パーティー当日
ヘレンの言葉はなんだか安心をくれた。
ライアは色んな不安や心配が、すっと収まったような気がしてその日を迎えている。
お披露目パーティー、当日。
かなりのイベントではあるので朝から使用人の皆様は大忙しだった。
カエデも例外なく色んな用事に駆り出されていたようで、ライアは部屋に取り残されているような形になっていた。
なので、情報が殆どない。
客人たちが集まり始めるのは午後になってからというのは分かっていても、どのくらいの人数なのか、どんな人たちが来るのか、具体的にどんな内容なのか。
まぁ、どんな人たちが来るのか、なんて内容に至っては聞いたところで自分にはわからない事だろうとは思ってもみたが、何も知らされないのはやはり居心地が悪い。
そして、こんな時にはエリーゼが部屋にでも来てくれて色々教えてくれるのではないかとも期待したが前回の騒ぎの関係で二人が会うことは難しくなっていた。もちろんライアの方から彼女を訪ねて行くこともできない。
ライアの食事を運んでくるのも昼にはカエデですらなくなった。
食事内容に問題はないので、屋敷の中で数回顔を合わせた程度の使用人にあれこれ聞いたりすることもできずに運ばれてきたものを大人しく食べ、下げに来てくれる別の使用人にワゴンを返した。
……なんだか最初の頃の軟禁状態を思い出すな。
小さくため息をついたライアは窓から外を眺める。
ディランの庭には飾り付けが施され、暗くなる前から灯りの準備もかなりの数だ。テーブルが一面に並べられて花が飾り付けらており、次々に料理が運ばれてくるところを見ると客人たちが到着し始めるのももう間もなくといったところなのかもしれない。
「ライア様、すみません、遅くなりました!」
軽いノックの音と共にカエデの声が投げかけられてライアの緊張が反射的に緩んだ。
相当忙しかったのかどことなく心ここに在らずな雰囲気のカエデは、部屋の中でぼんやりしているライアに思いっきり申し訳なさそうに頭を下げた。
「ああ、カエデ。お疲れ様。……忙しそうね、大丈夫?」
「ええ、ようやく私の担当していた仕事がひと段落したのでライア様のお支度を手伝いに参りました」
困ったような笑みを浮かべているのは……きっとこのパーティーの目的がライアの意に沿わないものであることのためだろう。
「……やっぱりちゃんとした支度をしないとダメかしらね」
ライアもつられて眉を下げる。
「そうですわね……さすがに普段着というわけにはいきませんが、あまり仰々しい格好というのも癪に触りますからシンプルなドレスに着替える程度にしましょうか?」
そう言いながらカエデがクローゼットの中を確認し始める。
上等なドレスは何着かあるが、この屋敷で用意されたそういうものは着てみたことがない。簡単なワンピースですら、ここで用意されたものは最近は着なくなっているくらいだ。
「……これ、どうかな」
ライアが奥の方にかけてあった翡翠色のワンピースを引っ張り出す。
以前に貰ったものだが、少し手を加えて襟とカフスを縫い付けてある。
「あら……綺麗な色ですわね」
全体的に色もデザインも品がいいものだし、なんなら後付けの襟とカフスを外せば簡単なパーティーに対応するようなデザインに戻すこともできる。
「お揃いのショールもあるから使えるんじゃないかと思うんだけど」
ライアがそう言いながら襟とカフスを外すために縫い付けた糸を辿っているとカエデが目を輝かせた。
「では髪のセットの方をいたしましょうね。そのドレスでしたら髪はシンプルに飾り物も小さめの物でまとめましょうか」
鏡の前に座らされたライアの髪はカエデの手によって手際良く纏め上げられていき、どこからともなく持ってこられた小さな花を象った飾りが留めつけられた。
「これ、エリーゼ様からです。可愛らしいでしょう? 私も一緒に選んだんですよ。……ああいえ、今日を楽しむためとかそういうわけではなくて、少しでも私たちがいる事を心強く思っていただけたら、という意味ですよ?」
小さな銀色の花を幾つか集めたようなデザインの髪留めを鏡の中を覗き込んで珍しそうに眺めるライアにカエデが説明を加えた。
「わぁ……そうなの、ありがとう!」
