1話:お嬢様は恋愛小説の影響で真実の愛を探そうとしております
姿を視界に入れただけで頬が熱くなる。
声を耳にしただけで心臓が跳ねる。
もし手が触れたらどうなってしまうのかしら。
「……はあ、なるほど。そういうものなのね」
美麗な装丁が施された本をめくりながら、窓辺の席で頷く少女がひとり。
彼女の名はフィーリア。
ブリムンド王国スパルジア侯爵家の長女である。
ゆるく波打つ長い金髪にオレンジの瞳。トレードマークは真っ赤なリボンと真っ赤なドレス。派手な色合いだが決して下品に見えることはなく、彼女自身の整った容姿を引き立てている。
先程から彼女が熱心に読んでいる本は、ちまたで人気の恋愛小説である。側付きのメイドが巷で一番流行っている本を貸してくれたのだ。
胸の高鳴りと緊張。
気持ちの駆け引き。
嫉妬と愛情と陰謀。
先の見えない展開。
内容的にはよくある物語だが、そこには刺激があった。だからこそフィーリアは夢中になって読んでいるのだ。
彼女には婚約者がいる。
僅か二歳の時に決められた。お相手は、ブリムンド王国の第二王子ラシオス。銀髪の似合う美少年で、品行方正、文武両道。同じ年齢のため貴族学院で毎日顔を合わせており、卒業後に結婚すると決まっている。
第二王子との縁談は申し分ない。侯爵家は王家と縁続きになれるし、王家は有力な侯爵家を味方に出来る。
もちろん、フィーリアはラシオスの事は嫌いではない。ただ、ときめきはない。物心つく前からの付き合いだ。新鮮味は全くなく、むしろ身内と言っても差し支えない。
このままでは親の決めた相手と結婚する未来が待っているだけ。
「決めたわ! わたくし、自分で結婚相手を探してみます!」
「は? なに言ってるんですかお嬢様。アタマ大丈夫ですか?」
即座に苦言を呈したのはメイドのエリルである。
フィーリアの側付きのひとりで、青味がかった黒髪を肩に付かない程度の長さで切り揃えている少女である。長年仕えているため幼馴染みのような関係だ。
「お嬢様にはラシオス様がいらっしゃるでしょう」
「だって、わたくしもこういうロマンスを体験してみたいんですもの!」
手にした本のページを広げて見せ付けるフィーリア。しかし、エリルはそれをまともに見ることもなく手で制した。
「またミントから借りましたね? いいですかお嬢様。恋愛小説は全部作り話です。作者の妄想の産物です。モテない女性が現実から逃避するためだけに書かれた嘘八百の与太話です。いちいち真に受けないでください」
現実的なエリルの言葉に、勢いを削がれて項垂れるフィーリア。そこに、畳まれた衣服を抱えたメイドが入ってきた。
「ただいま戻りました~……って、エリル! またお嬢様をいじめたでしょ!」
「失礼ね、現実を教えて差し上げただけよ」
「それがダメなの! もうっ!」
メイドはまず衣服をクローゼット前のテーブルに置き、涙目のフィーリアの足元に膝をついた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「ミント……わたくしは恋をしてはいけないの?」
「そんなことありません! 恋は全ての女の子に与えられた特権ですもの!!」
ミントと呼ばれたメイドは満面の笑みを浮かべ、力強く言い切った。エリルとは正反対の、ふわりとした赤毛と垂れ目がちの大きな瞳。可愛らしい容姿の少女である。
彼女も側付きのひとり。 先程フィーリアが真剣に読み耽っていた恋愛小説はミントが貸し出したものだ。
「アンタがお嬢様に変なもの読ませるから!」
「変なものとはなによ、今これめっちゃ流行ってるんだからね? 読まなきゃ話題に乗れないわ。女の子の必読書みたいなものよ」
「そんなものより新聞を読んだ方が為になるわ!」
恋愛脳と現実的なメイドの対立を尻目に、フィーリアはまだ真面目に考えていた。
自分の人生、このままでいいのだろうか。どこかに運命の人が待っているんじゃないか、と。
そう思ったら、迷ってる時間が勿体無い気がした。
「添い遂げる相手くらい自分で決めたいわ」
フィーリア・パラス・スパルジア、十五歳。
恋愛結婚がしたい。
ただそれだけの目標に向かって行動を開始した。