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白ウサギの名前

 

「……ちょっと……いつから食べてなかった勢いよ……」

 テーブルの席に移動して用意していた食事を出したところで。

 目の前で料理の皿をあっという間に空けた上、まだ鍋に残りがあると言った途端におかわりの二杯目も平らげた白ウサギに若干冷ややかな視線を送りつつライアがぼそっと呟いた。

 一応、果物も食べさせようかと林檎の皮を剥いてカットするとカットするそばから手が伸びる。


「……昨日」

「……ええ?」

 しゃりしゃりと静かに咀嚼した林檎をこくんと飲み込んでから息をつくと同時にそんな答えが返ってきてライアが小さく目を見張る。

 ……本当に食べてなかったのか。

 ていうか……なんでこんな育ちの良さそうな人が何も食べずに二日も過ごす?

 まさか家出とか……? 行くところないとか?

 なんだか不安要素しかないことに思い当たってライアが眉をしかめていると。

「……ちょっと探し物してて……」

 それは子供の言い訳か、と言いたくなるような発言とともに気まずそうに薄茶色の瞳が逸らされている。

 なので。

「なにか大切なもの?」

「うん……あ、いや……ただちょっと気になってて……」

 どうにもはっきりしない物言いだ。

「えーと……じゃ、それを探して木の上にいたってこと?」

「ああ、そう、だな。最初に見かけたのがあそこだったから」

 ……木の上で見かけたもの……鳥の巣とかかな?

「……急いで探さなきゃいけないもの?」

 当を得ない返事ばかりでライアの方は想像力も尽きかけているのだが……どことなくどうでもいい嘘をついているようには見えないので掘り下げてみる。

 そういえば昔、子供の頃に読んだ絵本で、大切な指輪をなくした少年が最終的に光るものを集めるのが好きな小鳥の巣の中にそれを見つける、という話があったような気がする。

 ……そういう感じの探し物かな。

「ああ……いや、えっと……急がなきゃいけないって訳じゃなくて……っていうか……もう探さなくてもいいのかも知れない……っていうか」

「はい?」

 なんかもう、よく分からなくなってきた。

 ……まぁ、怪我はないみたいだし、これだけよく食べれば問題もなさそうだし……村の人でもないんだったら私が深入りする事もないかな。

「ああそうだ、お茶でも淹れようか」

 取り敢えず林檎の皿を彼の前に押しやってからライアが席を立つと薄茶色の瞳が一瞬ライアの方を向いて何かを言いかけ……すぐに林檎の方に視線が落ちた。

 ……うん、まずはお腹を満たすことが優先だな。



 すっかり食事を平らげて、食後のお茶なんかもしっかりゆっくり楽しんでいる白ウサギを横目にライアは窓の外に目をやる。

 まだ夕方というような時間ではないが少々雲が出てきたようで少し日が陰っている。


「……で、どこから来たのよ。この村じゃないでしょ?」

 外を窺いながら背後に声をかけると。

「ガドラだよ」

 ちょっとむすっとした声が返ってきた。

「そうか……あれ? あそこまで帰るんならやっぱり早く出た方がいいわよ」

 ライアが振り返ると先程の声の通りむすっとした顔で横を向かれた。

 ……おや?

