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その日、婚約者同士となった二人は、はじめて顔を合わせた。
「はじめまして、ソフィア・フロスト辺境伯令嬢。君のように可憐で美しい女性と婚約できるなんて、僕はとても幸運だ。この縁に感謝している」
この国の第二王子であるエリック。
突然重い病に侵されてしまい、これまで通り公務をこなすことが難しくなった。幸い命に関わるものではないが、自然豊かな辺境で療養生活を送ることとなったのだ。
エリックは、もとは公爵家の令嬢と婚約関係にあったが、誰もが認める淑女である彼女との婚約は解消された。優秀な彼女は政略的な意図により、エリックの二つ歳下である第三王子と婚約を結び直すことが内々に決定している。
そして、エリック自身も王都から離れることになったとはいえ、婚約者不在のままでは外聞が悪い。療養先の領主である辺境伯には、丁度年齢的に釣り合いがとれる娘がいた。
辺境伯令嬢、ソフィア・フロスト。歳は今年十八になろうというのに、婚約者がいない。
────この婚約は、王命だった。
病人だとはとても思えないしっかりした足取りで、エリックはソフィアの前に立った。
よく手入れされた健康的な蜂蜜色の髪がさらりと揺れ、整った顔立ちに甘い笑みを浮かべている。
洗練された所作に、流れるように褒め称える言葉。
エリックの姿はソフィアにとって全てが物珍しく新鮮で、思わず見惚れた。
だから、返事をするのが遅れたのだ。我に返り、慌てて口を開こうとした、その時だった。
「──……。辺境伯家の令嬢といえば、野蛮で粗暴で、とても貴族令嬢とは思えない振る舞いのために、領地から出て来られないと聞いていたからな。噂と違い、随分可愛らしくて安心したよ。もちろん、シェイラには遠く及ばないが」
笑みを消したエリックが、酷い暴言を吐いた。
とても先程までと同一人物とは思えない豹変ぶりに、ソフィアは目を丸くする。対してエリックも、ソフィア以上に驚愕の表情を浮かべ、顔を青くした。
「ちっ……違う! 今の言葉は……!」
「シェイラとは、ブライス公爵令嬢ですね? エリック様の、元婚約者の。国一番の美人だと、この辺境の地でも有名です」
「待ってくれ。君が憂うことは何もないんだ。婚約は円満に解消している」
「でも、その名をわざわざ口に出されたのですから、エリック様のお気持ちはまだブライス公爵令嬢におありなのではないですか?」
「それは絶対にない。僕は君との婚約を嬉しく思っている。僕の心は、君だけのものだ」
エリックは恥ずかしげもなく、そんな甘い言葉を紡ぐ。けれどもその上品な微笑みを、またしても瞬時に消し去り、吐き捨てるように言った。
「──……。いちいち嫉妬するような面倒な女は嫌いだ」
まるで正反対の台詞。
ますます顔色を悪くするエリックを前に、ソフィアは目を瞬いた。
「エリック様は、私が……この婚約が、不満なのですか」
「違うんだ……。不用意な言葉で、君を不快にさせてすまない。君は何も悪くない。もちろん、不満なんてない。──……。ああ、気に入らない。どうして僕がこんな目に遭わないといけないんだ!」
「では、この辺境の地が、お気に召しませんか?」
「まさか! 君もこの辺境の地も、どちらもとても素晴らしい。──……。ド田舎に追いやられて、勝手に新しい婚約者だなんて、冗談じゃない」
「……そうですか。不本意でしょうが、婚約は簡単には解消出来ませんし、せっかくのご縁ですから、エリック様にはこれから辺境の地について知ってもらって、気に入っていただけると嬉しいです。私とも……出来れば、仲良くしていただきたいです」
「もちろんだよ。そのために僕はここにいるんだ。僕たちは、きっとうまくやっていける。──……。綺麗事を……。君の方こそ、そんな風に言っているが、どうせ内心では僕との婚約なんて望んでいないだろう」
エリックは取り繕うように次々と世辞を口にしたが、話の後半ではそれをひっくり返す酷い言葉を投げかける。それでも意に介する様子もなく平然と会話を続けていたソフィアは、エリックの指摘に、にっこりと微笑んでみせた。
「いいえ。エリック様は確かに見た目に反して性格が少々ひねくれているようですけど、問題ありません。正直者のあなたを歓迎します」
「………………はぁ?」
二人の初顔合わせは、誰がどう見ても散々なものだった。
◇◇◇
エリックは魔女に呪われている。
数々の失言は、そのためだった。
彼には、嘘をつけない呪いがかけられている。
エリックは常々、口を開けば頭で考えるよりも早く、相手が喜ぶ耳障りのいい言葉を発する癖がついている。それが社交界ではとても有効な手段であるし、相手の懐に上手く入り込めば、欲しい情報も手に入れやすい。
その上エリックは、顔がいい。
華やかな容姿と愛想の良さを生かし、若いご令嬢に甘い言葉を囁いて、それとなく情報を引き出すことや、噂好きのご婦人たちに近付き、こちらに都合のいい話を社交界で拡散させること──つまり情報操作は、エリックの最も得意とするところだ。
