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黄昏の花嫁〜虐げられた乙女は吸血鬼に愛される〜  作者: シアノ


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1章「羽なし」と呼ばれた娘⑤

 あの日以降、寒さは緩み、もう雪がちらつくこともなくなった。少しずつ春が近付いているのだ。裏庭にある梅の蕾も膨らみ、もういく日か後には咲くだろう。

 夕花はそう思いながら裏庭で洗濯物を干していると、勝手口から早紀が顔を出した。


 また何かやって怒らせてしまったのだろうか。夕花はそう思ったが、早紀に怒りの表情はなく、どこか困惑しているように見えた。


「……ちょっと」

「な、なんでしょう」

「旦那様が呼んでいるわ。奥の間に来なさいって」

「私を? どうして……」

「知らないわよ。じゃあ、伝えたから」


 早紀は行ってしまい、残された夕花はきょとんとするしかない。母親が亡くなって以来、父親が夕花に話しかけること自体、滅多にない。年に一度あるかないかである。


 仕事に遅刻してしまうが、用があると言われては仕方がない。話が終わったら走って代書屋に向かおう。そう思って奥の間に向かった。


「……失礼します」


 奥の間に入ると、父と後妻、それから早紀同様に困惑している顔の愛菜が勢揃いして待っていた。


「あ、あの……」

「夕花、座りなさい」


 珍しいことに畳の上ではなく座布団を差し示され、夕花はおっかなびっくり分厚く柔らかい座布団に正座をする。こんな柔らかい座布団に座る方が落ち着かない気分になってしまう。


「なんで姉さんまで……」


 不満げに唇を尖らせた愛菜を制し、父は口を開いた。


「実はな、当家に結婚の申込みがあった。神楽家の娘を嫁に欲しい、とのことでな……」

「えーっ、ダメよぉ。わたし、まだ女学校を辞めたくないわぁ」


 愛菜は父親の言葉を遮ってそう言った。そんなことをしても、愛菜は叱られたりしない。愛菜が叱られるところは一度も見たことがなかった。


「あ、でもぉ、お金持ちで素敵な人なら考えちゃうかなー」


 愛菜はクスクスと楽しそうに笑う。


「それで父様、お相手はどんな方なの? 姉さんみたいな羽なしを嫁がせたら、神楽家の名に傷が付くんじゃないかしら。それならわたししかないじゃない」


 チロリ、と意地悪そうな目線を夕花に向けた。夕花もその通りだとしか思わない。


「うむ……だが、娘を嫁がせたら我が家の借金を肩代わりしてくれるそうだ」


 なるほど、と夕花は己が呼ばれたわけを納得していた。おそらく、父からするとあまりよろしくない相手なのだ。きっとお金持ちではあるが、何か訳ありな相手だとか。


 そして、おそらく先方が望んでいるのは愛菜なのだろう。普段から父が娘として紹介するのは愛菜だけである。そもそも夕花は女学校にも行っておらず、外に出るのは綾地町に行く時くらいなのだ。夕花の存在を知るものは、隣近所にすら、ほとんどいないはずだ。しかも貧しい格好なので、目撃されても使用人にしかみえないだろう。


「先方からは神楽家の娘とだけで、愛菜とも夕花とも指定はされていない。それで、儂としては、出来れば愛菜に行ってもらいたいのだが」


 だから、父がそう言ったことに、夕花は目を丸くした。大切な愛菜の身代わりに、夕花に嫁に行けという話だと思ったのに。そう考えたのは夕花だけではない。愛菜も同様のようだ。


「はあ? な、なんでわたしがっ、どういうことなの父様っ! ていうか、借金なんて聞いてないんだけどっ!」


 愛菜はキイキイと甲高い声で喚いた。


「そうですよ! どうして愛菜が……この神楽家は愛菜が継ぐんですから! そう約束したでしょう!」

「だ、だがな……」


 後妻は青筋を立てて父親につかみかかる。父親の説明も二人の声でかき消された。


「あの、お父様。お相手はどんな方なのでしょうか」


 夕花は静かに口を開いた。当たり前のように愛菜は手元に置いて婿を取り跡を継がせ、夕花を嫁がせるつもりなのだろうと思っていたから、父がこうも夕花を出し渋るのが不思議だった。


「相手は……下香墨に住む月森家だ」


 それを聞き、愛菜はきゃあああっと甲高い悲鳴を上げ、ドタッと尻餅をつく。後妻も慌てて娘に寄り添った。


 下香墨という名前には聞き覚えがあった。綾地町のある中泉寿区の更に先にある地域で、そこに住んでいるのは吸血鬼か、吸血鬼に縁ある人だけである。


「では、その方は吸血鬼、なのですか……?」


 夕花もさすがに目を見開いて驚く。


 吸血鬼は百年以上前、外つ国からやってきた一族の末裔で、異能を持っているとされる人々だ。母が生前、そう教えてくれた。彼らは豊かな財力を持ち、この国を陰で牛耳っているとも言われている。そして、彼らは異能の力を強くするために、幻羽族の若い娘を攫って、体中の血を吸って殺してしまうのだという。さすがにそれはお伽話の類だと夕花は思っていたが、それでも彼らに対して拭いきれぬ恐怖心があるのは事実だった。


