7
ソフィアに背を向けられたエリックは、激しい後悔に苛まれていた。
魔女に呪いを解かせ、やっと自由に発言出来るようになった。
これで幾度となく飲み込んできたソフィアへの言葉を、好きなだけ彼女に贈ることが出来るという事実に、当初エリックは浮かれていた。
今までエリックはとても臆病だった。
ソフィアを美しいと思う気持ちも、愛おしいと思う気持ちも、とっくに自覚していた。
それでも口に出来なかったのは、自分の思いにほんのひとかけらでも違うものが混じっていたら、呪いのせいでソフィアに酷いことを言ってしまうのではないか──と恐れていたからだ。
はじめて胸に抱いた大切な恋心を、呪いに汚されることは許せなかった。
そしてそれ以上に、自分の言葉でソフィアを傷つけたくなかった。
過去に女性たちへ囁いた全ての甘言をまとめて並べたところで、ソフィアに贈るには足りない。
これまでの時間を埋めるように、思いつく限りの思いの丈を伝えたけれど、ソフィアは完全に訝しんでいた。絶対、嘘だと思われている。
すれ違ったまま始まったパーティーは、エリックとソフィアにとっては最悪の空気であった。
心から祝福されている弟たちとは対照的に、自分たちに向けられているのは、どこか冷ややかな目。そればかりか、好奇や侮蔑の視線まで感じる。
そこでようやく気づいたのだ。社交界で、自分たちの良からぬ噂が広まっていることに。
ソフィアはもとより社交界に顔を出さないことで、一方的に真実とは異なる悪い印象が流布され、それが定着していた。
エリックの方も女性関係のだらしなさから、一部の貴族からの評判は良くない。
敵を作らないよう十分に気をつけていたものの、エリックの気を持たせるような言動のせいで、すっかりその気になってしまったご令嬢が、婚約者と婚約解消寸前までいったというトラブルも、一度や二度ではない。
もちろんエリックは決定的な言葉は言わないし、手を出したことも一切ない。
だからこれまで大きな問題にはなっていないが、そんな彼をよく思わない人間もいることは間違いない。
そして反面、元婚約者のシェイラは、そんな彼に健気に尽くす淑女と称賛されていたのだ。
大方、そんな素晴らしい婚約者を捨て、遥かに劣る田舎娘に乗り換えた愚かな男だとか、もしくはとうとうシェイラに愛想を尽かされ、辺境に飛ばされる罰を受けた王家の恥さらしだとか、そんな面白おかしい話にでもなっているのだろう。
エリックに対する批判的な声を大きくし、悪い噂を流す──。
そんな小賢しいことをやりそうな人間は、弟のマーベリックしかいない。
兄からお下がりの婚約者をもらっただけ、という婚約理由が気に入らないに違いない。エリックを貶めて、自分たちの婚約を美化しようとしているのだろう。エリックに傷つけられたシェイラを慰め、癒した優しく賢い弟と思わせれば、二人はより皆に慕われ、祝福される。
マーベリックは要領のいい男だ。
しかしこと情報操作に関しては、エリックの方が余程長けている。にも関わらずエリックは、王都に戻ってから何の対策も講じなかった。ソフィアのドレスのことで、頭がいっぱいだったのだ。
王都から離れすぎて、完全に平和ボケしていた。
兄のアレクシスはともかく、国王がマーベリックの動きを知らぬとは考えにくい。
知っていて容認している──。要するに、社交界や王家と縁遠くなるエリックよりも、王都で兄の補佐をしていくことになるマーベリックたちを優先したということだろう。
仕方がない。エリックは、昔からずっとそういう役回りだった。
ただ、ひとつだけ。
ソフィアを巻き込みたくはなかった。
社交界が苦手な彼女を引っ張り出してしまった以上、せっかくなら楽しんでもらいたかったのだ。ソフィアがそうしてくれたように、エリックも彼女に知らない景色を見せたかった。
しかしそれならば尚更、きちんと根回しをしておくべきだったのだ。
エリックは、自身の至らなさを痛感した。
ソフィアがらしくない下手な嘘をついて背を向けた時、引き止める言葉が出なかった。
若いご令嬢を喜ばせることなんて、容易いことだ。
──当初そう思っていたはずなのに、ソフィア相手ではどうにもうまくいかない。
