ダリアと涙
庭に出るということに罪悪感がなくなったので、夕方になるちょっと前にはライアは自主的に庭を歩くようになった。
もちろんカエデを連れて。
……初めのうちはまた怪しげな草むしりもどきや木の手入れもどきの人たちがいるのではないかとビクビクしていたのだが……主に不意に見つけて脱力してしまうのではないかという意味で、だが。
どうやらそうそう毎回のようにゆかいな仲間達が庭にいるわけではないらしい。
「あれはリアム様が同席されるような意思表示をされたからですよ。この時期はあの方達はお忙しいのでそもそもお屋敷にいらっしゃることはそうないんです」と、カエデが説明してくれた。
ああそうか、と、ライアもちょっと納得。ちなみに「あの方達」と複数形なのは親子揃って、という意味なのだろう。
そういえばエリーゼがお茶をしにくると、決まってリアムの話をするのだが、最近そんなような事を言っていたな、と思い出す。
今日も「ここ最近夜遅くに帰ってくることが多くて顔を合わせないんです」とか「昨日チラッとお見かけしましたけど疲れ切ったような顔をされてました」なんて言っていた。
それとなく様子を聞いた感じだと、まあ、寝不足とか過労気味とかそんな感じの症状かなとは思ったが、いかせん興味のない相手。
何か薬でも処方してあげようかな、とかは全くもってかけらも思わなかった。
「ライアさん、何かいいお茶でも作っていただけませんか?」
なんてエリーゼに言われて「え……」と硬直しながら背中に悪寒が走ったくらいだ。
全く悪びれることのない提案に「それって無駄に私に注意を引くだけの行為ですからやめた方がいいと思います」とそっけなく答えたら「あら……! 本当にライアさんはあの方に興味がないのね!」とコロコロと笑われた。……実は探りを入れるために提案したんでしょう?
と、半眼になって睨みつけてしまったのは言うまでもない。
「おや、ライア様。今日も散歩ですか」
穏やかな声がかかって振り向くとあちこちに土がついた作業着姿のディラン。
パサついたブラウンの前髪が額に張り付いているところを見ると、午後の作業の真っ最中だったかもしれない。
「こんにちは。お仕事お疲れ様です」
ライアがにこりと笑うとディランが視線を滑らせて花壇の方へと促してくれる。……見せたいものでもあるのかもしれない。
もしかしたら「こちらへどうぞ」くらいの一言があったかもしれないが、ライアの聞こえる時期は終わっている。仕草や視線の動きで相手の「言葉」を感じ取ろうとするのはもういつもの条件反射だ。
黄色や、銅色に近い赤の小ぶりなひまわりはそろそろ終わりかけている。
ディランの庭づくりはとても仕事が細やかで、終わりかけて見劣りするようになった株は丁寧に間引かれ、代わりの物がまるで初めからそこにあったかのように植えられている。
ひまわりは徐々にまだ背丈の低いコスモスの苗木に入れ替わっていて良く見ると小さな蕾がちらほら見える。
これは咲き始めたら一気に見頃になるんだろうな、とライアも目を見張りつつ数ヶ月先を思い描いてみる。
少しずつ入れ替わる植物には計画性がきっちり見えて最終的にはこの区画は穏やかで涼やかな植物に囲まれるスペースになるのだろうということがなんとなく窺えるのだ。
「ここ、お月見とかできそうね……」
どこかでそんな習慣を聞いたことがあったな、とつい思い出してライアがぽそっと呟いた。
「おや、良くご存知ですね。月を愛でるのは東方のごく限られた土地の習慣ですよ」
ライアの言葉を拾ったディランが僅かに目を見開いた。
「あ……ええ、まぁ。私の生まれがそっちの方なので」
生まれた土地での記憶なんてそう色々あるわけでもないが季節ごとの祭りはなんとなく覚えている。それも自分がそれに関わった楽しい思い出としてではなく……そうする人を見ていただけというぼんやりした記憶だ。
「ああ……それで……そうですか……東方、ですか……」
ディランがちょっと意外そうに小さく頷いて目を細める。
その反応にはライアだけでなくカエデも興味を引かれたようで好奇の視線が向けられた。
「いや……ああそうだ、米糠の利用を始めたと聞きました。ああいう物を利用するのも確か東方の限られた地域の習慣だったかと」
「……あ……」
ライアが思い出したように小さな声を上げた。
カエデは「ああなるほど!」なんて呟いている。
糠を使う健康法や美容法は、はっきり言って後から身につけた知識だ。
でも全く躊躇いなくそれを使えるのはやはりどこかで見聞きしていた物だからなのだろう。
子供の頃、親や家の者が使っていたという記憶はない。
