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だから先生、降参して? 〜天才魔術師は地味な薬師に押しかけ女房する〜

作者: 四葉美名

 


 こんにちは、アンリ先生。ニナです。今日は私の結婚式です。



 いえ、結婚式だったが、正確な表現ですね。だって新郎が私の目の前で知らない女性と逃げてしまったので、結婚式は亡くなりました。いえ、無くなりました。



 私も混乱してわけがわからないですが、先生に手紙を書くことで心を落ち着かせています。読みにくいかもしれませんが、許してくださいね。



 さて、私もなぜ、こんなことになってしまったのか、まったくわかりません。そもそもこの結婚は政略結婚であって、別に大恋愛をしたわけではないのです。



 事の発端は新郎家の所有している土地に、高品質の魔石が採れるようになったことでした。先生もご存じのとおり、私の家は魔術具を国内外に売っております。なおかつ私が、この私が! 王家の覚えもめでたい天才魔術師ですので、新郎家は魔石の専売を約束するから息子と結婚を、と言ってきたのです。



 私は結婚なんて誰としても同じだと思っているので「両親がそうしたいならどうぞ」と言いました。これで結婚へのお小言が減るなら、それでいいと思いましたし。



 新郎のレオンと初めて会った時は、優しそうな人だなと思っただけで特に悪い印象はありませんでした。そのくらい平凡で、無害な人だと思ったのです。



 愛情は結婚してから育めばいいと両親に言われ、別に彼からの愛情はいらないけど……と思いましたが、文句を言わずに了承しました。



 これは別に目の前で逃げられたから、悔し紛れに「別に恋してなかったから、平気だし」と言い訳しているわけじゃありません。なにせ私と彼は今日で会うのが三回目。恋する暇もありません。そこのところ勘違いしないよう、よろしくお願いします。ここで誤解されるのが、一番腹立たしいのです。



 えっと、話を戻します。それで三回目に会った今日、結婚式をつつがなく終わらせるつもりだったのですが、もうすぐ終わるという時に、見知らぬ女性が教会に乱入してきました。



 乱入者はどうやら新郎レオンの恋人だったようです。なにやら大きな声で叫んだかと思うと、あっという間に彼の手を引っ張り消えました。別に彼に恋人がいるのは、どうでもいいのです。



 私が不愉快に思うのは「なぜ結婚式当日、しかも! 誓いの言葉を言い終わり、静かになったタイミングで登場したのか?」ということです。列席者が「あら、次は誓いのキスね」なんて、盛り上がりが最高潮になっているところですよ?



 それなのに、そこでバーンと大きな音を立てて押しかけ「こんなの間違ってるわ! レオン! 愛してる! 一緒に逃げましょう!」と女性が突入してきたのです。



 間違ってるのは、あなたのタイミングでは? と思いました。最初からレオンがお見合いを受けなければいいだけです。逃げるなら結婚話が出た時に、二人で逃げれば良いのに。そう思いませんか? 私は最悪のタイミングで逃げる二人を、呆然と見ていました。



 その女性も魔術師だったのでしょうね。父達が追いかけたようですが、まだ二人の行方はわかりません。知りたくもないし、ほうっておけばいいのに。国内から出た様子はありません。国境の結界は私が張ったのですから、それに触れればわかります。



 残された私は注目の的です。告白していないのにフラれたような気持ちでたたずんでいると、列席者の顔にはありありと「かわいそう」と書いてあります。ただ一人、先生もご存じの兄エリックだけが、ヒーヒー笑っていました。それはそれでムカつきます。隣りにいた母が拳で黙らせたから、まだ良かったですが。



 それで何が言いたいかというと、王都では私の噂でもちきりで、居場所がありません。なので、先生のところにお世話になろうと思います。ベッドや食べ物の用意など、よろしくお願いします。パジャマは持っていきますので、大丈夫です。では。




「はあ!?」

「こんばんはー!」




 誰かが家を訪ねてきた声と俺の叫び声が、同時に部屋に響いた。時間はもう夜中に近い。まさかと思って玄関の扉を開けると、そこに立っていたのはやはり、この手紙の送り主である「ニナ」だった。



「ニナ!」

「はい。ニナです。先生、手紙は読みましたか?」

「読んだよ! 読んだけど!」

「なら話が早いですね。おじゃまします」



 そう言ってニナは俺の横をスルリとくぐり抜けると、奥のテーブルまで歩いて行った。背負っていたリュックを椅子に置くと、こちらを振り返りニコリとほほ笑む。



「今日は先生と同じベッドで、かまいませんよ」

「俺がかまうよ!」



 頭が痛い。ニナは生徒だった時から、こんなふうに何を考えているかわからず、つかみどころがなかった。思い返してみると、彼女は魔術学園に入学したその日から、俺に懐いてきた。いや、懐かれたというよりも、からかう相手としてロックオンされたようなものだな。



 出会いは偶然だった。入学式の日、裏庭で一人ベンチに座っている少女を見かけた。俺は薬草学の助手で、クラスの担任を受け持つことがない気楽な身。もちろん入学式に出席する必要もない。そこで空いた時間で薬草の手入れをするため畑に向かっていると、どこからか口笛が聞こえてきた。



(誰だ? 生徒も教員も、入学式に参加するため講堂にいるはずなのに)



 どうやら俺が向かっている薬草園の方から、聞こえてくるようだ。魔法があるこの世界。なにか不思議な事が起こってもおかしくない。そんな淡い期待をしながら音の鳴るほうをのぞくと、そこにはプラチナブロンドの女生徒がベンチに座って口笛を吹いていた。



(あの髪色、在校生では見たことがないな。新入生なら、なぜこんな裏庭に……?)



「そこの君、一年生じゃないのかい? もし道に迷ってるなら、講堂まで送っていくが」



 そう後ろから声をかけると、彼女は肩をピクリと動かし口笛を吹くのを止めた。そしてスッと立ち上がると、長い髪を優雅になびかせ振り返る。



「今の口笛、けっこう上手だと思いませんか?」



 そう言って俺にほほ笑みかける口笛少女は、絵本の中の妖精にそっくりだった。羽が生えていたとしてもおかしくない、はかなげな美少女。雪のように白い肌をバラ色に染め、くりっとした大きな丸い目で俺を見て笑っている。



(えっ? 俺たち、初対面だよな……?)