「……もう少しここにいる」

「え?」

 ちょっと待って。帰りたくないとか駄々をこねる子供みたいなこと言い出す訳じゃないわよね。

 そんな思いを込めてライアが視線を送ると。

「だってここ薬師の家だろ。僕、木から落ちたんだししばらく様子見た方がいいだろ」

 ……いや、大丈夫だと思うけどね。それだけ食べたり飲んだりして元気そうなんだったら今すぐに走って帰っても差し支えないと思うけどね。

 そんな視線を向けながらも、さすがにそういうことは口にしちゃいけないんだろうと思うから思いとどまり。

「うーん、でも雨が降り出すわよ?」

 と、差し障りのない理由を出してみる。

「え? 雨?」

 そう言うと彼は椅子から立ち上がりライアのすぐ隣まで来て窓から外の空を覗き込むように見上げる。

 肩が触れそうな距離にライアがちょっとたじろいで……でもここで距離を取る仕草は相手を傷つけるかも知れないと思うので踏み止まった。

「……ちょっと雲が出てきただけじゃない。雨なんか降りそうもないけど」

 疑わしそうな目つきでこちらをじとっと見ている薄茶色の瞳は不満げだ。

「ああ……雲行きじゃなくて……植物たちが、ね……」

 後半は尻窄まりになりながらライアが呟く。


 雨が降る前には植物たちがちょっとした反応を示すのだ。

 ソワソワするというか色めき立つというか。

 そういう事を人に説明したことがないので語彙をつい探してしまい……ああそんな事を説明したところでどうせ信じてもらえないんだろうから言わなくていいんだった。と思い直した。

 植物たちは周りの空気に結構敏感なのだ。

 さっき彼の目が覚めた時も居間の空気がちょっと変わった、と感じた。

 寝ていた人が起きて……その人の様子を私が気にしていた事を知っているから「教えた方がいいかな」と、ソワソワしていたのだ。


「植物……?」

 聞こえなくてもいいはずだった単語を聞き取ってしまったようで聞き返されたライアはちょっと気まずそうに視線を逸らした。

「あのさ、君……さっき池のところで歌ってた……?」

 ……ぎく。

 そろりとこちらを見やって尋ねるその薄茶色の瞳は眇められており……何を考えているのか全く想像がつかない。


 妙な間が空いた。


 どちらも次の句を口にすることはなく、相手の出方を伺うように沈黙する。

 そんな、間。


 窓の外でざぁっと音がしてちょっと強めの風が吹く。

 この季節にはよくある気まぐれな突風だろう。

 で。

 ぽつり、と窓ガラスが音を立てる。


 ああ……降ってきてしまった。

 ライアが恨めしそうに窓の外に目をやる。

「ほんとだ……降ってきたね……」


 雨が降る中、ここから歩いて軽く一刻はかかる町まで帰れなんて言うのはもはや良心が許さない。

 ライアは小さくため息をつくとテーブルの上を一旦片付けるべく窓辺を離れた。




 外は一気に薄暗くなった。

 春も終わりかけるこの時期の雨は優しい降り方をする。

 細かい雨粒は静かに降り続け、地面を潤し、汚れを洗い流す。

 畑地で働く者たちにとっては種まきの後の大事な雨季だ。

 そしてそんな季節の雨はこの家の周りにもやはり大事。

 家の周りに植えてある草花や薬草たちがしばらくぶりの雨を喜んでいるのが伝わってくる。裏庭の木や薬草も喜んでいるだろう。


 そんな事を感じ取りながらライアは夕飯の支度に入る。

 今日は昼ごはんを食べ損ねた。

 ランチを兼ねていたらしいパーティーのテーブルから何かをいただこうなんていう気にはならなかったし、気を失っている患者を家まで運び込んで世話をするなんていう大仕事があったせいで自分の空腹になんか気が回らなかった。

 その患者はめちゃめちゃ元気に軽食をお代わりして食べ尽くし、デザートに林檎を食べてお茶まで飲んだ挙句、まだ居間のテーブルに居座っている。

 そして今日の夕飯は二人分作る羽目になっている。

 ……まだ名前だって聞いてないわよあの白ウサギ!


