5章 青の幻羽①
五章
白夜は本当に何もせず、ただ夕花を抱きしめて眠った。
次の日、朝から白夜は「気になることがある」とだけ告げ、どこかに出かけて行った。
「白夜さん……大丈夫でしょうか」
不安が心を占め、俯く夕花に亘理は微笑んだ。
「ご主人がああいう態度の時は任せておけば大丈夫です!」
「でも……」
「気にせず、気分転換を……と言いたいところですが、夕花様は考え込んでしまう性質ですからね。うーん、そうだ、クイズをしましょう! 夕花様、僕って何歳に見えますか?」
「え?」
思いがけない亘理の言葉に、夕花は目を瞬かせた。
「ほらほら、答えてください!」
せっつかれて、夕花は慌てる。
「え、ええと……十歳くらい、かしら。亘理くん、とても落ち着いてるし、家事も得意だからもっと上にも感じるけれど、手足がまだ細いから……」
そう答えた夕花に、亘理は両手をクロスさせた。
「外れでーす。僕は十三歳です。今年十四歳になります」
「ええっ!」
夕花の頬が朱に染まる。言動は確かにそれくらいに感じるが、見た目はそう見えないからだ。
「ご、ごめんなさい……」
「いいえ、この身長ですから、よく間違われますし。実は僕、白夜様に助けてもらったんです。長くなるけど、聞いてくれますか?」
亘理は穏やかな顔で話し始めた。
「僕の両親は、父は一般人で母が吸血鬼の、駆け落ち夫婦だったんです。生まれた僕のこともすっごく愛してくれました。初血も多めに飲ませてもらったみたいで、そのおかげか蝙蝠に変身して飛ぶことだって出来ます! でも両親は病気で相次いで亡くなってしまい、僕は孤児になりました。この髪は目立つもので、まあそれなりに虐められたり、排斥されたり。それから体が小さいせいで働く場所も見つからず、まあちょっと悪い人の仲間に入りかけてました。蝙蝠に変身できるのがバレて、強盗の下見役にされそうになったんです。逃げようにも、監禁されてしまって……」
夕花はその話を聞いて絶句した。
「強盗の下見先がこのお屋敷でした。僕は亡き両親に恥じるようなことだけはしたくないって思っていたんです。だから下見に行かされた時に、ご主人にワザと見つかって、僕のことを捕まえてくださいってお願いしたんです。そうしたら、ご主人は僕を使った悪い人を捕まえちゃいました。そして、そのまま僕を雇ってくれました。ね、ご主人はすごいでしょう!」
亘理はえっへんと胸を張る。
「慎さんも似たり寄ったりですよ。慎さんは男で一つで娘さんを育ててます。でも娘さんは幼い頃から肺に病気があって、治療費のために借金をしたそうなんです。その借金が膨れ上がって、どうにもならなくなった時、たまたま縁があったご主人が手を差し伸べたんだそうです。きつくてうんと大変な仕事を紹介する代わりに、娘さんを鹿代子様の病院で入院させたそうです。今は娘さんも健康を取り戻したし、借金も返し終わったんですって。それでも今度は娘さんの結婚費用を稼ぐためにって、夕花様の送迎以外にもいっぱい仕事を掛け持ちしてるそうですよ」
「そうだったのね」
「ご主人は、ちゃんと人となりを見てくれるし、困った人にはつい手を差し伸べてしまうお人好しな部分もあります。それ以上に、とっても頼れる人なんです。だから、夕花様の件でも何か気になることがあって、それを調べに行ったんですよ。きっと夕花様にためになるはずです。だから、安心して待っていましょう! 甘いものを食べて、お茶を飲んで、ご主人の帰りを待つのが今の夕花様の仕事ですからね!」
亘理に力説され、夕花は頷いた。
白夜を信じよう。そう思ったのだった。
夜になってようやく戻ってきた白夜から聞いた話に、夕花は目をぱちくりさせるしかなかった。
「……宮守様が、私のお婆様……ですか?」
まさか、という気持ちでいっぱいだった。母からもそんな話は聞いたことがなかった。しかし白夜を信じようと思ったばかりだ。
「ああ、間違いない。現宮守様の苗字は青波。歴史ある家柄で、しばしば青色の幻羽持ちを輩出する一族だ」
幻羽はそのほとんどが白であり、特別な異能の力はない。幻羽を出すこと自体が異能の力とされているくらいだ。
しかしごく稀に色付きの幻羽を持つ人間がいる。色付きの幻羽持ちは、守護、肉体疲労の軽減、精神への癒しといった異能を持つのだという。そして色付きの幻羽持ちは遺伝するのだと教えてくれた。
また、代々の宮守はそんな希少な色付きの幻羽を持つ女性と決められている。都の守護のための結界の基が宮城にあり、宮守がそこに力を送ることで、結界を維持している。
