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傷の手当てと。

 

 馬車に乗せられたライアはレジナルドの向かいに座って神妙な面持ちだ。


「君をあの中から助け出す事を真っ先に許可したのはヘレンなんだ」

 レジナルドがまっすぐな目をライアに向けながらそう切り出した。


 ライアの方はあの惨状が目に焼き付いたままなので心ここに在らずで、いつ嫌味を言われるか、もしくはいかに悪事を働いたかを諭されるのではないかと気が気ではない。


「本当なら誰の許可も得ずに飛び込むところだったけどね。リアムのやつが君を婚約者として発表した後だったろ? あの段階で僕が君に触れたらややこしい事態になりそうだった。だからリアムのやつに『自分の婚約者を止めないのか』って言ってやったんだ。リアムは完全に度肝を抜かれて腰を抜かしちゃってたからね。で、ヘレンが『彼女を助けてあげて』って言ってくれたんだよ」

「ヘレンが……」

 ライアは話について行くのに精一杯だ。

「そ。立場上、ね。どうしてもゼアドル家の権力者の許可が必要だった。こんなの本当なら僕の独断で全部片付けてやりたかったくらいだけどね。……まどろっこしい真似してごめんね。ライアには……色々我慢させちゃってるよね」


 少し前屈みになってこちらに視線を向けてくるレジナルドが力無く眉を下げて情けなさそうに笑うのを見てライアは胸が締め付けられた。


 あれ、なんだろう、この感覚。

 なんだか無性に……この白ウサギに……抱きつきたくなってる。


「はぁ……馬車だとあっという間だな。だから嫌なんだ……」


 ライアがこの微妙な気持ちをどうしよう、と両手を握りしめたところでレジナルドが外に目を向けて呟いた。

「……え?」

 レジナルドの言葉に反応したのではない。ライアの視線は窓の外に張り付いている。

「ほら」

 ぼんやりと眺めているうちに先に外に出たレジナルドがライアの方に手を出すので、何も考えられないままライアがその手を取り、馬車から出る。

「……え、あの……」

 建物の玄関先まで呆然と手を引かれたままだったライアはドアを開けたレジナルドにようやく声をかけた。

「一応、シズカと一緒に掃除はしてたからそう変わってないとは思うけど」

 そう言って照れ臭そうに笑うレジナルドが開けているのは、薬種屋のドアだ。


 少し前までライアの家だった所。

 今の所有者は……。


 ライアが悪びれる事なく眉を下げて笑みを作っているレジナルドの方に視線を向けて。

「ここ……」

 何と言っていいか分からずにようやく口にした言葉は尻窄まりに終わる。

 レジナルドが躊躇いなく入っていって、きちんと掃除された部屋のテーブルの方に向かうのにはもはや従うしかない。なにしろ馬車を出たところから手を繋いだままだ。


 ライアは促されるままに椅子に座り、それを見届けたレジナルドが向かいの席に座る。

 そこに彼が座るのは、何度も見てきた光景の一つだ。


 ああ、そうか。

 今の所有者が彼であるなら、ここに彼が自由に出入りしているのは当たり前のことか。今となっては私がこの家の客人だ。


 そんなことに思い当たってライアが視線を落とした。


「どうしたのライア。どっか痛いところでもある?」

 ライアの反応を目にしたレジナルドが途端にテーブルに手を付いて腰を上げた。こちらに前のめりになって……。

「っ……!」

「……え?」

 目を上げると苦痛の滲んだ表情のレジナルドが目に入りライアが慌てる。

「ああ……ごめん、大丈夫。なんでもない……」

 レジナルドが左腕を抱えるようにしながら一度上げた腰を落としたのでライアが向かいの彼の席の方に回り込む。


 今の感じ、テーブルに手を付いて体重をかけたせいでかなりの痛みが走った、ということだろう。

 ということは、さっきのあれこれで彼の左腕には結構な怪我があるのかもしれない。

 そもそも彼はその左腕の破れた袖も隠すようなそぶりを見せていなかっただろうか。

 そんなことに思い当たったライアは怪我の状態を見ようとその袖を捲り上げようとして。


「大丈夫! これはたいしたことないんだ!」

 レジナルドに勢いよく制止された。

「え……だって……すごく痛そう……」

 ライアの言葉に答える気はないようで、レジナルドは右手の方を差し出して。

「こっちの方が痛い」

 と、拗ねたような声を出す。

 目の前に突き出された彼の右手は、確かに痛そうだ。

 植物の汁や土で汚れた中に擦り傷がたくさんできていて、中にはちょっと深そうな傷もあり、まだ血が乾いていないところをみると傷口はふさががっていないのだろう。

「うわ。大変! とにかく洗わなきゃ!」


 ライアは勢いよく立ち上がり、台所に駆け込む。


 今の所有者が自分ではないとしても、ここにあるものに関しては自分が一番良く知っている。

 手際良く水を汲んで、清潔な布や包帯の類をかき集め、引き出しを開ける。

 しばらくここにはいなかったから薬は少々古くなっているとはいえ自分が作るものに他のものとは明らかに違う長い効力や強い効力があることは知っている。普段ならこんなに長く保存することはなく使い切ってしまうけれどこの度は致し方ない。

