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友達

 

 朝から外が薄暗いな、なんて思いながら作業部屋で注文の薬茶を調合しているライアは……ここしばらくの間一人だ。


 薬茶の調合は屋敷の使用人の方々からの注文の品。

 ここ最近季節の変わり目のせいか天気があまり良くなくてそれが体調に影響する人がちらほらいる。

 そのせいでライアへの注文も少しずつ増えているのだ。

 もちろんカツミを通して村の人からの注文も増えている。

 そんな状況でもあるせいかエリーゼは積極的に遊びにはこない。


 こちらの状況に気を遣っているのか……もしくは自分の恋のお相手とのあれこれが忙しいのか定かではないけれど。

 なんて思ってしまいながらライアは軽く頭を振る。

 なんだか卑屈な考え方になってしまうのは……もうこれも天気のせいかもしれない。

 ……私もあとで気分をすっきりさせる薬茶を飲んでおこう。



 ライアが一息つこうとテーブルにお茶の準備を持っていき、長椅子に腰を下ろしたところでドアをノックする音が聞こえた。

「……ライアさん、忙しい?」

 そっと空いたドアから覗いたのは明るい褐色の髪と榛色の瞳が印象的な、エリーゼ。

 ライアの体が反射的に強張った。

「いえ……今ちょっと休憩してるところ……」

 さすがにこの状況で「今忙しい」は無いだろう。

 と、エリーゼの表情がぱっと華やいだ。

「わぁ! 良かった。なんだか最近忙しそうだったし、なかなかゆっくりお喋りできなかったからずっと気になってて。お邪魔してもいい?」

 人懐っこい笑みを作る様は……ああ、この人こんな雰囲気だったっけ、とちょっと懐かしくもあり……ライアの心の奥の靄のようなものが一瞬でかき消え。

「どうぞ?」

 つられるように笑顔が出た。

 ライアの返事を待ってからドアを開けて入ってくるという仕草一つにも、押し付けがましさが一切なくてとても礼儀正しい印象で頰が緩む。

「今日はライアさんに差し入れ持ってきたの!」

 そそくさとライアの向かい側でテーブルに小さな包みを広げるエリーゼは入っている物の説明を始める。


 どうやら米糠という食材に関心を持った厨房の者達と試行錯誤の上で米糠入りのパンを焼いて、それをラスクにしたらしい。

 小さな薄いそのお菓子には薄く砂糖がきらきらと乗っていて、米糠を入れたことで茶色く色づいたパンの色がさらに引き立っている。


 エリーゼの様子を眺めながらライアは覚悟していたような緊張が全く無いことに気づいて我ながら驚いていた。


 あれ、この人こんなに一緒にいることが自然体でいられる人だったっけ。

 思っていたような嫌な感じがひとつもない。


「……? どうかした?」

 ふと自分に向けられている疑問符に気付いてライアが我に返るとエリーゼが小さく首を傾げてこちらを覗き込んでいる。

 ……可愛い……。

 良く手入れされた髪の一房が肩にかかって僅かに潤んだ瞳はキラキラとこちらをまっすぐに見ている。

 色白の頰はきめ細やかで、ぷっくりとした唇も頬と同様ほどよく薔薇色。

「あ……ううん。なんでもない。……えっ……と、エリーゼさんどこに座る? 椅子持ってこようか?」

 妙な間ができたのが恥ずかしくて誤魔化すようにライアが立ち上がると。

「ああ! 大丈夫よ、自分でやるわ! ライアさんは座ってて。忙しく働いてたところなんでしょう?」

 軽く手で制されて反射的にライアが固まっている間にエリーゼが勝手知ったるなんとやら、といった風に、使っていない椅子を引っ張ってくる。

 椅子といっても作業用の腰掛けだ。背もたれはなく、高さだってテーブルに対して少し高すぎる。

「……いや、ちょっと。それ、座りにくいでしょう? こっちに来たら? 私がそっちに座るわ」

 今まで作業していて同じ造りの椅子に座っていた。自分の方が座り慣れている、とライアが立ち上がると。

「ライアさん。この作業部屋で私を特別扱いする必要ないわよ? 私は押しかけてきている身なんですからね。ほら、休憩中らしくそこに座ってて?」