「い、いやっ! 嫌よ! 絶対に嫁がないわ! 吸血鬼なんかに嫁いだら殺されちゃう! こいつでいいじゃない!」


 愛菜はふわふわした茶色い髪を振り乱し、夕花に指を突き付けた。愛菜の方が吸血鬼への恐怖は顕著なようだ。


「だ、だが……しかし……月森家は吸血鬼の中でも特に名家で……」

「嫌ったら嫌!」


 愛菜がそんなにも嫌がっているのに、父は妙に渋っている。名家であっても吸血鬼相手に、大事な愛菜を嫁がせようとする理由がないように感じ、夕花には不思議だった。


「あなた、ちょっとお耳を」


 ふと、後妻は父の耳に何事かを吹き込んだ。


 後妻の指には、母の形見の指輪が光っていた。土台は金、大粒のサファイアが付いた指輪だ。それも、青から紫になる珍しいバイカラーサファイアなのだった。幼い頃、夕花は母がしていたその指輪を欲しがり、大人になったらもらう約束をしていた。それは果たされないまま、母は亡くなり、現在は後妻の指に収まっている。


 夕花が複雑な思いで指輪を見つめている間に、父と後妻は内緒話を終え、改めて夕花の方を向いた。


「……そうだな。夕花、やっぱりお前が嫁いでくれ」


 改めて名指しでそう言われる。

 何を話していたかは夕花には聞こえなかったが、父は後妻の言葉に何かを納得したのだろう。後妻と愛菜はさも当然という顔で頷いている。


「当たり前でしょう。後継ぎは幻羽が出せるわたしなんだもの。吸血鬼なんかに嫁いだら殺されちゃうわ。神楽家が途絶えちゃうじゃないの!」

「そうね、愛菜。吸血鬼は幻羽族の血を吸い尽くして殺してしまうなんて言うけれど、羽なしの夕花なら大丈夫でしょうからね」


 後妻は安心したように愛菜を抱き寄せ、髪を撫でてやっている。


「よかったわね、姉さん。最後に神楽家の役に立てて。羽なしの姉さんには本望でしょう。借金には驚いたけど、姉さんが嫁いで借金がなくなるんなら、わたしには関係ないし」

「……夕花、いいな?」


 夕花は小さく息を吐き、徐に頷いた。


 最初から夕花に拒否権なんてない。

 嫁げば吸血鬼に殺されてしまうかもしれない。

 幻羽族が吸血鬼に望まれるということはそういうことなのだと、父たちは態度でそう示していた。だからこそ羽なしの夕花が行くしかない。


 もし仮に殺されなかったとしても、夕花が嫁いだところで愛菜ではないと失望され、ひどく虐げられる可能性もある。どちらにせよ、夕花の未来は暗いものだった。


 しかし運命なのだと思ってすべてを呑み込むしかない。

 抗ったところでどうにもならないのは、母が亡くなってからの数年で、嫌というほど思い知っていた。


「わかりました……。あの、勤め先に辞める挨拶をしたいのですが、嫁ぐのはいつになるのでしょうか」

「今日だ。夕方には迎えにくる」

「今日……⁉︎」


 夕花は驚愕に目を見開いた。それはあまりにも早過ぎる。


「それまで部屋にいるように。逃げようなどと考えるなよ」


 今は午前中。あと半日あるとはいえ、夕花はなんの準備もしていない。


「ま、待ってください! せめてこれから勤め先に行かせてください。昼には戻りますから!」


 夕花は必死に懇願したが、父親はフンと鼻を鳴らした。


「勤め先はどうせ中泉寿区の平民のところなのだろう。お前は羽なしとはいえ、一応は高貴な幻羽族の血を引くのだ。下賤な民に挨拶など必要ない」 

「そうよ。それに、挨拶に行くなんて言って逃げる気かもしれないじゃない」


 愛菜も頷いている。


「でも……」


 厳しい中にふとした優しさを見せてくれる登美、にこにこ優しい笑顔の饅頭屋のおかみさん、そして九郎──恩人や優しくしてくれた人、そして仄かに恋心を寄せていた人に、別れを言うことすら許されないだなんて。


「お、お願いします。少しだけでいいんです!」


 夕花は勇気を振り絞り、ガバッと頭を下げて食い下がった。


「ダメだ。部屋に戻れ!」


 しかし、それすらもけんもほろろに突っぱねられ、取りつく島もない。


「おい、早紀。風呂を沸かしてくれ。それから古着でいいから、貧相な夕花をもう少しまともに見えるような着物を用意してやりなさい」


 父はもう興味を失ったように、夕花の方を見ることはなかった。淡々と早紀に指示を出している。


「姉さん、残念ねぇ」


 愛菜はクスクスと口元を押さえて笑う。


「どんな化け物が来るのかしら。わたし、吸血鬼って見たことないのよねー」


 あんなに怯えていたくせに、嫁ぐのが自分でないと知った愛菜はすっかり調子を取り戻していた。


「迎えが来るまで逃げ出さないよう、見張らなくちゃねえ」


 後妻もそう言って、何がおかしいのか愛菜とともに笑い声を上げた。


 夕花は二人の笑い声が聞こえなくなるまで、深く俯いて畳の目をじっと見つめていた。心を殺し、泣いてしまわないように。


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