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プロローグ

 プロローグ

 

「──昔々、この日天の国では、人々が長いこと戦をしていました。争いはいつまでも終わることがなく、たくさんの人が毎日泣いていました」


 日当たりのいい部屋で、畳の上に散らばったおはじきが太陽光を反射させ、キラッと輝いている。それを見つめながら、夕花は母親の話に耳を傾けていた。


 母親の膝には、ノートが開かれている。これは夕花の教科書だった。母親は体が弱く学校に行けない夕花のために、自作の教科書で字の読み書きを教えてくれているのだ。内容はこの国、日天国の歴史を子供向けに噛み砕いたものである。

 母親は、きっちりと記した文字を指でなぞりながら読み上げる。


「ある時、天上から強大な力を持つ神様と、色とりどりの羽の生えた天女たちが舞い降りてきました。神様は人々の戦を止め、天帝と名前を変えて日天の国を導いていくことにしたのです。そして、天女たちは癒しの力で天帝の心身を護りました」

「お母様、私知ってるよ。私たちが天女の末裔なんでしょう?」


 夕花がそう言うと、母親は優しく微笑んだ。


「ええ、そうよ。私たちの家がある天都には、今も天帝の子孫である帝がいらっしゃるの。そして、天女の子孫の中でも特に強い力を受け継ぐ人を宮守と呼ぶのよ。宮守は帝の住う宮城と、天都一帯をその力で守護してくれているの。ずうっと、朝も昼も夜も……何十年もね。そして天女の血を引いている私たちには羽がある。ただ、地上では羽があっても体が重くて飛ぶことは出来なかったそうよ。飛べないのに羽があると、服が着られないし邪魔になってしまうから、天女は羽を体の中に仕舞うことにしたのですって。でも、天女である証を示すために、力を使うときには幻羽と呼ばれる幻の羽を出すことにしたそうよ。だから、私たちは幻羽族と呼ばれているの」

「ねえ、お母様の羽が見たい」


 夕花が母親にねだると、母親は頷いた。

 突然、何もなかった背中に、バサッと白い羽が現れた。幻羽と呼ばれるだけあって、触っても何の感触もなく、伸ばした夕花の手は空を切る。


「わあ、綺麗」


 触れられないのは残念だったが、柔らかな日差しに真っ白な羽が煌めいていて、何度見ても美しい。しかし自らの羽を見つめる母親の顔は浮かない。


「……随分と褪せてしまったわ……」


 目を伏せ、悲しげな母親に、夕花も眉を下げた。


「お母様……どうして悲しいの? 私が羽を出せないから?」


 夕花は小さな拳を握り込む。

 両親は共に幻羽族である。なのに夕花は羽を出せなかった。

 幻羽族であれば遅くても五歳頃までに羽を出し、しばらく練習すれば任意で幻羽を出したり引っ込めたり出来るようになるそうだが、夕花はもうすぐ七歳になるのに、一度も羽を出したことがなかった。


「わ、私が羽を出せないから、お母様は……」


 言いかけた夕花は喉がグッと詰まり、ケホッと咳き込んだ。しばらく咳が止まらず、苦しさに涙ぐむ。


「夕花……!」


 母親が背中を撫でてくれたおかげで、少ししてようやく咳が止まった。


「違うのよ。夕花はお母さんの子なんだから、きっと羽が出せるわ。でも、夕花は体が弱いから普通の子より遅れているだけなの。お母さんも幻羽が出たのは少し遅かったから、大丈夫よ」