気がつくと、エリックは何人もの女性たちに囲まれていた。
エリックからの甘い言葉で、ひとときのときめきを感じたい者たちだろう。
昔のように、求められるがまま簡単に賛辞の言葉を浴びせる気にはならなかった。曖昧に微笑むにとどめて、再びソフィアへと視線をうつす。
するとソフィアはバルコニーに出て行くところだった。
エリックはしまった、と思う。
令嬢が一人でバルコニーに出るのは、パーティーが退屈だという意思表示。つまり、異性を誘っていることに他ならない。
デビュタント以来、パーティーに出ていないソフィアは知らないのだろう。きちんと伝えておくべきだった。
慌ててその場を離れソフィアを追うが、エリックよりも先にバルコニーに出る者がいた。
第二王子の婚約者に手を出そうとするなんて、いい根性をしている。
社交界で派手に動き回っていたエリックは顔が広い。仕事柄、社交に精を出す貴族たちの顔と素性は、ほとんど頭に入っている。
どこのどいつがソフィアに近づこうとしているのかと目をこらすと、クーパー子爵家三男のダリオであった。
途端に、エリックは苦いものを飲み込んだように顔を歪める。
──どの面を下げて、ソフィアの前に顔を出すつもりだ。
そう思った。
過去にソフィアとダリオの間に起こった出来事は、エリックも知っている。辺境伯から簡単に説明されたし、ソフィアも聞けばどんなことでも隠さず教えてくれた。
ソフィアの信頼を裏切った男だ。
その上、ダリオの所業はそれだけではなかった。
ソフィアは確かに貴族令嬢とは思えぬほどお転婆ではあるが、決して社交界で噂されるような、粗暴だとか野蛮だといった振る舞いはしない。
不審に思い、王都に帰ってすぐにツテを使って調べたところ、噂の出所がダリオであることがわかった。
ソフィアとの婚約が白紙となった後、ダリオには婚約者が見つかっていない。田舎では賢いと言われていようが、所詮子爵家の三男だ。辺境伯家に相当する婿入り先は、そうそうありはしない。
高望みをしすぎていたダリオは、うまくいかない現実を、ソフィアとフロスト家のせいだと被害妄想を膨らませ、恨みを募らせた。
デビュタント後も社交界へソフィアが顔を出さないとをいいことに、鬱憤を晴らすようにソフィアを貶めた。
あいつはとんでもなく粗暴な女だ、とても婚約者など見つからないだろう、幼なじみだからと危うく婚約をさせられるところだった──と。
エリックも人のことを言えないが、ダリオはそれを上回る性格の悪さだ。少なくともエリックは、呪いを受ける以前は、心の中でどれだけ人を罵ろうとも、口には出さなかった。
酷く嫌な予感がして、エリックは足を早める。
ダリオは辺境伯になるはずだったのに梯子を外された、と一方的に恨むような男だ。跡取りは双子のどちらかのはずだったのに、今日の発表で、ソフィアと婚約したエリックが辺境伯家次期当主になると知った。
絶対に逆恨みが加速し、ソフィアに心無い言葉を浴びせて傷つけようとする。
そんなエリックの予感は的中した。
開け放たれたバルコニーの窓までたどり着いた時、ダリオの声が耳に届いた。
「お前、相手が王子様だからっていい気になってないか? エリック殿下が社交界でなんて言われているか、知らないんだろ。あんな女たらしの言葉を真に受けて、自分が愛されてると思って、お前、かわいそうだな」
すぐにでも声をかけるつもりだったのに、ソフィアを傷つける手段が自分の言動であるという事実に、エリックは思わず立ち止まった。
ちょうどソフィアの誤解を解こうとしていた件である。ダリオの話題選びのピンポイントさが恨めしくなる。
しばしの沈黙の後、ソフィアがぽつりと零した。
「…………エリック様が嘘つきなことくらい知っているし、別に真に受けたりなんかしてないわ」
エリックはショックを受けた。
ようやく口にできたソフィアへの思いは、やっぱり何も伝わっていなかったのだ。
ますます動けなくなっていると、ダリオがへぇ、と面白そうに笑う。
「じゃあ、わかってて渋々結婚するのか。そういえば、お前たちの婚約は王命だもんな。王家の汚点を押し付けられたのか?」
さっきからダリオは言葉がすぎる。不敬すぎる。
エリックがダリオをどのように処分するか逡巡している間にも、話は続く。