幻羽族であるのに、そういった事情に詳しくない夕花は、白夜からそう説明をされた。白夜の元婚約者、千鶴の赤坂家も色付きの幻羽を多く輩出する一族だそうだ。
「で、でもお母様の旧姓とは違います。昔聞いたところによると、小早川だったかと……」
「ああ。調べたところ、青波様は一度結婚をし、娘を出産している。しかしその後、青の幻羽持ちであることから、宮守に就くことを求められ、離婚をして青波姓に戻ったようだ。結婚相手の姓は小早川。青波様の娘……君のお母さんは、そのまま小早川家で育てられたんだ」
「ほ、本当に……? でも、どうして……」
「一度宮守となったら、役目を終えるまで宮城からは出てはならない決まりだそうだ。帝の命を守る重要な役目だからね。役目の間は家族にも会えない。もしかすると、夕花のお婆様は娘さん、つまり夕花のお母さんを巻き込むようなことを避けたかったのかもしれない」
夕花はそれを聞いて不意に思い出した。かつて、亡き母から祖母の話を聞いたことがある。とても優しい人なのだと語ってくれた。夕花が会ってみたいと言ったら「それは難しいわね」と悲しそうに微笑んでいた。てっきり、夕花が羽なしだから会わせられないという意味だと思い込んでいたのだが──
「でも、どうして急にそんなことを調べたのですか?」
「昨日の愛菜の様子が気になってね。渡した金を返させる話をしても平気そうだった。それまで手を出さなかった君に、急にちょっかいをかけてきたのも気になる。……つまり、大金が入ってくるあてがあるんじゃないかと思ってね。そこで調べたら宮守を退任する青波様に繋がったというわけだ」
夕花にはどうするつもりかわからないが、宮守という大役を務めていた人であればかなりの財産があるだろう。愛菜はそれを何らかの方法で狙っているのかもしれない。
「夕花、青波様に会ってみたいか?」
「お婆様に会えるのですか⁉︎」
「……実際に会えるかはわからない。ただ、宮守の交代の儀が近々行われる。月森家当主の婚約者としてなら夕花も出席することは可能だ。遠目に見るだけで終わるかもしれないが」
「あ、会いたいです……! 見るだけでも構いません」
「わかった。普段は招待されても、こういう公式行事は欠席するんだが、今回は出席することにしよう」
「白夜さん……ごめんなさい。私、ご迷惑ばかりかけてしまって……」
「何を言うんだ。俺が夕花を喜ばせたいだけなんだから」
白夜は夕花にまた新しい着物やドレスを用意してくれた。
「こ、こんなに……まだ袖を通していない着物もたくさんあるんですよ。ほら、こないだの鹿代子さんの誕生日パーティーのドレスだって……」
「だが交代の儀は正式な式典だ。出席者も昼用の正装になる。こないだのは夜用のドレスだったからね」
そう説明され、夕花も納得した。
しかし白夜が用意してくれた着物やドレスが大量にあり、眉を寄せた。
「それにしても多すぎます。式典って何日もあるのですか?」
「いや、一日だ」
「で、では、一枚でいいのではないでしょうか」
「……俺が夕花に用意したかったんだ。どれも似合うと考えたら、選べなくなってしまった」
夕花はそれを聞いて頬を染めた。
「この振袖の花の模様は夕花に似合う。色はこっちの方が似合うと思うが、合わせる帯が難しそうだ。それにドレスもいい。君は華奢だから、膨らんだ袖で、柔らかい生地のドレスが似合うと思って、それから──」
白夜は買った着物やドレスのどこがどう夕花に似合うか、一枚一枚説明を始める。夕花はだんだんこんがらがり、頭を抱えた。当日の着ていく着物を選ぶのに、とんでもない時間がかかってしまったのだった。
交代の儀、当日。
その日は祝日となり、代書屋だけでなくほとんどの店は営業自粛を求められていた。おかげで夕花は代書屋の仕事を休むことなく、交代の儀に出席できたのだった。
交代の儀が行われる会場は、宮城の敷地内にある洋風の会館である。夕花は初めて宮城内に足を踏み入れた。白夜の屋敷や、鹿代子の屋敷とも雰囲気がまったく異なる巨大で荘厳な建物は、夕花一人ならば臆してしまい、入ることすら難しかっただろう。
しかも、白夜が懸念していた通り、広い会場の後ろで隅の方の席だった。
招待された立場とはいえ、幻羽族の嫌う吸血鬼であるからなのかもしれない。夕花の周囲は吸血鬼の人に多い色素の薄い人々ばかりだった。
そして、前方の席は幻羽族らしき人々で固められているようだ。
目一杯背伸びをして、ようやく人の頭の隙間から見えた宮守はヴェールを被っていて肝心の顔が見えなかった。
帝も御簾の奥で姿を現さない。
「やっと見えましたが……顔は見えないですね」
「式典でも顔は出さないのか。夕花、せっかく来たのにすまない」
