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突然の第一王子アレクシスの訪問に、フロスト家は大騒ぎとなった。
「非礼を詫びよう。もてなしは結構だ。弟と話がしたい」
アレクシスはそう言ったものの、鵜呑みにするわけにもいかず、当然のことながら大パニックとなった。
エリックとアレクシスは兄弟であるとはいえ、アレクシスの王族としてのオーラは別格だった。ひと睨みされただけで、誰もが震え上がってしまうような恐ろしさがあった。
お茶を誰が出すか、ということだけでも、侍女たちは揉めに揉めたのである。
想定外の高貴なお客様にてんやわんやしている間に、兄弟の話し合いは意外にもすぐに終わった。
エリックは話が済むと、まっすぐにソフィアのもとへやって来た。
「魔女が見つかった。僕は兄と共に王都へ戻る」
簡潔すぎるその言葉に、エリックの真意を測りかねたソフィアは首を傾げる。
「呪いが解けるんですね? おめでとうございます。もしかして、私たちの婚約も解消されますか?」
「何故そうなる。僕は次期フロスト家当主だろう。一ヶ月後に、王都で弟の婚約パーティーが開かれる。その際、僕たちの婚約も同時に発表されることになった。気は進まないだろうが、一緒に出席してほしい」
「もちろんです」
「……本当にいいのか? その……君は、そういう場が苦手だろう」
即答したソフィアに、自分が言い出したはずなのに、エリックの方が戸惑っているように見える。
「私たちの婚約発表に、私が欠席するなんて許されませんから。それに、エリック様が一緒なら、きっと平気です」
ソフィアが笑ってみせると、エリックもほっとしたように微笑んだ。
エリックの口数は少ないし、ずっと本心を隠そうとしたままだ。けれどソフィアの危機には息を切らして駆けつけて来てくれたし、こうしてソフィアの気持ちを気遣う様子も見せる。
ソフィアは時間をかけて、エリックに少しずつ信頼を寄せるようになっていた。
「……ありがとう。僕は王都に戻ってすぐ、魔女に会う。それから、商会とも交渉したい」
ソフィアがエリックを町へと誘い出した際、彼は隣国の伝統的な織物や繊細なレース、上質な琥珀などに目をつけた。それらは辺境では値が張ることもあり、見向きもされない。
けれど美しい上に物珍しく希少な品は、王都の貴族たちが必ず気に入るとエリックは確信した。
エリックの審美眼にかなうものなら間違いないと辺境伯の承諾を得て、ツテを使って先行的に王都へ少量売り出したところ、目論見通り大変話題となっている。
隣国の商人と、一定量を定期的に買い上げる契約を結び、あとは本格的に王都で販売するだけだ。
エリックが狙いを定めるのは、高位貴族御用達の、王都きっての高級店。しかしそこへ商品を卸すには、商会を通さなければならない。
エリックは王都に戻ることを機に、その交渉をするつもりなのだろう。
ソフィアも辺境伯から、そういったエリックの近頃の動向を教えてもらっていた。
彼が、こんなことを言っていたということも。
「辺境地から流行の最先端の品が入って来ると知れば、田舎と馬鹿にする声も小さくなるだろう。王都にいる貴族の連中は、フロスト家が現在でも、名ばかりで微妙な関係にある同盟国から国を守っていることを理解していない愚か者ばかりだ」
エリックは、やはり考え方は少々ひねくれているが、フロスト家のことを思い、領地のために力を尽くしてくれる。
そんなエリックを、ソフィアは頼もしく思っている。
「僕は僕のやるべきことをするために先に行くが、恐らく王宮は君にとってあまり居心地のいい場所ではない。ドレスも宝飾品も全て僕が準備しておくから、君はパーティーに合わせて王都に来てくれればいい」
「わかりました。王都までは馬車で二週間ほどかかりますし、本当はエリック様と一緒に行きたいですが……。そのお気遣いがとても嬉しいです。王都で、待っていてください」