 消炎効果のある軟膏を取り出して、痛み止めの湿布の材料を集める。



「まずはその手を出して」

 レジナルドにそう言いつつも自ら手を伸ばしてその右手を掴む。

 掌には結構な傷が沢山ある。

「……っ痛……!」

「当たり前です」

 レジナルドが握りしめようとする手のひらの指を押さえ込んで水で汚れを洗って濡らした布でさらに拭く。

 傷が多いから血が沢山出ているように見えるだけで、傷自体は深くないというのがわかってライアはちょっと息をつきながらも手を休めない。

「……ちょ、その薬ってまだ使えるの? 大丈夫?」

 真剣な眼差しで傷を洗って、いざ薬を塗ろうと軟膏に手を伸ばしたライアにレジナルドが心配そうな声をかける。

「大丈夫よ。私が作った薬の効果は普通の薬より長続きするもの。今から薬作るのじゃ間に合わないし、腐ってるわけじゃないから毒にはならないわ……多分」

 最後の方はちょっと声が小さくなる。

 なにしろこんなに長期、保存というよりほったらかしにしていた薬なんか使ったことがない。

「え、ええええ!」

「大丈夫だからじっとしてて!」

 腕を自分の方に引き戻そうとするレジナルドの手首をライアは掴んで無理矢理薬を塗りつけて包帯を巻き始める。

「……だいたい、なんだってこんな怪我するような無茶するのよ!」

 小さく、ぽろっと声が出た。


 そう。

 さっきからそんなことばかり考えていた。


 私のことなんか放っておいたらいいのに。

 店も手に入れて、薬草も手に入れて、あとは薬師がいれば良いだけだ。私じゃなくてもあれだけ薬草が揃った裏庭があったらグランホスタ商会なら他の薬師を探してくるなんて容易いだろう。

 私はちょっと老木殿や薬草達と仲がいいっていうだけで、他の薬師だって世話の仕方さえ知っている人ならあの庭を管理することはできるし、きちんと管理されればみんなそれに応えてくれる子たちばかりだ。

 私にこだわる必要はない。


「なんでって……ライアを放っておけるわけないだろ」

 あまりに落ち着いた声にライアの手が止まる。

 反射的に顔を上げたところで、こちらを真っ直ぐに見つめている瞳と目が合って肩が小さくびくりと跳ねた。

 で、それを誤魔化すように手を再び動かす。

 手のひらの傷はひとまずこれでよし。

 あとは腕の方。

 袖を捲り上げて確認するとこちらも結構な擦り傷や切り傷ができている。

 それに、袖を捲った程度で全体の傷が把握できるとも思えない。

「……脱いで」

「……へっ?」

 表情と口調を変えないように注意しながら短く告げるとレジナルドが不意打ちを喰らったように声を上げた。

「シャツを脱いでって言ったの。これじゃ他の傷の手当てができない」

「……あ、そうか。……って、いや、今大事な話に差し掛かってなかったっけ?」

「大事なのはあなたの体! ほら脱いで!」

 言いながらもライアの手がベストのボタンに伸びてそれを外し始めるので、レジナルドが若干慌てたようににシャツのボタンを外す。

 さすがに脱がされるのは恥ずかしいらしい。

 そのまま勢いよくシャツが脱ぎ捨てられて。


「……え……?」

 ライアが思わず声を上げた。

 視線が固定されたまま眉間にシワがよる。

「……何? ……あ……っ」

 ライアの視線の先を辿ったレジナルドがその先にある自分の左腕に目をやって慌てる。

 脱いだシャツを引き寄せてそれで隠そうとするが今更だ。


 彼の腕には手首のあたりから肩にかけて見覚えのある黒い痣が広がっていた。

 手首の先は革製の手袋をしたままなので見えないが……もしかしたら手の甲まで広がっているのかもしれない。


「ちょ……それ! 老木殿の毒でしょ! なんでそのまま放ってるの! っていうかなんでそんなことになってるのよ! あなた老木殿の毒のことは知ってた筈でしょう?」

 リアムが手の甲あたりに毒を受けた後でさえあんなに騒いでいたのだ。この面積となると一日や二日寝込む程度で済んだとも思えない。

 しかも彼は普通に動いていたけど……この状態……少し動かすだけで激痛が走っている筈だ。

 慌ててライアが解毒剤を用意しようと立ち上がる。

「あ、ちょっと! ライア!」

 立ち上がったところで手首が掴まれてライアが不審そうな目を向けると。

「あのさ、これは今更どうでも良いから。むしろ新しい傷の方の手当てしてほしいけど……」

 口元に引き攣った笑みを浮かべながらレジナルドが訴えてくるので。

「あ……そうか……」

 すとんと素直に腰を下ろし直す。

 ……考えてみたら今から解毒剤を用意して治療するとなると少し時間がかかる。その前に擦り傷や切り傷の手当てをしてしまわないと。


 それにしても。

 と、無言で手を動かしながら擦り傷や切り傷の状態を確認して洗ったり薬をつけたり包帯を巻きつけたりしながらライアが小さくため息を吐く。

 ……これだけ痣が広がっているということは元は相当な傷だったのではないだろうか。

 それこそ肩から手の甲まで全体を老木殿の棘で切り裂かれるような。

 ……何をしたらそんな怪我ができるんだ……?


