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思わぬ人材

 

「ライア様、カツミさんという大工さんをご存知でいらっしゃいますか?」

 朝食の支度を整えながらカエデが声をかけてきた。

 自室での朝食はもう完全に定番化していて小さめのテーブルには簡単な米のリゾットと温野菜のサラダ。

 あとは食事が終わりかける頃にカエデがお茶を淹れてくれる。という流れ。

 で、デザートに果物があるときにはカエデがそれを用意している間にライアが新しいお茶を淹れるようにしている。そちらは二人分で一緒に食べたり飲んだりしてカエデも一息つくのだ。


 で。

「カツミさん……うーん……誰だろ……」

 再びやってきた聞こえる時期。

 ああ、もうここにきて二ヶ月経つのかと思いながら朝の身支度を終えてテーブルについたライアが小さく呟く。

 寝起きで頭が働かないというのもあるのかもしれないが基本的に名前を覚えていないライアだ。

 最近その辺も理解できてきているカエデが苦笑を漏らす。

「たぶん、ライア様がいらした村の方だと思うんですけど……」

 美味しそうに湯気を立てるリゾットはキノコがたっぷり入っている。それからこの香りはチーズかな。なんて思いながら早速一口食べながらライアがふと考える。

 村の大工さん……さすがに全員の仕事までは知らないけど、っていうか興味がなかったんだけど……大工さんで知ってる人っていえばシズカの旦那さんくらいかなぁ……あ。

「あ、うん。知ってる。友達の旦那さんがそんな名前だった!」

「お友達の旦那様……」

 どこか呆れ顔のカエデの視線に耐えられなくなってサラダの方にスプーンを差し入れる。

 茹でた豆が混ぜ込んであるサラダは南瓜やじゃが芋が同じような小さめサイズに切ってあってスプーンですくって食べられて美味しい。

 うん、カエデの言いたいこともわかるわよ。

 友達の旦那様の名前を忘れるってどうなの?

 という視線。でもさ、シズカだって私と話すときには「うちの旦那」みたいな言い方するし……名前を聞く頻度が少ないんだもの。

 そう思いながら小さく咳払いをしてみる。

 と。

「あー……えっと……その方、離れの作業でいらしてるんですよ?」

「ええ?」

 ちょっと決まり悪そうに一瞬言い淀んだカエデが思い直したように本題に入ってくれたので、ライアが目を丸くした。

「え、そうなの? ……それって……」


 会いに行けるんだろうか。

 なんて言葉が反射的に出かかった。


 懐かしい顔が思い浮かんで、それをきっかけに今まで考えないようにしていたことが次々に思いをよぎる。

 シズカは元気にしてるだろうか。近所のおばちゃんはどうしてるだろう。いつも子供の咳止めを買いに来ていたおばちゃんは……そして……そんなみんなと仲良くお喋りしてくれていた……レジナルドは……どうしているんだろう。

 私はここで無事にいますよって……伝えられるだろうか。


 そこまで考えてからはた、と。


 伝える必要ってあるんだろうか。


 なんていう思いが頭をよぎる。

 そもそも私がいなくなった事で心配なんかしていないかもしれない。

 こちらでリアムの目を盗んで連絡を取るなんて努力をしたところで……向こうは別になんとも思っていないとしたらそんな努力、ただの無駄だし……迷惑ですらあるかもしれない。


 いつか見た表情のないレジナルドの顔が浮かぶ。


 私が何かしらの方法で無事を知らせたところでそんな顔でその知らせを一瞥して、日常に戻っていく彼の様子が思い浮かんで背筋がぞくりと震える。


「……ライア様?」

 声がかけられてライアが我に返ると目の前に心配そうなカエデ。

「え、あ。……ごめんなさい」

 ライアが改めて笑顔を貼り付ける。

 と。

「もう。会いに行きたいっておっしゃるんじゃないかと思って準備してるんですけど?」

 カエデが眉を顰めて悪巧みをするような笑みを作った。

「え?」

 ライアが思わず聞き返す。

「だって、村の人たちに伝えたいこととかありますでしょ? ライア様の恋人のこととか」

「え……いや、別にま、まだ恋人ってわけでは……ないんだけど……」

「もうっ! 何にしても今日は旦那様もリアム様も一日留守ですし、旦那様に告げ口しそうな使用人は午前中のうちは出払ってるんです。休憩用のお茶を運びますから一緒に行きますでしょ?」