「大袈裟だな。どうせ帰りは一緒だ。君はここでしばらくのんびりしているといい。──……。なんて可愛いことを言うんだ。君を置いて行きたくなくなるだろう」
「えっ……」
「……!!」
呪いのせいで本音が漏れるたびに顔を青くしていたエリックだが、はじめてその頬を赤く染めた。初対面で平気な顔をして甘い言葉を囁いていたエリックの意外な一面に、ソフィアの頬が緩む。
「ふふ。……エリック様の本音が聞けて、こんな姿が見られるなら、呪いが解けてしまうのが名残惜しいですね」
「……。呪いが解けたら、僕は僕の意思で、自分の気持ちをきちんと君に伝えるつもりだ」
続く言葉を待ったけれど、呪いが発動することはない。つまりエリックは、心からそう思ってくれているのだ。
ソフィアは、こうしてエリックが発したわずかな言葉から、無意識のうちに彼の本音を窺い知ろうとしていた。
呪いが解けてしまえば、もうそれも叶わない。
嘘つきなエリックの本当の気持ちは、きっとソフィアには簡単には見抜けない。
呪いが解けることはエリックがずっと望んでいたことで、喜ぶべきことのはずなのに、ソフィアの胸に、ほんの少しだけ不安がよぎった。
◇◇◇
ソフィアが王都へと到着したのは、パーティーのちょうど前日だった。
王宮は、フロスト城と比べ物にならないほど大きく、それはそれは壮麗な佇まいだ。豪華で美しい装飾品や美術品の数々。働いている人の数も桁違いだし、品のいい調度品は、田舎者のソフィアから見ても一流の高級品ばかり。
気後れするソフィアの前に現れたのは、彼女のよく知るエリックとはまるで別人だった。
美しい容姿はそのままに、隙のない笑みを浮かべ、自信に溢れている。
「ソフィア、会えて嬉しいよ。君と離れている時間は、とても長く感じた。想像以上に、寂しかったよ」
「…………私も、です」
「無事に僕の呪いも解けた。もう何も心配することはない。商会との交渉もうまくいったし、君のドレスだって準備出来ている。時間がなくて既製品だが、君に合いそうなアレンジを施してもらっているんだ。明日、ドレスを着た君の姿が見られるのが、とても楽しみだよ」
ソフィアは愕然とした。
エリックがすらすらと紡ぐ言葉の数々が、酷く薄っぺらく感じる。呪われていた頃は、彼の零す言葉のひとつひとつが、あんなにも大切に、真摯に耳に届いたのに。
息つく暇もないほどに、エリックは次々とソフィアを誉めそやす。
けれどその言葉たちは、ちっとも心に響かなかった。
エリックが嘘つきだということは、ソフィアもよく知っているはずだった。呪いが解けても中身は変わらないと信じていたけれど、こんなにも変わってしまったということは、もとの嘘ばかりつくエリックに戻ってしまったのだろう。
辺境での日々を重ね、向き合ってきたはずのエリックが、確かにそこにいるはずなのに今は感じられない。
────呪われたままの方が良かった。
そんな思いは決して抱いてはいけないもので、ソフィアは必死に心の奥底へと押し込めた。
そして迎えた婚約発表パーティーの当日。
エリックが既製品と言ったそのドレスは、とてもそうは見えない凝った装飾が施され、しかし決して派手すぎることもなく、素晴らしい仕上がりだった。
そんなドレスに身を包めば、田舎娘のソフィアでも、洗練された都会貴族に全く引けを取らない。
「君はいつも美しいけど、今日は特別だ。君をエスコート出来る僕は、世界一の幸せ者だ」
歯の浮くような台詞ばかり並べるエリックに対し、ソフィアの気持ちは沈んでいく一方だった。
エリックが口を開くたび、ソフィアが信じ、心を寄せた彼は、もうどこにもいないのだと言われている気がして。
ソフィアの気持ちは置いてけぼりにして、やがてパーティーは始まった。
国王陛下がエリックとその弟、両王子の婚約を宣言すると、彼らの元には次々と祝いの言葉を述べるべく貴族たちが群がった。
エリックがにこやかに応じる横で、ソフィアは人形のように貼り付けた笑顔で会釈を繰り返す。
絶え間なく訪れる人々の、品定めをするような視線が突き刺さり、逃げ出したい気持ちになる。