「……あの……ごめん」

 ライアのため息が震えたのはその傷を想像したら怖くなったからに他ならないのだが、レジナルドからしたら怒りで震えたと思えたのかもしれない。

 しょげかえったウサギのような雰囲気で、俯いて上目遣いでライアの方を見ながら謝ってくる。

「……」

 謝られたところでなんと返して良いか分からないのでライアが視線だけレジナルドの方に向けると。

「あのさ……ライアがいなくなって、裏庭の植物たち、本当に機嫌が悪くなったみたいなんだ。で、老木殿も話をしてくれなくなってて……」

「だからってあの木の毒のことを知らなかったわけじゃないでしょう」

 ライアが声を低めたまま返す。

 話してくれなくなったから怪我をしました、なんておかしな話だ。

 不用意に近づかなければいいだけの話で……あ。


 彼はあの木に近づいたのだ。


 そんなことを改めて思い出す。

 思い出すと同時にライアの手が止まり、思考が中断された。


 ちょうど包帯を巻き終わったところだったので自分の手を膝の上に戻してそこでギュッと握ったまま肩を強張らせて動けなくなる。


「だから……その、ごめん」


 彼は何を謝っているのだろう。

 勝手に権利証を取ったことだろうか。

 その権利証の名義を勝手に書き換えたことだろうか。

 私から……この店を奪ったことだろうか。


 今更、だ。


 そう思えてしまうので聞き返すことも頷くこともできない。


 そんなことを考えながらライアの視線はただ床に落ちる。

 レジナルドの傷の手当てをするために彼に向き合う位置に椅子を持ってきて隣のテーブルに必要なものを乗せて作業していた。

 何もなかったかのように立ち上がって、持ってきたものを片付けてもいいと思うのだが、立ち上がるタイミングが掴めなくなってしまった。


 その後どうしたらいいか分からないとかいうわけでもないのだ。


 もうこの店は私の居場所ではない。

 そんなことは知っている。


 ヘレンが自分の屋敷に来てもいいと言ってくれていたからそちらに行ってもいいのだ。

 身支度をして、彼女と連絡を取る方法を探せばいい。

 今着ているパーティー用の服を着替えるにしても、二階の「元」自分の部屋にはまだ普段着が数着残っている筈だ。

 連絡を取る手段だって、カツミがあの屋敷で仕事をしていたことを考えたら彼あたりにお願いすれば屋敷の使用人との連絡くらいはつくような気がする。

 そこからヘレンにつないで貰えばいい。

 それまでの間は……村の誰か……それこそカツミとシズカのところでお世話になることもできないだろうか、とも思う。


「老木殿の許可なしにあんなことしたから……あの木も少し傷つけてしまったんだよね。ライアが大切にしている相手なのに……本人には謝ったけど、聞いてくれたかどうかわからないし……」

「……はい?」

 ライアの考えを遮るようにレジナルドの台詞が続いて、ライアが思わず顔を上げた。

「……いや、だから。大事な相手を傷つけちゃってごめん……って」

 こちらを窺うような薄茶色の瞳が不安そうに揺れているのを見てライアの思考が今聞き流しそうになっていた言葉に戻る。

 ……傷つけた事を、謝っている……謝らなければならないほどの傷って。

「え? なに? ちょっと待って、老木殿に何をしたのっ! 傷つけたってまさか……」

 ライアの顔色がサッと変わる。


 脳裏に浮かんだのは離れの床。


 そして、権利証を取るために木のウロに腕を差し入れようとした場合、人がとると思われる真っ当な行動。

 毒のある木が絡んでいるならそれをまず排除するであろうという、可能性。


 思わず裏庭に向かおうと立ち上がりかけてくらりと目の前が歪んだ。


「……っと! 大丈夫? ……違うよ、木そのものには傷なんかつけないよ! 腕を突っ込んだ時に何枚かの葉が擦れてちぎれたんだ。木が痛がるかどうかとか分からないから……もし痛がってたら申し訳ないと思って! それに僕の腕に刺さった棘も腕に刺さったまま木から折り取ったようになっちゃったから!」

 目眩がして、そのまま床に倒れ込みそうになったライアを抱きとめたレジナルドが早口で捲し立てる。

 ライアが心配した事を察したのだろう。

「……え、それだけ……?」

 レジナルドの腕の中にすっぽり入ったままライアがその顔を見上げた。


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