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好転

 

 翌朝。

 カエデはすっかり片付いたテーブルに「あら。あのダリア、もう終わっちゃったんですね。また新しいお花をもらって来ましょうか」と笑ったくらいで特に変な反応はなかった。


 ライアもそれでいいと思った。

 あまり深く尋ねられても答えられない。


 それにディランのところに新しい花をもらいにいくという目的もできて庭に出る楽しみも増える。

 彼の庭づくりは何気に質が高い。

 鑑賞目的とはいえ薬草としても質の良いハーブが結構あるのでライアの薬作りにも役立っているのだ。



 そんなわけで。

「今日は天気もいいしゆっくり見ていきますか?」

 穏やかな日差しの下で日に焼けた頰を綻ばせるディランがライアに声をかけてくれるので、カエデを伴ったライアはお言葉に甘えて花壇を端から端まで眺めながら歩くというちょっとありがたい贅沢な時間を過ごせている。午前中の、まだ陽が高くなりきっていない時間帯は風が少し冷たくさえ感じて季節が移り変わろうとしているのが肌でわかる。

 この辺りの気候は通年過ごしやすいが、それでもちょっと前まで日差しはだいぶ強かった。


「こないだの青いダリア、ライア様のお部屋でずいぶん長くもったんですよね? 昨日までまだ咲いていたくらいですよ?」

 カエデがどこか得意げにディランに告げると「ああ、そうですか。ライア様は植物と相性がよくていらっしゃいますね」なんていう言葉が返ってくる。

 ライアはその手の言葉にはついどきりとしてしまうのだが、よくよく考えてみればこういう言葉は文字通りの意味というよりお世辞の類だ。

 一瞬肩がびくりと跳ねそうになったところで思い直して笑顔を作る。

「仕事柄、ですかねー?」

 なんて返しながら足取りも軽やかにハーブの花壇に向かう。

 そしてハーブの花壇は庭の隅にある。そこから屋敷の裏側にある離れが見えるような位置だ。

 なんとなく、花壇のあたりから作業している人たちの様子でも見えないだろうか、と思いながら花壇に近づくと。

「あ。カツミさん」

 カエデが小さく声を上げて立ち止まった。

 つられてライアもカエデが見ている方向に目をやると、建設中の離れの周りで作業していたらしいカツミがこちらに気づいたようで小走りでやって来ている。

「すいません。せっかく見かけたので今のうちにと思って!」

 小走りで近づいて来たカツミは屈託のない笑みを向けながらポケットをゴソゴソと探っている。

「……カツミさん……まぁ、その……いいんですけどね。私たちだけでない時にあまり迂闊に近寄らない方がいいですよ?」

 カエデがそんなカツミを嗜めるように声をかけ、意味ありげに一緒にいるディランの方に視線を送る。

 ライアとカエデだけならまだしも、ここにはもう一人無関係な人間がいるのだという牽制のようだ。

 ディランも軽く苦笑を漏らす。

「あ。……そうか! すんません! お二人が見えたものだからついうっかり……! これだから妻にはいつもそそっかしすぎると怒られる……」

 意味がわかったらしいカツミが頭をかきながら顔を赤くした。

 人懐っこい笑顔には癒されるし、叱り飛ばす気にはなれないが……そういえばそんな調子で思い立ったらすぐ動く、というのをシズカが愚痴っていた事もあったな……なんてライアが思い出す。

「まぁ、今日は大丈夫ですよ。ディランさんはライア様の味方です」

 カエデがちょっと鋭くした視線をカツミの方に向けてそう告げると、カツミが照れたようにディランに向かって頭を下げ、ライアもつい、くすりと笑ってしまった。

 で。

「……っと、ああ、これを!」

 カツミがポケットの中からクシャッとシワが入った封筒を取り出した。

 一応封蝋がしてあったようだが……シワの加減からして全部砕けて彼のポケットの中に残っているのかもしれない。

 その封の跡を見たカツミは一瞬差し出す手を止め……決まり悪そうにそのままずいっとライアの方にそれを差し出した。

 ……うん。まぁ、本人から受け取ってるんだし問題はないよね。

 ライアもつい苦笑が漏れる。


 封筒のサイズの割に結構厚みのあるそれは、紙が何枚も入っているのかもしれないという予想がつく。

「村でライアさんの薬がほしいって言っている者に声をかけたんだが、相当量の注文が入ってね。取り敢えず、急ぎの分だけ持って来た。支払いは……えーと……」

 そう言うとカツミはもう片方のポケットから手を出した。

 無骨な、節くれだった大きな手の中に握られていたのは小さめの袋。

 反射的にライアがそれを受け取りながらおや、と思う。なんとなく直感で……リストの量と袋のサイズが釣り合わないなと思ったのと、もう一つ。

 ……なんだかこのサイズ感に覚えがある。

「……これ……」

 袋の口を軽く緩めて中を覗くと思った通りの金貨だ。

「それは、白ウサギの気遣いってやつだ。小銭はかさばるだろうって事で」

 そう言うとカツミがぎこちなくもウィンクしてよこす。

「あ……なる、ほど……」

 ライアは反射的に自然な笑顔が作れなくて、ひきつった笑いと共に頰が熱くなるのを実感した。



「……さて、と」

 屋敷の作業部屋でライアは軽く深呼吸。

 金貨が入った小さな袋は、なんとなく自分の部屋の小さな書き物机の引き出しの奥に丁寧にしまってきた。

 誰に見つかるということでもないし、見つかって困るものというわけでもないのに……良さそうなハンカチを探してきて丁寧に包んで引き出しの一番奥に入れてしまうのは……用意してくれた人を思い出すから、なのかもしれない。