エリックはたまにソフィアへ気遣わしげな視線を向けるけれど、次の瞬間には誰かと笑い合う。
やって来る貴族たちの波が一時的に途絶えた時には、ソフィアはもう限界だった。
エリックが思わず声をかけるくらいに。
「…………ソフィア? 顔色が悪いんじゃないか」
「こういう場は慣れないので……疲れてしまったようです」
「そうか。少し休もう。ちょうど、僕も君を独り占めにしたいと思っていたところだ」
差し出されたエリックの手を、ソフィアは取ることが出来ない。
エリックと一緒にいればいるほど、彼が何かを話せば話すほど、大切なものが壊れていく音がする。
不思議そうに顔を覗き込むエリックに、ソフィアは嫌いだったはずの嘘をついた。
「おなかがすいたのかもしれません。軽食をいただいて来るので、エリック様はどうか私に遠慮なさらず、お知り合いとの再会を楽しんでください」
まさか自分が簡単に嘘をついてしまうなんて、ソフィアは考えたこともなかった。
エリックもまた、ソフィアの嘘にきっと気づいたのだろう。動きを止めて、ソフィアをまじまじと見つめている。
その視線から逃げるように、ソフィアはエリックに背を向けた。
あんなにも嫌いだった嘘をついた自分のことが、大嫌いになりそうだった。そしてそんな自分を、エリックに見られたくなかった。
会場の隅に移動して、ようやくエリックを振り返ると、彼はもう沢山の女性たちに囲まれている。
ソフィアはそのまま軽食コーナーには向かわず、近くの掃き出し窓からバルコニーへと出た。外の空気を吸って、少しでもこの息苦しさが紛れるように、と。
少しひんやりとした外気に触れ、深呼吸を繰り返す。眼下に広がる王宮の庭は整然と整えられており、色とりどりの花が咲き乱れている。
隙のない美しさは、どこか先程までのエリックを思い出させる。
この庭は確かに見事なものだけれど、ソフィアはフロスト城の飾り気のない大胆な庭の方が好きだ。
エリックの整いすぎた笑顔より、気持ちが表れた豊かな表情の方が好きだ。
──女性たちに囲まれたエリックは、ソフィアに言ったような世辞を、今も大勢の女性にかけているのだろうか。
そんな想像をして、針で刺されたようなちくりとした痛みが胸に走る。
バルコニーの手すりに手をかけたまま深呼吸を繰り返していると、ふいに声がかけられた。
「ソフィア」
ソフィアは王都に友人などいない。
こんな風に親しげに名前を呼ぶのは、エリック以外には考えられない。
けれど、振り返ったその先にいたのは──。
「…………ダリオ」
「久しぶりだな。驚いたよ。……まさかお前が、エリック殿下と婚約するなんて」
クーパー子爵家令息であるダリオの姿がそこにはあった。
彼とは婚約が白紙となったあの時以来だ。九年もたち、昔の面影はあまりない。ただ癖のある焦げ茶色の髪と、右目の下にある三つのほくろが、記憶の中のダリオと重なった。
互いに望まなければ、隣同士の領地でも顔を合わせることがなかったのに、まさかこんな場所で再会するとは思わなかった。
とはいえ王家主催のこのパーティーは、国内全ての貴族家に招待状が送られている。ダリオが参加していても、何も不思議ではない。
過去にあんなことを言っておいて自ら声をかけてくる無神経さには呆れるけれど、過去のことだ。
ダリオの言葉は、ソフィアが嘘嫌いになるきっかけにはなった。しかしソフィアは本来根に持つたちではないし、嘘を憎んで人を憎まずである。
ソフィアは先程までの憂鬱な気持ちを振り切るように、微笑んだ。
「私も驚いたわ。まさか王子様とご縁がいただけるなんて。ダリオはどうなの? いい人は見つかった?」
ソフィアの問いには答えず、ダリオは意地悪な笑みを浮かべ、言った。
「お前、相手が王子様だからっていい気になってないか? エリック殿下が社交界でなんて言われているか、知らないんだろ。あんな女たらしの言葉を真に受けて、自分が愛されてると思って、お前、かわいそうだな」