 俺は彼女の態度に戸惑いながらも、また同じ質問を繰り返した。さっきの口笛の件は無視しよう。



「えっと、それで君は新入生じゃないのかい? 迷っているなら送っていくけど」

「…………」



 すると彼女は小声で「あれ? おかしいですね」とつぶやき、首をかしげている。俺が口笛に触れなかったのが不満なのだろうか? 口もとをゆがませ、じっと俺を見ていた。すると少しずつその唇がすぼまっていき、再び口笛を吹こうとするので、俺は慌てて感想を言うことにした。



「さ、さっきの口笛、上手だったね! ……それで君は、新入生かい? 迷ってるなら――」

「はい! 迷っていたので、送ってくださいますか?」



 気付けば彼女は俺の隣にいて、まるで恋人のように腕を組んでいる。なんて素早い動き!



「ちょ、ちょっと離れてくれ。俺は助手ではあるが、ここの教師なんだ。生徒とは適切な距離を取らなくては――」



 しかしそんな俺の戸惑いなど、目の前の美少女はまったく気にしていない。可愛らしく俺を上目遣いで見つめると、勝手に自己紹介を始めた。



「今日この学園にしぶしぶ入学する、ニナ・コートニーです! 私自分で言うのもなんですが、天才なんです! だから入学しないって学園長に言ったんですよ? それなのに入ってくれないと困るって言われて。でもその説得も断っていたら、次は国王が出張ってきたんです! ひどいと思いません? あっ! 先生は国王に会ったことはあります?」



(あるわけがない! それにしてもこの子が、あの有名な天才少女だったのか!)



 事前に新入生の中に、有名な天才魔術師がいるとは聞いていた。しかしクラス担任にならない俺には関係ないことだと、気にも留めていなかったのだ。そもそも俺は魔力を必要としない「薬草学」の助手。花形の魔術の授業とは違い、最初から選択しない生徒も多い。



 魔術の成績で単位が取れない、落ちこぼれ生徒のための救済科目。それがこの魔術学園での薬草学の立ち位置だ。馬鹿にしている生徒も多いという。



 もしかしたらこの子も、俺を魔術の先生だと勘違いしているのかもしれないな。俺が薬草学の助手だとわかったら、きっと興味を失うだろう。そう思った俺は、自分も自己紹介することにした。



「ニナ・コートニーさん、僕はアンリ・ウィルソンだ。薬草学の助手をやっている。君はこの科目を選ばないと思うけれど――」

「薬草学! 面白そうですね! ぜひ選択したいと思います。アンリ先生は一年生の授業も担当しますか?」

「……えっ! そ、そうだね。今年から一年生の薬草学基礎を任せてもらえることになっているから……でも君は――」



(どういうことだ? 魔術を学ぶ生徒にとって、薬草学はつまらないはずなのに)



「私、初めて薬草学を学びます。楽しみです! わからないことがあったら、先生のお部屋に質問しに行ってもいいですか?」

「あ、ああ、それはもちろん」

「わあ! 嬉しい!」



 そう言って頬を赤らめる彼女は、嘘をついているようには見えなかった。薬草学のしかも助手の俺にこびを売っても意味がないだろうし。不思議な子だ。



「薬草学、どんな学問なのかしら。授業が待ち遠しいです!」



 ……なるほど。もしかしたら、今までは魔術ばかりで他の学問について、考えたこともなかったのだろう。薬草学は、地味な授業だ。実習もコツコツやるものばかりで、たいていの生徒はつまらなそうな顔をしている。



(この子も今は珍しいだけで、きっとすぐ飽きるだろう。それに特別な子だ。授業をサボったところで、おとがめもない。いや、そもそも最初から授業に出ないかもな)



 そんな暗い未来を想像している俺とは違い、隣で歩く天才少女は機嫌良さそうにまた口笛を吹き始めた。子守唄のような優しいメロディーに、なんだか不思議な気持ちになってくる。



 やがて講堂まで来ると、彼女は俺の顔を見上げニコリとほほ笑んだ。アメジストのような紫色の瞳が、俺をまっすぐに見つめている。



(たぶん彼女と会うのはこれが最後だろう。天才というのは、気まぐれな行動を取るものだ)



 それなのに。次の日からニナはすぐに薬草学を選択し、真面目に授業を受け始めた。しかも俺のことが気に入ったようで、質問もないのに個人の教員部屋に入り浸るようになってしまった。



「ニナ! わからない事がないなら帰りなさい!」

「……先生、薬草って、最初はどうやって効能を確かめたのでしょうか? 山に生えてる草をピンポイントで採って、胃痛に効くなんてよくわかりましたよね。だいたいあんな苦いのをよく十時間も煮ようと思えた――」

「そんな世界の始まりみたいな、壮大な質問するんじゃない」



「ったく。そんなの俺も知りたいよ」とつぶやくと、ニナはソファーに座りクスクスと笑っている。まったく、これで成績が悪かったのなら「薬草学は向いてないよ」と断れるのだが、ニナの成績は学科も実技もトップだった。



 せめて俺の教員部屋に来るのは止めろと言っても、素知らぬ顔で毎日やってくる。おかげで俺もニナに対して、やや乱暴な口調になっていた。



 しかし独身の俺が女生徒を個人部屋に引き込んでいるなんて噂が立ったら、職を失いかねない。俺が部屋に入ろうとするニナをすかさず追い出すと、彼女はぷうっと頬をふくらませ(にら)みつけた。



「先生! じゃあ、私と死ぬまで一緒にいると約束してください!」

「いきなり重いよ! 無理だ!」

「生活は私が支えますから!」

「何を言ってるんだか……」



 もともとニナは目立つ存在だ。そんな彼女と地味な俺が、毎日のようにこんな言い争いをしているのだ。注目されないわけがない。あっという間に俺はつまらない授業の先生ではなく、天才魔術少女の気まぐれなオモチャとして学生たちに認知され始めた。



 そうなると、やはり嫌な噂は耳に入ってくるわけで。



「あの田舎出身の地味教師。コートニーさんに遊ばれてるだけなのに調子に乗ってるだろ」

「ニナ様は天才だからな。底辺の生活を見るのが面白いんじゃないか?」



(はあ……今まではこういった事とは無縁だったのだが)



 それでもまだ子供の生徒が言うことだ。教師である俺が相手にする必要はない。そう思っていつものように無視し教員部屋に入ると、外でニナの声が聞こえ始めた。



「あら? 底辺の生活なら、あなたたちの生活を見たほうが良いのではなくて?」

「ニ、ニナ様! う、うわあああ!」

「ニナ! 落ち着け!」



(なんだ? 何が起こった?)



