2. 幼き約束
アレンとルナが初めて出会ったオアシスの小川の辺で、夥しい血を流し、アレンは静かに横たわっていた。
微かに開いた緑色の瞳に恐怖はなかった。
アレンは腕をゆっくり上げて、泣きじゃくるルナの頬の涙を拭い、微笑んだ。
「ルナ、きみが無事でよかった。でも...もう守ってあげられなくてごめん....」
アレンの瞳は朦朧として、閉ざされようとしていた。
「アレン...ダメ...行かないで!!」
ルナは赤く血に染まったアレンの体を抱きかかえ、泣き叫んだ。そして祈った。
ルナは以前、ズサの神殿の神官がこっそり教えてくれた伝説を思い出したのだ。
神の生贄になることを引き換えに、月の女神アリアが一つだけ、願いを叶えてくれる伝説だ。
だからルナは祈りを捧げた。
アレンを助けて欲しい。アレンが助かるのなら、神々の生贄になっても構わない。
祈りがアリアに通じたのだろうか。
ルナの胸元から突然、眩い、淡い紫色の光が広がり、アレンの無残な怪我が治癒されたのだった。
更には、ルナが手を翳せば、カヤやカイルの怪我もみるみる治癒して行った。
その場にいたルカ、カヤ、そしてカイルは驚き、喜んだ。
そして皆このことを秘密にしようと誓い合った。
アレンだけは眉を顰め、ルナは誰にも癒しの力を見せないように約束をさせられた。
「きみに災いを呼び寄せるから、二度と癒しの力を使ってはいけない。」と。
更には「次は僕がまた死にかけても、助けてはダメだ。」と念を押された。
それでも、ルナは祖父を亡くし、アレンの血まみれな姿を目の当たりにしたことから、いつもこっそり、この特別な力を使いこなせるよう練習をしていた。
大切な人を守れるように、いつしかルナは癒しの力を制御でき、全ての病や傷を治癒できるほどに強大になった。ただ一つ、死人を生き返らせること以外は。
平穏な年月が過ぎ、アレンは15歳になり、ルナは13歳になった。
アレンの輝くような金色の髪は長くなり、眩しいほどの美しい少年に成長した。
ルナの13歳の誕生日の日に、行商から帰って来たばかりのアレンは彼女の手を取った。
「ルナ、僕はきみが好きだ。きみが18歳になったら、結婚しよう。」
そしてアレンは羊の革の袋から、小さなビロードの箱を取り出した。
箱の中には、美しい紫の宝石のついた、華奢な金細工のネックレスが入っていた。
「まだこんなのしか買ってあげられないけれど。じいさんは、いつもルナを金持ちと結婚させると言っていたから僕は頑張らなければ」
「アレン…」
ルナはぽろぽろと涙を流した。そして祖父の思い出話にまた、笑顔が零れた。
「おじいちゃん、現金なんだから。でも....私なんかにこんな豪華なネックレス、本当にいいのかな?」
見たこともなかった金細工のネックレスに、ルナはあまりに幸せ過ぎて、恐れ多くて、心がいっぱいだった。
ルナの笑顔を見つめて、アレンの緑色の瞳が少し震えた。
何かを言いかけては、急に口の形を変えて「これも、ルナに似合うと思って」
アレンは淡い紫色の小花で編み込んだ花冠を、ルナの髪に載せた。
「ルナ、綺麗だよ」アレンの微笑みは暖かな朝の太陽のようだった。
ルナの流れ落ちるような黒髪は、行商隊でも稀に見る上質なシルクのようで、紫の小花が一層映えて、どこまでも清らかな美しさを讃えていた。
アレンは手先が器用で、こんな綺麗な花冠も作れてしまう。
「アレン、ありがとう。ずっと一緒にいようね。私は、アレンのお嫁さんになる…」ルナはアレンの胸に飛び込んで、まるで行商隊が運ぶ蜂蜜を一気に食べてしまったほどに、甘い香りが心の中を充満した。
アレンはネックレスをルナに付けてあげて、額に軽く、どこまでも優しい口づけをした。
二人はきつく抱き合って、永遠に離れることはないはずだった。
だけどその深夜、皆が寝静まった頃、アレンは突然ズサを去ってしまった。
何の前触れもなく、手紙を残すこともなかった。
たまたま夜中に起きていた隣家のおじさんの話によると、アレンは豪奢な馬車に乗って、夜闇に消えていった。
街のみんなは、最初はアレンが行商の用事のために出かけて行ったと思い込んでいた。
あんなに優しい子が、ルナとルカを捨てるはずはないと思っていた。
だけれど、ひと月、ふた月と月日が過ぎてから、皆ルナを慰めるためか、アレンを悪く言うようになった。皆に好かれていたアレンだったから、街の人々は傷ついていたのだ。
「あれは貴族でもなければ乗れない馬車だった」
「あいつは西の白い人間だから、俺たちの砂漠では暮らし辛い。結局出て行った。」
「アレンは俺たちとは違うと思っていたぜ。あいつはきっと金持ちの親と再会して、こんな貧乏な街にはもう戻って来ないのさ」
「ルナちゃん、もうあんな薄情なやつは忘れな」
街の人々はルナを慰めた。
カヤ、カイル達でさえ、街を突然捨てたアレンに恨み節を言った。
しまいには、ルカもアレンに捨てられたのかも知れないと思い、しょんぼりと落ち込んでしまった。
泣き虫のルカは、兄のように慕っていたアレンを恋しがっては泣いた。
ルナだけはアレンが薄情だなんて、信じなかった。
アレンは必ず帰ってくる。お嫁さんにしてくれると信じていた。
何年も、何年も、ルナはアレンが帰って来るのを待ち続けた。
やがて、不作でナッツや蜂蜜があまり取れなくなり、行商隊も解散して、ズサの街は更に貧しくなった。
カヤとカイルは両親と街を出て行った。ルナとルカは一緒に行くことを拒み、アレンの帰りを待ち続けた。
貧しさに畳みかけるように、街に疫病が襲い掛かった。疫病に苦しむ人々を見かねて、ルナはアレンとの約束を破ってしまった。
彼女は街の奥にある、月の女神を奉る神殿の巫女となり、女神の石像の裏にある天幕に隠れて、人々の疫病を癒し続けた。
人々の疫病を癒すほどに、ルナは疲れ易くなり、やせ細った。それでもいつも城壁の長い石階段を上り、果てしなく続く砂漠を眺め、アレンの姿を探し求めた。砂嵐の夜は、首にずっと掛けてある小さなペンダントを握って眠った。
そしてルナの18歳の誕生日が、すぐ目前に来ていた。
いつものように街の城壁に上った時、砂漠の向こうに光り輝く騎馬隊が見えた。 今までルナが見つけてきたどのような来訪者とも違い、遠くからでも豪奢な馬と、美しくあつらえた甲冑に目を奪われた。
「ルナが18歳になったら、結婚しよう」
「アレンは豪奢な馬車に乗って街を出て行った」
数々の記憶が走馬灯のようにルナの脳裏に浮かびあがり、彼女の目は希望の光に溢れた。 そしてルナは城壁の上から降りて、神殿の中に走って行った。
神殿の中は賑やかで、細身の、美しい少年に成長したルカは神官たちと、月神祭の準備をしていた。
ルナはルカに駆け寄って、瞳に涙をためながら言った。
「ルカ、アレンが帰って来たの!アレンは約束を忘れていなかった!早く迎えに行こう!」ルカは驚きながらも頷いて、ルナについて行こうとしたその時。
身の毛がよだつような悲鳴が二人の耳に届いた。
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