9話:お嬢様は愛情というものが何か掴みかけております
オウレリアは婚約者のカリオンのためにクッキーを焼いた。それを知ったフィーリアは、身勝手な感情で二人の間に割り込もうとした自分を恥じた。
手にしたクッキーは菓子職人が作ったものに比べれば確かに形も悪く焦げ過ぎている。だが、これにはオウレリアの愛情がこもっている。どんな豪華で美味な菓子より価値があるものだ。
フィーリアは、自分で菓子を作ろうなどと思ったことすらなかった。不慣れな自分が作るよりプロに任せた方が効率が良いからだ。そんなことはもちろんオウレリアも知っている。
それでもカリオンのために何かしたいという想いの結晶がこのクッキーなのだ。そう考えると、焦げたクッキーがものすごく希少で尊いものに思えてきた。
手にしたクッキーをひとくち嚙る。
すると──
ジャリッ
何らかの硬い物質が入っていた。
恐らく卵の殻だろう。
それだけならまだ良い。
有り得ないほど塩辛い。
砂糖と塩を間違えたのではなく、小麦粉と塩を間違えたのでは?というレベルの塩加減。そして、焦げた部分は何故かニチャニチャしていていつまでも口の中に残っている。
こんなものをカリオンが食べたら、妹の心証が悪くなってしまう。咄嗟にフィーリアは壁際に控えるエリルとミントに目配せをした。その視線を受けた二人は小さく頷き、すぐに行動を開始した。
カリオンが食べる直前に普通のクッキーに入れ替えるのだ。
普通のメイドには出来ない芸当だが、彼女たちならば可能。まずはミントがテーブルの上に並べられた他の菓子の中から似た形のクッキーを探し出し、わざと削って歪にし、更にチョコを擦り付けて焦げを演出。すり替え用のクッキーを準備する。この間わずか五秒。
そのクッキーを受け取り、エリルは気配を消してカリオンの腰掛けているソファーの裏に忍び寄った。
今にもカリオンはクッキーを口にしようとしている。口に入る直前を狙い、エリルが代わりのクッキーを素早く入れ替えようと手を伸ばした。
しかし、その手は何者かに阻まれた。
カリオンの従者の青年、カラバスだ。
彼はエリルの手首を握り、そっと壁際へと彼女を誘導した。
「なにをなさいます」
「失礼。坊っちゃまの命令ですので」
「アレを食べさせるおつもりですか」
「無論、覚悟の上です」
鼻先がくっつくほど顔を寄せ、周りに聞き取れないほど小さな声で話すエリルとカラバス。
すり替えは失敗した。フィーリアは口の中に残る苦味と塩辛さと戦いながら、オウレリアとカリオンの様子をただ見守るしかない。
ついに、カリオンが魔のクッキーを口にした。
「……美味しい!」
「まあ、ほんと? カリオン様」
「うんっ、これ全部食べていい?」
なんと、カリオンは一度も顔を歪めることなく、美味しそうに食べている。五分もしないうちに皿はカラになった。
「オウレリア、また作ってくれる?」
「もちろんですわ!」
何故あのようなものを平然と食べられるのか。
茫然とした様子のフィーリアの視線に気付いたカリオンが、一瞬だけいつもとは違う蠱惑的な微笑みを浮かべてみせた。
それを見て、無邪気な子どもだと思っていた少年が立派な紳士であることに初めて気が付いた。
「……カリオンは、オウレリアが作ったものならば何でも嬉しいのね」
「好きな人が自分のために作ってくれたお菓子ですから何物にも代え難いのでしょうね」
今回のお茶会で、フィーリアは何かを掴みかけていた。
そして……
「くっ、あの男……わたしの動きを止めるなんて。次は負けない……!!」
エリルはカラバスに妙な対抗心を燃やしていた。