 その叫び声に急いで外に出ると、ニナも同時に俺のほうを振り返った。隣にはニナを抑え込むように抱きかかえる、彼女の兄エリックもいる。



「……私は手を出していません。本当です」

「し、しかし……」



 目の前には暗い表情で立つニナと、その足元でうずくまる二人の男子生徒。否が応でもニナの仕業じゃないかと疑ってしまうその状況に、言葉が出てこなかった。



「先生、本当です。ニナは()()出してません。でも――」

「お兄様、うるさいですよ」



 隣にいた兄のエリックも()()()()()()()()()()()と首を振って否定したが、彼女が何か隠しているのがわかった。エリックは大きくため息をつくと、「すみませんが、今日はニナを部屋に入れてもらえますか?」と言って去って行った。気づけばさっきの男子学生は、もういなくなっている。



 いつになく暗い表情のニナをこのままにしておくこともできない。俺は彼女を部屋に入れ、温かいお茶を差し出した。



「で、本当にニナは何もしていないのか?」

「…………」

「俺のことで怒ってくれたのは嬉しいが、あんなことをしてはダメだろ?」

「…………」

「何も説明しないなら、本当に出禁にするけど」

「そんな! ……じゃあ言いますけど、怖がらないでくれますか?」



 観念したニナが話したことによると、こうだ。彼女は怒りの感情が強くなると、勝手に魔力で相手を威圧してしまうらしい。それだけでなくちょっと魔力を外に流すと、相手の魔力の流れを狂わせ、酔っぱらいのような状態にできるという。ちなみに、家族とは血のつながりがあるからか、効果はないらしい。



「実は先生と最初に会った時、からかうつもりで魔力を流したのですが、全然効かなくて驚きました」

「え? もしかしてあの時『おかしいな』とつぶやいてたのは、それか?」

「えへへ。だから逆に嬉しかったんです!」



 ニナは悪びれる様子もなく、俺が彼女の魔力に酔わなかったことがどれだけ嬉しかったか、語り始めた。初めて何も気を使わず話せたこと。自分の感情を出しても俺が平気なこと。それが楽しくて楽しくて、しょうがなかったらしい。



 ニナは言うだけ言うと、安心したようだ。クッションを抱え、猫のようにソファーで丸くなっている。



「……だから先生、私と死ぬまで一緒にいてくれませんか?」

「無理だろ……」



 俺は教師だ。十も年下の生徒にそんな約束はできない。それに魔術師は魔力持ちの相手と結婚して、子供を作ることを推薦されている。もちろん義務ではないが、ニナほどの魔力の持ち主なら、結婚相手として多くの誘いがあるだろう。既婚者の近くに男がいるなんて、たとえ俺のような地味な男でも、夫ならいい気はしない。それにニナに悪い噂が立つのも嫌だ。



「そうですか……」



 ニナは「まあ、答は知ってましたけど」と小さくつぶやくと、俺が入れたお茶を大切そうに飲み始めた。しかし、その日をさかいに俺たちの会話は少しずつ変わっていった。



「先生の育った町は、どんなところですか?」

「子供の頃はどんなふうに過ごしたんですか?」

「どうして薬草学を学んだのですか?」



 今までは自分のことを話すばかりだったニナが、急に俺のことを知りたがった。最初は「こんな話、何が楽しんだか」と渋りながら話していたけど、彼女があまりにも熱心に聞くので、ついつい話してしまう。



「何もない小さな田舎町だよ。ああ、でも山の麓では貴重な薬草が採れるから助かるな。それに人も優しいから居心地が良い。難点は国境が近いから盗賊が出ることぐらいか」



 またある時は、薬効がある花を二人で摘み取りながら話した。



「うちは両親がはやり病であっという間に死んでしまったからな。今もあの町には薬局がないから、俺がいずれ店を開こうと思って薬草学を学んだんだ」

「先生のご両親は、いつ頃……?」

「俺が七歳の頃かな。親戚がいたから十五歳まではそこで世話してもらったよ。でももう少し生きてくれれば、顔を覚えていられたのだが。まだ幼かったから、二人の顔もおぼろげにしか覚えていないんだ」



 そんなつまらない俺の身の上話を、ニナは飽きもせず聞いている。時々メモを取っているのが不思議だったが、「秘密です」と言って見せてくれなかった。



 しかしそんなに懐いていたニナも卒業と同時に、音信不通になった。別に連絡先も聞かれなかったし、卒業式もいつもの態度で「今日で最後ですが、やっぱり私と死ぬまで一緒にいたいと思いませんか?」と言って笑っていた。俺の答はいつも一緒だ。



「無理だ」

「やっぱりぃ」



 そしてそれを聞いたニナはニコリとほほ笑み、「では先生、また!」と挨拶をして、振り返ることはなかった。



 懐いていた猫がいなくなった様な寂しさはあったが、俺も一年後に学園を辞めてしまった。そのまま育った田舎町に帰ると、ニナのことは噂で聞くのみだ。それでもこの国境付近のさびれた町にも、天才魔術師ニナの噂は頻繁に入ってきて忘れることはなかった。



(どこにいても目立つヤツだよ……)



 つい先日も映像や音が残せる魔術具を作ったという情報が入ってきたばかりだ。しかも全魔術師のトップに就いただの、すごい噂はどんどん入ってきて、なんだか誇らしく感じていた。



(それでも突然の結婚には驚いたが……)



 今はその結婚も破断になるわ、ニナはこの家に来るわで、さらに驚く展開になっているのだが……。当の本人は、ケロリとした顔で俺の目の前に立っている。



「冗談です、先生。寝袋は持ってきましたし、ソファーで十分です」

「いや、さすがに女の子をソファーには……。ていうか、いつまで居る気だよ!」

「私の結婚の噂がなくなるくらいまで、でしょうか……」

「はあ?」



 そんな曖昧な状況を待っていたら、いつまでたってもうちに居座りそうだ。俺があきれ返った顔でニナを見ていると、彼女は得意げな顔で手を差し出した。



「でも解決方法はあります! 先生、私と結婚しませんか?」

「は?」

「私の結婚式で夫に逃げられたという噂は、新しい結婚の事実で塗り替えられると思うのです。だから先生、私と結婚しましょう!」

「な、何言ってんだ……」



 相変わらず突拍子もないヤツだ。今まで音信不通で、数年ぶりに会ったと思ったら結婚しましょうだなんて。だいたい俺に相手がいるとは思わなかったのだろうか? まあ本当にいないけど。それに俺にだって結婚に対しては夢があるんだ!