 母親にそう諭され、夕花はコクンと頷く。


「ねえ、もっとお話をして」

「でも咳が……先にお薬を飲んだ方がいいわ」

「咳はもう止まったもん」

「ダメよ、お薬を飲んだら続きを話してあげるから」


 母親は水の入った吸飲みと、紙袋から紙片に包まれた薬を取り出す。苦くて嫌いだったが、これを飲まないと、咳は何度となくぶり返すのだ。

 夕花は眉を寄せながら、苦い薬を舌に乗せて水と共にゴクリと飲み下した。


「ちゃんと飲んだよ」


 夕花は母親の着物の袖をクイッと引っ張る。


「うん、偉いわね」


 母親はそんな夕花の甘えた仕草に微笑みを浮かべ、夕花の頭を撫でた。その手には大きな宝石がついた指輪を輝いている。青と紫の二色が混ざり合っている美しい宝石がついた指輪だ。母親は宝物として、この指輪を大切にしている。いつか夕花が大人になったら、この指輪をくれると約束していた。


「それじゃあ、次のお話ね。この天都には三種類の人がいます。帝は生き神様だから、人とは別よ。さあ、わかるかしら?」

「ええと、私たち幻羽族と、幻羽族じゃない人と……」


 夕花は指折り数えても二種類しかわからなかった。夕花は細い首を傾げる。


「そうね。私たち幻羽族と羽を出せない普通の人たち、それ以外には、吸血鬼と呼ばれる人たちがいるの。彼らは、天帝や天女が天から降りてきたずっと後に、外つ国からやって来て、日天国に住むようになったそうよ」

「外の国の人ってこと?」

「今は日天国に帰化したから、私たちと同じ日天国の人よ。大体百年くらい前と言われているわ」


 百というのが、幼い夕花にとっては、とてつもないほど昔なのだというくらいしかわからない。手の指も足の指も全部使って二十しかないのだ。


「百年……すっごく昔! 私が五人いないと数えられない!」


 夕花がそう言うと母親はクスクスと笑った。


「ねえお母様、吸血鬼っていうことは、その人たちは血を吸うの?」

「……そう伝わっているわ。吸血鬼は特に幻羽族の若い女性の血を好むのですって」

「怖い……」


 母親の言葉に夕花は震え上がる。


「大丈夫、家にいれば安全よ。でも外に出る時は気をつけなさいね。特に夜は危険だから」

「出ないよ。だって、外に出たらお父様に叩かれちゃうもん。夕花は庭までしかダメだって」

「……そうだったわね」


 母親は悲しげな顔で夕花を撫でた。

 そんな時、父親が母親の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

 ギクリと母親の肩が強張ったのが夕花の目にも見える。


「夕花、お父様がいらっしゃったから、お勉強はここまでよ。隣の部屋に行っていて」

「う、うん……」


 夕花が隣にある自室に移動し、襖を閉めた瞬間、父親が室内に入ってきた物音が聞こえた。

 父親は夕花を嫌っていた。夕花が一度も羽を出したことがないせいだ。そのため、母親はなるべく夕花が父親に叩かれたり叱られたりしないよう、こうして遠ざけてくれていた。


「──おい、今月の分を」

「はい……」


 夕花は父親に見つからないようにそっと襖の隙間から隣の部屋を覗いた。

 父親は注射器を持っている。そして母親の細い腕に注射針を刺して血を抜くのだ。

 どうしてそんな痛そうなことをするのかわからない。夕花が母親に尋ねても悲しそうな顔をするだけで教えてくれなかった。


「よし、ほら今月の分だ」

「ありがとう……ございます……」


 父親は母親に何か紙袋を渡し、去っていった。


「お、お母様……」


 夕花が襖を開けると、血を抜かれた母親は、ただでさえ白い顔をますます白くして座り込んでいた。


「ねえ、今の──」

「な、何でもないのよ」


 母親は父親が置いていった紙袋をサッと後ろ手に隠した。それは、いつも夕花が飲んでいる、咳の薬の入っている紙袋に似ている気がした。


「ほら、夕花。さっきの話が書いてあるノートで復習しましょうね」

「う、うん……」


 母親は微笑んで夕花の頬を撫でる。

 しかしその指は、さっきよりずっと冷たかった。

 

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