 にっこり笑うエリーゼは持ってきた椅子から立ち上がる気配もなく、目の前のお菓子に早速手を出し始めている。

 なんなら彼女の分のお茶だって出していないのに、お茶を催促する様子すらない。

 こんな屋敷の御令嬢が粗末で座り心地の悪い腰掛けに座って……お菓子を食べるにあたって、お茶がないことに不満げですらないなんてそもそもありえない光景だ。

 そんな様子を目の当たりにしたライアが思わずぷっと吹き出した。

「……なによ」

 お菓子を頬張りながらこちらに向けられる視線は上目遣いでちょっと上がった目尻がとても可愛らしい。

 不満げな声はライアの反応に対してだろう。

「待って。今お茶淹れるから。ダイエット用がいい?」

 ついに降参、とでも言うかのようにライアが頬を完全に緩ませながら立ち上がるとエリーゼがかがみ込んでいた背をまっすぐにしながら頬張っていたラスクを静かに飲み込んで。

「ふふ。やった! ライアさんの淹れるお茶は美味しいからね。なんでもいいわ。一番淹れやすいのでお願いします」

 そう言われるともう嬉しいとしか思えない。

 ついさっきまで胸の中にあったモヤモヤはすっかりどこかに吹き飛んでしまっている。


 ライアがせっかくだから美味しいお茶……といくつかの瓶を覗き込んでいると、ほうじ茶の瓶に行きあたった。

 なんとなく手に取ってそれを淹れてみる。

 ……懐かしい香りだ。

 ミルクはさすがにここに常備していないのでストレートで淹れることにして。

「ライアさん、最近忙しい?」

 作業をしているとエリーゼから声がかかった。

「……え?」

 思わず手を止めて振り返ると意外なくらい心配そうなエリーゼがこちらに体の向きを変えて座り直している。

「なんかね、直感、ではあるんだけど……雰囲気がすごく疲れてそうだったから」

 そう言うと眉間に微かに皺を寄せられる。

「……あー……」

 あはは、と乾いた笑みを漏らしながらライアが出来上がったお茶をエリーゼの前に置き、自分のいた場所に戻ると。

「何か悩み事とか、あったりする? ただ忙しいだけなら休めば治るけど悩み事は解決するまで気持ちが落ち着かないでしょう?」

 真剣な眼差しのままそんな事を言われると……ライアはもう、ふにゃりと笑ってしまうしかない。

「うん……大丈夫、よ。たいした事ないの」

「ふーん……悩み事の方なのね?」

 ライアの言葉にエリーゼの瞳がきらりと光った。

「え……いや、あの……」

 まだ何も言ってない、筈なんだけどな……。

 思いっきり狼狽えるライアにエリーゼがくすりと笑う。

「だって悩み事でないなら『違う』ってはっきり言えば済む事でしょ? そんなふうに濁すってことは当たってるってことよね?」

「あ……」

 しまった。そういうことか。

 悪戯っぽく笑うエリーゼに完全に飲まれたような勢いでライアがかくんと項垂れた。


「エリーゼさんってさ……なんでそんなに優しいの……」

 何か言わないと解放してもらえそうにないのでライアがぽそりと呟いた。

 途端に。

「はぁ?」

 素っ頓狂な声が上がってライアが勢いよく顔を上げると目の前のエリーゼは不意打ちもいいところ、といっても過言ではないくらいの表情で目を見開いて固まっている。ついでに口も半開きだ。

「え……ちょっと待ってね、今なんかすごく嬉しい事を言われたような気がするんだけど、私の気のせいかな? 今ライアさん、私のこと褒めたの?」

 まん丸に目を見開いたままこちらに思いっきり身を乗り出してくるエリーゼはちょっと迫力がある。

 彼女が座っている椅子に高さがあるせいで、長椅子に座っているライアは上から見下ろされるような位置関係だ。

「え……だって……だってさ。私、エリーゼさんにとってそう利益のある人間でもないでしょう? そりゃ、ちょっと前まではダイエットのお手伝いさせてもらったけど、今はそんなに必要でもないし……むしろこの屋敷にいる理由を考えたら邪魔でさえあるくらいの存在よね? リアムとうまくいってるなら私に構う必要なんかないじゃない?」