 俺はニナをビシッと指差し、反論した。



「おまえにとって結婚は誰としても同じなんだろう? でも俺は違う! 俺はちゃんと愛情をもって楽しい家庭を作りたいんだ!」



 からかうのが好きなニナのことだ。最初に言っておかないと、ずっと結婚結婚とうるさく騒ぐだろう。それなのにニナはきょとんとした顔で俺を見ている。



「……? 違いますよ。先生と結婚できないなら、誰としても同じだと言ってるんです」

「えっ……?」



 その言葉に年甲斐もなく胸がドクンと跳ね上がった。パクパクと間抜けに口を開くだけで、次の言葉が出てこない。



「まあいいです。私という女性をもっと知ってから、答を聞くことにしましょう。とりあえず今日はここまで移動してきて、ヘトヘトです。もう寝てもいいですか?」

「えっ? ちょ、ちょっとま――」



 そう言うやいなやニナは俺のベッドに潜り込み、スウスウと寝息を立て始めた。



「……おい。寝袋かソファーはなんだったんだよ」



 もちろん最初からニナを床やソファーで寝かせるつもりはない。それでもあっという間に俺のベッドで眠りについたニナを見ると、あきれ返ってため息が出てくる。



「はあ……問題は明日からだな。どうやって追い返そうか」



 物置から毛布を取り出し、ソファーに寝転がる。少しほこり臭い毛布を頭までかぶり目を閉じるが、なかなか眠れそうになかった。




「クソ……やっぱり眠れなかった」



 朝になっていつもの時間に起きると、眠気で頭がクラクラした。それでも午前中から常連客が来るので、店の準備をしないと。仕方なく何度も欠伸をかみ殺しながら薬を棚に並べていると、身支度を終えたニナが店に入ってきた。



「おはようございます! 私も手伝いますね!」

「……」



 断りたいところだけど、正直時間がない。そしてその事情がわかっているのだろう。ニナはにんまりと笑って、俺の返事を聞く前に仕事を手伝い始めた。まあいい。開店準備だけ手伝ってもらって、あとは店の奥にいてもらおう。そう思った時、店の扉のベルが鳴った。



「アンリおはよう! ちょっと早いけど、今日の薬をもらいにきたわ……よ……女の子がいる! もしかして結婚したのかい?」



 店に入ってきたのは、常連客の一人である宿屋の女将だ。しかもいつもより早くやってきて、早速ニナの存在に気づいてしまった。なんというタイミングの悪さ! 俺は彼女を隠すよう勢いよく前に出て、いつもの薬を女将に差し出した。



「違いますよ! 昔、俺、王都の魔術学園で働いてたでしょう? その時の生徒が遊びに来ただけです」



 そう言うとあからさまにガッカリした様子で「あら〜そうなの〜」とつぶやいている。危なかった。娯楽に飢えた田舎町のかっこうのネタになるところだった。すると俺の後ろにいたはずのニナが、素早い動きでその客の手を取り話し始めた。



()()()()アンリ先生の家でお世話になっております。ニナです。いわゆる、押しかけ女房ってやつですね。お見知りおきを!」

「あら! ステキ!」



 二人は手を取り、目をキラキラと輝かせている。



「違います! 違いますから!」



 俺がどう否定しようと、もう遅かった。ニナの言葉を聞いた客は俺たちの顔を交互に見ては、ニヤニヤと笑って帰って行く。あの軽い足取りでは、他の常連客に話をしに行くのだろう。



「ニナ! 客に何を言ってるんだ! この田舎町で一度噂になったら、あっという間に山の向こうの村にまで伝わる。それくらい娯楽に飢えてるここで、変なことを言うんじゃない! やっぱりさっきのこと訂正しなくては……!」



 俺があせって店を出ようとすると、ニナが上着の裾をつかんできた。



「先生、でも私が昨日の夜、泊まった事はバレてますから、すでに男女の関係だと思われてますよ?」

「あ!」



(しまった! さっきニナがそう客に話していた。にしても何がバレてますだ。バラしたんじゃないか!)



 どうせ今から訂正しても「女の子を家に泊めたのでしょう? 責任取りなさい」と言われるのがオチだ。浮気や女遊びなんて無縁のこの平和な町で、そんな噂が立ったらよけいに目立つ。俺はガックリと肩を落とすと、乱暴に椅子に座った。



「クソ! これでおまえが王都に帰ったら、俺はこの村で結婚早々、若い嫁に捨てられた男と言われるじゃないか!」



 一応これでも結婚願望はあるのだ。まあこんな田舎の薬師のもとに来てくれる嫁はいないが。俺が机に突っ伏して嘆いていると、ニナの手が背中をさすり始めた。



「先生! そんな事にはなりません! 元気だして!」

「おまえが俺の元気を無くしてる元凶だが?」



 無神経なその言葉に顔を上げると、ニナは慈愛すら感じられる表情でほほ笑んでいた。



「先生、これが囲い込みってやつですよ。あきらめて私と結婚しましょう?」

「嬉しくない……」

「そろそろ負けを認めて、降参すればいいのに!」

「しない」



 はたから見れば俺は十歳も年下のはかなげな美女に言い寄られているのだから、うらやましい状況に見えるだろう。しかしニナと関わるというのは、そんな単純なことじゃない。



「おまえと一緒にいると、大概ろくでもない事件が起こるからな。俺は田舎で平穏に生きるのが合っているんだ」

「私だって同じですよ」



 不満げに頬をふくらませる姿は、学生の頃と同じだ。その変わらない仕草を見ていると、きっと別れも同じで振り返らずここを去っていくのだろう。



(気にするだけ無駄だな……)



 俺は特大のため息をついたあと、また次の客を迎えるために仕事を再開した。




「疲れた……」



 あれから仕事を再開すると、すぐに噂を聞きつけた常連客でいっぱいになった。その波が途切れたと思ったら、今度はやじ馬だ。ここまで行くと否定するのも難しく、俺は「買わないヤツは客じゃないからな」と追い出しながら仕事をしていた。途中ニナが「先に帰ってご飯の準備してきます」と店から出て行ったが、どうなったのだろう。



(あいつ、料理できるのか?)



 とはいえ、俺もそんなに料理は上手じゃない。肉を焼いてパンにはさむ。それで十分な生活を送っていた。だからニナにも過剰な期待などせず、リビングのドアを開けたのだが……。



「先生! おかえりなさい! 夕食ができてますよ!」



 テーブルの真ん中にドンと置いてあるのは、美味しそうに焼き上がった肉だった。手前には焼き立てのパンとシチュー。そしてなんと美しくカットされたフルーツまで並べてあった。



「先生、温かいうちに食べましょう!」

「あ、ああ……すごいな」

「えへへ」



 予想もしていなかった豪華な夕食に、急に腹がへってきた。俺はすすめられるまま椅子に座り、食べ始める。ものすごく、うまい。一人で食べるから煮込み料理は面倒であまり作っていなかったせいか、特にシチューがうまかった。



