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夫となる男

その日の昼のことだった。




エレオノーラは台所のメイドたちが噂しているのをこっそり聞いてしまった。




そばかすのある若いメイドがニヤニヤと話し始める。




「旦那様、今日も夜はお出かけかな」




「そりゃそうでしょう~、最近頻繁だもんね~」




赤毛の年かさのメイドもくすくすと笑いながら答えた。






「今度はどんな女かな?」




「どうも、高級娼婦らしいよ。雑貨屋のおやじが見たって。すっごい美人だったらしいよ」




「へえ~、旦那様やるじゃん。まあさー、奥様がアレじゃあね」




「違いない」




二人は下品な笑い声をあげて笑いあう。






台所には、昼食を探しに行くところだった。




エレオノーラのもとにメイドはこない。朝夕の支度はもとより、食事も出されない。




毎日広い屋敷の中で、エレオノーラは自分の部屋と厨房を行き来するだけ。








エレオノーラがこの屋敷に来ることになったのは、爵位を売るしかないところまで困窮していた


ベルティエ家に資金援助をシュンドラー家が申し出たところから始まる。






当時ベルティエ家を継いだシルビオは19歳になったばかり。




隣国の叔父夫妻のもとへ身を寄せ留学をしていたそうだ。






由緒正しい公爵家のベルティエ家だったが、シルビオの父であった公爵が投資という名の怪しい


ビジネスに騙され、大きな借金を作ることになった。




借金を作ると、怪しい商人たちが出入りするようになり、そのうち、賭博場にも出入りするようになる。






シルビオが気づいたころには、両親とも行方不明になり、家財道具はほとんど売り払われている状態だったという。




留学を終えたシルビオは、親しかった友人や、親戚を一軒一軒周り、頭を下げてお金を工面しようとした。しかし、だれも、助けてくれるものはいなかった。




隣国の叔父夫妻も、あまりにも多額の借金に頭を抱え、手助けできない状態だった。








そんな中、あることを条件に、借金を肩代わりするという申し出があった。シュンドラー男爵家だ。


藁をもつかむ思いで訪ねてみると、そこには、派手に着飾った黒髪の女性と、小さな女の子が待っていた。




今でこそ注目される家柄ではないが、一時期は商売で成功しかなりの資産を持っているという。他国の事業や鉱山にも投資していて、寝ていても財産が増えるだろうと噂されている家だ。




決して大きい作りではないが、一目でいい材料を使っているとわかる屋敷だった。


調度品は高価なものが多く、職人がこだわって作った跡が見える。


ため息がでるような、調度品に目を奪われていると、女がにっこりと笑い、おもむろに話し始めた。




女性のほうは、ここの女主人だという。大きな宝石を身に着け、ドレスも最新の流行りのものだ。仕立てもよさそうだ。




一方、娘だという少女のほうは、10歳くらいだろうか。くいすんだ金色の髪はボサボサで、前髪も長く、どんな顔をしているのかさっぱりわからない。ドレスも流行遅れで、見たこともないような、おかしな服だった。


前髪の隙間から、透き通った紫色の瞳がぎょろりとこちらを見ているようだった。




ふふ、と微笑み女は答えた。




「条件を飲んでいただけたら、きっとあなたの望むようになりますよ」


ゆったりと、しかし怪しげに女は微笑んだ。




シルビオは、いぶかし気に尋ねた。


「条件、とは?」




「娘との結婚です。この子には遺産があります。先祖代々の莫大な資産がね。でも、結婚後にしかその遺産は継承できないことになっているのです。」




…背に腹は代えられない。先立つものがなければ、明日には爵位返上である。爵位を返上した自分に何が残るのか、考えただけでも背筋が寒くなる。




再び少女を見ると、理由はわからないが、世話をされている様子がなかった。




(使用人の世話すら受け付けないような暴れん坊なのか?


いや、もしかしたらしゃべれないのか?


それならそれで、我が家にさえいてもらえば・・・


いやいや、なんてことを考えているんだ、俺は・・・


しかし・・・)






シルビオの心の中で、天使と悪魔がささやきあう。




(どちらにせよ、すぐには決められない)




この話は、保留に・・・と言いかけたところで、女主人が口を開いた。




「私はこの子の義理の母なのですけれど、どうも娘と気が合わなくて。


それならば早くに自立してもらおうと考えているのです。


シルビオ様も娘もまだ年若いですから、結婚したものの、やはり考え方が合わないということもありましょう。


その時は離縁していただければよいのです。」




シルビオは思わず目を見開いた。




(離縁だって?!最初から別れること前提なのか?


