表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/139

薬師の夜

「あ。カエデ」

 夕食の後、片付けをしているカエデにライアが思い出したように声をかける。

 この後下準備をした薬草たちを一晩かけて煮なければいけないので寝支度ではなくて作業用のエプロンを身に付けながら。

 カエデが空になった食器を片付ける手を止めてライアの方に顔をあげるのを確認してから。

「リアムに進言するのはやらなくて良いわよ。それだと首謀者があなたみたくなってしまうから。私が話すわ。明日の午後にでもリアムが私の部屋に来るように言伝だけ頼んでも良い?」

「あら、そんなこと、気になさらなくて良いのに……」

 カエデの言葉にライアがエプロンの紐を後ろで結んでからその手を腰に当ててため息を吐いてふっと笑う。

「だめよ。私のせいであなたが誤解されるのも、後で何かの処分対象になるのも嫌なの。私のために色々やってくれてることに本当に感謝してるわ」

 そう言うとライアはぎこちないウインクをして見せる。


 どうやらその様子がいたくお気に召したらしくカエデはちょっと頬を染めると「わかりました。仰せの通りに」と小さな声で呟いていそいそとワゴンを押して部屋を出て行った。



 作業部屋に移ったライアは毒薬を作る魔女の如く、火にかけた大きな鍋に必要な物を入れてかき混ぜ始める。

 夜の作業部屋は陽の光が差し込んでいた昼間とは雰囲気も変わっているし、これで薄ら笑いでも浮かべていたら完璧に悪い魔女だ。

 この作業はひたすら無心になって出来る作業でライアも気に入っている。

 普段なら「この後何をしようかな」とか「今日の夕ご飯は何を作ろうかな」とかあれこれ考えて時間を潰しているところだ。

 で、この度は。


 リアムにとってエリーゼさんは特別な存在だろう。

 それは傍目にもわかる。

 でも本人がどこまで自覚しているかが問題だと思うんだけどな。

 なんて事を考えている。

 妻を迎えるに当たって愛人として本命をそばに置くと言うことが、その本命を傷つける行為であることに気付いていない節がある。いや、それがこういう家庭では「ありがち」な事なのだとしても、それはエリーゼさんという個人に対しては酷く失礼な事だろう。そこに気づいてくれたら良いのに、と思う。


 明日、リアムと話ができるように呼んでもらったからその時までにうまく話せるようにしておかねければ。

 できることならこんな薬を使わなくても彼が納得してくれれば良いのだけど。

 彼が納得して私を解放してくれれば、それがベスト。

 ……まぁ、薬を作る装置はせっかく作ってもらって申し訳ないけど……ここで一生を縛られて働くのは本意じゃない。

「……はぁ」

 そこまで考えてライアは無意識にため息を吐いた。

 つい、あの離れを思い出してしまって。

 柳の木。

 切り倒されて意識も無くなってしまった木とはいえ、置き去りにして立ち去るのは忍びない。もう二度と、あの声を聞くことはできないのだと思うとなおさらだ。


 そんな事を考えているうちに窓の外がわずかに明るくなってくる。

 一晩かけて煮詰めた薬液は、この段になると澄んだ上澄みと沈殿物に分離する。この上澄みをさらに煮詰めて完成なのだ。

 大きめの鍋で作っても出来上がるのは手のひらサイズの瓶一本分程度。

 使用回数にしたらほんの二回分くらいだ。


 完成した物を一回分ずつ小分けに瓶に入れた頃には外はもうすっかり明るくなっていた。

 分量を間違えないように全量をエリーゼに渡すことはしない。

 一本は棚にしまって、不眠症の薬として処方が必要になる時まで取っておく。この手の薬は薬茶のように誰彼構わず分けてあげられる物ではない。本当に緊急に休息が必要なのに神経が高ぶって眠れないとかの症状を訴えてくる人に処方する物だ。

