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5章 青の幻羽⑤

 祖母は烈火のように怒り、愛菜たちに怒鳴りつけた。


「お前たちは屋敷からも出て行かせます。何一つ持ち出すことは許しませんよ!」


 愛菜はその言葉に眉を顰めた。


「で、出て行けってなによ! 家は父様のものでしょう!」

「いいえ、あの屋敷は結婚する紫乃のために、わたくしが用意させたもの。つまり、紫乃亡き後、屋敷の持ち主は夕花です!」

「う、うそよっ!」


 愛菜は叫ぶが、父は黙って俯く。その態度から祖母の言葉が真実だとわかったのか、愛菜はへなへなと座り込んだ。


「その指輪をいつまでつけているの! 返しなさい!」 


 座り込んだ愛菜に、祖母が指輪を取り返そうと掴みかかる。


「何すんのっ、このババア! わたしに触んなっ!」


 愛菜はお嬢様とは思えない悪態を吐き、祖母を突き飛ばした。


「お婆様、危ない!」


 夕花は慌てて吹き飛ばされた祖母に駆け寄り、体を受け止める。

 愛菜は夕花と祖母に向かって、ソファのクッションやその場にあるものを手当たり次第に投げ付けた。

 そのバタバタした音に紛れながら、不意に背筋がゾッとするような声が夕花の耳に届いた。


「お前さえ……いなければ……」


 視界の隅で、ギラッと何かが照明を反射した。そのおかげで、いつのまにか扉が開いていたことに気が付いたのだ。夕花たちが入ってきた方ではない。応接室の奥、給湯室に繋がっているらしき扉。


 ──そこに、この場にいないと思っていた後妻が立っていた。


 夕花はヒュッと息を吸う。

 光を反射させたのは、その手に持っている包丁だ。

 おそらく、給湯室でお客様のための菓子や果物を切るための包丁なのだろう。後妻は応接室にいなかった。父が後妻を娶ったことは祖母には秘密にしていただろうから、当然立ち会えるわけがない。夕花が愛菜を目撃したときも父と二人だった。それで後妻はこの会場に来ていないと思い込んでしまっていたのだ。しかし、彼女はこの応接室の給湯室に最初からいて、話を聞いていたのだろう。


「……何もかも、紫乃のせいよ。私の男を奪って、私より先に子供を産んで……全部、私のものだったのに!」

 後妻は般若の面のような顔をして駆け寄り、逆手に持った包丁を夕花と祖母に向かって振り下ろす。

「夕花!」


 白夜が名前を呼ぶのが聞こえた。

 しかし白夜とのたった数歩の距離が、今はあまりにも遠い。

 避けようにも、祖母を支えていては逃げられない。せめて祖母の盾になれるよう、祖母を抱きしめ、ギュッと目を閉じる。

 その瞬間、ガキンッと金属を叩いたような音がした。

 いつまでも体に痛みは訪れない。

 おそるおそる目を開くと、夕花と祖母を庇うように白夜が立っているのが見えた。包丁は離れた壁に深々と突き刺さり、ビィンと揺れている。

 後妻は白夜の足元に、這いつくばるようにして倒れていた。


「びゃ、白夜さん……」

「よかった。間に合ったよ」


 白夜は振り返り、夕花に微笑む。紅色の瞳が光っていた。


「そ、それは、吸血鬼の異能の力ですか」


 祖母は言い、白夜は頷く。


「はい。夕花を守るため、念動力を使いました」

「ですが、貴方は夕花に生命力を譲渡していたばかりのはず。そんな状態で異能を使うのは相当な苦痛を伴うのでは」


 それを聞いて夕花は目を見開いた。


「そんな……白夜さん……!」


 確かに今の白夜は色素の薄い顔からさらに血の気が引き、足元がふらついている。


「夕花を守るためなら、俺は何だってします。俺の愛する人なんですから」


 その時、扉から警杖を持った衛士たちがなだれ込んできた。さっき、白夜が気絶させた衛士が目覚めて、仲間を呼んだのだ。


 応接室が狭くなるほどの人数がいて、夕花たちはあっという間に囲まれてしまった。


「青波様、ご無事ですか! すぐにお助けします!」


 警杖が白夜と夕花に突きつけられる。


「何をするのです! その子たちはわたくしの孫の夕花と、命の恩人ですよ。捕まえるのはそっちです!」


 祖母が一喝し、呆然と座り込む父たちを指差した。衛士はポカンとして、父たちと夕花たちを見比べた。


「ど、どういうことでしょう……」

「その者たちは、偽物の孫でわたくしを騙し、金銭を奪おうとした詐欺師です。しかも刃物まで持ち出し、わたくしが刺されそうになったところを、本物の孫たちが助けてくれたのですよ」

