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1章「羽なし」と呼ばれた娘③

 夕花はとりあえず男性を座敷に寝かせる。

火鉢を男性のそばに寄せたが、まだ寒いかもしれない。登美が不在では布団の場所もわからない。ないよりはいいだろうと、夕花は着ていた薄っぺらい半纏を脱ぎ、男性にかけてやった。


 改めて見ると男性はまだ若く、おそらく二十歳をいくばくか過ぎた歳の頃に見えた。それよりも驚いたのはその髪の色だ。滅多に見ない輝くような淡色の金髪をしている。しかも目を閉じていてもわかるほど、整った顔立ちの青年だ。白皙の顔に髪と同じ金色のまつ毛が目元に濃い影を落としていた。


 外つ国から来た人なのだろうか。この綾地町周辺はおろか、神楽家のある上山手でも、このような特徴を持つ人は見たことがない。


 では、吸血鬼の住む町である下香墨──そう考えて夕花はかぶりを振った。だとしても今はそれを気にすることではない。


 夕花はしばらく男性を見守っていたが、目を覚ます様子はなかった。ただ寝ているだけのように見えるし、人を呼ぶにしても店を空けてしまうのは登美に申し訳ない。登美も遅くても十五時には戻ると言っていた。


 もうしばらくこのまま寝かせておこう、と夕花は仕事をするため、文机に向き合った。


 夕花は黙々と手紙を書いていく。今書いているのは案内状だった。宛名以外は頼まれた文面の通り、きっちりと筆を滑らせる。枚数が多いから気が抜けない。ただ丁寧なだけでなく、読みやすい配置に文字を配置し、書き損じもなるべく出さないように。火鉢を遠ざけた上に、半纏も脱いでしまったせいで寒かったが、集中するとそんなことも全て頭から消えてしまっていた。


「──綺麗だ」


 ふと、そんな声で我に返った。


「あ……目が覚めたんですね」


 ちょうど二時間ほど経っていたようだ。集中して時間の感覚がなくなっていたが、目を覚ましたことにホッとした。


 先程の男性が上体を起こしてこちらを向いている。彼の瞳は鮮やかな紅色。切れ長の涼やかな目がじっと夕花を見つめていた。

 目を閉じている時でも端正な顔立ちだと思っていたが、目を覚ました今は夕花の胸が落ち着かないほどの美青年である。


「綺麗だな」


 男性はもう一度そう言った。見たことないほど見目麗しい美青年からそんなことを言われ、夕花の心臓がドキッと音を立てる。


「き、綺麗って……ああ、字のことですよね。ありがとうございます。字を書くのが私の唯一の取り柄なんです」


 夕花の書きかけの案内状を見たのだろうと解釈し、微笑みかけた。母親が教えてくれた字だけは夕花が誇れる唯一のものである。


「それよりも、お加減はいかがですか。店の前で急に倒れたんですよ。どこか痛いところはありませんか?」

「そうだったのか。すまない、失礼をした」


 もしかすると、まだ少し寝ぼけていたのかもしれない。男性は我に返り、困惑した様子に見えた。


「ここは……代書屋か」


 男性は体を起こし、あちこち見回してから長い足を畳むように正座をした。


「曇っていて油断をしていたところに急に日差しが出てきたから、それで立ちくらみを起こしたようだ。寝不足だったもので、そのまま眠ってしまったのだろう。暖かい場所で眠らせてもらえて助かった」

「まあ、そうでしたか。具合が悪くないのならよかったです」

「俺に上着をかけていてくれたのか。それから火鉢まで……君が寒かったのでは」


 男性は自分にかけられていた上着を手にしてそう言った。アカギレどころか手荒れ一つなさそうな綺麗な手で、夕花の古びた上着に触れているのが申し訳ない気がしてしまう。


「いえ、大丈夫ですよ。外で家事もしますし、寒いのには慣れているんです」


 夕花がそう言うと薄く微笑んだ。また夕花の心臓がドキドキしてしまう。


 男性は夕花に半纏を返してくれた。


「ありがとう。何かお礼をするべきなのだろうが……君は」


 夕花は慌てて遮った。お礼をもらうようなことはしていない。ただ目の前で倒れた人を寝かせていただけなのだ。


「お構いなく。本当にただ寝かせていただけですから。そんなことより、お茶を飲みませんか? 私も少し休憩しようと思いますので」


 夕花はヤカンを火鉢に置いた。お茶の準備をしているとお湯はすぐに沸き、シュンシュンと湯気が立ち始める。


「これ、お饅頭です。冷めても美味しいので召し上がってください」


 夕花はお茶を淹れ、登美からもらった饅頭とともに男性に差し出した。


「いや、そこまでしてもらうわけには」

「立ちくらみを起こしたというのなら貧血かもしれません。そういう時は少しでもお腹に入れた方がいいですから、遠慮なくどうぞ」

「……では、いただこう」


 男性が饅頭に手を伸ばす。男性らしい長い指だが、爪は短く、きちんと手入れしている手である。しかし中指に不釣り合いにも見えるペンだこがあった。夕花と同様、書き物をする人の手だ。ペンだこがあっても綺麗な手だと夕花は思っていた。その手が饅頭を掴んだのを見た途端、突然夕花のお腹がきゅるるっと鳴ってしまった。