「あの王子じゃ結婚後も、あちこちで子種をばらまいて来るに決まってる。気をつけた方がいいぜ、ソフィア。エリック殿下が当主になったら調子に乗って、お前もフロスト家から追い出されるかもしれないからな」
入婿の立場でそんなわけあるか。僕をなんだと思ってる、いい加減にしろ。──と、エリックが声をあげるより先に、ソフィアの声が響いた。
「エリック様は、そんな人ではないわ」
「…………は?」
「そんなことが出来るはずないのよ」
「なんで言い切れるんだよ。お前、社交界に出てないから、エリック殿下のことをよく知らないだろ」
「エリック様のことを知らないのは、あなたの方でしょ? どんな風に言われているかはわからないけど、エリック様は本当は、卑屈で臆病なのよ」
「…………は!?」
「自分に自信がなくて、立場や役割に固執しようとする。そんな人が、フロスト家の血筋である私を、蔑ろになんて出来ないわよ」
多分ソフィアに庇われている…………はずだ。
それなのにエリックは、全然嬉しくなかった。
隠していたつもりのエリックの悪いところが、全てバレている。あんなに気をつけて言葉を選んでいたのに。
心に大きなダメージを受けたエリックは、もうソフィアの前でかっこつけることは諦めた。
やっとの思いで、声を絞り出す。
「……ソフィア」
「! エリック様」
「話がしたい。あと、僕以外の男と二人きりになるんじゃない」
ソフィアの手を引いてバルコニーを後にする時、すれ違いざまにダリオを思い切り睨みつける。
さっきまでの勢いはどこへやら、ダリオは真っ青になって震え上がっていた。
「……ふん、小物が。僕を怒らせたらどうなるか、後でゆっくりと思い知らせてやる。僕は寛大なソフィアと違って、執念深いからな」
パーティー会場の中心へと足を進めつつ呟くエリックを、ソフィアが目を丸くして振り仰いだ。
「エリック様……。呪いが解けてなかったんですか?」
「違う! 僕は反省したんだ。君に気持ちを疑われたくはない。君ははじめて会った時、正直者の僕ならば歓迎すると言っただろう」
「言った……かも、しれませんね」
「僕は忘れもしない。正直者なんて僕とは正反対だと思うが、君がそれを望むなら、僕は自分を偽ったりはしない。だから君は責任を持って、卑屈で臆病でひねくれ者な僕を受け入れろ」
一気に言い切って、エリックはすぐに頭を抱えたくなった。
ソフィアの信頼を取り戻すため、飾らない言葉で気持ちを伝えるつもりだった。が、いくら何でも飾らなすぎた。
プライドは高いくせに自分に自信を持てないエリックは、自身の価値など石ころ程度だと思っている。美しい箱や包装紙で隠し、リボンを結んで宝石であるかのように見せかける──その手段こそ、嘘や飾った言葉だった。
むき出しの石ころだって、優しく手渡せば受け取ってもらえるかもしれないのに、あんな言い方では石をぶん投げたようなものだ。
目を瞬かせるソフィアを前に、なんとか挽回しようとエリックは焦った。本当にいつも、ソフィアの前ではうまくいかない。
ソフィアと正面から向かい合い、その瞳をまっすぐに見つめた。
「待ってくれ、そうじゃない。……つまり、僕が言いたいことはひとつだけだ。君を愛している、その気持ちに嘘偽りはない。信じてほしい」
ソフィアがぱちぱちと瞬きを繰り返す。
これまで相手にしてきたご令嬢たちは、エリックの愛の言葉にうっとりと頬を染めるばかりだったというのに、ソフィアのなんと手強いことか。
そこでふとエリックは我に返り、思い出した。
ここはパーティー会場の真ん中である。主役である二人は、注目の的だった。
当然エリックの愛の告白も、周囲にばっちり聞かれていたのだ。
「相変わらずですね、兄様」
その声に振り返って見ると、弟のマーベリックがシェイラと寄り添ってこちらを窺っていた。
「今度は婚約者を大切にして、幸せになってください」
放っておいてもエリックたちには温かな目は向けられていない。それをわざわざ絡んできて嫌味を言うのだ。マーベリックは、エリックが今以上に道化になることを求めているのだろう。
ソフィアが噂通りの令嬢だったならば、それで良かった。やはり田舎娘だと馬鹿にされ、対するマーベリックたちの評価がより上がった。
