7. 生きていれば
…姉さん…姉さん……
姉さん!!
空高く聳え立つ神殿が、轟音を上げながら崩れ、廃墟となり果てていた。
夥しい瓦礫の中で、一人の細身の少年が必死に石塊を持ち上げようとしている。
しかし大きな石塊は微動だにせずで、少年の涙がパタパタと灰色の表面を濡らして行く。
「クソ....!!姉さん…死ぬな…死んだらダメだ!!」
ルカの体は血と泥に塗れている。
木綿のカフタンとズボンは擦り切れて、所々に覗かせる肌の、掠り傷から血が滲み出ている。
ベーリング帝国の騎馬隊に襲われた時、ルカはルナや、町の人々を守るために戦った。神殿の入り口で剣を持って戦ったが、訓練された軍人に勝てるはずもなく、拳の一撃で気を失った。
ルカが目を覚ました時は既に夜で、周りは静まり返っていた。
神殿は破壊されいた。
ルカは数えきれない死体をを乗り越え、神殿の瓦礫の中で、ルナの姿を探した。
そして大きな石塊の下敷きになった彼女を見つけたのだ。
幸い下敷きになったのは右足のみで、だが傷口から血が流れており、ルナは早く助け出さなくてはならない。
姉さん…!
ハッと、ルナは目を覚ました。
人の声が聞こえた。
死者の国の呼び声と思った。しかしすぐに違っていることが分かった。足から伝わる痛みにルナは顔をしかめた、そして砂漠の夜の寒さに体が震えた。
「姉さん!!」ルナの目が覚めたのを見て、ルカは喜んだ。
「今この石をどけて、助け出すから!!」
ルカは再び石を持ち上げようとするが、重々しい石塊は全く動かない。
「クッソ...!!」ルカは焦っていた。このままでは、ルナが死んでしまう。
「ルカ…」弟の必死な姿に、ルナの目角に涙が滲む。
「無事でよかった…」ルナが手を伸ばすと、ルカは彼女の手を握った。
「姉さんも無事でよかった…だけど、どうして落月の呪を…」
ルカの目は真っ赤で、涙が零れ落ちて、石塊と格闘して来た手は傷つき、爪は剝がれていた。
落月の呪。
それは、神殿の侵入者を死に誘う呪文。
神殿の密室の封印を解いでこそ、実行できる死の呪い。
「あの悪魔を、殺すために。」ルナは静かに言った。
ルカは頷いた。
「ああ、あいつらは全員死んだ。神殿外にいた兵士は崩れ落ちた巨石押しつぶされた。あの悪魔も、神殿の中で下敷きになったに違いない」
ベーリング帝国のジークは死んだ。
ルナはホッとして、ルカの涙や、血と汗で汚れた顔を見上げる。
「ルカ、もういいの。この石は動かない。」
ルカは首を振った。
「姉さんを、ルナを見捨てることなんてできるもんか!」
でも石塊は動かない。全く。
このままでは、ルカは砂漠の夜で凍え死んでしまう。
「ルカ、聞いて…」
ルナがルカを説得しようとしたその時、遠くの瓦礫から物音がした。
二人は息を呑んで、物音の方角を見た。
そして背筋が凍った。
いくつかの巨石の重なり合った隙間の向こう側に、瓦礫の中から一人の長身の男が立ち上がったのだ。
黒い鎧を着た、黒い長髪の男。
ジークムンド、あの男は生きていたのだ。
生きているだけではない、男はこちら側に向かって来た。
ルカは腰に下げた短剣に手を当てたが、「だめ」と、ルナに止められた。
「ルカ、行って…逃げて。生きていれば…また会えるから」
傷の痛みにルナの声が切れ切れで、大粒の汗が額から流れ落ちる。
そんなことできるものか。
ルカは首を振った。
ルナを見捨てられるわけがない。
家族だから’、それだけではない。
ずっと前から、ルカは血の繋がらないルナを密かに思っていたのだ。
アレンがいなくなってから、更にその気持ちは高まって行った。
「彼は私を…秘宝を…探していた。だから、殺さ…ない」ルナは続けた。
「だから…お願い、また会えるから……」
ここにいれば殺される。
生きていれば、また会えるかもしれない。
ルカには分かっていた。
だけど血まみれのルナを見捨てるなんて、胸が張り裂けそうなほどに、痛んだ。
「約束だ…姉さん…ルナ…俺はルナを絶対助け出すから…」
ルカは涙をぬぐって走り去った。
そしてルナが一人残された。
石屑の上に横たわり、大きな石塊の下敷きになっている足から流れる血が止まらない。
ルナは空を見た。神殿の天井は崩れ落ちて、ぽっかりと大きな穴が空いている。
死臭立ち込める街を、星が見下ろしている。
大きな満月が赤い。
ルナはそっと手を胸に当てた。
カフタンの下には、アレンから貰った、小さな紫色の宝石の付いたネックレスが隠されている。
ルナは目を閉じた。自分はここで死ぬのだろう。
秘宝であることを打ち明け、ジークムンド、あの悪魔のような男に仕えて生き長らえるつもりなんてなかった。
だけれど、アレンにもう一度だけでも、会いたかった。
あの金色の髪、緑色の瞳の太陽のような優しい少年に会いたかった。もう一度抱きしめてほしかった。暖かな温もりを感じたかった。だから何年も何年も、待っていた。
でも、もう待つこともできないのだ。
「アレン…」
ルナの目角から涙が静かに流れた。
意識が朦朧とした時、足を圧し掛かる石塊がどかされ、力強い腕が彼女を抱き上げた。