「ご、ごめんなさいっ!」


 さっき饅頭を食べたというのに、二時間ほど経って、すっかり消化してしまったらしい。恥ずかしさに顔から火が出そうだ。


 男性はきょとんと目を丸くし、次の瞬間プッと吹き出した。目尻を下げ、クスクスと笑っている。とっつきにくそうに見えた端正な顔が少し幼く見える。


「す、すまない。あまりにもタイミングがよかったもので」

「いえっ、こちらこそ……はしたないお腹で申し訳ありませんっ!」


 男性は目尻に浮いた涙を指で擦る。そんなに笑うことないじゃないかという気持ちと、恥ずかしさで、夕花は両手で熱くなった頬を押さえた。


「いやいや、生きているのだから腹くらい鳴るさ。笑ってしまったことも詫びよう。そして、提案なんだが、これは半分こにするのはどうだろうか」

「そんな……」

「俺としても恩人を空腹にさせるのは忍びないんだ。──ほら」


 男性は饅頭を二等分に割り、片方を夕花に差し出した。

 気恥ずかしいが、夕花も空腹なのは事実だった。神楽家では夕花は残り物しか食べてはならないことになっている。しかも、早紀が取り分けるため、ほとんど残らず釜にこびりついたわずかなご飯に水をかけて食べるしかない日もあるのだ。今朝、愛菜の機嫌を損ねてしまったから、おそらく夕飯はろくに食べさせてもらえないだろう。


 逡巡したが、空腹には勝てない。差し出された半分を受け取ることにした。


 口に入れると、冷めても艶のある薄皮は弾力が残り、餡もしっとりしていて美味しい。


 食べながら横目で男性を見ると、彼も夕花を見ていたらしく、ぱちりと目が合った。

 気恥ずかしさに慌てて顔を伏せる。


「美味いな……こんなに美味いものを食べたのは久しぶりだ」 


 男性は穏やかな声でそう言った。


「大袈裟ですね」


 確かに美味しいとは思うが、ごく普通の饅頭だ。お世辞を言ってくれたのだろうと、夕花はクスッと笑う。


「この代書屋を出て道なりに少し行ったところにあるお饅頭屋さんのものです。出来たての温かいのも美味しいですから、もし気が向いたら寄ってみてください」

「そうだな……ん?」


 不意に男性が顔を上げた次の瞬間、代書屋の引き戸をコンコン叩く音がした。


「あ、ごめんなさい。お客さんかしら」


 夕花は男性に断りを入れ、引き戸を開ける。目の前に、夕花より目線が低い少年が立っていた。


「あのう、こちらにうちの主人がお邪魔してませんでしょうか」


 マントのような形のコートを羽織った少年は、男性と同じ淡い金髪をしている。くりくりとした瞳は榛色で、可愛らしい顔立ちにそばかすが散っていた。

 男性の縁者であることは一目瞭然である。


「あっ、ご主人! やっと見つけた!」


 少年は目を見開き、座敷にいる男性に向かって言った。


「すみません、うちのご主人がお世話になったようで」


 深々と頭を下げる少年に、夕花は目を白黒させた。


「いえ、私は何も……」

「いずれお礼に参ります。ご主人、帰りますよ! まったく帽子を忘れていくからこんなことになるんですからね」


 少年は座敷に上がるや否や、手にしていた黒いコートを男性に着せ、同じく黒い中折れ帽を目深に被せた。そのまま男性を小さな体躯でぐいぐいと外に押し出そうとしている。


「慌ただしくてすまない。いずれ、また」

「え? あの……」


 男性は夕花の長い髪を一房すくい、指でサラッと撫でるように梳くと、少年とともに去っていった。


「引き留めてしまって悪いことをしたかしら……」


 その慌ただしさから、急いでいたのかもしれないと考えた。


 ふと、夕花は髪を触れられたのを思い出し、頬がカアッと熱くなる。


「自己紹介する暇もなかったわね」


 夕花は名乗らなかったことを今更ながら思い出した。男性の名前も聞きそびれている。


「……でも、少し楽しかった……」


 誰かと笑いながら食べるのは、よりいっそう美味しく感じられることを夕花は思い出したのだ。

 もしかすると誰かと食事を共にするのは、母が亡くなって以来かもしれない。屋敷ではいつも一人で残り物を食べるだけだし、登美は夕花に優しくしてくれているが、代書屋を空っぽにしないよう、いつも休憩は別々に取っていたからだ。


 もう会うことがあるかもわからないけれど、そんな気持ちを思い出させてくれたあの人に感謝したいくらいだ。夕花はふふっと笑いながら仕事に戻った。


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