 ライアがどうにもやり場のない怒りに軽くイラッとしながら野菜を刻んでいると。

「……あのさ、なんか手伝おうか?」

 開けっ放しのドアのそばでこちらを窺うような気まずそうな声が聞こえてきた。

「……あなた、台所仕事なんかできるの?」

「……」

 ふん。良心の咎めを感じるがいい。

 育ちの良さそうな服装からして家事ができるようには見えなかった。「夕食の支度するけど食べていく?」って聞いたら悪びれることもなく頷いた。あれはきっと作るものの手間や労力を知らない者の反応だ。

 きっと町でもいい生活をしている富裕層の育ちだろう。

 台所作業が始まって一人取り残され……周りを観察し終わって退屈してきたところで、何もしないことに気まずくなってでもきたのだろう。


「……教えてくれたら大抵のことはできる」

「本当に?」

「……筈だ」

 ……ふん、可愛いじゃないか。白ウサギめ。


 そんなわけで。

 野菜の切り方を教えたら……案外器用にこなすことがわかった。

 卵を割って解きほぐすことを教えたら……案外上手くやってのけた。

 シチューの鍋をかき混ぜるのを途中で交代してもらったら……ちゃんと底を焦がさないように混ぜるし周りも汚さないように出来ることが分かった。

 なにこれ。ちょっと楽しいじゃないか。


「作業場が広いとやりやすくていいね。こういう村の家って台所は狭いと思ってた」

「うん、うちは特別。仕事で薬の調合もするから普通の家よりずっと広いの」

 薬草の類を入れた瓶が並んだ棚や、薬を調合する道具の並んだ棚の方に目をやりながらライアが答える。

 かなり広い台所ではあるが、仕事関連の棚があるからその床面積を差し引けば普通の家よりちょっと広いっていう程度だ。こういう物がなければちょっとしたお屋敷の厨房に並ぶ程度の広さはあるかも知れない。

「それに一緒に作るのって楽しいね」

「……そう?」

 彼は普段作ってもらったものを出されるままに食べるだけという食生活なのだろう。

 作るという作業を純粋に楽しんでいるように目をキラキラさせているのが微笑ましい。そんな様子を見ているとこっちまで楽しくなってきてライアもつい口元を綻ばせて相槌を打った。

 と。

 不意にキラキラしていた薄茶色の瞳がライアの方をまっすぐに見据えた。

「……レジナルド」

「はい?」

 ライアが軽く眉をしかめる。

「僕の名前。……言ってなかったなと思って」

「……あ、ああ。……そう」

 意味がわかってライアが手元に視線を落とす。

 パイ皿に敷き詰めたパイ生地の上に刻んだ野菜を盛り付けて卵液を満遍なくかけるのに目を離すわけにはいかない。

 でもそれ以上に。

 なんだか今のやりとりは、友達を作るときの第一歩のそれにちょっと似ていて……思わず距離を取りたくなった。

 そんな妙な間が伝わったのか彼、レジナルドが訝しげに首を傾げた。ので。

「ああ……えっと。じゃあレジナルド、そこのチーズとって」

 レジナルドの目の前に用意していたチーズを催促してみる。

 彼は「ああ」と視線をそちらに移して自然な仕草で用意してあったボウルをこちらによこしながら。

「……レジーでいいよ」

 と付け加える。

「ありがとう。レジナルド」

 意識的に返した返事は思っていたよりそっけない声になってしまった。


 ……大人気なかった、だろうか。

 と、ライアは一瞬怯んだが、そっと窺うと彼はわざとらしく「やれやれ」とでも言うかのように肩をすくめたので……正しく受け取ってもらえたのかも知れない。と、納得することにした。


 つい楽しくて友達になりそうだったけれど。

 ここで友達を作ろうという気はないのだ。

 私のことを深く知ったら、多分みんな去っていく。

 それは理解できるから構わないのだが、仕事に差し障るのはご遠慮申し上げたい。

 せっかく師匠にもらった仕事なのに、こんな気の緩みで手放すのは申し訳ない。

 私がどんな存在か知られたら……多分村の人たちは薬を買いに来なくなる。


 例えそれが薬の調合のためという名目上であっても、村人がここでゆっくりお茶を飲んでほんの少しお喋りをしていくという日常を最近は結構気に入っているのだ。







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