心にもないお世辞は、エリックの武器であった。
ただし、魔女の呪いを受けたことで状況は一変する。
嘘をつけば、強制的に胸の内を暴露させられてしまうようになってしまったのだ。
はじめて呪いが発現した時のことを、エリックは鮮明に覚えている。
それは婚約者である、シェイラ・ブライス公爵令嬢との定例の茶会の席だった。
「やあ、シェイラ。今日も美しいね。会うたび君に見惚れるよ。毎回、この茶会で君に会うのが楽しみで仕方ないんだ」
顔を合わせると同時に、婚約者を褒めちぎるのが常であった──が。
「──……。いくら美人でも、君は終始すました顔で会話も弾まないし、毎回本当に気が滅入るよ」
とんでもない暴言だった。
淑女らしく微笑みを張り付けた表情しか見せなかったシェイラが、驚きに目を見開く。続いて、顔をぱっと赤く染めた。怒りと、羞恥と……そんな感情が入り交じった彼女の様子と自分の発言に、エリックは人生で一番動揺した。
女性を怒らせたことなんて、ただの一度もなかった。喜ばせるのは、誰より得意だと自負していたのに。
結果、情けないことにエリックは逃げた。「すまない」と小さく口にして、その場を後にしてしまったのだ。
その後も、エリックの問題発言は止まらなかった。
エリックは、息をするように無意識のうちに嘘をつく。誰かに会うたび嘘をつき、しかもたちの悪いことに内心は腹黒い。あっという間に大騒ぎとなった。
きっと王子は悪い魔女に呪われたのだ、という声が上がったのも早かった。
いつも皆に気さくで心優しいエリック王子が、あんなことを言うはずがない。呪いのせいに違いない、と。
そして王家による調査の結果、間違いなく呪いがかけられていることが判明した。
しかし呪いの内容は、とても見過ごせるものではなかった。思ってもいないことを口にしてしまう呪いであれば話は違ったが、本音を話してしまうとなれば非常にまずいことになる。
エリックが得意とするのは、情報操作。
王家にとって、決してべらべら喋っていい内容ではない秘密を、エリックはその役回りのためにいくつも抱えている。
嘘がつけないと広く知られれば、呪いを利用され、秘匿情報を漏らしてしまう危険がある。
エリックは速やかに病気に臥せっていることとされ、療養名目で王都から遠く離れた辺境へと追いやられたのだ。
結局シェイラとはあの後、一度も会うことなく婚約解消されていた。
────そして冒頭に戻る。
二人のやり取りを見守っていた辺境伯は、娘を目の前で貶められたというのに、気を悪くした様子も見せない。広大でのどかな辺境の主に相応しい、おっとりして穏やかな──悪く言えば愚鈍そうな男だと、エリックは思った。
「エリック殿下。娘に、殿下の呪いについて話しても構いませんか?」
辺境伯の問いに、エリックは頷いた。
ソフィアの言った通り、王命が下った以上、何もなければこのまま結婚する運命だ。生涯の伴侶に対して、いつまでも隠し続けるわけにもいかない。
辺境伯の説明を静かに聞いていたソフィアは、当然の疑問を口にした。
「魔女の呪いですか……。それは随分災難な話ですね。一生治らないんですか?」
エリックが黙ったままなので、辺境伯がかわりに答える。
「呪いをかけた魔女本人に解除させれば、元に戻るよ。王家もその魔女を探しているだろうが、何しろ魔女は気まぐれだ。ひとつの場所に長く留まることを嫌うから、見つけるのは困難かもしれないね」
「なぜ魔女は、エリック様に呪いをかけたのでしょう?」
「女性絡みじゃないかなぁ。殿下は婚約者がいながら数多のご令嬢を褒め讃え、虜にしてきたお方だからね。大枚をはたいてでも殿下の本音を知りたくなった誰かが、魔女に依頼したのではないか……というのが、王家の見立てらしいよ」
要するに女たらしの末路であることを、あっさりと暴露された。
女性関係にだらしない上に、腐った腹の底を垣間見せたエリックと無理矢理婚約を結ばされ、喜ぶ令嬢などいるはずもない。
エリックは、ソフィアからの軽蔑や侮蔑の視線を覚悟した。王都では、エリックの失言が本心であると知った人々の視線が、これまでの尊敬や親しみが込められたものからそういったものへと変貌したのだ。
けれどもソフィアは、ひとかけらも濁りのない目をまっすぐに向ける。
「エリック様の事情はわかりました。前の婚約者様と比べられると至らないところだらけでしょうが、どうかよろしくお願いします」
エリックは困惑した。
しかしそれを悟られないよう、再びうっとりするような微笑みを浮かべ、芝居がかった──けれど妙に様になる仕草で、ソフィアの手をとり口付けた。
若いご令嬢の相手など、エリックにとっては容易いことだ。
呪いのせいで甘い言葉を囁くことはぐっと堪えるしかないが、鈍そうな田舎娘を思い通りにするだけならば、この容姿だけでも十分なのかもしれない。
どうせ他に選択肢はない。
それならば、未来の妻とは表面上はうまくやりたい。これ以上自分が失態を重ねなければ、なんとか誤魔化し続けることも出来るのではないか。
──そう、エリックは思っていた。