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離れ

 目的の場所。

「え……ここ?」

 ライアがあれこれ考えていた思考を止めると同時に目の前の建物にはたと我に返る。

 離れ、だ。

「もうほとんど完成したんですよ」

 そういうリアムの言葉の通り、ライアの予想とは違って建物の中から作業の物音はしない。

 ドアは開いているが、中にいる者たちは作業で出たゴミを片付けて軽く掃除をしている程度だ。

 覗いた限りでは知った顔の者……つまりカツミやレジナルドらしき人物はいないので二階で作業しているのかもしれない。

「完全に出来上がってからお見せしようと思っていたんですが、折角なので一足先に見ていただいても良いかと思いまして」

 そう言って中に入るように促され、ライアはそのまま中に足を踏み入れることとなり。


「……え……」

 足を踏み入れた途端に、ライアの動きが止まった。


 あまりにも内装が素晴らしくて、とか、建物が美しくて立ちすくむ、とかそういう事ではない。

 でも、はたから見ればまさにそれと同じ反応に見えるかもしれない。


 何かが胸に迫るような、何かに圧倒されるような、そんな思いで満たされて……足がすくんだ。


 そんなライアの様子を眺めるリアムはどことなく満足そうで、きっと彼にはライアの反応は建物に感動しているようにしか見えないのだろう。

 気を良くしたのか窓を大きくとって日の光をなるべく多く取り込めるようにしていることや柱の数をなるべく少なくして作業の邪魔にならないように工夫した事、更には水回りや火を使う場所に関する工夫なんかを得意げに説明し始めている。


 でも、ライアは一歩足を踏み入れたところから心ここに在らずだ。


 何がこんなに心を締め付けるのか、その理由が全くわからない。

 真っ先に感じたのは、暖かさ。そして包み込むような柔らかい空気。

 懐かしい想い。


 そう、想い、だ。


 何かがこの空間に満ちている、と思った。

 それは……自分に向けられたものと感じ取るにはおこがましいと思えるほどの、優しい想い。

 ……郷愁、というものにも似ているかもしれない。

 もしも昔人が……そう、ライアがよく歌に込めていた昔人が郷里を想ってそこに帰りたいという想いと、帰るべき場所に帰ってきたという想いを、ないまぜにしたらこんな感じなのではないかというような、そんな感覚。


「……ああ、それにこの床。ちょっと特別なんですよ」

 ライアの思考を完全に無視するようにリアムの言葉は滔々と流れている。

 ……え、ああ。今度は床の話か。

 ライアがノロノロとリアムが得意げに靴の踵でトントンと叩く床に目を落とす。

「貴女が以前歌っていた場所の柳の木。あれをここに使ってみました。柳を建築資材に使うなんてまずあり得ないという事で苦労したんですが、あの木の使われている建物で作業できるとなれば貴女も楽しめるのではないかと思いましてね」

「……は……い?」

 くらり、と。

 ライアの視界が揺れた。


 いけない。

 と、思わず足を踏ん張る。

 危うく床にへたり込むところだ。


 いま、かれは、なにをいった?


 ライアの小さな反応の変化にリアムは全く気づかないようで、床材に柳を使うことがいかに難しいかとか、職人にいかに腕のいい者を使って仕事を急がせたかとか、そんな話を続けている。


 ライアは顔色を失ったまま、ただ茫然とそれを聞き流していた。

 その後、リアムがどんな話をしていたかなんてライアの記憶にとどまるはずもない。


 今なんて言ったの?

 何を、使ったと、言った?


 そう聞き返したくて仕方なかった。

 掴みかかって、今言った事を取り消させたかった。

 もしくは自分の聞き間違い、思い違いだと……思い込んで聞かなかったことにしてしまいたいくらいだった。


 でも。

 自分の持つ感覚がその全ての可能性を否定している。


 この建物に入った瞬間から感じていたのは紛れもなく、あの柳の木の気配だ。

 優しく、柔らかく、全てを許容し、包み込み、私という存在を受け入れて……自分の定めをも静かに受け入れる、そんな気配。木の想い。

 その気配を、私が間違えるはずは……ない。


 そんな事を繰り返し考えながら、リアムに促されるままに彼の後をついて歩き、一階の広い間取りをぐるっと一周した。

 そのあと、二階の将来の私室や資料部屋や生活スペースになるという部屋にも軽く案内されたが、そこはまだ未完成という事で、作業中の人たちとリアムが言葉を交わしているのをぼんやりと眺め……視界の隅に白ウサギが顔色を変えてこちらに歩み寄ってくるのをカツミがリアムから隠すように物陰に引っ張っていくのを見た、ような気もした。


