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4章 忍び寄る悪意②

 一度は勢いに押し切られたが、やっぱりよくないのでは。夕花はそう思い、早紀を止めようとしたのだが、早紀は慎が待っている方へと、あっという間に消えていってしまった。


 戸惑っていた夕花も心を決め、急ぎ足で久しぶりの上山手区の方角に向かった。

 歩きながら、夕花は胸の昂りを感じていた。

 諦めていた母の形見を、手に入れられるかもしれない。

 泥棒のようにコソコソ入るのは気が引けたが、夕花は神楽家の娘であることに変わりはない。

 それに金銭を盗むわけではない。いつ捨てられてもおかしくない古い写真がなくなったところで、愛菜は気付きもしないだろう。

 そう自分に言い聞かせ、橋門を渡って上山手区に入る。古びた着物を着ていた頃には、門を通るだけで衛士に睨まれたものだが、白夜が選んだ高価な着物姿の夕花に、衛士はにこやかに会釈までしてくる。

 その違いに複雑な思いを抱えながら、夕花は足を急がせた。


 久しぶりの神楽家に到着し、緊張に唾をゴクリと飲み込む。長らく存在しない者として扱われていた夕花だが、それでも近所にくらいは夕花の存在を知る人もいるかもしれない。なるべく見られないようにとコソコソしながら屋敷の中に入った。

 心臓がバクバクと嫌な音を立てている。屋敷内はシンと静まり返っていて、早紀の言っていた通り、留守にしているようだ。

 夕花はおそるおそる愛菜の部屋に入る。元は和室だが、洋風にしたいとわがままを言った愛菜の要望で、絨毯が敷かれ、ベッドや洋箪笥でそれらしくしてある部屋だ。


 早紀が教えてくれた通り、室内に愛菜はいない。ホッとして、押し入れを開けた。

 どこにあるのだろうか。早紀の言い分ではすぐにわかるかと思ったのだが、それらしいものは見当たらない。

 上の方にある箱がそうなのだろうか。

 夕花は背伸びをし、箱に向かって手を伸ばした、その瞬間。


「ゆ、う、か、ちゃん」


 聞き覚えのある声がして、夕花の心臓が一際大きく跳ねた。

 バッと勢いよく振り返ると、そこにいたのは九郎だった。いるはずのない九郎の姿に、夕花は目を見開いた。


「く、九郎くん……? ど、どうして」

「何してるのかな? 空き巣?」


 九郎はニヤニヤした笑いを浮かべて立っている。


「なーんてね、母親の形見を探しに来たんでしょ? あるはずないよ。あれ、早紀さんの嘘だから」

「う、嘘……そんな」


 クラッと血の気が引く。

 九郎は夕花の肩をガッと強く掴んだ。痛みに夕花は眉を寄せる。


「痛っ!」

「夕花ちゃん、綺麗になったよね。前は地味で陰気で、おまけに見窄らしくてさ、馬鹿みたいに騙されやすくて金を渡してくれる以外、いいとこなかったけど。あ、騙されやすいのは今も同じか」


 ははっと乾いた笑い声が響く。


「は、離して……!」


 九郎は離すどころか、よりいっそう夕花の肩を掴む手に力を込める。


「夕花ちゃんさ、こないだ、俺と愛菜の話を聞いてたよね? あ、こないだじゃわからないか。君が嫁いでいった日のことだよ。あの時、見たんでしょ? 俺と愛菜がキスしてるとこ。それでショック受けたんだよね。扉を開けっぱなしにしてたの、俺が閉めてやったんだから感謝して欲しいな」

「な、何言ってるの……?」

「その高そうな着物も旦那に買ってもらったの? ふうん、旦那さんさ、毎晩可愛がってくれる?」

「……なっ……!」


 一瞬意味がわからなかったが、下世話な話をされていると気付き、カッと頬に朱がさした。


「へえ、初心な反応するじゃん。愛菜って結構遊んでてさ、キスだって俺が初めてじゃなかったんだ。夕花ちゃんのそういう反応、可愛いかも」

「も、もうやめて……!」


 九郎を振り払って逃げたかったが、身じろいだ拍子に、腕まで掴まれてしまった。

 九郎は夕花を引き寄せ、耳元で囁いた。


「だからさぁ、夕花ちゃんって、俺のことが好きなんだろ? ねえ、してほしいって言うなら抱いてやってもいいよ?」


 途端にゾワッと全身に鳥肌が立つ。


「気持ち悪い! 触らないで!」


 夕花は掴まれていない方の手を胸の前に持って行き、必死に身を守ろうとした。

 それを見て、九郎は冷めた声を出した。愛菜と二人で夕花を馬鹿にしていた時と同じ声だった。


「あーあ、傷付くな。うんって言ったら優しくしてやったのにさあっ!」

「きゃあっ!」


 夕花は九郎に引きずられ、愛菜のベッドに放り投げられていた。背中を打ち付け、息がグッとつまる。一瞬、抵抗が緩んだ拍子に着物の襟を力尽くで引っ張られていた。着物の合わせが開き、夕花は弱々しい悲鳴を上げることしかできなかった。


