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世話やき

 

 台所に入ったライアはとにかく手を動かすことに専念する。


 良かった。

 本当に良かった。

 ちゃんと回復してくれて。


 そう思うと身体中の力が抜けそうになる。

 だからといって座り込んでる場合じゃないのだ。

 あとは力をつけてもらわなければ。


 仕込んであったパンを焼いて、同時進行で野菜のスープを作る。

 このスープは煮込んで具材をトロトロにするつもりなので火を弱めて時間をかけるのだ。

 根菜を数種類刻んで煮込むのは手慣れたもの。味付けはシンプルに塩だけでもいいだろう。玉葱を多めに入れたので甘みも十分出るだろうし。あとはハーブを少し入れておく。

 そうこうしているうちにパンが焼けて、オーブンから出して冷ます。


 これは結局スープに入れるので焼きたてふわふわである必要はないのだけど。

 なんて思いながらレジナルドに出す分を取り分けておく。冷めてから小さく切ってスープに入れるのだ。

 だいたい出来上がる頃には外はすっかり明るくなっており、ライアは一旦台所から出る。

 居間の鉢植えたちに水をやり、その足で玄関に向かう。


 スープはもう少し煮込みたい。

 それに急いでレジナルドのところに持っていく必要もないだろう。できれば眠ってほしいし。


 向かった先は裏庭。

 朝の澄んだ空気の中でさわさわと植物が揺れるのは風のせいとかではない。

 おそらく会話をしているのだと思う。

 ライアにとっては馴染んだ光景。

 彼らを世話してここで育てているとはいえ、決して自分優位だと考えることはできない。そんなことは考えたことがない。

 彼らにはここに居てもらっている、と思っている。

 居てもらっている以上、世話させてもらうのは当たり前。できる限り居心地良く過ごしてもらうための努力は惜しまない。

 だから、彼らが過ごしている時間の中に割り込むことにはいつも多少なりとも気を使う。

 わざわざ言葉にはしなくても「お邪魔いたします」と心の中で頭を下げる。


『おお……姫か……あやつは無事か?』

 真っ先に気遣わしげな声がかけられた。

「老木殿……ありがとうございました。おかげさまで」

 ライアは真っ直ぐ奥の古木を覆い尽くしている蔓のところまで歩いて行って、その手前で膝をつく。

 ここ数日、繰り返してきた仕草だ。


 この仕草が植物に通じると思っていたわけではなかったが、それでも、心の奥まで見通してくる植物たちに心の状態を見てもらうだけでは全然足りない、と思ったライアは木の前で膝をついて頭を垂れた。


 そうしてレジナルドの行為を改めて詫びて、彼のための薬を作る手助けを請うたのだ。


『同じ事をするのだな……お前たちは……』

 老木の声が柔らかく響いたのでライアが頭を上げる。

 今日は薬草をもらうために急いでいるわけではないのでライアの方にも少し気持ちのゆとりがある。

 なので「はい?」と小さく聞き返してみたりして。

『あの若いのも同じようにして薬が欲しいと言ってきたことがあったよ。お前さんの毒消しのためだ。……我らに膝をつき、頭を下げる人の子など見たことがない……まったく……』

 呆れたものよ、とでも言いたげな口調の割にその音は柔らかく、愛おしいものにでも向けられるような響きが感じられてライアはつい目を丸くした。


 そういえば最初にこの仕草をした時に周りの薬草たちが柔らかく微笑んだように思えたのが不思議だった。

 老木殿までが意味ありげな空気を纏ったのだ。


 ここ数日は毎日急いでいたし、そんなささやかな空気感についてゆっくり話を聴くゆとりはなかったから気付かないふりをした。そしてレジナルドの体のことで頭がいっぱいになっていたのですっかり忘れていた。


 自分と同じようにここで膝をつき助けを請うレジナルドの姿を思い浮かべると、頰が熱くなっていくのがわかる。

 そうか。

 彼も、同じように木に、草たちに、敬意を表したのか。

 ……私のために。


『姫よ。……それで体の具合はいかがなものか』

 少し間を置いて尋ねられたライアは我に返った。

「あ、はい。もう熱も下がったし、毒はちゃんと排出できたみたいで今は落ち着いてます」

 ライアが嬉しそうに報告すると『む……』と小さく唸る声がした。

「……老木殿?」

 思わぬ反応にライアがつい首を傾げて聞き返す。

『いや、あやつのことではない……お前の体のことだ、姫』

「……はい?」

 まったく予想していなかった言葉にライアの頭が軽くパニックになった。


 ……私?

 えーと、心配されるような状態ではそもそもなかったはずなんだけど……あれ? もしかして前回レジナルドが頭を下げて解毒剤をもらったという時の話をしている?


