リアムの変化
レジナルドに会えた。
というのはライアの機嫌を無条件に良くするらしい。
「ライア様、何かありました?」
夕食の食器を下げながらカエデがにっこりと微笑みながら話題を振ってきた。
「……え?」
思わず聞き返してしまうには訊かれた内容に心当たりがありすぎるから。
なんだかんだでずっとにやけていたような気もする。
とはいえ、カエデにレジナルドのことを詳しく話したこともなかったので彼に会えた、という説明もなんだかしにくくてスルッと言葉には出てこない。
好きな人がいる、という話はしたけれど相手がどういう人なのかは話していなかった。
だから、彼がわざわざここの離れを作る大工に混じって仕事をしているとか、今日庭でばったり出会って言葉を交わせた経緯とか……説明するには何かと話が長くなりそうだと思うのだ。
なので。
「ああ、そうなの。今日久しぶりに薬を直接渡してきたから村の人たちの様子を聞けてね。……薬の効果がはっきりわかるっていうのはやっぱり嬉しいものよね」
なんて取って付けたような説明をする。
薬の効果を確認できたら嬉しいというのは本当の話だ。今はそれが出来ないからもし皆んなをちゃんと診る事ができたらもっと安心できるとは思う。
……まぁ突発的に必要になったような薬の調合ではなく「いつもの薬」というレベルのものを作っているので変なことにはなっていないというのは分かっているし何かあればカツミの方からメモ書きででも知らせが来るだろうからそこは心配していないが。
「そうでしたか。……ああ、ではまた次の調合の依頼も来たんですか?」
「……あ!」
そういえばいつもは出来上がった薬を届けてもらうとそれと引き換えに次の依頼の入った封筒を受け取ってもらってきていたのだ。
レジナルドに会えたことで舞い上がってしまってすっかり忘れていた。
「……やだ。私、話が聞けたのが嬉しくて受け取ってくるの忘れたわ……」
「……ぷ」
呆然と呟いたライアにカエデが小さく吹き出した。
結局、依頼のメモは翌日カエデが仕事のついでに受け取ってきてくれるということとなり。
なんだかんだでカエデにはお世話になりっぱなしだな。
と思いながらライアは一日の出来事を振り返りながらベッドに腰掛ける。
こんなにも良くしてくれる人たちに囲まれて自分はきっと幸せ者なんだろうと思う。
なのに、何故かそれに満足できていないような気がするのは……酷く罰当たりだ。
今日は思いがけずレジナルドに会えたせいか少し気持ちが安定した。
でも、ここのところ……というよりこの屋敷に来てからずっと不安定な心を引きずっているような気がする。
時々浮上しても、またすぐ沈み込む。
これは……自己肯定感が低すぎるせいかもしれない。
昔、師匠にそんなようなことを言われた記憶がある。
親にきちんと愛されずに育った子供は自分を自力で肯定する力が弱い。
こんなことをわざわざ親のせいになんかしたくないけれど、そう言われればそうなのかもしれない、と思う事が多少なりともあって納得したのだ。
人との関わりにおける自分の位置付けに自信がない。
病気ではないけど、生きていく上では少々問題。
特に普通に人と関わっていこうと思ったら。
「はあああああ……」
思わず深いため息が出た。
この思考パターン、どうにかならないかな。
結局、人と関わらないで生きていく方向に安定を求めてしまう。
頭ではそれは良くないって分かっているのに。それはただの逃げだと。
レジナルドは……どうしてあんなにも強く生きていけるんだろうか。
彼だって親から真っ当に世話をされていない幼少時代を生きてきたのではないだろうか。
母親は早くに亡くしたらしいし、父親はそれより先に家を出て行ってしまったらしいし。そして家に残ったお祖父さんからは子供らしい扱いは受けていない。
それでも、自分がやるべきことを見定めて行動に移す強さがある。
やりたい事に躊躇わずに手を伸ばす力がある。
あの強さは……どこから来るんだろう。
私に向けられる好意。
あんなの、究極の勇気だ。
その好意に応えてもらえる確率なんて、勝算なんてほぼ無いかもしれないのに、あまりにも真っ直ぐに向けられる好意。
私は、あんな風に誰かに「あなたが好き」なんて言えない。「好きになってくれるまで待つから」なんて言えない、と思う。
向けた好意が返ってこないという事を……恐れすぎているのかもしれない。
そんな事も思い当たるけど……本能的に、駄目なのだ。もう傷付きたくないと……思ってしまう。
そんな事を思うと彼の強さが羨ましくもあり……どこかで妬ましいとさえ思ってしまうのだ。
翌日。
「ライア様、お散歩ですか?」
軽く部屋の中を整えて、ドアに手をかけるライアにカエデが声をかける。
