ちは、疑いようもなく真実であると確信できる。長い時間をかけて、二人は確固たる信頼関係を築き上げた。
エリックは早々に辺境伯を継いだ。
彼が隣国の商人と取り引きをする品々は軒並み好評で、今や流行は辺境からやって来る、とまで言われている。
領地経営もそつ無くこなすエリックに、ソフィアの父はさっさと辺境伯の座を譲り、隠居生活を楽しんでいる。
双子は夢を叶え、二人揃って辺境騎士団に入団した。共に既に小隊長を任されており、近い未来、騎士団長の座を奪い合うだろうと言われている。
暖かい部屋で手に入れた穏やかな日々に思いを巡らせていると、せわしなく扉が開かれ、一人の少女が飛び込んできた。
「おとうさま、おかあさま!」
エリックとソフィアの長女、オリビアだ。
愛する娘の登場に、エリックの頬は更に緩む。
オリビアはてくてくと二人の前に歩み寄り、宣言した。
「わたし、ウィルとこんやくしたい!」
「……まぁ」
「はぁ!?」
途端にエリックは不機嫌になった。はっきりとした怒りを感じる低い声で、でも冷静さを保とうと耐えているように、オリビアに静かに告げた。
「…………君は五歳だ。婚約なんてまだまだ早い」
「でもおじさまは、五さいでこんやくしたって言ってた」
「兄は第一王子だったからな。王族と君では全然違う。大体、ウィルとはどこのどいつだ」
「ウィリアムだよ」
その名を聞いて、心底不快そうにエリックが顔を歪ませる。
「クーパー子爵家のウィリアムなら絶対に駄目だ! よりにもよって、ダリオの家じゃないか!」
「エリック、ダリオはもう関係ないでしょう。あの人は家を出て、騎士として立派に身を立ててるんだから」
「ふん。どこが立派なんだか。入団一年目の騎士見習いにも勝てないと、クレイが嘆いていたぞ」
──そう、ダリオはなんと辺境騎士団に入団した。
どうやらエリックがクーパー子爵家に圧力をかけ、ダリオを入団させるよう手を回したらしい。
エリック曰く、
「僕は執念深いんだ。奴のしたことは一生忘れない。僕の目の届くところに置いて、全く興味も才能もない肉体仕事に従事させ、死ぬまでしごき倒してやる……!」
だそうだ。
ちなみに、ソフィアが全くダリオなど気にしていなかったからこの選択になったが、もしも彼のことを目や耳にすることも嫌がるようならば、フロスト領とは正反対に位置する北の辺境に行かせるつもりだったらしい。
そこには鉱山があるが、厳しい労働環境のために、年に何人も命を落とすと聞く。ダリオにとっては、現状の方がいくらかましと言えよう。
クーパー子爵家は、ダリオの兄が継いでいる。堅実な領地経営を行い、人柄も好ましいため、領地が隣同士ということもあり、一時悪化していたフロスト家との関係は、現在ではそう悪くない。
「それにしたって、どうしてウィリアムと婚約しようなんて思ったの? 確かにあなたたちの仲はいいようだけど」
「ウィルがこんやくしようって言ったの。オリビアをいっしょうあいするって」
「ほう……」
エリックが低く唸った。
「いいか、オリビア。ウィリアムは大嘘つきだ。奴はまだ六歳だろうが。その歳で本当の愛などわかるものか。簡単に愛を囁く男など、全く信用ならない」
どの口が言うんだろうか。
──というソフィアの視線を、エリックは黙殺した。
が、オリビアが反撃を開始する。
「でもおとうさまも、うそつきなんでしょう?」
「なっ……何?」
「ラルクにぃとクレイにぃが、そう言ってた。それにウィルが、おとうさまは王子さまだっておしえてあげたら、王子さまがこんな田舎にいるはずない、うそだって」
「………………そうか…………。ウィリアム、覚えておけ……。クーパー子爵家にも、厳重に抗議する。全く教育がなってない……! 僕は執念深いからな」
エリックの肩が、怒りで震えている。
彼がこんなにも怒るのは珍しい。余程娘のオリビアが可愛いのだろう。
あと、何年経っても王族として育ったエリックは、変なところでプライドが高い。
「とにかく、婚約なんて十年早い。僕は認めない。絶対に、だ」
エリックの頑なな態度に、説得するのは無駄だと悟ったのだろう。オリビアは拗ねたように頬を膨らませた。
「もういい。おとうさまのケチ。わからずや!」
「何? どこでそんな言葉を覚えたんだ。あっこら、待ちなさい!」
エリックの制止など聞く耳持たず、オリビアは部屋から出て行った。
閉じられた扉をじっと見据えたまま、エリックが深い深い溜め息をつく。
「はぁ……。やはり娘というのは難しいな。それにどんなに愛情を注いでも、いずれこの家を出て行くのかと思ったら辛くなってきた……。ソフィア、僕のそばにずっといてくれるのは君だけだ」
「まぁ。まるで二股かけてたうちの一人に捨てられた時の言い訳みたいね」
「心外だな。僕はもとより君が一番だと言っているだろう。僕が君を愛する気持ちは」
その時、ゆりかごの中の赤子が泣き声をあげた。
エリックが素早く赤子を抱き上げ、だらしないほど頬を緩めている。
「はは。赤子というのは、眠っていても泣いていても可愛らしいものだ。僕とソフィアの子なのだから、尚更な」
ついさっきまで愛を語っていたはずなのに、エリックの余りの変わり身の早さに苦笑する。
赤子とソフィアを交互に見つめるエリックの顔は、甘すぎる言葉以上に彼の気持ちを物語っている。
エリックは、疑いようもなくソフィアを、子どもたちを愛している。
それを確信できる今、ソフィアはとても幸せだ。