こういうささやかな気遣いは嬉しいものだ。
ライアの胸がじんわりと温まり、緊張が僅かに解れるような気がした。
身支度は整えたし、パーティーに出席するつもりがあるならいつ出て行ってもいいような状況だ。
出席するつもりがあるなら。
残念ながらそこがライアには欠落しているが。
部屋にいるのは流石にまずいだろうとカエデに言われて渋々出てきたのは屋敷の表玄関ではなく裏口から。
使用人が使う通用口とは別にある裏口はひっそりとしており、そこから出ると離れへの近道にもなっている。
なのでなんとなくライアは離れに向かう。
庭の方では談笑する人たちの緩やかな雑音が聞こえていて「ああもうお客さんたちは集まってきているのか」と胸の奥が緊張するのでそこから逃げるように距離を取るのは本能的な行動かもしれない。
「あ……」
なんとなく離れに向かっていた足が、ふと止まる。
そもそも離れ自体が今回のお披露目会の目的の一つで、ドアは開放され入り口付近は花やリボンで飾り付けられていたので正面から近づくのは躊躇われた。
なのでライアはこっそり建物の裏、またもや裏口の方に向かったのだが、そこに見覚えのある人影があった。
「エリーゼさん……」
ライアが声をかけると裏口の扉への小さな階段に腰を下ろしていたエリーゼが顔を上げ、榛色の瞳がこちらに向いた。
「ライアさんっ!」
駆け寄ってくる彼女はどことなく顔色が悪い。
それに……違和感を感じたライアはその理由とその意味を理解して次の句が出なかった。
違和感。
それは彼女の服装だ。
自分はささやかとはいえ着飾った、正装。なのに、彼女は普段通りのワンピースだ。普段から仕立てのいい服を着ているとはいえ、こういう日にこの格好は……異質。
その理由は言わずもがな。
招待されていないし、出席は許されていないから、ということだろう。
こんなところで立場の違いを見せつけられるなんて残酷すぎるとライアの胸の内に小さな怒りが湧く。
と。
「ごめんなさい!」
そんなライアの首に柔らかい腕が巻きついた。
エリーゼが謝りながら抱きついてきたのだ。
「え? え?……エリーゼさん?」
ライアが思わぬ扱いに慌てふためくと。
「私、リアム様をうまく説得できなかったみたいで! こんなお披露目会必要ないし、ライアさんは解放するべきだって、何度も言ったんですけど……」
ああそうか、と。
ライアは抱きついてきている柔らかい体をぎゅっと抱きしめ返す。
この人は、自分の境遇を呪ってもいいのに、そしてなんなら私を恨んでもいいのに、状況を変えられなかった事を私に詫びるのか。
こんな風に、自分を大切にしてくれた人が今までいただろうか。
なんて場違いな事を思う。
自分の気持ちよりも私のことを優先してくれる、こんなにもまっすぐな気持ちを受け止めるなんていう経験を……したことなんかない。
彼女が今までしてくれたことにどれほどの犠牲が伴っていたかも、知っている。
いや……知っていると、思っていた。
きっと私が知っているのは彼女の労苦の中のほんのひと握りだ。
彼女はこれまでずっと、大切な想いを抱えて、その想いを揺るがせることなく、そして自分が正しいと思った事を貫くために、自分を犠牲にしてきたのだ。
こんな人を、悲しませてはいけない、と思う。
「エリーゼさん、大丈夫よ。私のことは気にしないで。……あなたがいろいろしてくれたように、今度は私が何かしてあげなきゃいけないと思うの」
そう言いながら見慣れたワンピース姿のエリーゼの背中をそっとさする。
この場において、きっと悪者と言えるほどの悪い人はいないのだ。
リアムでさえも。
あの変に捻くれた思考パターンだって、きっと彼のせいではなく彼が育った環境のせい。もちろん、彼が変われば一番手っ取り早く物事が片付くとは思うけれど。
彼も被害者なのだと思うと責める気にもなれない自分がいる。
だからずっと、くすぶったままでいた。
怒りの気持ちもどうにか押し込めて、悲しむ気持ちも自己憐憫だと戒めて。
でも。エリーゼのような人が悲しみを堪えるのは、間違っている。
こんなに優しい人を悲しみに飲み込ませてはいけない。
こんなに強い人を、強いからといってそれに甘えたように虐げるままにしてはいけない。




