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歌唄いの怒り

 その後、バタバタと駆けつけてきた使用人にライアはエリーゼからひっぺがされて、あれよあれよという間に皆が集まる会場の方向へ連れて行かれた。


 連れ去る使用人が気の毒そうな目をエリーゼに向けていたのをライアは見逃すことなく「やっぱりみんなの思いは同じだろう」と勝手に自分の中で結論づける。


 会場は離れの正面に面した庭一面。

 屋敷の部屋からも並べられたテーブルは見えたが、こちらから見るとより盛大に見える。

 離れの完成祝いも兼ねているのだろうから当たり前か、とライアは他人事のように思う。

 小さな特設のステージが設けられていて、きっとここから挨拶だのなんだのがあったのだろうなと思わせる。


 そしてステージの横には、大きな装置。

 ライアの目はそちらに釘付けになった。


 設計図を見ていたから一目でそれと分かる。

 いや、なんなら設計図を作ったのは自分だ。

 どの箇所も忠実に再現されて平面だった図形が立体になっている。

 ガラスを駆使して作られた装置は沢山の灯りからの光を映して怪しげに光っている。

 ステージ上で得意げに話しているリアムは、おそらくこの装置を作り上げるのにどれだけ苦労したか、そしてこれを扱う薬師についての説明に熱がこもっているのだろう。

 聴衆からは感嘆の声が時々上がってゼアドル家の功績を称賛する空気に満ちている。


「……その薬師をご紹介します。わたしの妻ともなるライアです」

 そんな呼びかけにライアがびくりと肩を震わせた。

 言葉の意味を理解するのに時間を要している間にリアムがそそくさとステージから降りてきて、ライアの手首をぐいと掴む。

「ほら、早く上がれ」

 耳打ちする声に感情はこもっておらず、貼り付けたような笑顔とのギャップにライアの背筋に冷たいものが走る。

 ここで振り切って逃げてしまおうか、なんなら罵声の一つでも浴びせてやろうか、とも思っていたのにその声に込められた迫力に負けてライアの足がリアムに合わせて動く。


 ざわり、と。

 聴衆がどよめく。

 それは決して嫌なざわめきではなく。

 言うなれば、羨望のこもったざわめきだ。

 有能な若きゼアドル家の跡取りの、婚約者がこれまた有能な薬師。

 商会そのものに関わる立場の者ではない、というところがもしかしたら好印象なのかもしれない。商会を乗っ取る気もなく牛耳る気もない、そんな立場。

「あら、素敵なお嫁さんね」なんていうご婦人方の囁きにも嫌味な感じがない。


「彼女は歌も上手でして。せっかくですからこの場で一曲披露してもらうことにしたんですよ。皆様もどうぞお楽しみください」

「……え?」

 ライアが思わぬ言葉に今度こそ眉間にシワを寄せて声の主をまじまじと見つめた。見つめる、というより睨みつける、に近いかもしれない視線だ。


「いいだろう、一曲くらい」

 相変わらず耳元に囁かれる声は皆に向けている笑顔とは違って温度のない冷たいものだ。

 そのリアムが顎をしゃくって促す先には五人ほどの小さな楽団がいる。

 こういうパーティーではよくある音楽の用意で、三種類ほどの弦楽器を五人がそれぞれに持ち、場に合わせた曲を臨機応変に演奏出来るような人達の筈だ。


 これは、何か歌わないと……いけない雰囲気。

 でも、だからといってこの場に貢献する気なんかさらさらない。


 ライアはそう思い定めてからゆっくり会場を見回す。

 殆ど知らない顔だが、所々に知った顔も見受けられる。

 すぐ目の前でこちらに視線を向けているのはヘレンとアビウスだ。

 アビウスの表情は読めないが、ヘレンは複雑そうな表情でこちらを気遣わしげに目を向けている。

 いつだったかリアムに声をかけられた私に近づいてきて、仲の良さそうな雰囲気でリアムを連れ去った黒い巻毛の女性もいる。

 ああ、でも彼女は面白くなさそうな顔はしているな。

 そう思って改めて会場内を見回すと若い女の子たちは大概そんな顔をしている。

 リアムってやっぱり人気者だったということなのだろうか。……まぁ、顔はいいものね。

 なんて思って視線を滑らせた先でライアがぎくりと固まった。


 品のいいベージュの上下に、薄い色の金髪の男がこちらに視線を送っている。

 会場のかなり後方なので表情がはっきり分かるわけではないが、それでもいい顔をしていない事は物凄くよくわかる。

 レジナルド。


 そうか、ゼアドル家に縁のある者だけではなく商売敵も呼ばれているということか。と、ライアはちょっと深めに息をついてみて。


 楽団の方にすいと歩み寄り、曲の指示を入れる。

 一瞬戸惑う顔が窺えたのは仕方ない事だ。華やかな宴向きの曲ではない。でも夜に差し掛かる時間帯だし歌に合わせてダンスをするとかそういう趣向でもない。

 そもそもが歌い上げるのが難しいといわれる種類の歌だからこの曲をリクエストしたら「歌唱力」を披露したいのだろうと思われるかもしれない。

 すぐに五人が頷いてくれたのでライアはステージの中央に戻った。



 奏でられるのは細く高い弦楽器の音。

 その音色は冷たい夜空を連想させ、一節終わる頃にゆっくりと低音の弦楽器がその音を追いかける。

 しっとりとした曲目だが恐らく、この会場の人たちには馴染みのない曲だろう。

 古い曲だ。こういう専門の楽団ならかろうじて知っているであろう、という程度。


