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「ソフィアお嬢様、ラルク様とクレイ様を見かけませんでしたか?」
侍女にそう声をかけられ、ソフィアはまたかと小さな溜め息をついた。
双子の弟たちときたら、いまだに勉強の時間のたびにどこかへ隠れてしまう。
双子は少々自由にのびのび育ちすぎた。母の愛を知らないからと、父とソフィアが甘やかしすぎた節もある。
けれどいくら家を継ぐ必要がなくなったとはいえ、彼らも貴族の一員だ。最低限の教養がなければ彼ら自身、そしてフロスト家までもが侮られることになる。
エリックは次期当主として、父について補佐を行うようになった。そんな彼にも迷惑をかけられない。
あろうことかエリックに喧嘩を売るという暴挙にまで出た双子を、このまま放置するわけにはいかない、とソフィアは決心して、弟たちを探し始めた。今日こそ、どこに隠れているのか見つけ出して、しっかり叱っておくつもりだ。
探し始めると、双子はあっさり見つかった。
赤子の頃から母がわりをしているソフィアにとっては、彼らの考えなどお見通しだ。
昔よくかくれんぼをして隠れていた、城の裏手のわずかに崩れた城壁の隙間にいた。
しかし声をかけようとした途端、双子はその隙間から猫のようにするりと外へ出てしまった。
城の外に出られては、さすがにソフィアも行き先の見当もつかない。近くにいた使用人に父への言付けを頼み、慌てて後を追いかける。
小さな隙間はソフィアの体が通るのにギリギリで、着ていたワンピースのあちこちが汚れて、肩口を尖った石に引っかけて破いてしまった。
それにも構わず双子を見失うまいと追った先は、町の外れの森だった。
護衛もなしにこんな場所まで来てしまったことを、ソフィアはとても後悔した。この辺りは、名ばかりの同盟を結ぶ隣国との国境もほど近い。
双子が森へ足を踏み入れようとするのを見て、これ以上は黙っていられないとソフィアは声をかけた。
「ラルク! クレイ!」
「げっ、姉様!!」
「私の言いたいことはわかっているわね? 最近のあなたたちの行いは、目に余るわ」
諭すように冷静に話すソフィアの言葉に、顔を青くしていた双子も観念したように項垂れ、謝罪を口にした。
「ごめんなさい……」
「あなたたちが時々こっそり町へ遊びに行っていることは知ってるけど、ここは遊び半分で来るような場所じゃないわ。普段から城を抜け出して、ここへ?」
「ちがうちがう! 今日、はじめて来た!」
「じゃあ聞くけど、どうしてここへ?」
「…………」
ばつが悪そうに互いの顔を見合わせていた双子だったが、意を決したように弟・クレイが口を開いた。
「姉様は、人攫いの噂を聞いていますか?」
「……。近頃、町の子どもが何人も行方不明になっているという話ね?」
「じゃあ、コレットさんについて知ってますか?」
「……誰?」
子どもの行方不明事件については、ここ最近問題になっていた。町に不安が広がっているため、辺境騎士団の巡回を強化し、警戒していると聞いている。
そんな話題の中で唐突に知らない名前が出て困惑するソフィアに、ラルクが告げた。
「コレットさんのことは、子どもだけの秘密なんだよ。だから、大人は誰も知らない」
「どういうこと?」
「コレットさんは、すごく美人で優しい女の人。町の小さい子どもにだけ、こっそり隣国の珍しくてとびきり甘いお菓子を配ってくれる。大人には絶対話しちゃいけないんだ。知られたら、もう二度とお菓子が貰えないから」
「ボクたち、町の子どもに教えてもらって、コレットさんに会いました。噂通り美人で、みんなにお菓子をくれました」
「会ったの……!?」
「お菓子もおいしかったよ」
「食べたの……!?」
「大丈夫。変なものは入ってなかった」
ラルクがけろりと言い切るのを聞いて、ソフィアは目眩を覚えた。
頭を押さえるソフィアに、クレイが追い打ちをかける。
「コレットさんが言ってました。一人きりで森まで来られた勇気のある子どもには、特別なお菓子をくれるって。それがこの森です」
「……まさか……」
