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1章「羽なし」と呼ばれた娘⑦

 蝙蝠が旋回する中心にいたのは黒ずくめの男。橙色をした黄昏時の太陽光はちょうど影になり、黒いコートが際立って影に溶け込むかのようだ。 


 しかも男は目深に被っていた中折れ帽のつばに手を当てていて、夕花の位置からは顔が見えない。しかし夕花が出てきたのに気付いたのか、帽子を脱いだ。


「神楽夕花……俺の花嫁。君を迎えに来た」


 現れたのは、淡い金色の髪に鮮やかな紅色の瞳、そして、端正な顔立ち。

 ──その顔は、先日助けた、あの金髪の青年だった。


「あ、貴方は……!」

「そうか、名乗っていなかったな。俺の名は月森白夜。吸血鬼だ。だが、恐れないでほしい。吸血鬼が血を吸って幻羽族の娘を殺してしまうというのは迷信だ」


 彼は夕花に手を差し出した。

 あまりの美貌と涼やかな切れ長の瞳は作り物めいていて、とっつきにくそうにも見えていた。しかし、夕花を見つめて、ふわっと微笑む。そうすると穏やかで優しげに見えた。


 ──この人なら大丈夫かもしれない。


 そう思い、白夜に差し出された手を取ろうとした瞬間、ドンッと突き飛ばす勢いで愛菜に押しのけられてよろめいた。


 愛菜は大きな瞳を潤ませ、白桃のような頬を赤らめて、白夜を見上げる。


「あ、あのっ、初めまして。わたし、神楽愛菜と申します。姉さん──夕花の妹ですっ!」


 その背には、純白の幻羽が黄昏の薄闇に負けないほど白く煌めいている。羽なしの夕花に見せつけるためにわざわざ幻羽を出したのだとわかった。


「愛菜……? そんな娘がいるとは聞いていないが」

「そうですか? じゃあ今、覚えてください、白夜様」


 愛菜はその言葉が、他人には傲慢に聞こえるとは思っていないのだろう。父たちが慌て、白夜も片眉をピクリと上げたが、まったく気付いていない様子だ。


「それで何の用だ」

「姉さんは長女でこの家の後継ぎなんです。しかも仕事をしているから、辞めたくないと、さっきも言っていました。ね、可哀想でしょ?」


 愛菜は勝手なことをペラペラ語りだした。後妻が止める声にも気にする様子はない。


「だから、わたしが姉さんの代わりに参ります」


 ニッコリ微笑む愛菜は、それはそれは愛らしい。幻羽を出している愛菜はまさに天使のようなのだ。愛菜は手荒れのない白い手で白夜の手を握り、小首を傾げた。


「ねえ、白夜様、いいでしょ?」


 愛菜の媚びた声と裏腹に、夕花は肩を丸めて俯く。


 きっと、白夜も愛菜を花嫁にすると言うのだろう。愛菜はそんなわがままの全てが許されるくらい愛らしい。誰もが彼女を愛してしまう。期待なんてしない方がいい。そう思った瞬間、パシッという音が響いた。


「──俺に気安く触れるな」 


 白夜が愛菜の手を強引に振り払ったのだ。


 その顔は、夕花に向けるものとは大違いで、まるで別人だ。造作が整っているからこそ、ひどく冷酷に見えた。


「え?」


 愛菜はまさか拒否されるとは思ってもみなかったのか、きょとんと目を丸くする。


「ど、どうして……わたしの何が不満なんですか?」

「何を言う。男の匂いをプンプンさせておいて。汚らわしい。近寄るのも嫌になるほど臭い」

「な、なんですって……!」


 白夜にそう言われ、愛菜はカッと気色ばむ。


「ま、愛菜、男の匂いとはどういうことだ。ま、まさか、どこぞの男と不純なことをしているんじゃないだろうな!」

「ち、違うの父様! こんなの何かの間違いだわ! ね、ねえ白夜様っ⁉︎」


 白夜は慌てている愛菜を無視して言った。


「亘理、約束の金を」

「はーいっ!」


 この場にいない声がしたと思った途端、中空を旋回していた蝙蝠がするっと溶けるように形が歪み、人の姿に変わっていた。白夜をご主人と呼んで迎えに来たあの少年だ。


 彼はさっと門から出ていったと思いきや、腕に大きな風呂敷包みを抱えてトコトコと戻ってきた。


「こちら、神楽夕花様を花嫁として月森家にいただく、そのお約束のお金でございまーす。ええと、借金の同額ですねー」


 少年──亘理は大きな風呂敷包みを開き、揉めている父と愛菜の足元にドサッと投げた。その札束の数といったら、ゆうに数千万はありそうだ。彼らの視線が風呂敷包みに吸い寄せられる。


「ふう、重かったぁ」


 やれやれとばかりに亘理は細い腕で汗を拭うような仕草をしている。

 あまりの金額に呆然としていた夕花は、白夜に手を握られた。


「あ……」

「さあ、今のうちに行こうか」


 見れば、父と後妻はまるで餓鬼のように札束に群がっている。ゾッとするような光景だ。


「……泣いていたのか」


 そう言って、白夜は夕花の目の下を優しく撫でた。鮮やかな紅色の瞳が、夕花の目を覗き込む。心臓がドキッと大きく跳ねた。


「君を助けに来た。もう泣かなくていい」


 どうして、そう聞き返そうとした時、愛菜が食ってかかってきた。また押しのけられそうになった夕花は白夜の背中に庇われた。


 しかし愛菜は諦めずに白夜の腕に縋り付く。


「ま、待ちなさいよ! どうしてわたしじゃなくて姉さんなのっ⁉︎ 姉さんは出来損ないの羽なしで、わたしはこんなに綺麗な幻羽を出せるのよ。顔だってわたしの方が姉さんよりずっと美人じゃない。みんなそう言ってるわ。地味で陰気なその人より、わたしの方がずっと上でしょ⁉︎」