 ふと、周りの植物たちが楽しそうにさわさわと揺れる様子が目に留まる。

 なんだかみんな意味ありげだ。

 なんなら目の前の茂った蔓の葉までもが何がおかしいのか笑うように揺れている。


「えーと……私ならいたって元気、ですよ?」

 意味がわからなくてそれだけ言うと『そうか。なら良い』と返される。

 含み笑いのような微妙な響きを持つその言葉に、ライアはもう少し突っ込みたいところだったがいくらなんでもそろそろ台所に戻らなければ、と思うのでそこで話は切り上げて。



「……うん、美味しい」

 力の抜けた白ウサギの笑顔には安心感を覚える。


 案の定、パン粥を仕上げて部屋に入るとお腹を空かせて目を覚ましていたレジナルドが目を輝かせているのでライアがそれを彼の膝の上にトレイごと乗せると、彼は素直に食べ始めた。

 思わず、といった感じでぽろりと出た感想とその表情に安堵してしまうのも仕方ないと思う。


 そしてほぼ食べ終わるまで手が止まることがなかったレジナルドが、ふと手を止めた。

「……あ……」

 何かを思いついたようにスプーンを皿の上に置いて動きが固まる。

 ので。

「え、何? どうかした?」

 思わずライアがレジナルドの視線をたどる。

 彼が眉を顰めて見つめているのは皿の上に残り一口、といってもいいくらいに少しばかり残ったパン粥だ。

 なんだろう。何か変なものでも混入していただろうか。

 野菜はほぼ全部煮崩れていたはずだし、パンもスープを吸ってかなり柔らかくなっていたはず。

 何か変なものが混入していたら舌触りでわかる筈だから……この反応はあり得るけど……調理の過程でその可能性、あったかな……と記憶を辿ってみて。


「あ……いや……僕、怪我人だし、病み上がりの身だった……」

「はい?」

 知ってるわよそんなこと。

 異物混入の可能性をひたすら考えていたライアが目を眇めながら聞き返す。

 病み上がりの怪我人が食べちゃいけなさそうなものを混入させているということだろうか。

「……こういうときは食べさせてもらうべきだったのに……」

「……」

 思いっきり残念そうに残り少なくなっている皿の中身を凝視している白ウサギの言葉にライアはかくんと頭を垂れた。

 ……バカが再発してる。

 いやそれは彼なりにいい傾向なのかもしれなくて。つまりは元の調子に戻ったということなのだし。

「あのさ、あと少し残ってるんだけど……」

 おずおずと皿をこちらに差し出すレジナルドをライアはつい冷め切った目で見返し。

「それだけ勢いよく食べられるんなら自力で最後まで行きなさい」

 当然のように切り捨てる。


 しょぼんとして最後の残りを食べるレジナルドにはなんだか哀れを感じてしまう。

 なんだろうこの感覚。

 なんて思いつつもこっそり口元がにやけてしまうライアとしては。

 そうか、お世話されたい気分なのね。仕方ない。そもそも本当に病み上がりの怪我人だし。

 と、姿勢を正し直してみて。


「まぁ、そうよね。あれだけの熱を出して頑張って闘ったわけだしもう少しお世話してあげなきゃいけないわよね?」

 ここはもう少し優しくしてあげなければ。と、思い定める。

「……え?」

 寝ていた耳がぴくん、と動いたかのような小さな反応を見せる白ウサギにライアは思いっきり優しく作り上げた笑顔をむけてみて。

「お風呂に入りましょう。洗ってあげるわ」

 語尾にハートマークをおまけでくっつけたような口調。

「え……お、お風呂……」

 薄茶色の瞳が限界まで見開かれた。



「……いや、え……? 本当にライア入ってくるの?」

 浴室の中から声がしてライアが腕まくりをしながらドアを開ける。

「当たり前じゃない。そもそもその左手じゃろくに体なんか洗えないでしょ?」

 一瞬目を逸らしかけたレジナルドの顔がこちらを向き直して、何かがっかりしたような顔になったのは……もう突っ込まないことにする。

 何を期待したんだか。

 仕事着、つまりいつものワンピースにエプロンをつけた格好のまま浴室に入ったライアは湯船に浸かっているレジナルドの方に歩み寄り、タオルを手にする。

 浴槽から出している彼の左腕は包帯を簡単に巻き直している。今はお湯に浸けるとか擦るとかしちゃいけない状態。

「お湯の温度、大丈夫?」

「……うん」

 居心地悪そうに答えるのは……まぁ、色々と仕方ないと思うのでライアもなるべく気にしていないそぶりで彼の背中を洗い、そのまま右腕もそっと洗う。


 ……綺麗な身体だな、なんて思ってしまうのは……贔屓目とかじゃないと思う。

 まぁ、男の人の体をこんなに間近で見るのは初めてなわけで。贔屓目も何も比べる材料はないんだけど。

 やつれた、と思っていた割にきちんと筋肉質な身体だ。

 肩幅だって背中だって自分より大きくて、いつも自分が入る浴槽が狭そうにさえ見える。腕も華奢な気がしていたけど自分の手を滑らせるとやはり筋肉量も骨格も自分とは全然違う。

 時々可愛らしすぎて自分より小さく思えてしまうこともあったけど、なんなら実際には自分より身長もあるんだよね、と、すらりと伸びた脚に目がいく。

 タオルを乗せてくれているとはいえ余計なところに目がいきそうになったところで我に返ったライアは「はい、そっちは自分で洗ってね」と、手にしていたタオルを彼の右手に無理やり持たせる。

 気まずそうにそれを受け取るレジナルドを見やりながら。

「頭、洗ってあげるからそのまま上向いて?」

 と、浴槽の縁にもたれ掛けさせる。するりと身体を湯の中に沈めて頭を浴槽の縁に乗せるレジナルドはなんだか素直で可愛い。


 気持ちよさそうに目を閉じてされるがままの顔はいつまででも見ていられると思ってしまう。


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