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ルーツ

 昔。

 もうずっと昔、人の記憶には物語としてしか残っていないほどの昔。


 南方の地には魔法使いと呼ばれる部族の者たちが住んでいた。

 ある者たちは、獣使い、と呼ばれて動物と意思を通わせ従わせる力を持っていた。

 ある者たちは、風使い、と呼ばれて風と話し天気を操る力を持っていた。

 そしてある者たちは、緑の歌唄いと呼ばれた。

 緑の歌唄い、と呼ばれる者たちはその歌声によって植物と意思を通わせ森を育み木々に愛される者たちだったという。


 そんな彼らは時の流れとともに、力を持たぬ他の人間から恐れられるようになり迫害され、いつしか散り散りになり……その血は薄れていった。

 今となってはその血筋を正確に辿ることもほとんどできなくなっており、ごくわずかにひっそりとその血を受け継ぎながら生きている者がいるという、伝説だけが残っている程度だ。


「……そんな話、初めて聞きました」

 ライアが隣に座り込んでいるディランの方に姿勢を正して向き直りながら目を丸くする。

「そうでしたか。……まぁ……今となっては単なる御伽噺ですよ。私は父親がその血筋でね。昔からその話はよく聞かされていました。かといってそういう特殊な力を皆が受け継ぐわけではないんですよ。うちはもう力としては途絶えた血筋です。わたしは辛うじていくらか植物とは相性がいい、と言える程度でして。……そうでしたか……知らなかったんですね……」

 ふ、と。

 ディランが静かな笑みを漏らす。

 その笑みがどことなく寂しそうでライアは思わず目を眇めた。

 と。

「あ。……ああ、いや。うちはその伝説を受け継ぎながらその力に憧れていたものですからね、知らなくてもそんなにはっきりと力を受け継いでいる者がいるなんてちょっと複雑なんですよ」

 改めて向けられる視線には……ああ、そうかこれは羨望か。という色が浮かんでおり、ライアは一瞬怯んだ。

「……そんな。でも……良いことばっかりではないですよ?」

 本来なら聞こえないはずのものに耳を傾けてしまう。ゆえに周りから孤立してしまうことがある。

 本来なら聞こえなくていいものが聞こえる。ゆえに心を揺らしてしまうことがある。


 現に今だってそんな理由でここに逃げ込んできた。


「そうですね……人と違うということは……越えなければならないものがあるという事だ。……良いことばかりではない、か」

 しんみりと噛み締めるように呟くディランはライアから視線を逸らして申し訳なさそうに肩をすくめて見せる。ので。

「あ……え、と。ごめんなさい……あの……」

 しまった。自分の勝手な事情で傷付けてしまっただろうか。

 そんな気がして咄嗟に謝り……かといって次の句も出てこないまま、つい唇を引き結ぶと。

「……貴女は本当に優しいんですね」

 ディランが微笑んだ。

 今度は優しい笑み、だ。

 なのでライアは目を丸くする。

 その言葉と笑みの意味がよくわからないままに。

「そうか。だから植物たちは貴女を守ろうと力を貸すのかもしれない。……その力はね、単に血筋だからという理由だけでは開花しないらしいですよ」

「……え?」

 微笑んだディランが何かを思い出すように、すいと視線をライアから外し。


「我が言の葉を水の如く飲み 謙らんため 囁きを聴き その唄を紡げ。さらば琴線に触るる者となり その道に我共にあらん」


 古い詩歌のような言葉が紡がれた。

 そしてふと視線がライアに戻る。

「この言葉はね、唄い手の素質がある者に語り継がれる言葉なんですよ」

 その笑みはいつの間にか深くなっており、その視線にライアは何かを思い出しかけながらも言葉の意味を探ろうと、眉間にシワを寄せた。

「わたしは僅かながらその素質を持っていたのでね、この言葉を子供の頃から何度も思い巡らして来た。……でも結局、紐解くことができなかったんです。貴女は……解るんじゃないですか?」

「え……っと」

 なんだか試されているような気がして、間違えてはいけないような気がするのでライアの背筋が伸びる。

「……あの、なんとなく、なんですけど」

 一応断ってみるとディランが笑みを浮かべたまま大きく頷いた。

 そんな様子にちょっと安心して。

「人も木も水を飲んで生きるじゃないですか。そういう命を繋ぐ当たり前でありながら重要なものを取り入れるのと同じ感覚で木や草の言葉を聴こうと思うと本気で耳を澄まさないといけないですよね?