 夕花は愛菜の言葉に顔を歪め、真実を口にした。


「そ、そうです。私は羽なしで……幻羽族として、出来損ないなんです」


 夕花は震える声でそう言った。愛菜の言っていることは全て真実なのだ。

 愛菜は夕花が同意したことで、ニタッと満足そうな笑みを浮かべた。


 夕花は俯いて地面を見つめた。

 きっと羽なしなどいらないと言われてしまうのだろう。そう考えると震えが込み上げる。今度こそ全てを失う。居場所も、心の拠り所さえも。


 夕花は震える手を握り、白夜に向かって頭を下げた。


「黙っていて……申し訳ありません……」


 自分のような出来損ないを好んで嫁にもらおうとする人など、いるはずがない。白夜もきっとそうだ。このまま愛菜の思い通りになってしまうのたろう。


 しかし白夜は夕花を離そうとはしなかった。


「話とやらはそれだけか。なら、それ以上、夕花に近付くな!」 


 白夜は眉を顰め、愛菜を睨む。その紅色の瞳が一瞬、ギラッと光った。


「……ひっ!」


 愛菜は恐怖に顔を歪ませ、よろめきながら数歩下がり、その場にペタリと尻餅をついた。


 白夜が何かをしたのだろうか。ただ睨み付けただけだというのに、愛菜は真っ青になってガクガクと震えている。


「夕花よりお前の方が美人だと? 笑わせるな」


 白夜はそう言って指をパチンと鳴らした。


 ──次の瞬間、夕花は白無垢を身に纏っていた。

 艶のある白の絹地に、白で花模様の刺繍が施されている。夕方の柔らかな橙色に照らされ、刺繍のわずかな凹凸が乱反射し、白一色の着物だというのに、幾重にも光り輝いて見えた。


「えっ……こ、これは……?」


 夕花はきょとんとして、己の着ているものに視線を落とす。まさかこれも吸血鬼の異能の力なのだろうか。


「花嫁に花嫁衣装を着せるのは当然だろう? それから、これも」


 白夜は夕花の顎をクイッと上げさせ、耳の上に大ぶりの白い花を差し込んだ。ふわっと花の甘い香りが漂う。


「少しだけじっとしてくれ。紅を塗るだけだ」


 そう言いながら薬指で夕花の唇をなぞった。白夜は目を細め、夕花をじっくりと見つめる。その鮮やかな紅色の瞳に吸い込まれてしまいそうな心地がしていた。


「背を丸めず、顔を上げて、まっすぐに。ほら、俺の花嫁は誰よりも美しい」


 白夜は支えるように夕花の背中に腕を回し、夕花に父の方を向かせた。


「お、お前、本当に夕花か……?」


 父の目が驚愕に見開いた。後妻も、早紀も、そして尻餅をついたままの愛菜までもが、夕花を見てポカンと口を開けている。


 どういうことか夕花すらも理解できず、目をぱちぱちとする。


 亘理だけが得意そうに言った。


「夕花様、唇に紅を差しただけで、とっても美人じゃないですか。肌が綺麗で色も白いから、白粉すら必要ないんでしょうね」

「夕花の本当の美しさを、見る目のないお前たちは気付かなかったのだな」


 白夜はそう父たちに吐き捨てた。

 父はまな板の上の魚のように口をパクパクさせている。


「あ、夕花、ま、待ってくれ──」

「そこで止まれ」


 白夜がそう言うと、夕花に手を伸ばしていた父は、ビクンッと震え体が硬直したように動くのを止めていた。


「契約通り、今後、夕花に近付くことは許さない。彼女は俺の花嫁だ。何か用事がある場合は俺を通せ。もし契約を破った場合……その金を返してもらう」


 白夜はそのまま振り返りもせず、夕花の肩を抱いて神楽家の門を出た。


「さあ夕花、家に帰ろう」

「で、でも、私は羽なしなんです……! 貴方の花嫁に相応しくありません」

「相応しいかどうかは俺が決める。そして俺は夕花に決めた」


 白夜はそう言って、夕花の黒髪に口付けを落とした。髪に挿した白い花だけでなく、白夜からも同じ甘い香りがする。

 夕花はカアッと頬が熱くなるのを感じた。心臓もドクンと激しく震える。


 もしかするとそれがきっかけだったのか。


 突然、くらり、と目眩がした。立て続けに体がずっしり重くなり、足がもつれる。

 転んでしまう、そう思った時、さっと白夜に横抱きにされていた。夕花は白夜に抱かれたまま目を白黒させる。


「あっ……」

「顔色が悪い。大丈夫、そのまま楽にするといい」


 白夜は細身で筋骨隆々ではないが、その腕はしっかりと夕花を抱きかかえ、びくともしない安定感があった。


 夕花は不思議と安らいだ気持ちになり、力を抜いた。

 音が遠ざかり、視界も白黒になっていく。ただ、白夜の甘い香りだけを感じる。


 夕花には長年の疲労が蓄積していた上、この数時間で様々なことが立て続けに起こり、精神的にも限界が来ていたのだろう。


 張り詰めていた糸がプッツリと切れるように、夕花の意識は遠のいていった。


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