「たぶん、コレットさんが人攫いだ。気づている子どももいるよ。でも、お菓子がもらえなくなるから黙ってるだけ」
「今日ここで、コレットさんと会う約束をしてる子どもがいるんだ。大人には絶対内緒にするって約束で、そいつに教えてもらった。お母さんの誕生日に何かプレゼントしたいけどお金がなくて、だからコレットさんに貰った特別なお菓子を贈りたいんだって言ってた」
「それであなたたちは、どうするつもりなの?」
「もちろん、コレットさんが人攫いだって証明して、とっ捕まえてやるよ!!」
胸を張ってラルクが答えた。
双子の無鉄砲さは、予想を遥かに上回っていた。
「あなたたち二人で町の子どもたちから話を聞いて、そこまで突き止められたことはよくやったと思うわ。でも、どうしてお父様や騎士に相談をしなかったの?」
「オレたちの言うことを信じてくれるかわからないし、それに……」
言い淀んだラルクの言葉を、クレイが引き継いだ。
「ボクたちは、本気で騎士になるためにずっと頑張ってきたんです。この事件を二人だけで解決したら、一人前の騎士だと認めてもらえると思ったから」
双子の真剣な様子に、ソフィアははっとした。
双子はエリックに怪我を負わせたことに対して、ソフィアが「騎士のすることじゃない」と言ったことを、ずっと気にしていたのだ。
「ラルク、クレイ。あなたたちの勇気と行動力は、とても素晴らしいと思う。でも、私はあなたたちが大切だから、危ない目にあって欲しくないの。騎士になるのは、騎士団に入ってから。今は周りの大人に、ちゃんと頼って欲しい」
屈んで双子と目線を合わせ、必死に訴えるソフィアだったが、ラルクはあさっての方向を向いて声をあげた。
「あっ! ニコロ!」
「ちょっと、ラルク?」
「さっき話した、コレットさんと約束してたのがニコロなんだ! きっとこれからコレットさんに会いに行くんだよ。後をつけよう!」
ラルクが指さした先に、小さな人影が見える。それがニコロという少年なのだろう。迷うことなく森へと入っていく。
そんな彼の後を追うべく、ラルクとクレイも駆け出した。
「待って! 騎士を呼んで来ましょう」
「だめだよ。その間に見失っちゃう」
「コレットさんは、きっと隣国にニコロを連れていく気です。ここから国境は近いし、国を越えたらニコロを連れ戻せません!」
ソフィアの制止を、双子はちっともきかない。
双子から離れることも出来ず、ソフィアも二人に続いて森へと足を踏み入れた。
空はどんよりと厚い雲が覆っている。
道とも言えない道を進むが、曇り空に加えて生い茂った木々が空を隠し、森の中は昼間だというのに薄暗い。
森を進むと、ほどなくして人の姿が見えてきた。
話に聞いた通りの美しい女性が立っている。この人がコレットという人なのだろう、とすぐにわかった。傍らに、大柄の男性も一人いる。
双子とソフィアは、見つからないよう木の陰に身を隠した。
コレットはニコロの姿を確認し、優しい笑みを浮かべている。
「約束通り、一人で来たのね。あなたはとても勇敢な子どもだわ」
「うん。だから、とくべつなお菓子をちょうだい」
「もちろんよ。沢山準備をしてあるから、ついていらっしゃい」
「…………すぐにくれないの?」
ニコロがわずかに不信感を滲ませる。
彼もまた、町で行方不明事件のことを耳にしているはずだ。半信半疑で、でもどうしてもお菓子が欲しくて、勇気を出してここまで来たのかもしれない。
じり、と後ずさったニコロに、コレットの後ろから男が歩み出て凄んだ。
「大人しくついてこい」
ニコロの肩がびくりと跳ねる。
それを見て、双子は示し合わせたように、それぞれ足元に落ちていた木の枝を拾い上げ、木陰から飛び出した。ソフィアが止める隙もなかった。
「ちょっと待ったああ!!」
「やっぱりコレットさんが人攫いだったんですね!? ニコロから離れてください!」
双子がニコロを庇うように立ち塞がると、コレットが悲しげに呟いた。
「まぁ……。約束を破ったのね。悪い子だわ。お仕置きが必要ね」
その言葉を合図に、森の奥から更に二人の男が現れた。しかも、剣を携えている。
双子は一瞬で真っ青になった。
