5章 青の幻羽⑥
それから夕花は一旦祖母と別れ、念の為にと鹿代子の病院で診察を受けた。検査の結果、体調に問題はなかった。幻羽を出せるようになっても、何かが変わったりはしない。
しかし問題は白夜の方だった。
夕花は白夜が眠る病室に呼ばれた。
白夜は体中を検査し終えて、今は眠りについている。まぶたは固く閉じられ、顔色は血の気が引いて真っ白だった。
そんな白夜を見下ろしながら、鹿代子は夕花に言った。
「はっきり言うわ。このままだと白夜はあまり長くは生きられない」
「そんな……」
夕花は口元を押さえた。体中がわなわなと震え、まともに立っていられない。
「わ、私のせいです……白夜さんは私に生命力まで譲渡して……」
「いいえ、夕花ちゃんに生命力を譲渡したことは数日休む程度で回復するわ。元々、白夜は両親の血を飲んでいないことが原因なの。わたくしたちの一族は、赤ん坊の頃に実の両親が血を与えることで、吸血鬼特有の免疫構築や、他にも異能の力を使った後の反動を抑える力になるから。だから白夜の不調は夕花ちゃんのせいではないのよ。夕花ちゃんに会う前には、白夜はもう肉体的にも精神的にも限界が来ていたんだもの。ここしばらく元気そうだったのは、むしろ夕花ちゃんのおかげだったのよ……」
「ど、どうにかならないんでしょうか」
「白夜が血を飲めたらいいのでしょうけれど、精神的に血のままでは飲み込めないでしょうね。白夜が子供の頃には血液製剤を飲んで症状が落ち着いていたのだけれど、確か九年くらい前かしら。急に質が変わったみたいで、白夜が飲んでも効果がなくなってしまったの」
「九年前……何かあったのでしょうか」
九年前といえば、ちょうど夕花の母が亡くなった頃だ。
鹿代子は顔を曇らせた。
「ある程度は想像つくのだけれど、実際のことは血液製剤の製造メーカーに問い合わせるしかないわね……」
「……そんなことしなくていい」
そんな微かな声が聞こえた。ベッドに寝ている白夜の目が開いていた。
「白夜さん!」
「白夜、目が覚めたのね。眩暈はある? 頭痛は?」
「問題ない。家に帰るよ」
「何を言っているの。貴方はまたいつ倒れてもおかしくないのよ?」
「それでいい。夕花と家に帰りたいんだ。亘理も待っている」
「馬鹿言うんじゃないの。このままじゃ貴方、死ぬわよ!」
「じゃあ、死ぬまでに遺言状を用意しないとな。夕花や亘理のことを、叔母さんに頼みたい」
白夜はそう言って起き上がろうとしたが、ふらついてベッドに倒れ込んだ。
「白夜さん……!」
白夜の意思は強い。そうそう覆すようなことはしないだろう。だから夕花は白夜の意思を尊重したいと思っていた。それでもせめて苦痛が少ないよう、青の幻羽を出した。
バサッと音を立てて出現した幻羽は、青く煌めいている。白夜はかつて、夕花が知らず知らずのうちに出していた青い幻羽の光に癒やされたのだと言っていた。少しくらいは楽になるかもしれない。
「ゆ、夕花ちゃん、貴方、その羽の色……!」
夕花の幻羽を見て、鹿代子は目を大きく見開く。
「ええと、最近ようやく幻羽を出せるようになりました。私の祖母は、こないだまで宮守をしていた方で……この色は、その遺伝なのだそうです」
「あ、青波様の……本当に……?」
鹿代子はその目に涙を湛えている。
「か、鹿代子さん?」
「夕花ちゃん、貴方なら白夜を救えるわ!」
涙は決壊し、ぼろぼろと大粒の涙を零しながら鹿代子は夕花をぎゅうっと抱きしめたのだった。
鹿代子の説明によると、白夜は元々、ただの血液製剤では飲んでも、飲まないよりマシという程度ではっきりとした効果はなかった。しかしある時、希少な青の幻羽持ちの血液から作られたという触れ込みの高額の血液製剤を飲んで初めて、白夜の体調がよくなったのだそうだ。
しかし、九年前、材料が手に入れられなくなったとのことで、どれだけお金を出そうとも、その血液製剤は手に入らなくなってしまった。
話を聞いていた白夜は眉を寄せた。
「そういうことだったのか。俺の体質が変わったせいだとばかり……」
「ごめんなさい。急に手に入らなくなって、どうにかしようと頑張ったのだけど……」
「いや、叔母さんのせいじゃない。いつも俺の両親の代わりに、俺に色々なものを与えてくれた。本当に感謝している。それに……もしかすると……」
白夜は夕花に視線を移す。
「夕花、君のお母さんは、君が子供の頃に、注射器で血を取られていたと言っていたね」
「は、はい……」
「そして、亡くなったのも九年前。それなら、俺が飲んでいた血液製剤の材料は、君のお母さん……紫乃さんの血液だった可能性があるんじゃないか?」
夕花はその言葉に目を見開いた。
「お母さんの……?」
「注射器で採取した血を、希少な青の幻羽持ちの血として、君の父親が製造メーカーに売っていたんだろう。つまり、俺がこの歳まで生きられたのは、紫乃さんのおかげでもあるんだ」
「そして今度は夕花ちゃんの協力があれば、白夜を助けられるわ! そのかわり、貴方のお母様と同じように注射器で血を抜かせてもらうことになるけれど……」
「わ、私の血なら、いくらでも抜いてください!」
「だが夕花にそんなことはさせられない」
「いいえ、私は白夜さんを助けたいんです」
「君のお母さんのように体が弱ってしまうかもしれないだろう!」
「大丈夫、そんなに大量の血は必要ないわよ。たった一人分の血液製剤を作るためだもの。200㎖程度あれば、白夜も今の危険な状態から脱する。とりあえずはそれでじゅうぶんだし、それ以降は数年に一度で足りるわ。通常の献血より少なくて済むし、夕花ちゃんの今の健康状態なら、それくらいなら問題ないはずよ」
「はい! お願いします!」
「……夕花、すまない。結局君の父親と同じようなことを強要してしまって……」
そう言う白夜に夕花は首を横に振る。
「いいえ、私が白夜さんのためにしたいだけなんです。私は貴方と一緒に、これからもずっと生きていきたい。私にも支えさせてくださいって、さっきも言ったでしょう」
「ああ……ありがとう、夕花」
そして、鹿代子は夕花の血を抜き、すぐに血液製剤を作ると白夜に服用させた。
途端、それまでベッドからまともに起き上がれなかった白夜は驚くほどの速度で回復した。顔色もよく、夕花を抱え上げられるほど元気になり、その日のうちに退院して家に帰ったのだった。
「ご主人、夕花様、おかえりなさい!」
「ああ、亘理、待たせたな」
「亘理くん、ただいま!」
白夜は微笑んで、夕花と亘理を一緒に、ぎゅうっと強く抱きしめたのだった。