カエデの方はライアが食べ終わった昼食のワゴンを部屋から出すところだ。いつもならこのまま厨房に行っていつもの仕事に移行する、というのがお決まりのパターン。
「あ、うん。ディランの庭を見せてもらおうと思って」
最近はカエデが付き添わなくても庭をうろうろするくらいなら誰も何も言わなくなった。
なのでつい、カエデに声をかける事もなくふらっと出る事が増えている。
なにしろ、余計な事を言うと彼女の仕事を増やしてしまいそうで。つまり、付き添いをお願いしているように取られてしまうから申し訳ないと思えてしまうのだ。
「そうですか。もうだいぶ日差しも落ち着いてきましたけど、日向にずっと居るのはおやめくださいね」
くすりと笑われたのは、ちょっと前に日向で長時間ディランと立ち話をして帰ってきたときに顔が真っ赤だったのを思い出したからだろう。
庭の花について話し始めたら止まらなくなったディランにライアの方もつい我を忘れて付き合ってしまったのだ。
慌てて夜には肌の炎症を抑える薬茶を飲んで、肌のお手入れもしたから翌日には元通りだったが……淑女としてもっと気をつけるべき、とカエデには怒られた。
そんな他愛のない会話の後に外に出たライアは少し気もそぞろだ。
なんとなく、カエデにはついて来なくていいオーラを出しながら部屋を後にしてしまったけど、あれって当てつけがましかっただろうか。
あなたの仕事の邪魔をしたくないだけですよ、的な親切な意味合い程度の主張にとってもらえた、だろうか。
なんて後ろめたく感じてしまうのは。
いつも通り抜ける薔薇園のスペースを早足で通り抜けてハーブの茂る一画に足を踏み入れたところでふと足を止めて深呼吸する。
……落ち着け、私。
レジナルドにまた会えるかもしれない。
そんな妙な期待をしてしまうからである。
少し進んでいくと建設中の離れが見える。
もう外観はすっかり出来上がっていて、外に多少の資材が積んである程度だ。なので、作業している人たちというのも殆どは内装を手がけているのか外にはいない。いたとしても外で作業するためではなく外に何かを取りに来ただけとか、そんな感じだ。
なので。
「……いない、かな……」
つい心の声が漏れた。
レジナルドらしき人影は見当たらない。
そうよね、見習いって言ったもんね。きっと一番忙しい作業に関わっているのだろうし、この場合それは外から見える場所ではないかもしれない。
小さく肩を落とすと、ふわりとハーブの香りが立ち上ってくる。爽やかな香りはマンネンロウだ。
ああ、気を使わせてしまっただろうか。
なんて思いながら目の前の花壇からこちらに両手を差し伸べるようにさわさわと揺れるハーブの枝に目を細める。
よく見ると小さな薄青い花をつけている枝があってライアはこっそり目を見開いた。
……時期外れ……なんじゃないだろうか、この子。
ここの花壇には時々意表をつかれる。
ディランの世話がいいせいなのか、季節外れな時期に二度咲きしている花があったり、希少価値のある花が見られたり。
その向こう側のラベンダーも花の時期は終わり、刈り込みを待っている時期に差し掛かっている筈なのだが……ちらほら紫やピンク、更には一般的には弱いから一緒に植えたら負けてしまう白い花の株まであって、それらがまだ咲いているし、茂った葉からは香りが力強く放たれている。
そしてそれらが一斉に芳香を放つって……ああそうか。
ライアは小さく眉間にシワを寄せて困ったように苦笑を漏らした。
……リラックス効果。
私がなんだか浮き足だったり凹んだりしてるから、気持ちを落ち着かせようと、ちょっとどころか「盛大に」気を使われているかもしれない。
「……ごめんね。ありがとう。……大丈夫よ」
つい小さな笑みを浮かべながら一番近くの枝に触れて声をかけてしまう。
小さく笑ったせいで囁くつもりがちゃんとした声になってしまった。
「……大丈夫……? 何がですか?」
不意に声がかけられてライアの肩がびくりと跳ねる。
しかも、今聞きたくない声の代表格。
「……リアム……」
声の主の方に視線を上げると反射的にあからさまに眉を顰めてしまった。
「そんな、あからさまに嫌な顔をしなくてもいいでしょう。これでも貴女の機嫌を取ろう、くらいの気は使ってるんですよ?」
いつもならズカズカと近づいてきて無遠慮な態度を取るはずのリアムだがこの度はどことなく遠慮がちだ。
いつもより距離を置いたまま話しかけてきているし……どことなくではあるが、口調が柔らかい。
なんだかこちらがとても悪い事をしたような気にさえなってしまった。
なのでつい。
「ああ……ごめんなさい。別に嫌な顔をしたというわけでは……。いきなり現れたからびっくりしただけです」
と、取り繕ってしまった。
と。
「そうでしたか。なら良かった!」
途端に作られた笑顔に……ライアが再び眉を顰める。
……なんだこの人。
こんな笑顔なんか作れるの?