 特に草たちの声は小さくてささやかなものばかりだから。で、彼らの声を聞くとね、気持ちが伝わるんですよね。人への想いとか自分たちの定めを受け止める心とか。そういうのを歌にして紡ぎ出せって言ってるんじゃないかしら。そういう歌ってみんなすごく喜ぶんですよ。彼らに馴染みのある歌って意外に人の歌だったりするから……そういう人の歌に彼らの気持ちを重ねて歌うと特に喜んでくれるん……だけど……あれ、違い、ますかね?」

 つい調子に乗っていつも自分が歌っている歌についてそのまま話してしまった。

 そんな事を求められている言葉のような気がしたのだ。

 そうすれば「緑の歌唄い」は植物たちがその人生という道において共にいてくれて、守ってくれる。そんな彼らの優しい招待の言葉のような気がしたのだ。

「……そうか。なるほど……」

 ディランが目を細めて一言呟き、そしてゆっくりため息をついた。そして。

「やはり貴女の感覚は植物に好かれる感覚なのだろう。わたしは……そんな風に植物に身をかがめるような姿勢で考えたことがなかった……血筋に対する誇りがどこかにあったのだろうな。植物を操ることができれば、迫害された血筋の者として世の中を見返してやることができるかもしれないなんていう密かな思いも……どこかにあったのは否めないし……」

「見返す……?」

 ライアが小さく聞き返す。

 そんな結果になんかなるだろうか。

 自分が今まで経験してきたことからして、植物と親しくしたところで周りの目は奇異な者を見る目になる一方だった。

「そうですね。……自分にはない力とか、理解できない力を見せつけられれば人っていうのはまずは恐れを抱くものでしょう。そして相手に害されないようにある程度の敬意を抱く。昔はそういう瞬間を願いながら植物を従えてやろうと思っていたんですよ」