「い、いやあっ……!」


 九郎は夕花の上に馬乗りになり、舌舐めずりをしている。


「すげー高そうな着物。高いやつって、こんなに強く引っ張っても破けたりしないんだ」


 九郎は夕花をいたぶるように、片手で軽々と両手を押さえ付けた。夕花は必死に足をばたつかせて九郎を蹴飛ばすが、九郎はニタニタと笑うだけだ。


「夕花ちゃんって、見かけによらずお転婆なとこあるんだね。でも残念でしたぁ。ぜーんぜん、痛くないよ」


 夕花の乱れた着物はかろうじて帯は残っていたが、襟や捲れ上がった裾から素肌が見えてしまっていた。九郎は空いた手で夕花の脚を撫でる。羞恥はもちろんのこと、恐怖と気持ち悪さで真っ青になりカタカタと震える。目に涙が浮かび、自らの震えで零れ落ちてしまいそうだった。


「その泣き顔もグッとくる。──でも、そろそろかな」


 不意に顔を上げ、何か音を確認した九郎は夕花を押さえる手を外した。


「よいしょっと」


 夕花の体を強引に掴み、引っ張り上げた。

 当然ながら無理な動きで、夕花は九郎の上に乗り上げる形になる。


「な、なにを……」


 その時、バン、と扉が開く音が夕花に聞こえた。そのタイミングを見計らったように九郎は大きな声で叫んだ。


「夕花ちゃん、こんなことやめてくれ!」

「え……?」


 何が起こったのか、混乱した頭では理解出来ない。


「キャーッ!」


 愛菜の甲高い悲鳴で夕花は我に返った。


「ま、愛菜……なんで……ここに」

「わたしの部屋でなんてことをしてるのよっ!」

「夕花ちゃんが、抱いてくれって迫ってきたんだ。俺、こんなことダメだって何度も言ったのに、無理矢理……!」


 九郎はドンッと夕花を突き飛ばし、逃げるような仕草でベッドから這々の体で転がり降りた。


「いえ、あたしが悪いんです! 今日ご家族が全員いなくて、九郎さんが留守番をしてるって、夕花様に教えてしまったせいなんです!」


 早紀の声も聞こえる。しかしそれだけで終わらない。


「……夕花……」


 その声に、夕花は感電したようにビクッと震えた。


 ここにいるはずのない人、聞こえるはずのない声──白夜の声だった。


 そして、何が起こっているのか、夕花はようやく察していた。

 夕花は騙されたのだ。

 早紀に、九郎に──そして愛菜に。


 夕花は乱れた着物姿の己をかき抱いた。白夜からは、夕花が淫らな格好で九郎に迫っているように見えたはずだ。早紀と九郎を使い、愛菜が夕花を陥れるために仕組まれた罠だとも知らず、夕花はあっさりと騙されてしまったのだ。


「姉さん、信じられない! 仕事だって言って、町で男と遊んでいるって噂は聞いたことがあったけど、本当だったのね!」


 愛菜は大声でそう言いながら、口元がニヤついている。


「前々から、夕花ちゃんに好きだって迫られて、困っていたんだ。俺は愛菜のことが好きで、夕花ちゃんのことはただの幼馴染としか思えないから無理だってずっと言ってたのに……まさかこんなことをするなんて」


 九郎は顔を覆い、これまで散々夕花を騙した演技力でそう言った。


「この人、綾地町でも男の客とおしゃべりするのを働くって言ってるんですよ。あたし、見ましたから。代書屋で男の客にだけコナかけてました」


 早紀も、夕花を指差して平然とそんな嘘を言う。

 愛菜は白夜の腕に抱き付いた。


「白夜様、姉さんが申し訳ありません……! でも、わかったでしょう。姉さんはこういう人なの。嘘つきの淫乱で、月森家には相応しくないんです。悲劇のヒロインぶってあることないこと吹き込んだかもしれないけど、わたしはむしろ姉さんに迷惑をかけられてきた側なんですから」


 違う、と言おうとしたが、夕花の体は震えており、ろくに声が出なかった。

 涙が込み上げ、しゃくりあげることしか出来ない。

 白夜に嫌われてしまう。そう思うと夕花は血の気が引いていく。

 もう我慢出来なくなった涙がとうとう決壊し、頬を伝った。

 嫌われてしまう。白夜から軽蔑されてしまうのだ。思えば思うほど、否定する言葉は出ず、涙ばかりが転がり落ちる。


「ほら、言い訳もしないもの。認めたも同然よ。ひどい姉さんね。売女みたい。きっと母親に似たんだわ。幻羽が出ないのも、純粋な幻羽族じゃないからじゃないから。つまりね、母親がよその男と不義密通でもして──」

「……気持ちが悪い」


 黙っていた白夜は眉を寄せ、とうとうそんな一言を漏らした。

 その言葉に夕花はビクリと震えた。愛菜はニヤッと笑い、白夜の腕にますます体を押し付ける。


「気持ちが悪いと言っているだろう。その薄汚い手を離せ!」

「えっ!?」


 白夜は愛菜の手を強引に振り払った。そして愛菜のベッドに蹲ったままの夕花のもとに駆け付けると、着ていた上着を脱ぎ、夕花にかけてくれた。


「……夕花……こんなに泣いて……可哀想に」


 肩に白夜の温もりを感じる。夕花は散々泣いたにもかかわらず、涙がじわっと浮かんでいた。


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