「先生、美味しいですか?」

「ああ、うまいよ」

「わあ! 良かったぁ! 嬉しいです!」



 ニナが顔に両手を当てて、喜んでいる。頬はうっすらと色づき、得意げな顔で俺を見ていた。キッチンを見ると湯気が出ている鍋がある。もしかしてこのシチューは――



「ニナ、このシチュー、もしかしておまえが……?」

「はい! 買ってきて、温めました!」

「よくそれで、自慢げな顔ができるな」



 あまりに自信満々の顔で俺を見るので、てっきりニナが作ったのかと思った。俺があきれた顔をしていると、ニナは不服そうに眉をひそめている。



「え? でも私、初めて自分で買い物したんですけど? 鍋も初めてさわって、焦がしてないですよね?」

「え? あ? そ、そうだけど」

「美味しいということは、私のお惣菜を見抜く目が良かったということですよね?」

「そ、そういう事になる、か?」



 俺が喜ばなかったからか、ニナはしょんぼりとしている。しまった。言いすぎた。ニナは魔術師として責任がある立場にいる。料理する暇もないのは当たり前だ。



「いや、もちろん用意してくれたのは嬉しい。ありがとう。準備してくれたニナに言うことじゃなかったな。すまない」



 それを聞いたニナは暗かった表情をパッと明るくさせる。勢いよく胸に手を当てると、また自信を取り戻した顔で笑った。



「そうですよ、先生。私はいわば独り立ちした一年目。赤ちゃんみたいなものですもの。ゆっくり教えていかなきゃダメですよ? 長い目で私を嫁として育ててくださいね」

「無駄に前向きだな」



 どうも調子が狂う。ニナとの会話は昔からこうだったが、今回は結婚だの嫁だのとからめてくるので、顔が赤くなってくる。からかわれているのだから、本気にしてはダメだというのに。



「先生が私との結婚を戸惑う気持ちはわかります。今は違いますが元生徒と先生ですし、何より私は天才魔術師。身分差がありますもんね」

「自分で言うなよ」

「まあ、聞いてください。料理はできませんが、私は国からかなりのお金をもらっています。毎日こんな食事ができるんですよ? 楽しいと思いませんか?」



 目の前にズラリと並んだ豪華な食事を指差し、ニナはどうだと言わんばかりに俺を見つめる。



「先生、もう認めていいんですよ? こんな可愛くてお金持ちの私のこと、けっこう好きになってきたでしょう?」

「……俺はもっと普通でいいよ。身の丈にあった生活でいい。それこそこういう豪華な食事がしたければ、ニナは王都に帰ればいいじゃないか」

「て、手ごわいです……!」



 俺があきれ返ったように食事を再開すると、ニナは「まだチャンスはありますから」と小声でつぶやき、パンを口に入れた。



(そうだ。ニナは豪華な家で生活する身分だ。その便利な生活を忘れられるわけがない。飽きたら王都に帰るんだから……)



 俺は自分に言い聞かせるように、シチューを飲み込んだ。



 次の日は定休日だった。定休日といっても、実際は薬草畑の手入れをするので仕事みたいなものだ。この季節になると満開の花を咲かせる薬効植物があるので、刈り取って花を乾燥させておきたい。



 重労働だからニナは家に置いていくかと思ったが、彼女は「懐かしいですね」と言ってついて来た。



「先生! ほら! 見てください!」



 家の裏手にある薬草畑には、満開の花が咲いていた。赤、白、ピンク。色とりどりの花が咲き乱れ、ニナは一目散に駆け出していく。彼女の腰あたりまで伸びた花畑は、まるでニナを引き立てる背景のようだった。スカートの裾を持ちクルクルと踊るように回る姿は、本当に妖精が遊んでいるようで、かける言葉が見つからない。



「……ああ、綺麗に咲いてるな」


(あいつにもあんな無邪気なところがあるんだな……)



 しかしニナは俺の言葉に不満があるようだ。腰に手を当て、冷たい視線を俺に送っている。



「違います! 見てほしいのは私の顔です! 無邪気で可愛かったでしょう?」

「自分でアピールするな。見苦しい」

「ひどいです!」



 本当はあまりの美しさに見とれていただなんて、言えるわけがない。俺は帽子をぐっと深くかぶり直すと、ぷりぷり文句を言っているニナを横目に作業を始めた。



(よし、綺麗に咲いてるな。このあたりはまだ(つぼみ)だから、こっち半分の花を刈り取るか……)



「先生、その顔です」

「え?」



 夢中で薬草の世話をしていると、後ろからニナが話しかけてきた。俺が振り返ると、顔をのぞきこむように体を傾けている。



「その顔が好きなんです」

「――っ!」



 それだけ言うと、ニナも剪定(せんてい)ばさみを取り出し、花を切り始める。薬草学の実習でさんざんやった作業だ。ニナはテキパキと上手に花を刈り取ると、俺が持ってきた麻袋に入れていく。



「本当に懐かしいです。学園にいた時は先生とおしゃべりしながら、花の採取しましたよね」



 パチンパチンと花を刈り取る音がする。その心地よい音が、かつて二人で過ごしたあの頃を思い出させた。



「それにちょうど今頃の季節でしょうか。違う植物でしたが、同じように一緒に花を刈り取ったでしょう? 先生はこんなのつまらないだろうって言いましたけど、私はすごく好きでした。先生と二人きりで、作業をしたのは私の楽しい思い出です」



 薬草学を選択しても、たいがいの生徒は薬草の刈り取りなど手伝わない。単位を取れば授業に出ない生徒も多かった。だからニナが手伝うと言った時は、戸惑いはしたがやはり嬉しかったのだ。



「半分はまだ(つぼみ)ですね。今日はこのくらいでしょうか?」

「……ああ、そうだな。今日は休みだし、あとはまた別の日にしよう」



 二人で作業したからか、あっという間に花を刈り取れた。午後は花を乾燥する作業をしながら、また二人で学園時代の話をした。怒ったこと、笑ったこと、いろんな思い出話をするのは存外楽しかった。



「夕食は自分たちで作るか」

「実は昨日、シチューの作り方も聞いてきたんです!」



 ニナが手伝ってくれたおかげで、時間はたっぷりある。俺たちは惣菜屋の主人が書いてくれたレシピをもとに料理を作り始めた。



「ん? あまり美味しくないな?」

「そうですね。どうしてでしょう……? 私が勝手に違う調味料を足したからでしょうか?」

「それ以外の理由があるなら、教えてほしいよ」



 それでも不思議と心に染み渡るような味わいに、母が作ったシチューを思い出した。



 次の日も、その次の日も。俺たちは店で薬を販売し、薬草の世話をし、一緒に御飯を食べた。ニナは時々魔術関係の仕事をしては、作った物をお手製の魔法陣で王都に送っているようだった。