 しどろもどろで答えるライアにカエデの方は結論を急ぐかのように捲し立てる。


 そして、あっという間に計画が立てられて。


「えーと……エリーゼさん?」

 お茶の用意を運んでいる使用人とそれをサポートしているカエデの後ろからついていく格好になっているライアの隣を楽しそうに歩くちょっと背の高い美人にライアが恐る恐る声をかける。

「あら、いいじゃない。いい? ライアさん、こういう時に味方は多い方がいいのよ。私はこの屋敷の敷地内でも自由に動ける身分だし、ライアさんの恋の味方として役に立つんだから遠慮なく頼りなさい?」

 とても楽しそうに言い切るエリーゼに言葉を失ったライアがそっと視線を目の前を歩くカエデに向けるとカエデがちょっと振り返って意味ありげに笑った。


 どうやら首謀者はカエデだ。

 そして巻き込まれたエリーゼは……カエデの人選は間違っていないのだろう……とってもやる気満々なのだ。


 ……いや、そんなやる気、必要かな……?

 ライアの方がむしろ引き気味である。


 で。

「うわ……」

 裏庭を回り込むようにしてたどり着いた離れ……いやまだ完成はしていないのだが、外観はほぼ出来上がっているように見えるその離れの様子にライアが小さく声を上げた。

「あ、そっか。ライアさんは見るのは初めてなのよね?」

 エリーゼが隣で声を弾ませる。

 まるで自分の宝物を見せる子供のようだ。

「結構順調に進んでるみたいよ。私も近くまで来て見ることはそんなにないんだけどね」

 ちらりと舌を出して肩をすくめる様子はなんとも可愛らしい。

 そんな様子を一瞥してカエデはもう一人の使用人と一緒に少し離れたところにある東屋にお茶の用意を運んでいく。少し大きめの作りの東屋は労働者たちの休憩スペースなのだろう。

 真ん中に据え付けてあるテーブルには手際よくお茶の用意が並べられていく。

 そんな様子を眺めながらエリーゼが。

「ほら、結構広いでしょう? 何か特別な薬を作るための装置を入れるとか聞いたけど。……それはさておいても外観もとても素敵じゃない?」

 エリーゼが言うように、取り立てて豪奢な建物ではないが、シンプルで品のある佇まいは今までライアが自分の店の裏で使っていた作業小屋とは質もサイズも全く違う。これは立派な研究所。一階は作業部屋だけでなく資料室も軽く踏まえた広さだし、しかも一人で使うようなサイズではない。

 二階建てになっているところを見ると二階はライアの個人スペース、つまり生活スペースにできそうだ。

 半ば呆然と見つめるライアの隣でエリーゼが小さくため息を漏らす。

「こんな立派な離れを造っているともなるとね、やっぱりライアさんがリアム様の本命なのかなって……最初は思ってしまって……」

「えっ……!」

 思わず勢いよくエリーゼの方にくるん! と顔を向けてライアが言葉を失う。


 なんとなればその顔は思っていたようなものではなかった。


 拗ねているか、ちょっと怒っているか……くらいに思っていたエリーゼはなんだか嬉しそうに微笑んでおり。

「なんだかね……最近リアム様が優しいんですよ。今までお仕事で疲れて帰って来た日は真っ直ぐお部屋に戻られるから顔を合わせることなんてなかったのに、最近は私にわざわざ声をかけてくださるの。旦那様もね、時々私とリアム様を優しい目で見ておられる時があって……」

 そう言いながらぽっ、と頬を染めるエリーゼは……。

 うん、きっとうまくやっているのだろう。そもそもここの当主との関係は良好であると見ている。そして最近の彼女の変化は見ていてとても好ましい。見た目だけの問題ではなくて使用人の方々との関わり方もそうだし、それに。


 ついライアも力が抜けた笑みを漏らす。


 なんといっても可愛らしいのだ。

 私のことにこんなふうに関わって来てくれる積極性も微笑ましい。押し付けがましさはなく、本当に純粋に気遣ってくれているのがわかる態度。でも、譲らない強さは……きっとこちらに気を遣わせないための配慮なんじゃないかと思えてしまう。

