名演技
「あの話はもう先行してしまっているからね」
微妙な笑みのままリアムが付け足した。
……ああそうか、と、ライアも納得しかける。
お披露目パーティー的なものをもう計画済みだ。
招待客も決まっているだろうし通知済みだろう。
そうなると今更無かったことにはできない、というところか。
いやでも。
と、ちょっと思い直してみて。
「あのね。そうだとしたって、結婚ってそう簡単に決定するようなことじゃないと思うのよね。商会にとって必要だったというのはそれなりに納得しても良かったわよ? でも、私がここで働くことがほぼ決定事項となった今はもう婚姻関係なんか必要ないでしょう? もし……パーティーの名目とかいうことであれば相手を変えればいいじゃない」
お。勢いとはいえ私、いいこと言った。
そうよ。
私との婚約発表ではなくてエリーゼさんとの婚約発表にすればいいじゃない?
ライアの表情に自信が浮かぶ。
と。
「……いや。貴女にはこのままこの家の女主人になってもらいます」
「なんでよ! 必要ないでしょう、そんなの」
何か考え込んだふうにしてから呟かれた言葉にライアが勢いよく食いついたがリアムはそれに答えるそぶりがない。
なので。
こうなったら。
「愛人が最初からいるような人と結婚なんて私のプライドが許さないわよ?」
ちょっと低い声が出た。
そんなライアの言葉にリアムの片眉がぴくりと上がり、物珍しそうな視線がこちらに向く。
……怯むな私。
ここが肝心。
エリーゼさんとカエデが頑張るって言ってくれたのを無駄にしちゃいけない。
そう自分に言い聞かせたライアは軽く深呼吸して。
「だいたい女を何だと思ってるのよ。自分の出世の道具かなんかだと思ってるんでしょ? 悪いけど私は賛同しないからね。エリーゼさんには悪いけど、彼女がこの屋敷にいるんなら私はあんたなんかと結婚なんかしないから」
意識的に語気を強めたのでエリーゼさんに対する好意的な感情のかけらも見えなかったのではないだろうか。と思える。
「貴女は彼女と仲が良かったのでは?」
リアムが眉間にシワを寄せた。
「それとこれとは別です!」
ライアはここぞとばかりに身を乗り出す。
「エリーゼさんはいい人だとは思いますけどね、夫を共有するなんていうのは女としては恥です。例え名目上だとしてもそんなの私のプライドが許さないんだから。女の常識よ」
それは事実だと思う。
そういうものだと思うのだ。
これはエリーゼさんの思いでもある筈。
そう思うから力説できる。
「……しかし、貴女にできることなんて何もないでしょう? 発言権はないし、そもそも仲のいいエリーゼを貴女がここから追い出せるなんて思えませんがね」
……この人、本当に三人でこの屋敷で暮らしていくつもりでいたんだ……。
なんとなくリアムの口ぶりからそんな事を納得してしまったライアが半ば呆然としかけたところで意識的に我に返り。
「自分の立場を確立するためならそのくらいしてやるわよ。そもそもそれはエリーゼさんの思いでもあるんだから」
ちょっと意味ありげな視線をリアムに向ける。
と、彼の目が眇められた。ので。
「エリーゼさんだって私が正妻として収まるこの家に愛人として縛りつけられるくらいなら気持ちを固めるって言ってたわ。私は彼女の決意は尊重するつもりよ」
「……彼女の決意……?」
ゆらり、と。
リアムの雰囲気が弱まった。
何か彼の芯にあったものが揺らいだような……それは不安の表れ、なのかもしれない。
「女はね。あなたが思っているよりずっと強いし、誇り高い生き物なのよ。自分の一生に意味がなくなると思ったら……」
あえてそこでライアは言葉を切った。
思わせぶりにため息なんかついてみせたりして。
「……どうするっていうんですか」
思った通りリアムの声が若干震えた。
やはり彼はエリーゼのことを失いたいなんて思っていないのだろう。
そんな事が見て取れた。
「どうするかは彼女の自由だと思うわ。……私はその手伝いをしただけよ」
ライアはそう言って視線を逸らす。
このシナリオの方が私が彼女を憎んで毒を飲ませるというのより真実味が増すんじゃないかな、と思うと達成感にぐっと拳を握り込んでしまう。
ライアは「手伝いをした」と、あえて過去形で言った。
そこから何かを察したらしいリアムはこれ以上ライアから情報を聞き出そうとは思わなかったらしく部屋から出て行った。
そして。入れ違うようにカエデが普段の仕事を装って入ってきてくれたのでエリーゼに今のやりとりを伝えてもらえるように頼む。
