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歌姫の救出

 

「ライア! よせ! もういいだろ!」

 不意にすぐ近くで声がしてライアの歌声が止まった。


 そうはいっても歌っている最中だ。

 感情は昂っているし、次の句を口にするために息を吸っただけでそう簡単に歌を止めるつもりはなかった。


 でも、止まった。

 声が、出ない。

 まるで時間が止まったかのように、静寂が訪れる。


 ライアの周りには周囲から集まってきた木の枝や、草花の不自然なほどに太くて長い蔓のような物が取り巻き、絡まり、小さなステージごと閉じ込めるように包み込んでいる。

 周囲の何者もライアに近づくことを許さないように、植物たちがライアを守っているのだ。

 さらにその外側で聞こえている音や悲鳴からして、植物たちはそれ以外にも破壊行動を続けているのだろう。


 その、ライアを取り囲む植物のすぐそばで、声が上がったのだ。

 なんなら、バリバリと外側からそれらをひっぺがしてどんどん近づいている音がして、ライアが声を失うと同時にその壁の外から腕が突き出された。

「ライア! そこにいるんだろ! もうやめろ!」

 声と共に、人一人分ほどの隙間を力ずくで作ったレジナルドが中に入ってきた。


 あまりの出来事に声だけでなく体も動かなくなっているライアの前に勢いよく出てきたレジナルドがその腕を伸ばしてライアの腕を掴み、そのまま乱暴に引き寄せる。

「え……っ?」

 ようやくライアの声が出たのは引き寄せられた勢いのまま強く抱きしめられたから。

「もういいよ。そんな歌、ライアの歌じゃない。もう大丈夫だから……もう無理に歌わなくていいよ」

 ふわりと香る没薬(ミルラ)の香りに心のどこかが脱力するような、不思議な感覚になりながらもライアは次の句が出ずに目を見開いたままだ。


 まさかこの人がこんな所まで入ってくるとは思っていなかった。


 抱きしめられたまま、背中をゆっくり撫でられるのは泣き止まない子供を落ち着かせる仕草にも似ていてそのまま身を任せてしまいたくもなる。

 そして、自分がすっぽりおさまってしまうほど相手が大きいことに若干の躊躇いと、今気を抜いてはいけないという緊張が入り混じった思いが一瞬でライアの体を強張らせた。


「なんで……ここに居るの?」

 レジナルドの腕の中で抵抗する力もなく、ライアが小さく声を出す。

「なんでって……呼ばれたからね。リアムのやつに」

 レジナルドは一瞬遠い目をしながら苦笑を浮かべて答えるが、ライアを離す気配はなく背中を撫でていた手を止めると改めて両腕でぎゅっとその体を抱き込んだ。


 ……ああ、このお披露目会に招待されたってことか。

 と、ライアがその言葉の意味を理解してから「そういう事じゃなくて」と、自分を抱きしめる力に反発するように自分とレジナルドの体の間に両手を割り込ませる。


「なんで……ここに入って来たのっていう意味」

 ライアの視線は上がることはなく自分たちの周囲の植物の壁に向かう。

 どうして、こんな気味の悪い場所にまで入り込んできたのか、という意味で問うた。

 ただでさえ夕方の薄暗い時間帯に、鬱蒼と茂る植物に取り囲まれて完全に薄気味の悪い空間が出来上がっている。外から見たって気味が悪かったただろう。

 そしてこの壁を形成している植物たちはまだ動きを止める気配はなく、うねうねと蠢きながら今し方レジナルドが作った隙間も塞いでしまっている。


 そして、ライアが視線を上げられないのは……彼の顔を見る勇気がないからだ。

 自分に向けられる視線にどんな色が浮かんでいるのかわからない。しかもそれが演技なのか本心なのかを見分けることもできそうにない。


「なんでって……」

 レジナルドが声を詰まらせた。


 ……ああ、だめだ。

 こういう声を聞いてしまったら尚のこと顔を見ることができない。

 ライアの両手はレジナルドの服の胸元を思わず掴んでギュッと握った。


「ライアが泣きながら歌うのなんか聞いてられないだろ」

 ライアが俯きながらも上体を反らして物理的に距離を取ろうとしているのに腕の力が緩むことはなく、降ってきた言葉は苦しげだ。


「……泣いてない」

 緊張の中でようやく絞り出したライアの声は僅かに震えている。

 でも、これは本当のこと。

 泣いてなんかいない。

 むしろ胸の奥から湧き上がる感情は怒りだ。

 理不尽な扱いを耐える、古木の怒りに心はすっかり同調してしまっていた。


「嘘だね」

 すかさずレジナルドの声がした。

「涙なんか出てなくても泣いてるじゃないか。そんな歌を歌う自分に泣いてるだろ。……ライアが歌うの、僕がどれだけ見てきたと思ってんだよ」

 まるで言い聞かせるような口調にライアは思わず顔を上げた。


「……!」

 で、思わず、息を飲む。


 優しい口調だった。

 自分の存在を認めて、受け入れて、その上で言い聞かせるような優しい口調だったのだ。

 だから反射的に上げた視線の先で薄茶色の瞳と目が合って、ライアの目が見開かれた。


 困ったように細められた目は、まるで愛おしいものを眺めるようで……どこか揺るがない自信さえも感じる。


 ……この人、こんな目をしていたっけ?