 ライアがすう、と息を吸いゆっくり息を吐いて呼吸を整え……歌い出す。



 物言わぬものの声と 誰が言ったか

 歓喜の声も哀しみも

 空に溶け 風が運ぶと 人は言うのか


 朝霧のように留まりし呼気は

 この世の澱となりて

 代々受け継がれ

 我らの記念となるだろう



 ざわり、と。

 聴衆の空気が変わる。

 ライアの歌は決して楽しげなものではないが、鑑賞するようなものでもなかった。

 詞の中に込められた深い意味を皆が理解する事はないであろうがそれでも、どことなく悲しみや怒りを思わせる曲調と歌声に「この選曲は……」なんて囁きが聞こえる。


 それでもライアは歌を止める気なんかなかった。

 ライアの口から歌の続きが溢れる。



 悲哀は怒りに 怒りは憎悪に

 我を解き放て

 天蓋を砕け

 地は溶けよ

 流れ去ることのない記念を忘るることあらじ



 途中で「騒然となった」楽団によって楽器の演奏が止んだがライアは気にせず歌い続ける。

 普通の曲とは違って、同じ曲調を繰り返すことのない昔の曲だ。

 曲調は変化していく。

 初めはゆるく儚げだった曲調は途中で強まり、テンポが少し早くなる。



 剣に倒るる命を見たか

 そは儚き一夜の夢よ

 (たなごころ)に乗せて運ぶは愚者の行

 我を連れ出せ 食らってやろう

 その嘆きも哀しみも



 聴衆が悲鳴を上げているのだが、ライアはお構いなしだ。

 なにしろ、歌の思いを正規の仕方で込めて歌っている。

 歌に反応するものたちが「いる」のは当然のことだ。


 最初は小さな変化だった。

 庭の木の枝が揺れても風が吹いたかと思う程度だっただろう。

 草が伸び出しても、夕方の薄暗い時間帯だ、目の錯覚程度に思えたかもしれない。


 歌の中盤になって演奏が止んだのは彼らが手にしている楽器が「楽器ではなくなった」からだった。

 木製の弦楽器があちこちから芽を出し、枝を出し始めた。

 更に会場内のあらゆる木製のものが同様に変質し始めている。

 生き物のように蠢く枝や蔓、地面から這い出してきた根に、聴衆はもう気も狂わんばかりに逃げ惑っている。


 そんな中でライアは歌い続けている。



 この歌は。

 はるか昔、古木が恋した人間を歌った歌だ。

 戦に出る想い人を嘆く古木は、ただでさえ短い命の人間が、同じ人間の命を奪うことを嘆いた。

 その悲しみは怒りとなり、歌という叫びとなって古い木の間で受け継がれてきたのだ。それがいつしか……恐らくはライアのように木と話をする者によって人の世に出た。それでも、その歌に込められた感情を正確に歌おうとする歌い手はいなかったのだが。


 ライアは思いっきりその感情を自分の中に再現したのだ。


 根を張り、この場所から動けぬ身ゆえ、愛する者に手が届かないもどかしさ。

 いつでもゆったりと構えているから、悲しみや怒りのような感情は持たぬだろうとあしらわれる事への憤り。

 それはまるで、この屋敷でおとなしくしている間に柳が切られ、友がないがしろにされるのを黙ってみていることしかしなかった自分の愚かさへの憤りでもあり。


 そんな感情を込めたものだから。

 そしてただでさえこの庭の木々や草花はライアの感情に反応する癖がついていたものだから……。


 ステージの周りを取り囲むように周りの木々や草花が蔓のように手を伸ばし、取り囲み、周りの人たちから守るように、庇うように、大きな籠のようなものを形成してゆく。

 怒りの矛先と植物たちが認識した聴衆は攻撃の的となっているかもしれない。

 メキメキという音は周囲の人工物を巻き込んで壊す音だ。

 時々破裂音がするので、すぐ近くにあった出来立ての装置はもう使い物にならないだろう。


 そして、叫び声を上げながら右往左往する人たちはすでに、この現象を起こしているのがライアの歌声であることも、その意図によって起こっていることも理解しているらしい。

「化け物だ!」

「呪われてる!」

「取り殺される!」

 なんていう叫び声が上がっている。


 人がこういう反応をするのが怖かった。

 だからひた隠しにしてきた能力だ。

 でも、もう隠す必要なんかないと思った。


 私は「化け物」なのだ。

 私がどんな存在か、思い知ればいい。

 私は大人しくこんな屋敷の嫁におさまるような者ではない。



 歌は終盤に入る。

 古木が愛しい人間を失って、怒りと恨みを降り注ぐ雨のように迸らせる詞が続くのだ。

 守ろうとしたものを奪われるが如くに失い、誰にも見向きもされず、今まで通りの時が流れる自分の命を嘆きつつも怨んだ詞。

 この辺りの詞は人の世では殆ど知られていない。

 ライアは古い木から聞いて知っている。

 その詞を聞いて、この歌だけは歌えない、と思ったものだ。

 他の感情を乗せることさえ躊躇われる。

 古木の思いが切なすぎて。

 血を吐くような感情の吐露を伴うこの先の詞を唄うことはないだろうと思っていた。


 でも、今なら。


 自分から奪い去られようとしているもの。

 エリーゼから奪われようとしているもの。

 柳の木から奪われたもの。

 自分を包む優しいものたちから奪い去られたものを思うといくらでも歌える気がしてならない。


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