62話:隣国の王子は男爵令嬢を逃がさない 1
「殿下、なんだか嬉しそうですね」
「うん? そうだな、そうかもしれん」
大聖堂での結婚式直後は沈んでいたが、披露宴が終わってからは何故か機嫌が良い。短時間で纏う雰囲気が変わったローガンに疑問を抱き、ヴァインは首を傾げた。
「おまえもスッキリした顔をしているな?」
「そうかもしれません」
ここ数日、護衛のヴァインが思い詰めた様子だったことにローガンも気付いていた。しかし、彼も少し離れている間に何処か変わったようだった。
「あー……女性に人気の恋愛小説があるそうだが、おまえは読んだことはあるか?」
「興味あるように見えます?」
「ははは、似合わんな」
「殿下からそんな話が出ると思いませんでした」
***
連れがいないことで公の場ではどうにも居辛い思いをしていた二人は、約束通り控え室で再会した。
先に着いたローガンは、何故か暑い室温に参って上着を脱ぎ、ソファーの背もたれ部分に掛けた。まだ彼女は来ない。そわそわとした気持ちを抑えきれず、控え室の中で右往左往してしまう。
そんな時、小さく扉がノックされた。
返事をすると、昨日の令嬢がほんの少しだけ扉を開いて中を覗いてきた。入ってくるのを待つことが出来ず、サッと歩み寄り、扉を大きく開けて出迎える。
「あ、あの、……こんにちは?」
「畏まらなくていい。ここには他に誰もおらん。楽にしてくれ」
「は、はい。では、失礼します」
深々と頭を下げてから、令嬢は控え室内へと入った。しかし、ソファーには座らない。立ったまま、じっとローガンを見つめている。
今日彼女がここに来たのは、借りたハンカチを返すからとローガンが無理やり約束させたからだ。ハンカチを受け取れば、彼女はもうここに居る必要がない。すぐに控え室から出ていってしまうだろう。
──会えなくなるのは嫌だ。
新たに用意したハンカチを取り出し、彼女の前に差し出しながら、ローガンは頭を働かせた。
どうしたら彼女と一緒にいられるか。
どうすれば彼女を帰さずにいられるか。
そして、昨日の話を思い出した。
「実は俺もパートナーがいなくて会場には居辛いんだ。良ければ一緒に回ってもらえないだろうか」
「あ、そうだったんですね。じゃあ、ご一緒させていただいても……?」
「もちろん!」
二日連続で身を隠すのは流石に気が引けたようで、令嬢はローガンの申し出をすぐに受けた。拒絶されなかったことに安堵しつつ、ローガンは彼女にハンカチを渡しながら、さりげなく手を握った。
「俺はローガン・アヴィド・ヴィガンティーだ」
「アウローラ・フロル・ブラースカと申します。アウローラとお呼び下さい」
ローガンのフルネームを聞いても態度を変えない。それもそのはず、アウローラが休学している間に留学してきたのだから、彼女はローガンの身分を知らない。
しかし、共に会場を歩けば嫌でも知ることになる。
──もし身分を明かしたら、
彼女も態度を変えるだろうか。
次期国王の婚約者の座を狙う令嬢たちにしつこく言い寄られた過去を思い出し、ローガンは躊躇った。身分や権力だけに惹かれて媚を売ってくるような女性は最も苦手とする存在だ。
もしアウローラがそんな風に豹変すれば、いま抱いているほのかな恋心など跡形もなく消し飛んでしまうだろう。だが、知り合って間もない今ならまだ諦められる。
ローガンは覚悟を決めた。そして、ソファーに掛けておいた上着を取り、彼女の目の前で袖を通す。
「俺はアイデルベルド王国第一王子だ。……アウローラ嬢。それでも構わないか?」
「はい?」
仕立ての良い礼服の胸元に付けられた隣国の王家の紋章と徽章。彼の言葉の意味を理解する前に、目の前に輝く証を見て、アウローラは腰を抜かした。