「いえ、こんな立派な式典に参加出来ただけで光栄ですから」
「そう言ってもらえると助かる」
白夜は微笑んで夕花の頭を撫でる。人が多くて緊張していたが、それだけで強張っていた体から力が抜け、ホッとしたのだった。
式典は途中で音楽の演奏や舞の披露、幻羽族の偉い人のスピーチなどが挟まり、夕花は長い式典に疲れてしまった。
「ちょっと休憩をしてもいいでしょうか」
式典の第一部が終わったところで、夕花は白夜に断りをいれて席を立った。
「ああ、途中まで俺も行こう」
ちょうど区切りがついたこともあり、会場ロビーは人々で賑わっていた。白夜と別れてお手洗いに向かった。
用を終えてロビーに出たが、人が多く白夜の姿が見当たらない。キョロキョロしていた夕花の目に、愛菜が綺麗な振袖を着てこちらに向かってくるのが見えた。おそらく父も招待されており、愛菜と一緒に参加しているのだろう。愛菜とはまだ距離があり、夕花には気付いていないようだ。しかし、彼女もお手洗いに向かう途中らしく、このままでは進行方向にいる夕花にいつ気付いてもおかしくない。
夕花は顔を背けたまま、ロビーの端の細い廊下をさっと曲がる。
物理的に視界が遮られ、夕花はホッと息を吐いた。
混雑したロビーとは異なり、この細い廊下には人気がない。先ほどからずっと感じていた疲労感が人酔いのせいもあったのだろう。人の少ない場所でようやく楽になってきた。
「そこの娘、ここは立ち入り禁止だ」
壁に寄りかかり、ゆっくり呼吸していると、突然そんな声をかけられ、夕花は肩を震わせた。
「す、すみません!」
この会場を巡回していた衛士たちの姿に、夕花は反射的に頭を下げた。
「立ち入り禁止の札が見えなかったのか?」
「み、見落としていたようです……」
愛菜から隠れようとするあまり、立ち入り禁止の札に気付かなかったのだ。
衛士は不審げに夕花をジロジロ見てくる。
「本当か? まさか新しい宮守様を探りにきたのではあるまいな」
「あ、あの……ち、違います……」
大柄な衛士二人に睨まれ、夕花は萎縮した。かつて、橋門を抜ける際にこうやって問い詰められたことを思い出してしまったのだ。それが却って怪しい態度に見えてしまったのかもしれない。衛士がジリジリ距離を狭めてくる。
「では何故そんなにも狼狽える? やましいことがあるのではないか?」
「つ、連れと逸れてしまって、探していただけなんです」
「それだけで立ち入り禁止区域に入り込むはずがないだろう! 嘘をつくな!」
怒鳴られて夕花は涙ぐむ。
衛士は夕花に警杖を突き付けた。刃物ではないとはいえ、恐ろしさに震える。
「本当に……そんなつもりは……も、申し訳ありません……どうかお許しを……」
「やはり怪しいな。どこの家の者だ。身分を証明するものは?」
夕花は血の気が引いた。
月森家の名前を出したら白夜に迷惑がかかってしまうかもしれない。言っていいものだろうか。逡巡する夕花を、衛士はまたもや怒鳴りつけた。
「おいっ、出せないのかっ!?」
「──そんなに威丈高に言うのはおよしなさい。若いお嬢さんではありませんか」
その時、穏やかな年配の女性の声が割って入ってくれた。
「ですが……我々もこれが職務ですので」
「もちろんわかっていますよ。でも、怒鳴る必要はないでしょう」
「は、はあ……申し訳ございません」
彼女はかなり偉い人なのか、衛士の態度が改まったのを感じた。
と、そこに白夜の声が聞こえた。
「申し訳ありません。彼女は月森家の縁者です」
白夜は急ぎ足で現れ、夕花を庇ってくれる。おそらく身分を証明するものを見せたのだろう。衛士の態度はすぐに軟化した。
「……行ってよし。立ち入り禁止区域には気をつけなさい」
「は、はい。すみませんでした」
夕花は深々と頭を下げた。
「お連れの方とと会えてよかったわね」
「あ、ありがとうございました……」
顔を上げると、穏やかそうな老婦人と目があった。優しそうな笑みを浮かべてくれる。
彼女は立ち入り禁止区域の奥に消えていった。
「そろそろ第二部が始まるのに君が戻ってこないから探していたんだ」
「す、すみません。愛菜がいたので見つからないように隠れたら、立ち入り禁止の場所だったみたいで……」
「そうだったのか。ところで今の女性は?」
「私もわからないのです。怒鳴られていたところを庇ってもらいました」
「立ち入り禁止区域に向かっていたし、案外、今の人が夕花の祖母かもしれないな」
白夜のそんな冗談に、夕花は微笑む。
「ふふ、そうだったらいいですね。優しそうな方でしたから」
「それじゃ、会場に戻ろう」
「はい」