いつも口元は笑みの形を作っていても目が笑っていない、とか、口調が皮肉っぽいままとか……要はこの人ちゃんと笑ったことなんかあるのかな、楽しい気分って知ってるかな、くらいに思ってしまう表情ばかりだったのに。
……今のは「笑顔」だった。
安心したような力の抜けた、笑顔。
そう関わる必要のない相手になら不躾にも目を丸くする、くらいの反応が出たかもしれない。……いや、眉を顰めたのだってそこそこ不躾だけど。
ただ相手が「この男」であるが故に……反射的に眉を顰めてしまった。
だってもう、生理的に受け付けないんだもん。この人の「魅力的」な表情なんてさ。正直「うげっ」って声が出なかっただけ褒めてくれてもいいと思う。
とはいえ、当のリアムの方はライアのそんな反応には全くお構いなしのようで。
「ちょっと見ていただきたいものがあるんですよ。よかったら来ていただけませんか?」
と、素直な微笑みまで浮かべて……まるで宝物を見せようしている子供のような表情で来た方向に踵を返した。
……これはついていくのが自然な流れよね。
ついていくべきよね?
つい心の中で確認してしまうくらいに、その自然極まりない仕草も表情も……不自然に思えるのは、もう、仕方ない。相手がリアムだからだ。
「最近ね、エリーゼが貴女の話をよくするんです。彼女は本当に貴女を気に入っているようだ」
歩きながらリアムがそんな事を話し始める。
口調はとても穏やかで、楽しそうでもあり……もはやライアの想像を超えるであろう表情は、後ろからついていくライアには見えないのだが。
「貴女がいかに周りに気を配る人であるか、とか、その貴女がわたしに向ける表情や言葉にどんな意味があるかきちんと考えるべきだ、とか……」
「……え?」
ちょ、ちょっと。エリーゼさん? 彼に何を吹き込んだ?
「貴女には……その……悪い事をしたとは思っています。うちの事情で仕事に縛りを設けるようなことになってしまった」
「……うん?」
あ。なんだろう、この展開。
エリーゼさん、リアムをうまいこと調教……じゃなくて更生させたとかそういう事だろうか。
「……いや、かといってここで仕事をしてほしいという話は今のところ無くすわけには行かないんですが……それでも貴女には出来るだけ快適に仕事をしてほしいと思っています。薬の値段や販売手段も出来るだけ貴女の意向に沿うように善処します」
ライアはもはや言葉を失ったままだ。
いや、出来れば解放してもらいたい。
とっととここを出て自分の店に帰りたい、とは思うけれど。このリアムの話って……下手したらこちらの良いようにも取れるんじゃないだろうか、なんて気がする。
だって、私の意向に沿うように善処するって言った?
あれだけの物の用意と場所の用意をしてもらっている事を考えたらこちらだって多少は歩み寄っても良いのかもしれないとは思う。
そもそも、今設計が進んでいる装置って、世の中の薬師にとっては夢だ。それが現実になろうとしている。
材料を仕入れる事自体が難しいから世の中での実用化は難しいとはいえ、私にとってはそれが可能な品物だ。
多少の利益還元って必要なのかもしれなくて。
そんな事を考えているうちにリアムの足が止まった。
目的の場所に着いたという事だろう。




