そばにいて欲しい
「……ひとまずこれを飲んで」
「……う」
ライアが差し出したカップにレジナルドの頰がひきつる。
「って、それ私にも飲ませたでしょ?」
あからさまな反応にライアが眉を寄せるとレジナルドはしぶしぶといった感じでカップに手を伸ばした。
カップの中にはドロリとした緑の液体。
しかもご丁寧に見事な臭気を放っていてまともに臭いを嗅いだら涙が出そうな勢いだ。ちなみに不味いものをより不味く感じられる微妙な温かさ。
「……これ、前に僕が作ったのと本当に同じ?」
薄茶色の瞳が眇められるので。
「裏庭の薬草たちがパワーアップしてます」
ほぼ棒読みのセリフで答える。
ライアの答えの意味を一瞬置いて理解したらしいレジナルドは口元に持っていったカップに口をつけるのをあからさまに躊躇う。
ので。
「だって! その傷、ずっと放置してたんでしょ? そんなに時間が経ったら普通は毒消しなんて効かないんだからね! 事情を見ていた薬草たちが全精力を注ぎ込んでくれて実現した奇跡の毒消しなんだから心して飲みなさいよ!」
「ぐ……」
カップの中をまじまじと見つめる白ウサギはもはや涙目だ。
「はい、息止めて! 下手に少しずつ飲んだら次いけなくなるから一気にね!」
すぐ隣で腕を組んで見下ろしながらライアが軽く睨みつける。
もうこうなったら子供騙しになだめすかしたって意味が無い。不味いものは不味いのだ。
ライアの気迫に負けたのか、一瞬躊躇うようにこちらに向けられた視線は諦めたようにカップに戻され、深く息を吐いてからレジナルドが一気にそれを煽る。
で、空になったカップを横目で確認したライアが水の入ったカップを差し出すと涙を浮かべたレジナルドがそれを無言で受け取りそれもごくごくと飲み干した。
一応そこまで見届けて。
ライアは空なったカップを二つ手に取ると、台所に戻ってカップを置き、二階にそのままあがろうと居間に出る。二階への階段は台所のドアの隣なのでこれはやむを得ない。
「ライア……?」
自分の方に視線もよこさないライアの行動が読めないのかレジナルドが声をかけてくるので。
「あ、ちょっと待ってて。さっきの話だとこの家の物って特にどこかに持ち出したとか売り払ったとかいうわけではないのよね? 今、寝間着出してくるから」
二階に行ったら客間のベッドや家具が無くなってました、ということだとさすがに泊まっていけとは言えないけれど自分がいなくなる直前の状態のままなのだとしたらこのまま泊まっていってもらった方がいい。
自分の部屋のものは元々価値のあるものではないから売り飛ばされるなんてことは考えてなかったけど、客間にあるベッドや棚はそこそこ質の良いものだった。
簡単な説明だけでさっさと二階に上がったライアは軽く客間を覗いて確認する。
ちょっと埃っぽいような気もするので窓を開けて夜風を入れ、ベッドを軽く整え直す。
レジナルドに出してあげる寝間着は……もう彼専用になっているやつだ。
ちゃんと洗ってからしまってあるとはいえなんとなく彼の匂いでもするのではないだろうかと、たたんである寝間着に顔を近づけそうになって慌てて思いとどまる。
……変態か。
自分の行動に自分で赤面しながら気を静めるべく頭を振って下階に降りると椅子に座ったままのレジナルドがこちらに顔を向けた。
「……泊まっていいの?」
神妙な顔で問われてライアが「うん」と軽く頷く。
「……それってさ……」
レジナルドが差し出された寝間着を受け取りながら躊躇いがちに言葉を続けようとする。
若干頰が赤くて視線が泳いでいるのは……。
あ。
「違います! 患者として、ですからね!」
ライアが変な方向に話を持っていかれそうな気配を察してつい声を上げた。
レジナルドが目を丸くしてこちらを見上げてくるので。
「さっきの薬。たぶんもうじき効いてくるわよ。結構な熱が出ると思うし、毒を体外に排出するのにしばらく時間がかかると思うから最後まで診ます」
そもそもグランホスタ家と縁を切った彼は、今どこ在住なんだろうとも思ったのだが。
「あ……そういうこと……」
素直に寝間着に視線を落とすレジナルドの反応からして急いで帰らなければいけない家がありそうでもないので浮かんだ疑問をライアはそのまま飲み込んでしまった。
「……って! 何してんのよ!」
ライアがはたと我に返って声を上げる。
「何って……着替え……」