 そんな間中、ライアの耳はもはや声を音としてしか捉えなくなっていた。

 意味のある言葉として捉えることができなくなったまま。

 時々、相槌を求めるようにこちらを振り返るリアムにどんな表情を返したかも記憶にないままだ。


 気づいたら、先程立っていた花壇の前だった。

 ぼんやりと、あちこち案内したリアムが満足げに屋敷に戻っていくのを見たような気がする。

 さわさわと揺れるハーブの枝が心配げに香りを立ち上らせている。


 ああ、これでは悲しみが伝染してしまう、と気付いてフラフラと数歩歩き……花壇の脇にある小さな茂みに潜り込む。

 これはもう、本能的な動きかもしれない。


 誰の目にも留まりたくない。

 そんな気持ちで茂みに入れば植物は私をしばらくの間くらいなら隠してくれる。

 子供の頃から習慣のようにしていたこと。


 ……泣くな私。

 泣いたって仕方ない。

 そう思ってぐっと歯を食いしばり、抱えた膝の上で顔を埋める。


 ……泣くな私。

 涙なんか流したところで何も変わらない。


 例えば、子供たちが遊びでむしった花びら。

 昨日まで一生懸命咲こうと努力していたのを知っているのは私だけだった。

 そんな花の、朝一番の瑞々しい開花に立ち合いそびれて、目に飛び込んだのは地面に無惨に散って、踏まれた跡さえある花びら。


 例えば、若いカップルが手持ち無沙汰に手折った木の枝。

 昨日まで小鳥がそこにとまるのを楽しそうにしていた木の気持ちを知っているのは私だけ。

 遊びに来る小鳥と、そんな様子を楽しむ私のためにと、こっそりつけてくれていた花芽が足元で干からびているのをただ茫然と眺めていたこともある。


 泣くな、私。

 彼らは……彼ら自身は悲しんでなんかいないのだ。

 人の手にかかればむしられ、手折られ、切り刻まれる、そういう物なのだと……彼ら自身が受け入れている。私より大きな心で。

 悲しむのはいつも……私だけ。


「……ライア様?」

 静かな、柔らかい声がしてライアが小さく頭を上げた。

 ここにいれば誰にも見つからずに済む、なんて思ったが……この庭の主に限っては、そういうわけにはいかなかったのかもしれない。

 ノロノロと視線を上げた先には日に焼けた、いつも朗らかなはずの目に驚きの色を浮かべたディランがこちらに視線を送ってきている。

「ああ、大丈夫。誰もここには来ませんよ。……花たちがね、あまりにざわつくものだから気配をたどってきたら貴女がこんなところにいるから……」

 そう静かに告げたディランは、周りを見回してから遠慮がちにライアの方に這ってきて少し間を開けて隣に座り込む。

 まるで大きな体を茂みに隠そうと必死ででもあるかのようで、その仕草は微笑ましくもあり……ライアの気がほんの少し緩んだ。

「……なにか、ありましたか?」

 ぴったりと寄り添うように座る訳ではないのは、きっと淑女への礼儀だろう。

 そんな礼儀をわきまえていながらも、こちらを最大限に覗き込んでこようと上体を屈める姿勢の取り方もなんだか微笑ましい。

「……ふっ……」

 思わずライアの小さな声が漏れた。

 それは堪えきれない笑みのようでもあり、泣き笑いのようでもあり。


 いいの。大丈夫。たいした事じゃないから。


 そんなような言葉を口から出そうとしたライアがはたと、妙な事に思い当たった。

 ……今、ディランはなんて言ったんだったっけ。


 花がざわつく。

 気配を辿って来た。


 そんな、私にとってはとても馴染みのある感覚を言葉にしたのは、この人だっただろうか。

 思わず背筋が伸びる。

 そして。


「……あの……花が、どうしたっておっしゃいましたか?」

 思わず口をついて出てしまった疑問に、ディランが微笑む。

「ああ、もうとっくに気づいていると思っていました。ライア様は元を辿れば南の出身でしょう?……私も僅かながら同じ血を引いているんですよ」

「……え?」

 話が全く見えない。

 なんのことだろう、と首を傾げるライアに今度はディランが目を丸くした。

「おや……もしかして……ご自分のルーツをご存じない……?」


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