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乙女の本気

 

 この男は、私を商品としてしか見ていない。


 そんな考えが、ライアの脳裏によぎる。

 目の前の瞳は決して私を女として映しているようには見えない。そもそも人として見ていないのではないかとすら思える。


 そんな男の手が乱暴に肩を押して、後ろの棚に身体が押し付けられた。

 乱暴に押しつけられた肩が痛くて小さくうめいてしまいながらも眼にはしっかりと力を込める。

 もう片方の腕を反対側につかれて逃げ場がない。というよりも、いきなり至近距離に迫って来られたせいで反射的に足がすくんで身動きする事ができなくなっている。


 そんなライアの反応を一瞥した後、リアムの片手がライアの喉元に移動した。

 一瞬、首を絞められる? と眉をしかめたライアだったが、どうやら様子が違うことに気付くのにそう時間はかからなかった。

 喉に直接触れるかと思った手は、そうではなく服の胸元に指先が引っ掛けられるにとどまっている。


「……こんなことしてエリーゼさんがどう思うか考えないの?」

 不思議と怖いという感情は起こらずに冷静な声が出た。

 そんな声に胸元にかかった手がピクリと不自然に動いた。

 そのまま力任せに引っ張られたら胸元の釦が引きちぎれるだろう、という瞬間だった。


 良かった。

 そういう人として最低限の常識はあったんだ。

 という思い。

 そんな安心がライアの視線にさらに力を加えさせる。

 目の前の瞳は確かに僅かながら怯んだ。

 なので。


 せーのっ!

 心の中で掛け声をかけて。


 どんっ!

「ぐ……っ!」

 至近距離に迫ってきたままの男の腹を思い切り蹴り飛ばす。

 細い女の力なので渾身の力を込めて蹴り飛ばしたとはいえリアムは床に転げるほどのダメージは受けずに蹴られた腹を抱えて後ろに数歩下がった程度だが、それでも二人の間に物理的に距離ができたしリアムの勢いは削がれた。

 で、その勢いで体勢を立て直したライアが服の胸元を整え。

「だいたいね、人としてどうかと思うのよね。あなたはそう認識してないんでしょうけど私だって一応人なんですけど。こういう事してると……っ」

 何かガツンと言ってやらねばという勢いに任せてライアが言葉を続けようとしたところで息を飲んだ。


 なぜなら。

 なんとなれば。

 視界の隅に動く人影。

 そして。


 ほんのちょっとの間をおいて。

 ばしんっ!

 という音と共に。

「リアム様のバカっ!」

 結構な声がして一瞬呆けたライアも我に返る。


 開いていたドアからものすごい勢いで入ってきたのはエリーゼだった。

 その顔に怒り以外の感情が色濃く映し出されているのを見てライアが息を飲んで言葉を失ったところで、エリーゼは入ってきた勢いのままリアムの頰を力任せに引っ叩き声を上げたのだ。

「……エリーゼ……」

 さっきまで余裕たっぷりに嫌な笑みさえ浮かべていたリアムが顔色をなくして目の前のエリーゼを眺めている。

「ライアさんに……私のライアさんになんて事するの! 貴方がライアさんを好きなんだったら私だって身を引くくらいのことはできます! でもそういう事じゃないのでしょう! 女の子にこんな酷いことするなんて許されることじゃないですわよ!」

 ライアを背中で庇うような立ち位置に回り込んだエリーゼがリアムに浴びせる言葉は、その声が震えている。

 声だけではない。赤くなっている手を握りしめたままその体も小さく震えており……それは恐怖で震えているわけではないというのがライアにも見て取れる。


 そんなエリーゼにしばらく呆然としていたリアムが口元をきゅっと引き締めた。

「君は……わたしを理解したいと言ったね」

 一歩下がったリアムは何かを諦めたようにそっと視線を外しながらも口を開いた。

「……言ったわ」

 エリーゼが小さく呟きながらも首肯する。

「これが、わたしだ。仕事のためならなんだってする。そういうふうに育てられた。仕事で成功するためには手段は選んでいられないんだ。君だってゼアドル家の実情は知っているだろう。ここでこの商品を完全に取得しておけばうちは……」


 ばしん。


 リアムのセリフの途中で再びエリーゼの手がリアムの頬を叩いた。

 素早い動きすぎてライアも目を疑ったくらいだが、リアムはもっと驚いたようで目を丸くして言葉を失っている。

「今なんとおっしゃいました?」

 エリーゼの声が若干震えている。

「……え?」

 聞き返すリアムの顔色からしてエリーゼが怒りに震えているのだろうというのがライアにも分かった。

「ライアさんのことを商品っておっしゃいませんでしたか、とお訊きしているんです!」

 ……あ、そこかぁ……。

 ライアがちょっと遠くを見ながら薄い笑みを浮かべた。

 うん。

 リアムって結局私のことをそういうふうにしか考えていないんだろうな、くらいに思っていたからそんなふうに言われてももはや気にも留めなかったけど……エリーゼさんはそういうわけにはいかなかったんだね。