 すぐにここの田舎生活に飽きるだろうと思っていたのに、ニナは予想外に楽しそうに過ごしている。町の人たちとも交流し、もうニナを物珍しそうに見る住人はいなかった。



 そうして三月ほどたった頃。突然夜中に町役場の人が俺の店の扉をたたいた。なに事かとあわてて出てみると、山の(ふもと)の村に病人が多数出たらしい。




「ニナ! (ふもと)の村で病人が出た。村人が何人も高熱で苦しんでいるらしい。悪いが、薬を転移で送ってくれないか?」

「わかりました! すぐやりますね」



 俺が住む町役場には、山の麓にある村とつながる魔法陣が設置してあった。それでもそれは魔力がないと発動しない。魔力持ちの若者がいなくなったこの町では、もはや無用の長物となっていた。



 この町に助けを求めに来た村人は、ここまで来るのに半日もかかったらしい。しかも疲労困憊の様子ですぐには薬を持って帰れそうになかった。するとその様子を見たニナが、口を開いた。



「先生、私がこの方も一緒に、転移で村にお帰ししましょうか?」

「そんなことができるのか?」

「はい。私の魔力量なら大丈夫です。ちょっと魔法陣を書き直しますね」



 そう言うと何かをブツブツとつぶやき、ナイフで自分の指を切った。周りが驚くのも気にならないようで、ためらうことなく魔法陣に己の血で何かを書き足している。



「さあ、お薬を持ってここに立ってください。使い方はこちらですからね。ではいきますよ」



 魔法陣が大きな光を放つと、薬を取りに来た村人は一瞬にして消えた。それを見てニナは満足そうにほほ笑んでいる。



 しかし俺は違った。心の中にズシリと重苦しい気持ちが生まれたのを感じ、考えないようにしていた問題に捕まってしまったと感じていた。



 数日後、(くだん)の村からお礼の手紙とたくさんの貴重な薬草が、俺の店に届けられた。どうやら無事村人たちの体調は良くなったらしい。手紙には感謝の言葉がぎっしり書かれていて、ニナはそれを知って大喜びしている。



「本当に良かったですね! これも先生が作った薬のおかげです!」

「ニナが転移の魔法陣を動かしてくれたからだよ。あれがなかったら薬を持って帰れなかっただろうし」

「そんな……はっ! これって、初めての共同作業?」

「ぷっ! 本当、おまえって……」



 今日は早朝にしか咲かない薬草を採取するため、二人で小高い山に登っていた。遠くには薬を届けた村人が住んでいる山が見える。



「あんな遠い山の麓にも、暮らしている人がいるんですね……」



 朝日を浴び、真っすぐに目の前の景色を見つめるニナは、全身がキラキラと光っていた。その神々しい姿を見ていると、これから言う言葉を飲み込みたい衝動が出てくる。



(ちゃんと、ちゃんと伝えなくては……)



「……あの辺りには痛みを麻痺させる貴重な薬草が採れるんだ。あの村の住人が大変な環境で育ててくれるから、大怪我した時も、痛みなく治療ができる」

「そうだったんですか」



 ニナはいつもと違う俺の様子に気がついたようだ。心配そうな表情で俺を振り返った。俺は乱暴に地面に座り、震えそうになる手をぎゅっと握りしめる。



(言うんだ……これがニナのためなんだ)



「みんなそれぞれ小さな力でも、自分にできる事をやっている。おまえみたいに一人の力で大勢を助けることはできないが、それでもこの美しい世界を維持できるよう、歯車になることはできるんだと思う」



 俺は数日前から考えていた結論を、とうとう口にした。



「でもニナ、おまえは違う。おまえは王都に帰って、国民の役に立つ大きなことをしろ。それがニナの役目だと思う」

「先生……」



 あの魔法陣の転移を見てからというもの、俺はニナがこんな田舎にいるべきじゃないと確信した。彼女の力はたくさんの人を救える。ここでのんびり薬草を干してる場合じゃない。



 思いの外自分の声が震えているのがわかった。喉の奥が痛い。それでもニナを見つめる目をそらすわけにはいかなかった。



「先生……」



 ニナも俺から目をそらさない。彼女はそのまま隣に座ると、そっと俺の手を握った。



「私がこの国に結界を張ったのは、先生が国境付近に出る盗賊で困っている人がいると聞いたからです。声と映像を残せる魔術具を作ったのは、先生が家族の思い出が欲しいと言ったから」



 考えもしなかったニナの発言に、俺は目を見開き、声すら出ない。もしかして俺が話していた時にメモを取っていたのは、俺の願望を叶えるためだったか? ニナは眉を寄せながら、切なそうに笑っている。



「全部先生が私を動かしてるんです。それは変えようがないんですよ」



 ニナの顔がゆっくりと俺に近づいてきた。俺は固まってしまったように、動けない。いや動きたくないのかもしれない。



「私はただ、先生が……」



 あと少しで唇がふれ合う、その時だった。



「あ」



 ニナの瞳がパチパチとまばたきを繰り返している。そして大きなため息とともにうつむき「今ですか……」とつぶやくと、スッと立ち上がった。



「どうした?」

「……いいえ、なんでも。流れ星が落ちたかと思いました」



 そう言うとニナはニコリとほほ笑んだ。嘘だと隠す気もない言葉は、これ以上聞かないでほしいということなのだろう。俺たちは気まずい空気を払うようにぎこちなく笑い合うと、そのまま山を下りた。



 そして次の日の朝、ニナは元気な声で、俺にこう言った。



「先生! 私ちょっと王都に仕事に行ってきますね!」

「あ、ああ……」



 夜のうちに準備していたようで、リュックを背負っている。ここに来た時と同じ姿に、胸の奥がズシンと重くなった。



「では先生、また!」



 しかしその日から、ニナはこの家に帰ってこなくなった。




 ◇




「今日も手紙はなしか……」



 注文書くらいしか入ってない郵便受けを見ては、ため息をつく。情けないことにそれが、俺の日課になってしまったようだ。



 ニナの幸せはやはり王都にあったのだろう。学生の頃と同じように、どんなに俺に懐いていても、振り返りもせず自分の世界に戻っていく。



(最初からわかっていたことじゃないか……)



 しかも今回は自分から「王都に帰ったほうがいい」と言ったんだ。何も言わずに出て行きはしたが、ニナは俺が言ったことを守ったようなものなのに。



「それにしても、挨拶くらいしていけばいいのに。薄情なやつだな」



 もちろん本気で怒ってるわけじゃない。ただ中途半端に浮いてしまった気持ちを、どこに着地させればいいのかわからないでいた。



 俺はこの町を離れられない。この薬屋が無くなったら、近隣の村まで困ってしまうからだ。別にここから出ていくつもりもないし、責任感から縛られているわけでもない。俺はこの素朴な田舎町が好きで、ここで暮らしたいと思っている。