「私も力になれるけどどうする?」なんて改めて訊かれたら、きっと私なら「私は大丈夫。あなたの立場が悪くなるようなことはしなくていいわよ」と言ってしまうだろう。

 でも、こんなふうに「これは私の単なるお節介だからね!」という感じで言われれば私は断れない。

 きっとそれを見越してこんなふうに接してくれているのだ。

 基本的に性格が良いのだろうというのがよくわかる。

 これ、あのリアムにはもったいないような気がするけど……でも彼をしっかりサポートできる良い素質を持った御令嬢という意味では最高の人材なのかもしれない。

 そんな事をつい考えてしまう。


「ああ! ライアさん!」

 聞いたことのあるような声がしてライアが視線を声の方に向けると。

 作業の合間らしい男が一人こちらに駆け寄って来ている。

 背の高い体格のしっかりした、ライアとは同年代くらいではなかろうかと思える……シズカの夫だ。

 ライアがなんて声をかけて良いか迷っているうちにシズカの夫、カツミはいそいそとライアの近くまで走り寄って来て丁寧に頭を下げる。

 これはおそらく隣にいる御令嬢の手前、礼儀を気にしたのかもしれないとライアが察すると、エリーゼが一歩下がって二人で話せるようにしてくれた。

 そんなエリーゼに軽く会釈をしてから改めてカツミがライアの顔を覗き込むようにこちらに視線を向け直す。

「良かった。みんな心配してたんですよ。急にいなくなるから……まさかここにいるとは思いませんでした。カエデさんに話を聞いてびっくりして!」

「……そう、なの?」

 捲し立てるように話すカツミにライアの方が言葉に詰まる。


 ……みんな、心配、してた?

 心配、してくれた人が……そんなにいるんだ。


 そう思うと何かが込み上げて来そうになって声がうまく出ない。


「ええ、そりゃもう。なんだ、そういう事ならもっと早く連絡取れるようにして貰えば良かったな。うちのシズカもいつかライアさんが帰ってくるかもしれないって毎日のように薬種屋の様子を見に行ってるんですよ」

 カツミはそう言うとちょっと息を整えて、日に焼けた頬を綻ばせた。

「ありがとう……でもあの……実は私もあんまり自由に動き回れる身ではなくて……」

 なにしろ拉致されて来た身なので。とはさすがに言えずライアが口籠ると。

「ああ、大丈夫。大体のことは聞きました。でも俺が無事を確認したいからって言って呼び出してもらったんです。俺がライアさんに会いに行くのは不自然だけどそちらから来てもらう分にはどうにかなるんじゃないかとカエデさんが考えてくれたので」

 カツミが意味ありげに声を顰めるのでライアがお茶の用意をしているカエデの方にちらりと視線を送ると、そのタイミングでこちらに視線を送って来ていたカエデと目があってにっこりと微笑まれる。

 どうらや作業をわざとゆっくりやって時間稼ぎでもしてくれているらしい。


 これならはたから見れば建設途中の離れを実際に使う人間が視察に来て、作業している者に進展状況を尋ねているところ、くらいには見えるだろう。


「ありがとう。私なら大丈夫。特に何もされていないし……そうね、多少行動の自由がない程度で待遇は悪くないの。今は屋敷の中に作業部屋があってそこで薬を作ったりもできているのよ……って、あ、そうだ」

 心配かけないように、そして余計な事を聞き出そうとして自ら落ち込んだりしないように、とライアは自分の話をできるだけ引き伸ばしてみる。で。

「村の皆さんにももし必要な薬があったら作ってあげるわ。アンナさんもそろそろ新しい頭痛薬が必要になるだろうし……イザベラさんとこのお子さん、そろそろ夜に咳がひどくなってる時期だと思うのよね。それに……」

「ああ、わかってる。みんなにはあんたが必要だよ。もし薬を出してもらえるんなら今度来る時に必要な物のリストを持ってくる。カエデさんがあんたとの橋渡しをしてくれるって言うから一応あんたにも話を通しておかないとって思ってたしな……それに……」