これでエリーゼが例の薬を何も言わずに飲んだところでリアムは自分の行動がエリーゼを追い詰めるようなものだったと結論するだろう。
万が一「ライアさんに貰った美容の薬」と言って彼の前で飲み干したとしても、エリーゼが飲むことを躊躇わないようにライアが嘘をついて彼女の決意を後押ししたとも取れるようなやりとりだった筈だ。
「……はあ。一気に疲れた」
一通り役目は終えたような気がして気が抜けたライアがベッドに倒れ込む。
頭がぼーっとするのは言った事と果たした役目が慣れない事だらけだったせいだろう。
それにしても。
あの人、本当にそういうつもりだったのか。
そう思うと気が沈む。
何かずれてるとかそういう問題なんだろうか。
三人で仲良く生活していくつもりだったとかそういう事なんだろうか。いや「三人で仲良く」というのには語弊があるか。「私と」仲良くする気はなかっただろうから。つまり、私という邪魔者がいてもエリーゼさんさえいれば楽しくやっていけると思ったのだろう。
全くもって意味がわからない。そもそもそこまで執着する意味がないと思うのだ。
それに。
完璧に役をこなすために頭の中から追いやっていたもう一つの現実。
店と土地の権利がいつのまにか移行していたという事実。
レジナルドは。
あの白ウサギは。
私の前でウサギのフリをして「商品」を手に入れた、という事なのだろうか。
私は、どんな気持ちでその事実を受け入れたらいいんだろう。
裏切られた、という悔しさを抱けばいいのだろうか。
人の気持ちをもてあそんで! と、悲しんだらいいのだろうか。
ふ、と。
宙を見つめるライアの口元に笑みが浮かぶ。
それは特に何の感情も映さない、ただの薄い笑い。
どんな気持ちを抱くのが正解なのかすら、分からないのだ。
だからつい、彼と過ごした温かくて優しい時間を思い出してしまう。
ゆるゆると流れていたようにさえ思えるあの時間が、とても懐かしい。
あの頃に帰ることはできないのだろうか。……できないのだろう。そんなことは知ってる。
ああ、でも。
あの頃の彼が大好きだったから……裏切った者の顔をする彼は見たくないな、と思ってしまう。
彼に、そんな顔をさせないように……できることなら彼に会って問い詰めるとか説明を求めるとか、そんな事を一切避けて……優しくて可愛くて……強い彼のイメージだけを心に焼きつけたままでいたいな、なんて思ってしまう。
不思議と、怒りのような感情が起こらない。
残念だ、とは思う。
胸の奥がズキズキと痛いのはきっと「悲しみ」とかいった類の感情。
ああ、私は騙されていたのか。という、哀しみ。自分を哀れむ気持ち、なのかもしれない。
なのに彼に向かう感情は、何だか空虚なまま。
うまく睡眠を取れずに目の下にクマを作っていた彼の顔が浮かぶ。
叔父に当たる人が見つかって、その人に後継者を代わってもらってこいと言われてどん底まで落ち込んでいた彼や、うちの前で嘔吐するほどに心を追い詰めていた彼を思い出す。
あれは……演技では無かったと思うのだ。
一緒に過ごした時間の中に、偽りのない彼は確実にいたのだ。
そう思うと、怒りは不思議と湧いてこない。
でもそれと同時に「真実を知りたい」なんていう気持ちも湧いてこない。
そんなものを知ったところで何かが変わるわけでもないだろう。これはきっと、諦めとかいう感情なのかもしれない。
師匠と暮らしたあの店が、知らないうちに手の届かないものになってしまったという喪失感。私の帰るべき場所がなくなってしまったという、現実からくる脱力感。
きっと、それだけのこと。
ああ、そうか。
ふと。
こんな時は誰かに気持ちを聞いてもらっていたな、と思って思い出してしまった。
老木殿のところにはもう行けないのか。
あそこは私に家ではなくなってしまった。
柳の木に会いにいくこともできなくなてしまった。
あそこには……もう誰もいない。
いつもお読みくださる皆様、ありがとうございます。
ここまで読んでくださり本当に感謝しております!
活動報告にも書いたのですが、この度ちょっと体調不良で病院とのお付き合いが始まってしまいまして。
毎週二回定期的に更新していたこの話なのですが次話より少し不定期更新になりそうです。
少し書き溜めた分はあるのですが見直しが全く出来ていませんで……
必ず更新しますし、完結まで書き続けますのでちょっとだけ気長にお待ちいただけましたら幸いです。