そうなっていれば、彼は満足しただろう。
しかしソフィアは辺境育ちとはいえ、きちんと教育を受けた立派な淑女である。彼女を馬鹿にするつもりだった貴族たちも、拍子抜けしたに違いない。
「兄様のおかけで、俺も素晴らしい婚約者を得ることができました。もちろんシェイラを傷つけたことは許せませんが、ある意味、感謝してもいるんですよ」
まるでエリックに非があったように聞こえる台詞を吐き、マーベリックがシェイラに向かって微笑んだ。
シェイラは賢い女だ。
自分にどんな振る舞いが求められているか理解し、行動にうつす。
彼女はマーベリックへと幸せそうな笑顔を返した。
エリックもまた、己のなすべきことくらいわかっている。
シェイラを失うなんて惜しいことをした、と悔しがってみせれば、この茶番は終わりだ。
優しく賢い弟王子と、彼に似合いの淑女が王家を支え、愚かな兄王子は惨めに田舎の辺境へ…………めでたしめでたし。
エリックがどう出るのか、周囲から好奇の視線が集まっている。
そうしてエリックは、ようやく思い至った。
自分は今まで、どれだけ役割りというものに縛られていたんだろう──と。
誰も明確にエリックにああしろ、こうしろなどと言った者はいない。勝手に察して演じていただけだ。
ならば、いつまでもそんなものに囚われる必要もない。
何よりもついさっき、ソフィアに宣言したばかりだ。自分を偽らないと。
エリックは心を決めた。
「それは何よりだな。だが、シェイラは僕の言動で傷つくようなやわな女じゃないだろう。打算的で腹の底を見せないところが僕にちょうどいいと思っていたが、ずる賢いお前との方が相性がいいようだな」
当然、場の空気は凍りついた。
誰もがエリックの言葉を理解できず、時が止まったようであった。
遅れて、マーベリックがエリックを見据えて声を荒らげた。
「兄様、なんてことを……。俺とシェイラを侮辱するなんて……!」
ソフィアに対して誠実であれとエリックが本性を見せたことは、完全に悪手だった。
社交界では、いかに飾りたてるかの勝負だ。
マーベリックの怒りを皮切りに、ざわめきが広がった。
「エリック殿下は一体どうされてしまったんだ!? あんなことを言うようなお方ではないはずだ」
「女性にいい顔をして、醜い性根を隠していたのか」
「しばらく辺境にいて、人が変わったのかもしれないわ。あそこは野蛮で粗暴な人ばかりなのよ」
「どちらにしろ、新しい婚約者とはお似合いだな」
戸惑いは、やがて嘲笑へと変化する。
結果的にマーベリックの望む通りになった。
こんなはずではなかった、とエリックは思う。
ソフィアに見せたかった景色は、こんなものではない。
沢山の悪意に晒され、ソフィアの手が微かに震えている。それを見て、エリックは思い出した。
いつか森で襲われた時も、こんな風に震えていた。あの時気丈に振舞っていたソフィアが、今は泣きそうな顔をしている。
エリックはいつも選択肢を間違える。
あの日だって、双子を責めるのではなく、ソフィアの震える手を優しく握るべきだったのだ。
ソフィアは嘘が嫌いだ。
偽らないと言った直後に堂々とそれを破れば、彼女はエリックも嫌いになるだろう。
わかっていてもエリックは嘘をつく。
ソフィアを守るために、エリックが持つ手段はそれしかないからだ。
例えソフィアの気持ちがエリックから離れてしまっても、何度でも伝えていくしかない。時に飾り、時にむき出しで、いつかソフィアに正しく届く日まで。
エリックはマーベリックとシェイラに向き直った。
「すまない。酷いことを言った。僕はどうかしていた」
「いいえ。謝っていただければ結構ですから」
マーベリックは余裕の表情で受け入れた。
今更取り繕ったところで、空気は変えられないだろう、と言いたげに。
エリックは大袈裟に首を横に振った。
「いや……。僕は愛するソフィアに、元婚約者であるシェイラとは、ただの政略的関係でしかなかったと証明したいがために、思ってもいないことを言ってしまった」
「はい?」
「僕はソフィアと出逢って、ようやく真実の愛を見つけたんだ。これまで愛を知らず、寂しさを埋めるように大勢の女性たちと親しくなろうとした。だが、ソフィアが僕に、本当の愛を教えてくれたんだ」