彼らは無鉄砲ではあるが、考えなしではない。相手は男女一人ずつ、そして武器を所持していないことを確認した上で、自分たちでも制圧可能だと判断して行動したのだ。
双子が怯む様子を見せたからか、大柄な男が無防備に彼らへと手を伸ばした。
それを、ラルクが木の枝で間髪入れずに払いのける。普段から剣を振るう彼の太刀筋は勢いがよく、男は腕を押さえて蹲り、痛みに唸り声をあげた。
予想外の反撃とその威力に、子どもと侮っていた男たちの目の色が変わる。
不穏な空気を敏感に感じ取った双子が、共に身構えた。
けれど男たちもまた、躊躇うことなく剣を鞘から引き抜いた。剣先がぎらりと嫌な輝きを放って双子へと向けられる。
「やめて!」
ソフィアは思わず木の陰から飛び出していた。
双子のように剣を嗜んだこともない。出て行ったところで何も出来ないのはわかっていたが、可愛い弟たちに命の危険が迫っているのに、黙って隠れてはいられなかった。
「姉様! 危ないから……!!」
ソフィアの登場に、男たち以上に双子が狼狽えている。
その隙をついて、地面に蹲っていたはずの大柄な男が、ラルクに思い切り殴りかかってきた。先程の仕返しとでも言いたげな力のこもった拳は、ラルクの小さな体をいとも簡単に吹き飛ばし、太い幹に打ちつけた。
ソフィアは慌ててラルクに駆け寄る。その間に、男は動揺して動きを止めたクレイも立て続けに殴りつけた。
木の棒を取り落とし、されるがままになり傷だらけのクレイを前に、ソフィアは恐怖で足が震えた。このままでは、クレイは死んでしまうのではないか、と恐ろしい考えが頭に浮かぶ。
目の端には、後方の男たちがこちらへと向けたままの剣先が見える。
それでも、ソフィアは踏み出した。
震えて覚束無い足でクレイに近づき、男から守るように覆い被さろうとした。
自分がかわりに殴られることを覚悟して。
とても恐かったけれど、幼い弟がこれ以上傷つけられることの方が、よっぽど恐ろしい。
やって来る痛みに備えて、体は強ばり、きつく目を閉じた。
────その時。
「そこまでだ! 剣を捨てろ!」
大きな声が響いたかと思うと、突然現れた騎士たちがコレットや男たちを取り囲み、あっという間に拘束していく。
辺境騎士団だった。
その後ろで、見慣れた蜂蜜色の髪が揺れた。
騎士たちの後方から、息を切らしたエリックが走ってくる。服は乱れ、額には汗が滲んでいる。
「エリック様……! 助けに来てくれたんですか?」
「ソフィア! 無事で良かった……! 怪我はないな?」
エリックが、心底ほっとしたように破顔した。
その表情は、いつもの作り物のような綺麗な笑顔よりもよっぽど魅力的だった。呪いが発動しないことが、エリックが心からソフィアを案じていたことを証明している。
暗い森の中で、危機的状況に王子様が助けに来るだなんて、まるで物語の一場面だ。
そんな想像をしたら、もう大丈夫なんだと安堵して、体から力が抜けた。
その途端に「姉様、おもい!」とソフィアの下でクレイが文句を言って、「オレが全員やっつけるつもりだったのに!」とラルクが強がっている。
双子は共に、ソフィアが心配していたよりもずっと元気で、ぴんぴんしていた。
震えそうになる声を誤魔化すように、ソフィアは無理に笑顔をつくってエリックを見上げた。
「私はこの通り、なんともないです。さすがエリック様は、本物の王子様ですね! 助けてくださって、ありがとうございます」
エリックは気遣うようにソフィアを見つめるだけだった。物語のように抱き締め合ったりしないけれど、その視線は優しい。
やっぱり彼の言葉数は少ないけれど、ソフィアを想う気持ちが伝わってくる気がした。
しばらくそうして見つめあっていたが、エリックはふとその視線をソフィアのそばに横たわる双子へと向ける。
そしてそれまでの雰囲気をぶち壊す、悪役のような冷えきった目で双子を見下ろし、吐き捨てた。
「お前たち、散々大口をたたいておいてこのザマか。己の力量を見誤り、大事な姉の身を危険に晒しておいて、騎士を名乗るなど笑わせてくれる。次にこのようなことを起こしたら、僕は持ち得る限りの力を使ってお前たちに地獄を見せてやる」