 そこまで言ってカツミがすっと視線をライアの後方に滑らせた。

「わたくしもお手伝いいたします。わたくしはライアさんの味方ですわ」

 今まで言葉を控えていたエリーゼが柔らかい声を発した。

 ライアが振り返ると、声の通り柔らかく微笑んだエリーゼの目はしっかりとこちらを見据えており、決意が伺える。

「良かった……」

 カツミが安堵の息をつくように肩を下げて小さく頷く。

 そして。

「ライアさん、もっと聞きたい事があるんじゃないのか?」

 その瞳が軽く眇められた。


 シズカの瞳によく似た黒い瞳は、日の光の加減でちょっと濃いブラウンに見える。そんな瞳が鋭くこちらに向いたような気がして、ライアがつい息を呑んだ。

「……え……?」

 思わず聞き返してしまう。

 身に覚えがありすぎて。


 シズカのことだ。

 以前から……そりゃもう私がこっちに来るよりもずっと前から夫にはその日の出来事を毎日話して聞かせていただろう。

 薬種屋に入り浸るようになった白ウサギの話。その白ウサギが薬師にご執心だと言う話。そして……薬師の方もまんざらではない、という話。


 で、きっと、ライアがこちらに来てからの、その後の彼の様子も知っているのかもしれない。


 それはライアが知りたいと願いつつも、先ほどから心のどこかで聞きたくないと思っている事だ。

 彼の日常になんの変化もなく、彼がもうあの薬種屋とは関わることもなく、普段通りの平穏な生活をしているとしたら……例えそれが彼にとって幸せな事なのだとしても……知りたくない、と思ってしまっている。


「あの白ウサギ、だいぶ荒れてるぞ」

「……え?」

 思わぬ言葉にライアの思考が一瞬で固まった。

 ……白ウサギって……その呼び方、カツミさんにも定着してるの? と思いかけてふとチラリと動いた視線にその意味をライアが察する。

 そうか。エリーゼさん。

 明らかにゼアドル家にゆかりの者。ここで彼の本名は出さない方が賢明だと咄嗟に思ったのかもしれない。

 そう思いついて、苦笑が漏れそうになった唇を引き結ぶ。

「……あ、荒れてるって……?」

 むしろそっちの方が気になったくらいだ。

「だって、あんたがいきなりいなくなるからだろう。店に荷物を取りに来ていたこの屋敷の人間に殴りかかったりするから止めるのが大変だったってシズカがこぼしてたぞ」

「……ええ!」

 殴りかかった……?

「まぁ、気持ちは分からんでもないが……シズカの話を聞いた限りじゃ、ここにいるっていう確証が取れたらマジで殴り込みに来かねないな……少し頭を冷やせるように……あんたからの言伝でももらえればいいんだが……あ、いや、殴り込みかけるのはいいんだがな、あの白ウサギ計画性もなく一人で乗り込んできたら大変だろう?」

「……っあー……」

 そうね。

 一人で殴り込み。

 それは確実に分が悪い。

 この屋敷の広さと使用人の数を考えたらそんなの失敗するとしか思えない。


「えーと。じゃあ……そうね。一応、私は無事。リアムからは何もされてないし……ああそうだ。リアムにはこのエリーゼさんっていう有力な婚約者候補がいるから大丈夫よ。って伝えてくれる?」

 そう言ってライアが相変わらず一歩下がったところにいてくれるエリーゼに視線を向けると、話の流れを聞いていたエリーゼがわずかに頬を赤らめて。

「ええ。リアム様はわたくしが、必ずや落としてみせますから大丈夫です!」

 と拳を握る。

 ……うん。ありがとうエリーゼさん。

 ライアがそんな視線をエリーゼに向けると彼女からも意志のこもった視線が帰ってきて、カツミが微妙な面持ちになった。

 で。

「そろそろお仕事に戻られた方がいいですよ」

 いつのまにか作業を終えたらしいカエデがもう一人の使用人を伴ってこちらに歩み寄ってくる。ので。

「あ、すみませんカエデさん。ありがとうございました! ……じゃ、ライアさん、今度来た時に薬のリストはカエデさんに渡るようにしますね」

「カエデがこっちに来れない時はわたくしがお散歩がてら様子を見に来て差し上げますわ」

 慌てるように頭を下げるカツミにエリーゼが言葉をかけ、頭を上げたカツミがにっと笑った。



 実際のところほんのわずかな時間だったけれど。

 ライアは懐かしさと、嬉しさと、安堵の想いと……そして何かまだ説明のつかない何かを胸に抱えたままそそくさと離れを後にする三人について歩く。


 嬉しかった……のだろうか。

 いや、ちょっと心配……でもある。

 レジナルドが荒れていた……って。

 そうか、私がいなくなった事を無感情に受け止めたのではなかったのか。

 そう思ったら心のどこかで安心した。

 でも、あの彼に平穏以外の感情を抱かせたということに関しては……。


 罪悪感、だろうか。これは。

 そんな気がしてならない。


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