 彼をイメージしてしまうような白い布に白い糸で刺繍したハンカチを選んでしまったのも……彼を恋しく思っているから、なのかもしれない。

 そう思いかけて一度手を止めたのだが、どうせ誰の目にも止まらないのだ。自己満足なら好きにしたっていいじゃない。と思い直して綺麗に包んだまましまってきた。


 で。

 こちらは封筒の方。

 がさりと音を立てて中身を出すと……案の定大量の書き込みがある紙片がざらりと出てきた。

 上から順番にめくっていくと懐かしい村の人たちの顔が浮かぶ。

 ああそうかあの頭痛の薬、もう切れる頃だったか。とか、おや、あそこのご主人、また関節痛が始まっちゃったのか、とか懐かしさに小さく笑みさえ漏れる。

 特に緊急性のある薬ではないけれど、みんなにとっては常備しておきたい類の薬だ。急いで仕上げておこう、なんて思いながら最後まで目を通し。


「……っ!」

 最後の紙切れでライアの息が止まった。


『必ず迎えにいくから待ってて』


 たった一言のそんな走り書きが目に入った。


 筆跡に見覚えはない。

 けど。

 うん、これ……。

 多分……レジナルド。

 そうよね。なにしろ私、彼の文字なんか見る機会なかったし……知らない筆跡で当然なのだ。

 でも何故か妙に確信を持ててしまうのは……そう期待してしまうから、だろうか。


 そんな事を思いながらその紙切れだけを小さくたたんでエプロンのポケットに入れ、深呼吸。


 なんとなく、背筋が伸びる。

 帰る場所があるというのは、今いる場所でまっすぐ前を向くのにも役に立つのかもしれない。

 しっかりしなきゃ。と、思う。

 誰かに迷惑をかけたりしなくて済むように、自分にできる事をきちんと、自分の役割を、きちんと果たさなければ。

 今、私に出来ることは、とにかく村の人たちに薬を作ってあげることだ。



 午後。

「……ライアさん、いる?」

 控えめな声がしてライアがふと手を止めた。


 しまった。作業に集中しすぎて全く周りに気を配っていなかったけど……そろそろ午後のお茶をしよう、なんて言ってエリーゼが来る頃だった。

 我に返ったライアが振り向くとドアのところから中を覗き込んできているエリーゼと目が合った。

「ご、ごめんなさい! つい作業に夢中になってしまって!」

 ライアが慌てて笑顔を作ると、エリーゼの榛色の瞳が細められた。

「いいのよ。どうぞ続けて? 邪魔なら私が出ていくわ」

「あー! 大丈夫! もう終わるから」

 あっさりとドアを閉めて出て行ってしまいそうになるエリーゼにライアが慌てて声を上げ、手元のものを片付け始める。

 ちょうど注文の薬を作り終わったところだった。

 ……それで集中力が切れかけて、エリーゼの声に気づいたようなものだ。


「もう、本当に気づかなかったのね! 私、何度もノックしたのに」

 ライアが出したお茶を飲みながらエリーゼが頰をぷっと膨らませて見せる。


「ご、ごめんなさい……どうしても仕事してる時は集中しちゃうみたいで……」

 まだかろうじて聴覚も戻ってきている時期なので、これはもう言い訳のしようもない。……言い訳するつもりもないのだけど。

 なんて思いながらライアが苦笑を漏らすと。

「でも、仕事してるライアさんってやっぱりかっこいいわ! なんかね、自立した大人って感じがするのよね。憧れちゃうわ」

 すっかり人懐っこい笑みを浮かべるようになったエリーゼは見惚れるほどの綺麗な笑顔を向けてくる。


 そんな笑顔を見てライアは。


 そういえば師匠が黙々と作業している姿もかっこよかったな、なんてふと思い出す。

 背筋を伸ばして調合する薬草の種類を見比べて、それぞれを的確に合わせていく様子も、どこに何があるか熟知していてためらうことなく手が、指先が、目的のものを捕らえる様子も、カッコよかった。

 真剣な眼差しでそれぞれの作業にあたる様子は、見ている自分にも張り詰めた空気が伝わって、何者の邪魔をも許さないという気にさせられた。

 そして、そんな張り詰めた空気がふと途切れて、師匠の和らいだ視線が自分に向かう瞬間はどうしようもなくドキドキしたものだった。


 いつのまにか……私もそんな空気を纏えるようになったということなのだろうか。

 なんて思うとちょっと照れくさい。


 で。

 ……あれ? そういえば。

 と、ライアがふと首を傾げる。

「そういえばエリーゼさんってリアムとうまくいってるの?」

 このやけに可愛らしい見た目は、決して食生活や生活習慣の変化だけによるものではないと思うのだ。

 いわゆる「恋は女を美しくする」っていうやつ。

 それに、アビウスが嬉しそうにエリーゼのことを話していた。

 そこまで彼女が積極的に動けるようになったということは彼女に自信を持たせてくれるような変化があったということではないだろうか、とも思える。


「……っ!」

 今度はエリーゼが小さく息を飲んで言葉を詰まらせた。

 そしてみるみる頰が赤くなっていく。

「……うまくいってるのね?」

 ライアがにやりと笑うと「……そ、そうね」とエリーゼが最大限に縮こまりながらも小声で答えた。


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