32話:第2王子がぐったりしております
エリルは急いで中庭へと向かった。
現在地は貴族学院の校舎の二階の南端。中庭までは長い廊下を通って階段を降り、更に廊下を進んだ先の扉を出ねばならないが、かなり時間が掛かってしまう。
まず人が近寄らない場所に移動し、誰も見ていないことを確認してから窓枠に足を掛け、一気に下へと飛び降りる。着地してすぐ体勢を整え、エリルは何事もなかったように歩き出した。
今日は許可を得て学院内に入っている。こそこそ隠れる必要はない。堂々と、しかしやや足早に目的の東屋があるエリアへと向かう。途中生徒や教師と擦れ違う度に立ち止まってお辞儀せねばならず、歯痒い思いをしながら、エリルは最短ルートで目的地へ急いだ。
中庭の片隅にある東屋はラシオス専用となっている。毎日婚約者とランチを共にしているうちに、他の生徒が遠慮して近付かなくなったのだ。
そして、この日も。
やっとの思いでエリルが到着した時、そこにはラシオスの姿しかなかった。それもそのはず、彼の婚約者であり、エリルの主人であるフィーリアは現在ローガンと共に二階の食堂にいるのだから。
ラシオスは椅子に身体を預け、眠っているかのように顔は伏せられていた。テーブルの上には王宮の厨房から届けられたランチ入りの籠。料理が小皿に少しだけ取り分けられている。それを見て、エリルは慌てて駆け寄った。
「ラシオス様!」
間に合わなかったか。
焦る気持ちを必死に抑え、彼の顔を覗き込む。
椅子にもたれて俯いていたラシオスは、呼び掛けに気付いて目を開けた。銀色の前髪の間から覗く黄金色の瞳が見慣れたメイドの姿を映す。
「……あれ、エリル。どうしたの」
呑気な声が返ってきて、エリルは大きく息を吐き出した。一旦側から離れ、東屋の壇の下で深々と頭を下げる。
「もう昼食はお済みですか」
「え? ああ、食欲がなくてね。取り皿に出してみたはいいんだけど食べられなくて」
「一口も?」
「うん」
間近で顔を見たのは久しぶりだが、やや痩せたようにエリルには感じられた。昼休みをフィーリアと別々に過ごすようになってからずっと昼食を食べれずにいるのかもしれない。
「もう召し上がらないのでしたら、私が片付けておきましょうか」
「済まない、お願い出来るかな」
「はい。では、籠はお預かり致しますね」
そう言いながら、エリルは慣れた手付きで取り皿や何やらを籠に仕舞った。片付けながら、中の料理を確認する。見た目も匂いもおかしなところはない。二人分のランチ。手軽に食べれるように工夫して作られた料理の数々。フィーリアの好きな食材が多い。
エリルの勘が正しければ、このランチボックスには毒が仕込まれている。
ヴァインの野暮用とは、つまり王宮の厨房でラシオス用の料理に細工をすることではないか。彼の隠密能力の高さならば最高の警備が敷かれた王宮内でもそれが可能。エリルはそう思い、急いで駆け付けた。
フィーリアと別々に昼食を取っているのなら、このランチボックスの中の料理を食べるのはラシオス一人。厨房の全ての料理に毒を入れれば大勢の無関係な人が巻き添えになるが、ラシオスだけを狙う場合、ここに仕込むのが一番手っ取り早い方法だからだ。
籠ごと侯爵家に持ち帰り、中身を薬物に詳しい者に調べさせよう。そう思いながら、その場から立ち去ろうとした。
「エリル」
不意に呼び止められ、エリルは振り向いた。椅子から立ち上がったラシオスが何か言いたげにこちらを見つめている。
「僕は婚約破棄した方が良いと思う?」
「……、……わかりません」
ラシオスは迷っている。
自分ではフィーリアを笑顔にすることが出来なかった。出会って数日の他国の王子が易々とそれをやってのけたのを間近で見て、自信を喪失してしまっていた。故に婚約者であるにも関わらず、ローガンとフィーリアの間に割り込む勇気がない。
しかし現在の状況から考えて、裏のありそうなローガンよりは、相当な変態を差し引いてもラシオスの方が数段マシだ。
「私は、ラシオス様を応援しております」
「……そうか。ありがとう」
ようやくラシオスは笑顔になったが、いつもの快活さはなく、何処か儚げに見えた。