「そ、それは……も、申し訳ありませんでした!」


 祖母のおかげで警杖は下ろされ、夕花はホッとした。

 祖母が夕花の背中を撫でてくれる。


「ありがとう、夕花さん。わたくしはもう大丈夫です。白夜さんを支えてあげなさい。貴方の大切な人なのでしょう?」

「はい……!」


 夕花は目に涙を滲ませながら、祖母に大きく頷く。夕花は白夜のそばに向かい、杖のように体を支えた。


「なんで……どうしてよ……わたしとそいつの何が違うって言うの……」


 衛士から無理矢理に立たされ、連れていかれそうになった愛菜がそう呟いた。夕花に恨みがましい目を向けている。


「わたしだって父様の子なのに! 母様は夕花とその母親に父様を奪われたせいで、ずっと傷付いてきたのよ! わたしだって神楽家に来るまではお金がなくて、毎日ひもじくて、お下がりのボロい服を着せられてた。やっとわたしの番が来ただけじゃない! 持っているやつから奪って、何が悪いって言うのよ!」

「……愛菜、それは私も同じ。貴方に対して、どうして同じ父親の娘なのにこんなに違うのって、ずっと思っていたわ。貴方が綺麗な制服を着て、楽しそうに女学校に通うのを眺めながら、私は満足に食べられず、ぼろぼろの服で使用人以上に働かされて、稼いだお金まで取られて。その気持ちは痛いほどわかる。でも、貴方がやっていたこと、やろうとしたことは全然理解できない!」


 夕花の言葉に、愛菜はキイーッと獣のような甲高い声を出して暴れ、衛士に押さえ付けられた。そこには反省の色が見えない。ここまで言っても愛菜とはわかり合えないのだ。


「ゆ、夕花……これまですまなかった。愛菜もお前も、どちらも可愛い娘なんだ! 夕花……不出来な父を許しておくれ!」


 父は今さら夕花の機嫌を取るようにそんなことを言い出した。泣き笑いの顔でペコペコと滑稽なほど頭を下げる父に夕花は視線を向けた。


 夕花はずっと父に認められたかった。幻羽さえ出せれば、父は夕花を娘として扱ってくれると信じていた。しかし、今の父にあるのは保身だけで、そこに娘を思う愛など微塵も感じられない。大事にしていたはずの後妻や愛菜が衛士に連れて行かれそうになっているのに、そちらには何の反応もせず、いまさら夕花に媚びようとしている。


「お父様、これは全部、貴方のせいです。お父様の選択のせいで、たくさんの人が傷付けられたんです。私はそれが許せない。もう父親とも思いません。私の大切な人は、他にいます!」


 父は夕花の言葉に、どうしようもないとようやく悟ったのか、ガクリと肩を落とし、顔を床に向けた。そのまま衛士に連れていかれる。


 夕花の心臓はドクンドクンと激しい音を立てていた。

 愛菜に言い返したのも、父親に逆らったのもこれが初めてだった。しかし、悔いはない。今までにない、スッキリとした気分だった。


「……夕花、強くなったな」

 白夜がそう言ってくれて、夕花は泣きそうになりながらも笑顔を向けた。

「今も怖いし、心臓がバクバクしています。でも、私が成長できたのは、私をずっと支えてくれた白夜さんのおかげです」

「今は君に支えられているよ。……夕花がいてくれて助かった」


 確かに足元がふらつく白夜を支えている。


「これからも、少しくらいは私に支えさせてください」


 白夜は優しく微笑み、頷いたのだった。 

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