…義理の母と言ったな。厄介払いをしたいというところか。)




「それから、遺産が相続され次第、鉱山の権利はわたくしに譲ると一筆書いていただければ、残りの資産はすべて差し上げますわ。」




こちらが資産一覧です、と女主人がだした目録を見ると、鉱山のほかに、農地や牧場など領地の権利が丸ごとある。




「・・・?!」


渡された目録は、鉱山の権利を別にしてもめまいのするような金額だった。


あまりの金額の多さに、言葉を失う。






女は意味ありげに微笑んで、


「もし、お心が決まったなら、今すぐこの子をお連れになって結構ですのよ。」




いや・・・といいかけたところで、




「こんなに資産のある娘ですもの、明日には、他の方にもらわれているかもしれませんけどね。」


そういうと、女はニヤッとわらった。




(今日、今、決めるしかないということか・・・)




その時、使用人が女主人を呼びに来た。




「ちょっと、失礼しますね。」


愛想笑いを残して、女主人はいそいそと席を立つ。




玄関ホールで女主人を呼ぶ若い男の声がした。


(愛人か・・・いよいよ娘は厄介なはずだ)






シルビオは先ほどから何も話さない少女の様子が気になっていた。




(もしかして、口がきけないのか?)




彼女はひどく痩せていた。前髪からのぞく紫色の瞳はあきらめたように伏せられてしまう。




どうしたものか、シルビオは考えあぐねていた。


(遺産は魅力的だが、それだけでいいのだろうか。)




一般的に、王宮に伺候しているような上級貴族は政略結婚が多く、幼少期から婚約者が決まっている家も少なくない。しかし、下級貴族は庶民に感覚が近く、恋愛結婚も多い。シュンドラー家は男爵家ということで、公爵家と縁続きになれば、貴族としての格も上がり、メリットはある。しかし、事業を手広くしている家柄で、社交界にも出入りしているわけではないため、家柄をどれくらい重視しているかは疑問だ。




一方、ヴェルティエ家は、もともと王宮へ伺候していた家柄で、親戚の中には、要職についているものも少なくない。


しかし、本家であるシルビオの実家は、慣れない投資に手を出して没落寸前だ。もう、爵位を売るところまで追いつめられている。


公爵家を支援することで、家業にメリットがあれば、政略結婚もおかしくないが、シュンドラー家としてはメリットがあまりにも少ない。


なぜ、ヴェルティエ家を選んだのか、はなはだ疑問だ。








エレオノーラは向かいに座った青年をこっそりと盗み見た。




苦労しているらしく、着るものもくたびれていて表情もさえない。


しかし、すらっとした長身に加え、


すっと上品に通った鼻梁、きらきらと陽に透ける金髪。


前髪は少し長く、眉のあたりまでさらさらと流れている。


瞬きをするたびに、まつげは揺れ、瞳にうっすらと影を落とすほど長い。


絵物語から抜け出してきた王子様のように美しく、目を引く容貌だ。






(こんな美しい青年がなぜ我が家に?)




エレオノーラは不思議で仕方なかった。継母が愛人として、お金を盾に連れてきたのかと思ったが、自分の結婚相手だなんて。




本来なら、明日にでも年配の、商売で成功しているという中年の男爵に嫁がされる予定だったのだ。一度家に来た時に見たが、でっぷりと脂ののった体格でニヤニヤと品悪く笑う気味の悪い男。噂では、少女と言われるような年齢の愛人を何人も囲っていて、今度は貴族の妻を探していた。




しかし、エレオノーラの遺産は結婚後、まったく継母に入らないことがわかり、男爵に結婚の条件として、エレオノーラの遺産を山分けすることを提案した。


男爵は遺産丸ごともらい受けることができなければ、婚姻は無効だと言い始めた。


条件面で揉め始めたため、遺産を山分けできる結婚相手を慌てて探した。ちょうど良いタイミングで現れたのがシルビオだった。






「正直に言うと、私は君の財産目当てだ。君が相続する遺産がなければ、うちの公爵家は立ち行かない。それでも、君はいいの?」




正直すぎる告白に、エレオノーラは思わず目を見開いた。




「本当はね、悪徳男爵のところに、明日にでもお嫁に行かされるところだったのよ。どうやって逃げようかって、一生懸命考えていたの。


・・・あなたが来てくれてよかったのかも。」




苦々しい表情で、シルビオは口を開いた。


「よかった…かどうかは…何とも言えないな。私は留学していてね、家のことは親に任せておけばいい、もう少し遊んでいたい、と責任から逃げていたんだよ。それでこのありさまだ。情けない。」




シルビオは留学中何も知らず、それはそれは学友たちと楽しく過ごしていた。


国に帰ってもその生活が続くものと思っていたのだ。公爵家のそれも本家の跡継ぎ。将来も約束されていて、甘えた貴族子息そのものだった。しかし、19歳で留学を終え帰ってくると、実家の惨状に愕然とする。






「留学していたの?!どんなところだった?その時のお話、もっと聞きたいわ。


私、お母さまが亡くなってから、この家を出たことないの。外のこと、もっと知りたい。」


初めて彼女と目が合った。きらきらと瞳を輝かせている。




興味津々、という様子で自分を見つめる彼女を、ほほえましく思った。




「家のことが落ちついたら、いろいろなところに行って見聞を広めるといい。


・・・夫としては見られないと思うが、兄だと思って接してくれればいい。」




そうだ、彼女とは家族になると思えばいい。いささか、都合の良い解釈だが、生活に余裕が出てきたら、きっとこの少女が望むように手助けしよう、と思った。




「君の受け取る遺産も、きっといつか返す。」

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