「ええええ! ちょっと! なんて事を言い出すのよっ?」

 エリーゼの何かに火がついた。


「ちょっと、ライアさん。私のことなんだと思ってらしたの」

 半眼になってこちらを見下ろすエリーゼはちょっと迫力がある。

 凄む、というのとは違う……どことなく冷気を含んだ迫力だ。

 思わずライアが言葉を失って沈黙してしまうと。

「私は友達だと思っていたのだけど……私の間違い?」

 つい怖くて下に落としていたライアの視線がエリーゼの方に向き直った。

 それに少し納得したのかエリーゼは小さくため息を吐いて。

「お友達の間柄に損得なんて入り込むはずがないでしょう? なんでそんな考え方になるのかしら……」

「……ともだち……」

 ライアがそっと口の中でつぶやいてみる。

 友達という関係性を本当は私が理解していないのかもしれない。

 そんな気がして。

「そうか、ライアさんにとって私はまだ友達ではなかったってこと、なのかしら……ね」

 小さな声がしてライアがはっと我に返るとエリーゼの表情はどこか儚い寂しげな表情に変わっており「あ! しまった! 私は今ものすごく失礼な事をしたかもしれない」とライアが慌てる。

「いいのよ。大丈夫。……むぅ……そうか……まだお友達じゃなかったのなら仕方ないわ。いいこと? ライアさん!」

 ライアが取り繕おうと口を開いたところでその口から言葉が出る前にエリーゼが意気込んで言葉を浴びせてくる。

 彼女の勢いが良すぎてライアは出そうとした言葉を全部そのまま飲み込んだ。

「あのね、それならそれで仕方ないわ! 言っておきますけど私は諦めませんからね。これは私の片想いなの! そう、一目惚れみたいなものよ。ライアさんとは友達になるって決めたの。だからライアさんが私を友達認定してくれるまでは諦めないからね! いい?」

 あまりの勢いにライアの頰が軽く引きつる。

 で。

「……あの……それってリアムに対して言うべき言葉なのでは……?」

 つい変なツッコミまで入れてしまった。

 途端にエリーゼの頬が赤くなった。

「言ったわよ! あの人のことも私は諦める気はないですからね! 私は欲張りなの! でも恋愛と友情は別よ。私、お友達って今まで全然できなかったんですもの。物語の中にしかこういう友情は存在しないものだと思っていたくらいよ!」

 そこまで言うとエリーゼがふいと視線を逸らして乗り出していた体を元の位置に戻した。

 そして深いため息を吐く。



 そのまま沈黙が訪れて、ライアは目を見開いたまま数分は固まってしまっていたのだが、待てど暮らせどエリーゼからは次の句が出てくる気配がない。

 なので、ライアもゆっくりと彼女の整った横顔から視線を逸らす。

 そして。

「……私……人付き合いってよく分からないの……それに……めんどくさくて今まで周りの人と関わらないようにしてきちゃってたから……」

 自分から何か切り出さなければ場の空気は固まったまま動かないんじゃないかという気がして、ようやくライアが絞り出したのはそんな言葉だった。

 そんな言葉に反応するように、横を向いていたエリーゼが視線だけライアの方に向けてくる。

「……うそ……だってそんなに面倒見がいいのに……人と関わらないって……」

 至近距離だからライアの耳にもようやく届くようなエリーゼの声は、それでもボソボソとつぶやかれていて……ライアは聞き取るというより雰囲気で理解して。

「だって、人との関わりってそんなに深めなくってもやってこれたんだもの。店に来るお客さんとはそこだけの付き合いだし、それ以外で他の人と付き合うことなんかなかったから……!」

 言ってて自分が情けなくなる程度には、人として相当レベルの低い事を主張しているというのは理解しているので、ライアの声は尻窄まりになり視線も肩も落ちるのだが。

「……」

 微妙な沈黙があってライアがそろそろと視線を上げるとこれでもかっていうくらいに見開かれた榛の瞳と目が合った。なんならその目は若干潤んでいる。

「……じゃあ……じゃあ、私ライアさんの友達第一号候補なの? そんなことってある? え、じゃあ、もしかして親友とかにもなれるんじゃないのっ? 何そのご褒美!」

「……え……」

 予想していなかった言葉にライアの方が少し引いた。

「あーーーー! 今のは無し! ただの心の声よ! ライアさん、ちょっとずつ慣れていけばいいのよ! 私だってお友達作り初心者なんだから! ……ふふふ、そうよね、ちょっとずつ距離は詰めていかなきゃね。最初からがっついたら可愛い友達が逃げちゃ……ああっ! しまった、また心の声がっ!」


 ……エリーゼさんって……思いの外面白い人だったりする?

 ライアはこっそり眉を顰めた。


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