でも施設には……あったかもしれない。
決して贅沢品ではないが、利用価値の高いもの。
「糠は庭と畑の肥料にも使っていたんですよ」
穏やかな声にライアの思考が引き戻された。
引き戻された意識の先でディランが柔らかい笑みを作っている。
「ああいう物を破棄するのではなく有効活用する方が屋敷にいると思うとなんだか嬉しくてね」
いつのまにかディランの態度はまるで同志に向けたようなものに変わっていた。
似たような価値基準で話ができるのが楽しいといったところだろうか。
「そういえばこちらに何かありましたか?」
満足そうに笑みを浮かべるディランにカエデが思い出したように声をかけた。
そういえば、こっちに連れてこられた感があったんだっけ、と、ライアがカエデとディランを見比べると。
「ああそうだ」
そう言ってディランが作業中だったと思われる道具が詰め込まれた大きめの箱を花壇の前から退けた。
「……あ、ら……」
ライアが思わず声を上げる。
なんとなれば……ディランが退けた箱のせいで見えるようになった花壇の一角には青いダリア。
「……あら! すごい!……満開ですね……」
カエデも思わず息を飲んでいる。
「そうなんですよ。あれ以来蕾が次々に出てきましてね。そろそろダリアの季節は終わりだというのにこの株は今が最盛期なんです」
ディランが困ったように照れた笑みを浮かべながらライアの方を見やる。
「あれ以来」と言うのはライアがここでお茶をしたり昼食を食べたりしたついでに花に力をあげてしまった時のことだろう。
そういえばすごく咲きたそうにしてはいたのだ。
きっとディランの根気強い世話に応えたくて必死だったのだろう。
そんな気がした。
なのでちょっと力を貸した。
それが……この結果。
いや。
結果というより……。
「何だかね、ライア様がここに来るように呼んでいるような気さえして、いつも声をかけようと思っていたのですが……最近はハーブの花壇の方に行かれることが多かったでしょう? こちらにライア様が来られないとまた蕾が増えるんですよ」
「……あはは。可愛い……」
言葉とは裏腹にライアが乾いた笑いをこぼす。
うん。
なんだかそんな気がした。
「ほらほら、こんなに咲いたの! 見て見て見て! みーーーーてーーーー!」
くらいの声がするような、そんな気配。
ディランに喜んでもらえた後、花の意識が私に向いてしまったんだろうな。
でも確か、ダリアって球根だったはず……。
そう思ってライアが青い花の前にしゃがみ込んで咲いている花一つ一つを覗き込んで。
「凄いわね。良くこんなに花を咲かせたわ……えらいえらい! でもそのくらいにしておかないと球根の力が弱って来年咲けなくなっちゃうわよー?」
と意味ありげに声をかける。
後ろでディランとカエデが微笑ましそうにくすくす笑っているのはもう仕方ないと諦めよう。
花に話しかけちゃうちょっと残念な感じの人ですごめんなさい。
と。
膨らんでいた大きめの蕾がほろりと綻んだ。
「……おぅ……」
これはもう勢いついちゃってて止められないんです、的なやつかな。
うん、うちの花壇の子達もこうだったね。特に宴の夜やその前の夕方。楽しみにしすぎて抑えが効かなくなるやつ。
見ているこっちは微笑ましくていいんだけどね。
「……え、ライア様?」
不意にカエデの声が近くで聞こえてライアが我に返った。
顔をあげるとすぐ隣でこちらを覗き込んでいる瞳は心配そうだ。
「……え?」
中腰でこちらにかがみ込んできているカエデを見上げるように顔を上げた途端、頬を何かが滑った。
「……あ」
しゃがみ込んだ両膝の上に乗せていた手の上に生温かいものが落ちて、目をやると……涙、だ。
「……ごっごめんなさい! なんだろう、私。疲れてるかな、へへへ」
つい笑って誤魔化す。
ついでに頰と顎のあたりの涙の跡を払うように拭って、立ち上がると。
「ライア様、やはり慣れない環境ではご負担が大きいのでしょうね」
ディランが静かにそう言って花壇に近づき青いダリアの花を数本手折る。
「これはライア様に。きっとこの子達もあなたのそばにいたいと思っていますよ」
そう言って差し出される小さな花束からはなんとも言えない心配そうな気配が伝わってきてライアは無理にでも笑顔を作ってそれを受け取るように促される。
うん。
こんなに優しい人に、それに何も悪くない花にまで心配かけちゃダメ。
「ありがとうございます。……何か活けるのにいい物あったかな……?」
なんてさりげなくを装ってカエデの方にも笑顔を向けるとカエデが一瞬困ったように眉をしかめたが……すