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語られる真意

 

 どれくらいの時間が経ったのか。


 寄りかかっている壁のすぐ上にある窓の方からささやかな物音が聞こえてライアが伏せていた顔をそっと上げた。

 微かな風が入ってくると思ったら窓は少しだけ開いていたようだ。昼間の作業で換気でもしていた名残りだろう。


 微かな音は二人分の足音だった。

「……ずいぶん立派な離れね」

 潜めたような声は女性のものだ。

 この時期だとこんなささやかな音さえも耳は拾うのか、とライアは思わず背筋を伸ばした。

 ここに自分がいる事を知られないようにしなければという思いと、こんな所でなされる話に聞き耳を立ててしまう人の本性のようなものからくる緊張だろう。

「ええ。ずいぶん無理はしましたが思った通りの出来ですよ」

 リアムの声がして、こんな時間に女性と一緒? とライアは眉を顰める。


「それにしても……エリーゼの件はちょっとびっくりしたわ」

 ため息混じりの声にライアの背筋に緊張が走った。

 なんならその声に咎めるでも、妬くでもない、何か別の感情が混ざっているようで好奇心も掻き立てられた。

 そしてつい、リアムがなんと言うのか聞き耳を立ててみるが彼の声は聞こえず。

「……あなたはどうするつもりなの?」

 自分が聞きたいと思っていることはそのまま彼女が聞き出してくれそうな気がして、ここは絶対に存在を知られてはいけない、とばかりにライアが息を潜める。

「……どうって……」

 リアムの声は聞き取れるか聞き取れないか程度の小さいものだ。

「どうするも何も。初めの計画通りですよ。薬師を妻にして、エリーゼは愛人という立場で満足してもらいます。なんならあの薬師を妻にした後、然るべき期間をおいてから離縁して彼女を正式に妻にしてもいい」


 ……げ。

 躊躇いもなく話された内容にライアが心の中で呻く。

 なんだ。この男は。

 エリーゼさんに散々叱られたであろうに、まだそういう考え方だったのか。

 そう思うと思わず大きくため息を吐きそうになり、慌てて両手で口を押さえる。

 そうだ。私は、今ここにはいない人!


「エリーゼはそれで納得しているの?」

 なんの感情もこもっていないような至って事務的な声は、まるで仕事上の確認でもしているかのような雰囲気だ。

「納得してもらいますよ。……女っていうのは常に感情で動く。それを制してこそ上に立つ者、と教えられて育ったんですよ?」

 淡々と返すリアムの返答に相手が今度こそ深くため息をついた。

「それは……仕事上の取引に関する考え方でしょう。家庭に持ち込むべき考え方とはまた別……」

「何を今更! 母さんだってずっと別宅に追いやられたまま仕事してるじゃないか! 僕が帰ってきてほしいって言っても一度だって聞いてくれたことはなかった! 離れて仕事してる方が楽だったって言っていたよね!」

「……ああ、そうね……今更ながら育て方を間違えたわ……」


 ここまで聞いてようやくライアにもリアムの会話の相手が分かった。

 別宅で仕事をしているというリアムの母親だ。

 そういえばリアムよりずいぶん年上の女性の声のようにも聞こえた。声を顰めて話しているのは……恐らく「お忍びで」この屋敷に帰ってきているから、とかかもしれない。

 リアムは母親の前では自分を「僕」なんて言うんだな、なんて思うとライアの口元にはつい笑みが漏れた。


「それに、今の僕には仕事で成果を出すことが優先ですよね? そうしないと父さんは僕を認めない。母さんだっていつまでも父さんと張り合わなきゃいけないじゃないか。……僕はあのグランホスタの跡取りにだけは負けませんよ。あんなやつ、二度とゼアドル家と対等だなんて思えないように徹底的に潰すつもりなんですから」


 ぞくり、と。

 ライアの背筋に冷たいものが走った。

 リアムの言葉がやけに冷たく聞こえたので。

 グランホスタの跡取り、というのはレジナルドのことだろう。

 彼はレジナルドに相当な恨みでもあるのだろうか。いや、この感じ、あるのだろう。何か個人的な恨みのようなものだろうか。そんな勢いの冷たさだった。


「……そう。本気なのね。グランホスタとは面識はなかったと記憶しているけど……?」

 母親が興味深げに声を上げた。

「数回だけね。全く腹立たしいやつでしたよ」

 吐いて捨てるような言葉にライアがふといつかの場面を思い出しかけた。

「そう……?」

 まるで会話の続きを促すような声にライアの思考は引き戻されて再び聞き耳を立てる。

「表には全く出てこないくせに凄腕なんていう評判だけ先行して、どんなやつかと思ったらあの薬師をたぶらかしてましたからね。こちらが必死に何度も足を運んで口説こうとしていたっていうのに、いとも簡単に彼女を手に入れたみたいな顔をしてこちらを見下してきたんですよ」


 忌々しげに語るリアムの言葉にライアは思い当たるところがなくもなかった。

 レジナルドと一緒にいた所にリアムがやって来たこともあった。……あの頃はレジナルドとばかり一緒にいたからそれは珍しいことでも何でもなく、確率としては当たり前のことだっただろうな、とも思う。


「あの薬師にもゼアドル家のやり方を思い知らせてやろうと思いましてね。……だからこの離れ建設の計画を立てたんです」

「……うん?」

 得意げなリアムの声に母親が訝しげな声を出した。

 リアムは鼻で笑うようにしながら得意げに続ける。

「この離れの床材。あの薬師とグランホスタの跡取りがデートしていた場所の木を倒して使いました。これで二人の思い出の場所はもうなくなったも同然というわけです。彼女は彼との思い出に浸りたかったらここで仕事をするしかないわけで、あの跡取りだって彼女を思う場所なんかもう無いんだ。こちらの獲物に手を出したらどうなるか思い知るいい機会です。それにね、彼女の店を手に入れたって薬師本人をこちらが手に入れてしまえばあいつの計画なんか全て無駄に終わるというわけです。なんならゆっくりこちらのものとして利用した後、お下がりをやってもいいが……あいつにもプライドがあるだろうし、それを許すのかな……」


「……リアム、あなた……」

 しばらくの沈黙の後、絞り出すような声がした。

 彼女の顔は見えないが、見てはいけない顔をしているのではないかという気がしたライアは居たたまれない気持ちになる。


 人として、このリアムの考え方の不自然さはきっとこの母親にもわかると思う。

 これを褒めるような人であってほしくないと言った方が正しいくらいだが。

 でも、今の声の調子からして、決して喜んではいないだろうというのは分かったのだ。なんなら失望さえも感じられるような声だった。


 それに何より。


 こんな形で、この離れを建てた理由を聞きたくはなかった。


 善意だと、思いたかったのだ。

 私への善意で、思い入れのある木を使った、と。


 私とレジナルドへの当て付けで、柳の木が切り倒されたなんて。

 あの木は……私と関わったせいで切り倒されたのだ。

 ただでさえ、そんな命の結末を迎えている。

 私と仲良くなんかしたせいで……長く穏やかな命を唐突に断たれたのだ。

 それが、善意とはほど遠い悪意によって利用されたというなら……柳の命は誰が悼めばいいのだろう。

 そして、レジナルドにとって……それは大したダメージではないだろう。きっと彼にとって私は仕事に成功するための道具の一つに過ぎなくて、私個人に対する思い入れは無いに等しくて。そうであるなら彼にとって柳に対する思い入れは……せいぜい私の気を引くための口上程度。

 あの木のことを嘆くのも、惜しむのも、私一人なのかもしれない。

 そう思うと身体中から力が抜けた。


「……っく」

 思わず小さな声が出て、ライアは自分が泣いていることに気づいた。反射的に口元を覆って声を殺す。

 今ここにいることに気づかれてはいけない。


「……今のあなたには何を言っても無駄でしょうね……」

「……なんのことですか?」

 窓の外では会話が続いている。

 争うでも、声を荒らげるでもなく、静かに淡々と。


 そんなやり取りが続いていることに心のどこかでホッとしながらもライアはズキズキと痛む胸を押さえ込んで、息さえも殺すようにその場にうずくまったまま。


 しばらくボソボソと話し声が続き、一人が足早に去っていく足音がした。そして、残った一人分の足音がゆっくりと離れの壁沿いに移動していく。


 帰る方向は別なのかもしれない。


 そうライアが思って息をついた瞬間。

「あら。やっぱりいたのね」

 窓から微かに聞こえていた声が、今度はもっと鮮明に、そして自分に向けてかけられたことに驚いてライアの肩がびくりと震えた。


 仄明るい建物の室内では色彩はそう意味をなさない。

 それでも背の高い女性が着ているドレスが華美ではなく動きやすい実用的なデザインで、色合いも明るいものというよりは落ち着いた色合いだということはわかる。

 きちんと結い上げた髪はおそらく明るい金髪。

 肌の色は白く、目は灰色か青かもしれない。

 なにしろ似ている。

「リアムの……お母様、ですか?」


 ああ、瞳の色が少しわかると思ったのは窓から月明かりが差し込み始めたからだ。と、ライアはぼんやりと思う。

 さっきまで薄雲に隠れていたと思ったが、いつのまにか雲は流れたようで……窓から入る月明かりがちょうど彼女の上半身に当たっているのだ。


「貴女は……エリーゼじゃなかったのね。薬師の方?」

 軽く首を傾げた女性はちょっと目を丸くしながらこちらにゆっくり近づいてくる。

 その柔らかい物腰にライアの警戒心は緩み、その場から逃げようという気は完全に失せていた。

 とはいっても、つい今しがたのやりとりを聞いてしまったという後ろめたさから、立ち上がって挨拶をする殊勝さはなく、床にへたり込んだように座ったまま小さく首肯することしかできないのだが。


 そんなライアを咎めるでもなく女性はゆっくりと近づき、その目の前にゆっくりと腰を落とした。

「アビウスの妻でヘレン・ゼアドルといいます。うちの息子が……酷いことをしたわね」

 形式上の挨拶に取れなくもないその言葉には嫌な感じは一切なく、むしろ労るような口調。

 ライアは思わず恐縮して首を横に振った。

「……名前をお伺いしてもよくて?」

 柔らかい口調にライアがはっと目を上げると、気遣うように浮かべられた微笑みは取りようによっては泣きそうな顔にも見えて見上げた目をそのまま見開いてしまう。

「あ、あの……ライア、と申します」


 やっとの思いで出した声は掠れ気味でちゃんと聞き取ってもらえたか定かではなかった。


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