エリックは熱のこもった目でソフィアを見つめる。
片膝をつき彼女の手を取ると、芝居がかった──けれども非常に様になる仕草で、その手に口付けを落とした。
あちこちからきゃあ、と悲鳴が上がる。
エリックは自分の言動が、周囲からどのように映るのか知り尽くしている。
女たらしと言われていようが、そのとびきり派手で整った容姿、柔らかな物腰は、令嬢たちの憧れだった。
「ソフィア、愛している。君は病に苦しみ、長年の婚約者も失った僕にも優しくしてくれたね。そのおかげで僕は、病に侵された体だけでなく、心も癒されたんだ。療養先で君と巡り会えたことは、きっと運命だった。静かな辺境で君と過ごす穏やかな日々は、僕の人生で最大の幸福をもたらしてくれたんだ」
それはまるで、物語の一ページ。
国中の貴族令嬢、そして国一番の美女でも得られなかった美しい王子の心を、唯一射止めた心優しい辺境の令嬢。その愛は、王都を離れる決断をするほどの病に侵されていた王子を救ったのだ。
ソフィアに絡みついていた悪意は、あっという間に羨望の眼差しへと変わった。
「……すぐにまた他の女性に目移りしないよう、お気をつけください」
マーベリックの発した言葉が、悔し紛れのように虚しく響く。
それを意にも介さないといった調子で、エリックはにっこりと笑った。
「もちろんだ。生まれ育った王都や、慣れ親しんだ社交界から離れようとも、一緒に生きたいと僕が望んだ相手は、後にも先にもソフィアただ一人。マーベリックとシェイラ、君たちの幸せも、僕は願っているよ」
エリックの表情は幸せそのものであり、その言葉からも、彼が決して惨めに辺境へ婿入りしたのではなく、心から望んだ婚約であると伝わってくる。
恵まれた環境や華やかな世界よりも、たった一人を自ら選んだエリックのことを、馬鹿にする声はもう聞こえない。
マーベリックは、返す言葉も見つからず沈黙した。ほんの数分で、会場の空気は一気にエリックへ持っていかれてしまったのだ。
エリックがソフィアへ「行こうか」と優しく促す。
パーティー会場の真ん中で、渦中のソフィアは、それはそれは美しいカーテシーを見せ、その場を後にした。
◇◇◇
「…………その…………ソフィア。あんな嘘をついてしまって、今更弁解の余地はないことはわかっている。だが、どうか…………僕が君を愛しているということだけは、信じてくれ……ると、嬉しい……。もう嘘はつかない……と、思う……」
パーティーの後。
王宮の一室、ソフィアと向かい合ったエリックは、どうにも歯切れの悪い言葉を口にしている。
ソフィアは呆れたように笑う。それは出来の悪い弟を見るような目だった。
「本当に驚きました。社交界というのは、やっぱり恐ろしい場所です」
「……そうだが。いや、こんなつもりではなかった……。着飾った君と楽しく踊りたかっただけなのに……」
「私にはやっぱり向いていないようです。もしこの先こういう機会が訪れたら、未来の辺境伯当主であるエリック様を、頼りにしてもいいですか?」
「……! 僕を頼ってくれるのか。それは、もちろん……! 僕を許して、僕の言葉を信じてくれてありがとう!」
「別に信じていません」
きっぱりと否定され、エリックは膝から崩れ落ちそうになった。
容赦なく告げたソフィアだったが、絶望の表情を浮かべるエリックを見て、仕方がないというように優しく微笑んだ。聖母のような笑みである。
「でも、エリック様が呪いのせいで苦しんでいたというのに、これ幸いとあなたの本音を簡単に知ろうとした私も卑怯でした。これからは、エリック様が何を言おうとも、あなた自身を信じられるように努めます」
「………………。つまり、僕の言葉そのものは、はなから信用しないと?」
「エリック様は、嘘つきですから」
そう言って笑うソフィアは、エリックが今まで見た誰のどんな姿よりも美しかった。
ソフィアが嘘つきなエリックを、心から受け入れてくれたのかはわからない。
だからこそエリックは、二人が夫婦となるその時まで、そしてその先もずっと、自分の意思で、自分の言葉で、彼女への気持ちを伝え続ける。
──そう、心に決めた。