 穏やかな声と醸し出す雰囲気とは裏腹にどことなく物騒な事を言うな、とライアは思いつつ……それでもディランの言葉に聞き入った。


 確かにそういう気持ちがあったら植物と仲良くはなれないと思う。

 彼らは人よりもずっと穏やかで優しい存在だ。

 誰かを傷つける目的で自分が利用されることなんか望まないだろう。そんな事になるくらいならいっそ刈り取られて焼かれてしまう事を望んでしまうような存在だ。

 だから私はそばにいたいと思うのだ。

 そばにいて出来るだけ守って、出来るだけ笑ってもらいたいと、思うのだ。


「でも」

 ふと視線がライアに向かった。

 その優しい眼差しは、自分の知らなかった事を優しく説いてくれる先生のような目で……ああそうか、師匠の目を思い出すから懐かしさを感じるのか、と、ライアはふと思う。

 だからつい、姿勢を正して聞き入ってしまうのだ。

「ライア様は既に唄い手として認められている存在ですよ。きっと彼らは貴女の道を守ってくれる。貴女が望むなら、いつでも願いを叶えてくれますよ」

 そう言って小さく頷くディランからはやはりどことなく羨望の眼差しが向けられているようで、ライアは少し居心地が悪かった。



 結局。

 ディランにはライアがこの場所に逃げ込んできた理由は告げられないままだった。

 ディランは「リアム様に何かされましたか?」と聞いてくれたのだが、そういうわけではない。あの感じだとリアムはむしろ、善意でやった事なのかもしれない、とさえ思える。

 なのでライアは「大丈夫です」としか答えられず、そのまま半ば無理矢理ディランとは別れたような形になった。


 せっかく心配して来てくれたのに申し訳なかったな。

 なんて思うのだが……こんな話、ディランにしたところでどうしようもない。

 柳の木が元通りになるわけではないし、そして柳の木自身、きっとリアムを恨んですらいないのだ。

『切り倒されるもまた、木の定めよ……』

 そう言って静かに笑うのだろう、なんてことは容易に想像がつく。

 だから……悲しいなんて思っているのは私だけだ。

 傷ついているのも私だけ。

 それならそれは……むしろ良かった、ということなのだろう。

 他の誰も傷ついて、心を痛めていないのなら……それは良いことなのだ。


 そう思いながらディランが去った後を追うようにして小さな茂みから這い出す。

「心配かけてごめんね」

 と、周りの低木に小さく声をかけながら。


「……っと、いた! ライア!」

 茂みから出てスカートの裾を叩いていると切迫したような声で名前を呼ばれてライアが顔を上げる。

「……レジナルド?……っ」

 ライアが声の主を認識してその名前を呼ぶのと、その声の主が勢いよく駆け寄って来てライアを正面から抱きしめるのはほぼ同時だった。

 腰に回った腕と背中から後頭部にかけて回された腕には思いの外力がこもっていて、ライアは全く身動きが取れなくなった。

 なんなら息もできないくらいだ。

「……レジナルド……く、苦しい……」

 せめて息はさせてほしい、ともがくのだが、どうにも彼の方は力を緩めるという気はないようで、胸元に顔を埋めさせられたままのライアの抗議の声はくぐもって明瞭さにかける。

「大丈夫だったのっ? さっき、今にも泣き出しそうな顔して離れを見に来てたから……リアムのやつに何かされたのかと思って……っ!」

 勢いづいて捲し立てるレジナルドも息が切れていたのか所々言葉が途切れる。

 ……きっとライアが離れを出た後、あそこを飛び出して探し回ったのかもしれない。

 ライアもそのくらいのことは察しがついたので、無理に抵抗するのは諦める。


 そうか。

 私、そんなひどい顔してあの離れを見て回ってたのか。


 なんてぼんやりと思いながら、そっとレジナルドの背中に手を回してシャツをキュッと掴む。

 と、今度はレジナルドの腕が少しだけ緩んだ。

 そしてそれに合わせて二人の間に隙間ができて、ライアの瞳が覗き込まれる。

「何をされたの?」

 心配げな薄茶色の瞳が思ったより近くてライアの頰が熱くなった。

 久しぶりに見るその顔は……なんだかライアがよく知っていた白ウサギの顔よりも幾分、大人びて見え……そんな事を認識した途端目が合わせられなくなり、つい目を逸らすために俯いてしまう。

「ライア?」

 その行為をどう捉えたのか、レジナルドの声に緊張が増した。

 腰に回された腕はそのままで、もう片方の腕がするりと解けてライアの顎に手がかかる。

「無理矢理何かされた?」

 ぐいと上を向かされて反射的に視線を上げると、思いっきり眉を顰めたレジナルドと目が合った。その視線は真剣そのものでその瞳に僅かに浮かんでいるのは……怒り、だ。

「……あ……違う……」

 レジナルドが違う方向に勘違いしている可能性に思い当たったライアがつい小さく声を上げた。


 ……そうか。

 そういえば、レジナルドだってあの離れの建設に関わっている。

 もしかしたら、知っているのかもしれないし……知らない、ということもあるのだろうか……。

 なんて思いがふとよぎり。


「あの……離れの、作業部屋……床に使った木って……知ってた?」

「え……床……?」

 恐る恐る尋ねるライアにレジナルドが目を眇める。

 どうやら知らないようで。

「……森の池の所の……柳の木を使ったって、言ってた」

 ライアの声はもう消え入りそうだ。

「……は? やなぎ……? え……ええ? 柳って、あのライアの友達の?」

 本当に初耳だったのだろう。

 レジナルドの反応がだいぶ遅れた。そして、一度ライアから目を逸らし、何かを考えるように眉を顰めてから。

「そういえば……カツミさんが一階の床材は無茶な材料を使うように強要されたから加工にものすごく手間がかかったって言ってた……あれの事か……」

 ああ、本当に……あの木はもう切り倒されたのか。

 あんなにもはっきりと確信した後だったというのに、レジナルドの言葉を聞いて更にそれが事実であると肯定された気がしてライアの気が遠のきそうになった。

「……っと、ライア! 大丈夫?」

 一瞬膝の力が抜けかけたのが抱き寄せているレジナルドにも伝わったらしく腰に回った腕に力が入りもう片方の腕も背中に回った。

「あ、うん。……大丈夫。ごめんなさい……もう平気だから」


 しっかりしろ、と自分に言い聞かせながらライアは足に力を入れ直した。


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