過去の記憶
ホール二階のテラスの手すりの下に、座り込んで動けなくなってしまった。
彼のことは顔や、表情にはなじみがあるものの、彼を見つめた風景がほとんど思い出せないでいた。
(どこで、一緒だったのかしら……?)
苦しい中、必死に記憶を探る。
この機会を逃したら、二度と記憶が戻ることがないかもしれないのだ。
しかし、思い出せたのは、自分を見つめる優しいまなざしと、自分に語り掛ける声だけ。
交わした会話や、彼の背後の風景はなじみがない。彼との関係もはっきりわからない。
(彼に直接聞いてみる……?)
いや、とすぐさま自分の考えを否定した。
どうも、彼に近づいてはいけない気持ちになる。
きっと自分のことを知っているだろうが、優しそうな雰囲気とは裏腹に、恐ろしいような、妙な気持になる。
一方、シルビオは旧友に囲まれ、久しぶりに夜会を楽しんでいた。
実家の借金を完済できたため、お世話になった叔父夫妻にあいさつするため、リュトヴィッツ王国を訪れていたのだ。
アカデミー時代の友人とは、帰国して以来、数年ぶりに会う。
「シルビオ、大変だったな。家の方はもういいのか?」
「ああ、おかげさまで何とかな。」
隣にいるのは、ロジェ・ドルレアン。アカデミー時代に親しくしていた一人だ。
突然帰国した後も、心配して連絡をくれていた。
現在は、騎士団に所属し、将来有望だ、と自分で吹聴しているようなお調子者だ。
本当は、芯のしっかりした男だが、普段は、あまり見せない。
軽い会話が得意で、明るい性格のため、当時女子には相当人気があった。
いや、今でも有望株として社交界では、注目されている。
シルビオとロジェは、アカデミー時代青騎士団に所属して、苦楽を共にした仲でもあった。
青騎士団は、伝統的に規律が厳しく、授業以外の時間はほとんど鍛錬や、稽古の時間となる。
騎士団は拘束時間が長い。そのため、家族よりも強い絆が生まれる、といわれるほどだ。
「お前が騎士にならなかったの、ほんともったいないよ」
残念そうに、ロジェは言う。帰国した後も、騎士団に入らないかと何度も連絡してきていた。
「そうでもないよ。お前の方が実力は上だったよ。手加減してたの気づいてたぞ。」
「そういうなよ、俺には団長なんて似合わないから、仕方ないんだよ。」
青騎士団では、より実力のあるものが団長となり、団員を引っ張っていくという役目がある。ロジェは、それをめんどくさがって、シルビオにおしつけていた。
「お前、面倒見いいから、ちょうどいいんだよ」
そういうと、シャンパンを一気にあおった。
当時の騎士団の仲間もちらほらいる。久しぶりに来たシルビオをみつけると、みんな嬉しそうに話に来てくれた。
当時アカデミーで一緒だった女性たちも、ここぞとばかりに、シルビオの周りを囲む。
妻が行方不明となり、二年経った。三年経つと、離婚が成立する。
事業家として成功しつつあるシルビオとの婚姻を狙う者も少なくないのだ。
ぎらぎらとした女性たちに、職務質問さながらの質問を受けながら、シルビオは苦笑していた。
(早くここを離れなくちゃ)
少し、落ち着いた。夜会の参加者に見つかったら大変だ。
二階のテラスを抜けて、執務棟に向かう途中、談話室や、休憩室など参加者が使う部屋が並んでいる。
様子を見ながら、足早に通り過ぎる。
父のこと、母のこと、継母や家のことなど、ずいぶん思い出せた。
母が亡くなり、父が家に帰ってこなくなり、継母が家に入り込んだこと。
母が亡くなってから、誰にも見向きもされず、家の片隅で何とか生きてきたということ。
そこから、どうして馬車の事故にあったのかが、どうしてもはっきりしなかった。
(…なんだ、あれは?)
女性たちから矢継ぎ早に質問されている最中、視線を感じた方向を見ると、二階のテラス。
重厚な石造りのテラスで、美しいタイルが埋め込まれている。
その手すりに、何か手袋のようなものが引っかかっている。
(白い手袋?)
手袋をするのは、今日社交界デビューを迎えた、紳士諸君の証だ。
その手袋を忘れたとなれば、ちょっとした話題になってしまうほどのマナー違反となる。
(…仕方ない、拾って持ち主を探すか。どうせ、その辺をうろうろしているだろう。)
困った顔で、ウロウロと探し物をしている姿が容易に想像できた。
そうなれば、舞踏会どころではないだろう。
「ちょっと、外すぞ。」
ロジェに女性たちの相手は任せて、二階のテラスへ向かう。
「確か…この辺に……」
手袋のあったあたりを探してみるが、何もない。
(おかしいな、誰かがすでに持って行ったのか?)
周辺に人がいた気配もないし、見間違いだったのだろうか。
(それなら、それでいい。)
無事に社交デビューが終わるなら、それに越したことはない。
ほっと胸をなでおろして、会場に戻ろうと、階下を見下ろすと、ロジェの周りは女性の人だかりができている。
(あれは、会話というより、尋問だもんな)
先ほどまでの会話を思い出して、苦笑いする。
そこに戻る気になれず、なんとなく談話室のある方に足が向いた。