 でも大切なものが突然去っていくつらさには、思っていた以上に慣れていなかったようだ。突然プツンと糸が切れたようにニナとの関係が終わり、寂しさが俺を襲っていた。



 久しぶりの温かい食事。たわいのない会話をしながら過ごす日々は楽しかった。まるで両親と暮らしている頃に戻ったみたいに幸せだったのだ。



「はあ……だから初日に帰ってくれれば良かったのに」



 与えておいて奪われる。それがどんなに残酷なことか。それならばいっそ、何も知らないほうが良かったのかもしれない。そんな八つ当たりの気持ちを吐き出すことしか、今の俺にはできなかった。



 そんな心の整理がつかない日々を過ごしていたある日のこと。



「きゃあああ! 先生! 助けてください!」



 早朝、突然ニナの声で起こされた。一瞬夢かと勘違いするほど、妙なトーンの叫び声。それでもたしかに家の外から聞こえてきて、俺は勢いよくベッドから飛び出した。そのまま声がしたほうに走っていくと、薬草畑にニナと一人の男が立っていた。



「ニナ!」

「先生!」



 見たことがない男が、ニナの首に腕をまわし拘束している。



「誰だおまえは! ニナを離せ!」

「フン。おまえが噂の先生か。俺はニナの婚約者のレオンだ。おまえがいるからニナは俺と結婚しないと言うから、わざわざこんな田舎まで来るはめになったんだ」



(レオン? もしかしてニナとの結婚式で女と逃げたヤツか?)



 痩せこけた顔に無精ひげを生やしたその男は、俺に向かって一枚の紙を飛ばした。その紙は魔術が施されているようで、ほのかに光っている。足元に落ちたその紙を拾い上げると、思わず目を疑った。



 なぜならその紙には「私アンリ・ウィルソンは、ニナ・コートニーと婚姻関係を結びません」と書いてあったからだ。




「おまえはこの女に迷惑してるんだろう? それなら正式に結婚しないと誓え。その紙にサインすれば、おまえの望んでる平穏な生活が手に入るぞ」

「先生……」



 ニナの震える声が耳に届いた。俺を見つめる目はゆらゆらと揺れて不安げだ。しかし男はそんなニナを説得するように、優しく語りかけている。



「ニナ、許してくれよ。あの女は遊びだったんだ。それにこの先生とやらは、おまえと結婚する気はないんだろ? 王都に帰れと言った、その意味がわかるか? あの男はな、ニナが誰と結婚しても構わないと言っているんだ」




 あまりにも身勝手なその発言に、俺の足は勝手に動いていた。



(ふざけるな! 俺がどんな思いで……っ!)



 ぶつかるようにその男に飛びかかると、ニナの首に回っていた腕を引っ張った。俺はもともと腕力が強い方ではない。それでもこの男の腕の中にニナがいて、危険な目にあっているのが耐えられなかった。



「ニナは俺の妻だ! おまえには渡さない!」



 震える手でニナの腕を取った、その時だった。



「はい! カット! お兄様! 魔術具で今の映像、ちゃんと撮りましたか?」

「ああ、バッチリだ」

「お父様、お兄様! これで納得してくださいましたよね?」



 気づけばあたりには、見知らぬ年配の男女と、ニナの兄であるエリックが立っていた。



「な、な、なん……」

「先生! すみません! 怒る前にお願いですから、私の話を聞いてください!」



 あせった顔をしたニナが、俺に抱きつくように胸に飛び込んできた。



「この前一緒に朝日を見てお話ししたのを覚えていますか? 実はその時、この元婚約者が国境を越えようとして、私の張った結界に引っかかったのがわかったんです」



 ニナが指差す場所を見ると、さっきまで彼女を拘束し、結婚を迫っていた元婚約者が縄でグルグル巻になっていた。



「無許可で国を出るのは違法ですから捕まえて引き渡したのですが、今度は私の家族に捕まっちゃって。私、先生のところにすぐ帰ろうとしたんですよ? でも両親や兄が、いい加減先生の迷惑を考えろって……」



 ちらりと横目で近くにいるニナの兄エリックを見ると、「うんうん」とうなづいていた。ということはあの年配のお二人はニナの両親か。二人とも心配そうに俺たちを見ている。




「先生は私のことを嫁にする気がないから、あきらめて別の人と結婚しろって。でも私、先生の本音が知りたくて! それでこのお芝居が最後の賭けだったんです。だましてごめんなさい!」



 ニナは強い力で俺のシャツを握っている。しかしその手はかすかに震え、彼女が緊張しているのが伝わってきた。




「じゃ、じゃあ、さっきあいつが言ってたことは」

「それは本当です。実は捕まえたあと『俺は女に騙された』だの『誓いの言葉は言ったからもう私と結婚してる』だのと、ほざいたので……。それで本当に結婚が成立してないか調べるのに手間取りました。まあ、その迷惑料として魔力を操作してお芝居させたんですけど」



 よく見ると男の目はうつろで、酔っ払っているみたいだ。ニナが本気を出すと、こんなこともできるのか。



「私もここまでやって先生が結婚してくれなかったら、諦めがつくというか……」



 ニナも自分で何を言っているのかわからなくなっているのだろう。俺から体を離し、手をモジモジとさわっている。



「だから……」



 胸の前で手を握りしめ、そっと俺をうかがうようなニナの瞳は、涙で濡れていた。



「だから先生、降参して?」



 だまされたとはいえ今のニナを見て、怒り出すほど俺は馬鹿ではない。いや違うな。俺は本物の馬鹿だったんだ。何がニナの幸せは王都にあるだ。自分がニナを幸せにする覚悟が足りなかっただけじゃないか。



 こんな俺じゃ、たとえ結婚しても、いつかニナに捨てられる。そう思ってニナを遠ざけ、一人で悲劇のヒロインのようになっていた、ただの臆病者だ。



(これからのことは、二人で決めればいいじゃないか……そんな簡単なことも思いつかなかったなんて)



 俺はふう、と息をつくと、ニナの腕を取り自分の胸に引き寄せた。



「まいりました」



 ニナの背中に手を回し、ぎゅっと強く抱きしめる。すると心の奥に欠けていたものがパチリとはまったような音がした。



「俺もごめん。ニナにこんな事までさせて」

「いいんです! 私は先生の押しかけ女房ですから!」



 そこからはあっという間だった。俺の代わりに薬局には王室御用達の薬師が置かれ、俺はニナの両親に引きづられるように連れて行かれた。王都に向かう馬車の中ですら、二人に両腕をつかまれている状態だ。



「逃げません! 逃げませんから……!」

「いや、まだわからん! あのニナを操縦できる男なんて、アンリくんを逃したら次はないぞ!」

「そうですわね! さっさと結婚の届だけでも出しておかないと、また逃げられたら大変ですわ!」



(ニナの暴走体質と囲い込みをする癖は、絶対にこの両親の影響だろ!)