 と、どこか他人事だ。

 それでもエリーゼにとってそれは見過ごせない事だったらしく、後ろから見ていても息が上がっているのがわかる。

「いいですか! 貴方が手がけているのは人を相手にするお仕事でしょう! 物を売る相手は人間なんです。人を人と思わない人間が扱う商品に価値なんかつくものですか! それに、それが人の上に立つ者の考えですか。そんな人が上に立ったところで誰も付いてきやしませんわよ! ……ましてそれを、そう育てられたからだとおっしゃいましたの? 自分のせいではないという事ですか? そのくらい自分で考えて行動なさいませ! そう育てられたからってその通りにしなくてはならない理由にはなりませんわよ!」

 一気に言い切ったところでエリーゼが大きく息を吸って吐く。

 肩が激しく上下するのを後ろから見ているライアは目を丸くしてしまうほど彼女の声には勢いがあった。

 ……エリーゼさんってこんなに声を荒らげることがあるんだ。

 なんて呆然と思ってしまう。

 おそらくリアムも同じ感想を抱いているのだろう。

 息を飲んだまま固まっていたが、それでも一旦眉をしかめて気を落ち着けるようにため息をついて。

「わたしだって、誰に対してもそういう見方をしているわけじゃない。それに商売を成功させる上で余計な感情は持つべきじゃないんですよ。そんなことをしていると判断を誤って損失を被りかねない」

「損失が何です。その程度で立て直せないほどの損失が生じるようならゼアドル商会はそもそもその程度です。人間らしい考え方も感じ方もできないからそういう時に誰も助けてくれなくなるんです。その程度の仕事なら辞めてしまいなさい!」

 リアムの言葉にたたみかけるように勢いよくエリーゼが返すとリアムが怯むように息を飲んだ。

「……君は……わたしとライアの、どっちの味方なんだ……?」

 ポツリとリアムが呟く。

 そんなリアムの言葉を受けてエリーゼが小さくため息を吐いた。

「どちらかの味方ならどちらかの敵なんですか? ライアさんは私の大切な友達ですしリアム様はお慕いしている唯一の殿方です。大好きなリアム様が人として愚かな選択をしなくていいように助けたいだけです。リアム様のことが好きだからバカなことをするのを放っておけないだけです。ライアさんの味方になることで貴方の敵になるつもりはありませんけど……貴方を助けたいと思う、そのせいで貴方に嫌われるという事なら……それならまだ私は納得できます」

 ところどころ声を詰まらせながらもエリーゼが言い切るとリアムが眉をしかめたまま視線を外して「そうか」と呟き、くるりと向きを変えて歩き出した。

 ドアに向かって。

 訊きたい事は聞いたし言いたい事は言った、といったところか。

 なので、思い出したようにライアが一歩小さく踏み出す。

「あのー……悪いけど、私薬を作るのはやめないわよ。待っててくれてる人がいるんだから」

 こそっと意思表示。

「……勝手にしろ」

 リアムは関心を失ったように小さく答えるとそのまま部屋から出ていった。



 思いの外静かにドアが閉められて、作業部屋に静寂が訪れる。

 ライアの方に背中を向けたエリーゼと閉まったドアを見守りながらも身動きできずに固まっているライアが取り残されたまま。


「……あの、エリーゼ、さん?」

 ライアがそろそろとエリーゼの方に視線を這わせて小さく声をかけてみる、と、その肩がピクリと震えた。

 そして。

「ライアさんっ!」

 勢いよく振り返ったエリーゼがその勢いのままガバッと抱きついてくる。

「え! ……わわわわ!」

「ライアさん! 大丈夫でしたっ? 怖かったでしょうっ?」

 抱きつきながら声を上げるエリーゼの腕の中でライアは一瞬パニックになってその腕を振り解こうとしたのだが……すぐに思いとどまる。

 なぜなら、その腕が……震えているのがわかったから。

 なんなら腕だけじゃない。やけに自分の方に重心をかけてくると思ったら体が震えて、膝の力が抜けそうになっているのだ。


 なのに、そんな状況でかけられた言葉はこちらへの気遣い。


 自分より少し背の高い彼女を支えるように背中に手を回してライアがその背中を撫でる。

「……うん。私は平気。エリーゼさんこそよくあんなにはっきり言ったわね」

 勤めて明るい声を出してみる。

 と。

「……ふ」

 小さくエリーゼが声を漏らした。声というよりも小さくついた息に声が混じった、という程度の声。

 なのでライアが背中を撫でる手を止めて。

「エリーゼさん?」

 つい声をかける。


 ……もしかして泣いてるかもしれない。

 そんな気がしたので。

 彼女の行動を思ったら、彼女自身が自らの行動に傷ついて泣いている事だって十分あり得る。大好きな人が自分以外の女にのしかかっているところを目撃した上、その人本人に喧嘩を売るようなことを言ったのだ。

 そう自覚したら、明るい声を出してしまった自分の軽率さが悔やまれた。


「ふ……ふふふ……うくくくくっ! あははははっ!」

 ライアの思考が一気に固まった。


 ……笑ってる。

 しかも盛大に大笑い。

 ……まずい。壊れちゃったんじゃないだろうかこの人。


「くくくっ!ライアさん、見ました? あの人の顔! 目がまん丸でしたわねっ!」

 そう言いながらこちらの顔を覗き込んでくるエリーゼはもう嬉しそうでしかなく……。

 ……うわ。どうしよう……壊れてる、かもしれない。

 ライアの血の気がザッと引いた。


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