 今回使うのは一回限り。致死性ではないとはいえ健康なエリーゼが飲むのだ。量も加減しないといけない、と慎重に取り分けた一本を持って自分の部屋に戻る。



 部屋に戻るとカエデが朝食をテーブルに並べ始めているところだった。

「おはようございます。ライア様。……本当に徹夜なさいましたの?」

 ライアがドアを開けるなり作業の手を止めたカエデが心配そうな顔で尋ねてきた。

「えへへ。この薬はちょっと手と目が離せないから結局徹夜になってしまったわね」

 ライアが口元に笑みを浮かべて答えると。

「お疲れ様でございます。……一応朝食は軽めに用意してもらったので召し上がった後少しお休みくださいな」

 カエデの口調がどことなく申し訳なさそうなのでライアがその顔を覗き込むようにして首を傾げると。

「あ……いえ、何だかこんな思いつきの計画に便乗させてしまったせいでライア様が体調を崩すなんてことがあったらと思うと申し訳なくて……今更、なんですけど」

 ああそうか。本当にこんな時間までかかるとは思っていなかったとかそんなことかもしれないな、とライアも思い当たる。

 なので。

「あら、大丈夫よ。薬師の仕事にこういう徹夜はよくある事なの。気にしないで? それに……なんだか美味しそうね」

 話題を逸らそうとライアの視線がテーブルに向いて、素直な感想が漏れる。

 いつもより品数は少ないが、体に優しそうなメニューだ。

 今朝は燕麦のミルク粥に細かく刻んだ野菜が入っていて、さらに果物を数種類混ぜたジュースがテーブルに出ている。

 サラダやフルーツの盛り合わせを変更してくれているようだ。

「……え、ええ。厨房には『ライア様が徹夜でお仕事をされているので食後にすぐお休みになれるように簡単な朝食を』とお願いしてみました」

「ありがとう。さすがね、カエデ。そういう気配りが嬉しいわ」

 照れ臭そうに説明してくれるカエデをすかさず褒めて、そそくさとエプロンを外したライアはテーブルについて食事を始めた。


「ライア様のような方がこのお屋敷にずっといらっしゃれば皆本当に楽しく仕事できますのにねぇ……」

 ライアの食事を見守りながらカエデがポツリとこぼした。

「……え?」

 まだ聴覚が戻っている時期ではないせいもあって思わずライアが聞き返す。

 独り言の類の声が控えめなのは、やはり普段は意識的にライアに「聞こえる」ように話しているということの表れなのだろう。

「あ! いえいえ。なんでもありません! ライア様はゆっくり休んでくださいませね。今日は片付けも私がやりますので食べたらそのままベッドへどうぞ」

 気を取り直したようなカエデの表情と明るい口調にライアは聞き取れなかった彼女の独り言を聞き直すのを思い直して食事を済ませる。

 何にしても徹夜明けだ。

 頭がぼんやりしているし「ベッドへどうぞ」なんて言葉を聞いてしまったら無性に眠くなってきた。



 コンコンコン。

 強すぎないノックの音にライアの意識が浮上する。

 浮上すると同時に室内の明るさに、一瞬訳が分からなくなり……ああそうか、朝から眠っているからもうこんなに明るくても不思議はないか。と状況を思い出してベッドの上に起き上がる。

「……ライア様、起きてらっしゃいます?」

 ドアが開いて声をかけてきたのはカエデだ。

 ライアの応答がなかったのでその口調はゆっくりした穏やかなものだ。眠っているなら起こしてはいけないという気遣いだろう。

「あ、ごめんなさい。ぼんやりしてただけよ。今起きたわ」

 慌ててライアがベッドの下に足を下ろして立ち上がると。

「エリーゼ様がいらしてるんですけど、お通ししますか? ……先に着替えます?」

「あ……」

 そう言われて一瞬迷ったが、ライアは着替える方を選択。

 ベッドに入るに当たって寝間着に着替えていたので……いくら同性とはいえ「お嬢様」を相手にこんな格好はよろしくないだろう。と。

「ちょっとだけ待ってて! いっそいで着替えるから!」

 言いながらクローゼットの前に回り込み、着やすい型のワンピースを目で探しながら思い切りよく寝間着を脱ぐ。で、その勢いで視線だけで探し当てていたワンピースを手に取ってするりと着替える。

 後ろにリボンがついているのでそれを結びながら洗面台に足を運び結び終わると同時に顔を洗って髪を梳く。

 で、お肌のお手入れ……は割愛! とばかりにカエデにオッケーを出して。


「……大丈夫? ライアさん……あら」

 おずおずと入ってきたエリーゼが目を見開いた後くすりと笑った。

「……?」

 小さく首を傾げるライアの方に躊躇いなく伸ばされた手はそっと栗色の髪へと向かい、その前髪に触れる。

 つい反射的にライアが首をすくめると。

「ふふ。急いで顔洗ったでしょ? 濡れてるわ」

 エリーゼがくすくすと笑うので。

「あ……しまった……」

 反射的に濡れている前髪を手で押さえながらライアの頰が熱くなって視線が落ちる。

 しまった。急ぎすぎの大雑把すぎだったか。

「……うう、どうしましょう。可愛すぎるんだけど」

 そんな言葉にライアが視線を上げるとエリーゼがなんともいえない表情でこちらを眺めながら口元を歪めている。



 薬を渡して簡単な注意事項を伝えるとエリーゼは颯爽と部屋から出ていった。

「薬は演劇の小道具じゃないんだけどね……」

 ついライアが呟くとカエデが小さく吹き出す。

「エリーゼ様、楽しそうでしたものね。ライア様の事信頼しきってますもの。あとは自分の演技力を見せつけるだけっておっしゃってましたわよ」

 まぁ、確かにあの薬の出来栄えには自信がある。

 例えば他の薬と一緒に飲むとか強いお酒と一緒に飲むとかしなければ体に悪影響はないはずだし。

 となると。

「……あとは私がリアムにエリーゼさんより私を優先して欲しいって訴えれば良いのね。……時間のあるときに呼んできてもらっても良いかしら?」

「はい。かしこまりました。……ライア様、『優先して欲しい』という主張は生優しすぎますわよ? あなたが彼女を追い出さないなら私が彼女をこの屋敷から追い出してやる、くらいのことは言いませんと」

 カエデはこちらに視線を送りながらにっと笑う。


 ……カエデ。何気に迫力あるな。

 とライアの笑顔が一瞬凍りつき、いやいや、エリーゼさんにとっても一回限りの迫真の演技となるわけだからこちらも生ぬるい言い方では怪しまれてしまうものね、と思い直した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