 そんな戸惑う俺をニコニコとほほ笑みながら見ているニナは、ものすごく幸せそうだ。兄のエリックにすら「おまえ、そんな嬉しそうな顔できるんだな」とからかわれている。それでもニナは恥ずかしさなどないようで、赤くなった頬に手を当てうっとりと俺を見ていた。



「だって六年目にしてようやく、プロポーズを受けてもらえましたから!」

「六年目?」



 思わず間抜けな声が出た。ニナが俺の家に来て結婚しろと言ったのは、六ヵ月ほど前のことだ。六年前といえば、ニナが入学した年になると思うのだが。学園にいた時に結婚しろなんて、さすがに言われたことはなかった。



「なんで六年目なんだ? プロポーズしてきたのは、俺の家に来てからだろう?」



 その言葉に目をパチパチと瞬かせていたのは、ニナだけじゃなかった。家族全員が俺を見て、不思議そうに首をかしげている。



「え? でも先生、学園にいた時、ニナのプロポーズを毎回断ってましたよね?」

「プロポーズ……?」

「死ぬまで一緒にいてくださいってニナが言ったら、無理だろって」

「え? あれがプロポーズ?」

「魔術師ではそうやってプロポーズして婚約するんです。それが結婚の契約の言葉なので」

「ええ!」



(し、知らないよ! だいたいあの時意味がわかっても、生徒からのプロポーズは受けられないが……)



「薄々そうじゃないかと思ってたんです」



 どうやらニナは、卒業してからあの言葉の意味を俺が理解していないと気づいたらしい。しかしそれがわかったのは、婚約後。俺との結婚はもうできないだろうとあきらめていたが、男が逃げたことでもう一度チャレンジすることにしたらしい。



「頑張ったかいはありましたね!」

「本当に悪い……」



 しかしそこでふと、ニナとの結婚で確かめておきたいことを思い出した。



「あの、たしか魔術師は魔力持ち同士で結婚しないといけなかったのでは? 俺は魔力が全くないのですが、それでもいいのでしょうか?」



 もちろん今さらニナとの結婚を止めるわけではない。聞きたいのは子供のことだ。もし俺たちに子供ができても、ニナの家族が喜んでもらえないというのは悲しい。すると四人はまた顔を見合わせ「そうだそうだ、アンリ君は魔術師じゃないからすっかり説明を忘れてた」と笑い出した。



「先生、私の魔力の血は濃いので、そういった場合は逆に魔力量が低い人のほうがいいのです。多すぎると体がついていけなくて、病弱になりますから」

「……そうか、なら安心だな」

「そうですよ! きっと私たちの子供はかわいいはずです!」



 そう言ってニナは両親から俺を引き剥がすと、腕に手を回してきた。当たり前のように俺の体にピッタリと寄り添い、それを周りがほほ笑ましく見る様子に、なんだか心がむず痒い。



「でもその前に、結婚式が楽しみですね!」

「……なるべくシンプルにお願いします」



 そんな俺の願いは当然叶えられるはずもなく、結婚式は想像以上に豪華だった。すべてニナの両親におまかせだったのだが、「前回よりも派手にやりましょう」という考えで、王都をパレードするはめになった。



 しかもニナから「親しくしている、気の良いおじさんです」と紹介されたのが、お忍びで来た国王だったのにはもう口から泡を吐きそうだった。



 それでもニナのドレス姿は誰よりも美しく、ヴェールをあげて見えた顔は、これまで目にしたどの表情よりも愛おしかった。



「先生、いえ、アンリ! 私と死ぬまで一緒にいてくださいね!」

「ああ、死ぬまで一緒にいるよ」



 あの日できなかったキスは、二人の誓いとともに、たくさんの人に祝福され見守られた。




 ◇




「よし、これが最後の仕事だな。あとは管理人に任せよう」



 あれからニナは国内のあらゆるところに郵便物を瞬時に届けられるよう、たくさんの魔法陣を描いていた。緊急用に医者も運べるよう改良した魔法陣を見ては「私ってやっぱり天才ですね!」と満足気だ。



 今日は俺たちの住む町の郵便所に魔法陣を届けに行くところだ。新しく王都から魔力をもった魔術師も配属されている。また流通が便利になったことで、少しずつ田舎にも若者が戻ってきているようだ。以前より町がにぎやかになっていた。



「仕事がない魔術師にとっても良かったみたいですよ。この前お礼を言われました」



 実は仕事を得られるようになる魔術師は一握りだという。あとは自分で魔術具を修理する店を開いたり、なんでも屋になる者が多かったみたいで。それが今回、国が雇用する枠が大幅に増えたことで、かなり助かっているらしい。



「アンリ。私、みんなを助ける、立派な嫁になってます?」



 ニナは俺が「力があるのだから国民の役に立つ大きな仕事をしろ」と言ったことを、気にしていたようだ。俺の顔をのぞき見ては、目をキラキラと輝かせ返事を待っている。



「予想以上にな」

「やった! きゃあ!」

「ニナ!」



 俺の顔ばかり見ていて、目の前の看板に気づいていなかったらしい。ニナは顔をしたたかに打ち、涙目になっていた。薬を塗ってやると、すぐに効果があったらしく「やっぱりアンリの薬は効きますね〜」なんて言って笑っている。



「はあ、俺はおまえとの先行きが心配だよ」



 からかうように俺がそう言うと、ニナはなぜかしれっとした顔でうなずいている。



「わかります。暑くなるとそう思う日もありますよね」

「気温は関係ない」



 ニナはぷうと頬をふくらまし、少し大きくなったお腹をさすりながら、俺を可愛くにらみつける。



「ほら、帰るぞ」

「はい!」



 下り坂を転ばないよう、ニナの手をしっかり握って歩いていく。細い道なのでニナは俺のやや後ろを、口笛を吹きながらついてきていた。



 出会った時に聞いた、あの口笛、あのメロディ。

 あの時子守唄のようだと思ったこの曲は、じきに本物になるだろう。



「アンリ、私の口笛やっぱりうまいでしょう?」

「そうだな。うまいうまい」

「もっと腹の底から褒めてほしいのに!」



 顔を見なくてもニナが唇をとがらせ()ねているのがわかるので、俺は思わず笑みがこぼれる。



 こんな日々が続けばいい。



 俺はニナの手をぎゅっと強く握り、抜けるような青空を見上げた。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました! 


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これからもよろしくお願いいたします。

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