ライアの目の前でズボンに手をかけ始めた白ウサギはキョトンとした顔をしており、盛大に赤面しながら声を上げたライアの視線の意味に気付くのはその数瞬後だった。
予想通り夜中には高熱を出したレジナルドがうなされ始める。
ライアはつきっきりの徹夜覚悟だ。
必要なものは一通り用意してあるので、額に浮かぶ汗を拭いてあげたり寝具の調整をしたりする。
時々咳き込むので水を飲ませられるように水差しとカップの用意もあってその都度体を支えながら飲むのを手伝う。
一度着替えさせる際に腕に広がる痣に湿布をする。
おそらくこの痣は相当な痛みを伴っているはずだ。なので痛み止め。
もはやこれだけ時間が経つと湿布で毒消しはできないので服薬させた。
体が力を蓄えてこの毒を排除することになったらおそらく、この痣は最終的には瘡蓋になって剥がれ落ちるだろうが……その過程で焼けるような痛みが伴うのだ。
明け方、一旦落ち着いたように見えてライアはホッと胸を撫で下ろす。
勿論、一晩程度で済むわけがないのは分かっている。このまま数日は寝込むと踏んでいるが、それでも一旦落ち着いてくれればその間にちゃんと眠ることもできるだろう。
そうなればこちらもその間に次の薬の準備もできる。
窓の外がうっすらと明るくなるのを確認してから汗で濡れた寝間着を抱え、そっと立ち上がる。
レジナルドの寝息はしばらく前に比べたらだいぶ楽そうだし、最後に汗も拭いたので心地よく眠れているのではないかと思った。
これならしばらくは眠ってくれるだろう、とベッドに背を向けて。
と。
「……?」
何かに服が引っかかったような気がしてライアが振り返る。
「……どこいくの?」
掠れた声にライアはつい眉をしかめた。
服の裾をレジナルドの左手が握っている。
「どこにも行かないわよ。大丈夫? まだ苦しい? ……腕、痛いでしょ?」
そう言いながら腰を下ろし直して握ったままの左手をそっと離させる。
この手で何かを握ったらたぶん激痛が走ると思われるので。
「……このくらい平気」
掻き消えてしまうのではないかと思われる声が返ってきてライアが居た堪れない気持ちになる。
これ、眠ってしまえばまだ楽になるだろうに痛みで眠れないということだろうか、と思えてしまう。
「眠ってていいのよ。眠れない?」
心配で仕方なくて覗き込むように顔を近づけると。
「うん……どうしても気になるから聞いておきたくて……」
焦点の定まらない瞳が宙を彷徨いながらそんな言葉が紡がれるので「何?」と尋ねる。
「裏庭の植物たちって……怒ってなかった?」
「……はい?」
ポツリと呟くように尋ねられた内容にライアが耳を疑う。
「だから……僕が勝手に証書を取ったこと。……一応あの木の前で説明してから取ったけど……もう言葉を交わせなくなってたからさ。……もし……怒ってるんだとしたら、こんな風に彼らの力を借りて良くなったりしちゃいけないと思うんだ……」
ああ、この人は。
本当に、私と同じように考えてくれているのだ。
そう思うとライアは言葉に詰まる。
私が老木殿の考えや気持ちを大事にするように、薬草たちの気持ちを大事にするように、この人も彼らを大事に……それはまるで人と同じ対等な存在でもあるかのように考えているのだ。
そんな風に自分と同じ視点でものを見る人がそばにいてくれたら、と何度思ったことか。
こんな人が、私のそばで一緒に世界を見てくれていたら。
それは思い描く度にそんな自分を恥じ、自分はそんなことを願うにも値しない者であると言い聞かせてきた、そんな小さな願いだった。
「……ライア?」
固まってしまったところに声をかけられてライアが我に返る。
「え、あっ……ああ、大丈夫よ! 誰も怒ってなんかいないわよ。むしろ心配してたわ。だから毒消しもパワーアップしたやつが作れてるわけだし!」
少し慌てて返したがそれは嘘偽りのない言葉。
それが伝わったのかレジナルドはふっと息を吐いて緊張を解いたように見えた。
「……眠れる?」
この状態で緊張して心労とか絶対良くない!
と思うのでライアが心配になって顔を近づけると薄茶色の瞳が少しだけ見開かれて、それからもぞもぞと布団の中に半分顔を隠される。
「……うん。ちょっと眠くなってきた」
「良かった。眠るまでそばにいたほうがいい?」
「……いいの?」
なんだか子供と話しているみたいだな、と思いつつライアは小さく笑いながら頷いた。