 一瞬そんな思いで頭が一杯になって、演技なのだろうかとか、本心はどうなんだろうとかそんな事を探ろうという思いさえも吹っ飛んでしまった。


 私は、この人のこの眼差しが、好きだ。


 そう思った途端、涙が溢れる。

「ほら、泣いてる」

 レジナルドの困ったような笑顔と声はそのまま心の奥までスッと染み込んでじわっと広がり……ますます涙が止まらなくなった。

「どうせ誰も見てないし、落ち着くまでこうしててやるからさ」

 レジナルドはそう言うとライアを抱きしめながら自分の胸にその頭を押し付け、そっと撫でる。





「……さて、と。落ち着いた、かな?」

 ゆっくりとレジナルドが言葉を区切りながら問いかけてくるので、ライアは小さく頷いた。


 ほんの少しの時間とはいえ、涙が出るのを許したせいか気持ちが凪いだ。

 昂っていた感情はおさまって……ああ、歌に引き込まれすぎて自分を失っていたかもしれない、と少し冷静にもなる。


「ずいぶん派手にやったね。……まぁいい気味だけど」

 レジナルドの声には平静が戻ってきている。

 こんな状況だというのに緊迫感のかけらもない。

 なので、ライアもつい顔を上げて彼の様子を窺いがてら周りに目をやる。

 レジナルドは自分の周りを観察するように向けていた視線を胸元に落として、自分を見上げるライアと目が合った途端、緩い笑顔になった。


 状況が変わったわけではない。

 ライアの気持ちが凪いだせいで植物の勢いが止まりはしたが、依然、異常な成長を遂げた枝や蔓が二人の周りを取り巻いていることには変わりなく、その外からは騒ぎ声がする。

 外の植物たちも破壊行動を止めたようで異音は止んでいるが、パニックを起こした人の叫び声や泣き声というものはそう簡単に止むものではない。

 多少音量が小さくなっていることからして植物の破壊行動が止んで会場から逃げ出せた人が増えているのではないだろうか、といったところだ。


 そんな中で、こちらに向けられる笑み。

 レジナルドの緩い笑みは、探していた大好きなものをようやく見つけた子供のように、愛おしいものを、慈しむように柔らかい。

 こんな状況には全くそぐわない、笑みだ。


 ああ、こんな笑顔。

 こんな笑顔だから……本心はどうなんだろうとかそんなこと考えたこともなかったんだ。

 なんてライアは思う。

 こんな笑顔を向けられたら、信じてしまうじゃない。

 信じたいと思ってしまうじゃない。

 私はこの人の大事な存在かもしれないと。

 損得抜きに、人として、大事にされていると。


 そして、私もその気持ちに応えたいと、思ってしまうのだ。


 そんな事を考えながら、ふと視線を落とす。

 そういえば随分彼はひどい格好をしている。


 よく見えると思ったら周りを取り囲んだ植物たちは上部まで包み込んでいるわけではなく、その空いた上部から満月の光が自分たちの周りにまで届いている。

 その光に浮かびあがるのは、目の前のレジナルドの格好。


 当初はシャツに、タイを結んでベストを着た軽い正装スタイルだったのだろう。

 でも、タイは弛みきって今にも解けそうだし、シャツの袖は何箇所か破けている。ベストもかなり汚れているし……彼自身、首筋や頰に傷がある。

 ここに入ってくるにあたって相当乱暴に伸びてくる植物に抵抗したという事なのだろう。

 この感じ、手なんか傷だらけなのではないだろうか、と思ったライアがそっと身を離しながら彼の肩や腕に視線を這わせているとその視線に気づいたレジナルドがサッとライアから手を離して自分の右手で左袖の破れ目を隠した。

「ああ、大丈夫! こんなの大した事ないからね!」

 慌てるレジナルドにライアが眉をしかめる。

 袖を押さえる右手こそ傷だらけだ。

「怪我……!」

 恐らく、手で植物を無理やり引きちぎるなりなんなりしたのだろう。

 生育中の枝や蔓は柔らかいが、容易に断ち切る事ができるような柔らかさではない。鞭のようにしなるので力任せに引きちぎったら手には相当な傷が残るはず。


 咄嗟にレジナルドの両掌を診ようとライアが両手をそれぞれの手にかけて、そこで「うん?」と止まった。

 左手にだけは皮の手袋。指先の無いちょっと特殊な形の手袋で手のひらや手の甲に傷があるかは分からないが、こんな手袋をしているならまぁ、怪我はしなくて済んだかもしれない、と思うのだが。

「はは。これ、カッコいいでしょ。ちょっと訳ありでね、今は必要なんだ」

 レジナルドが悪戯がバレた子供のように笑いながらそう言うとライアの手がつかまえていた自分の手をそっと引き抜く。

「あ……そうなの? でも、他は怪我してるよね? それ、ちゃんと手当てしないと」

 言いながらライアの視線は右手を追う。

「……してくれるの?」

 少し間を置いてレジナルドが甘えたような声を出す。

 ので。

「え、当たり前じゃ無い! ちゃんと洗って薬つけとかないと……」

 と、そこまで言ってからライアの声の勢いが落ちた。


 あ、そうか。つい以前のように自分の店で彼の手当てをする事をイメージしてしまっていたけど……あそこに帰ることはもうできない身。

 そもそも、こんなふうに異質に切り離された空間にいるけどここはゼアドル家だ。

 そんな思いから急に現実に返った気がしてライアの視線が落ちた。


 そしてレジナルドは何やら意味ありげに笑みを浮かべると。

「ふーん……じゃ、とにかくまず、ここから出なくちゃね」

 と、自分が来た方向に目をやった。


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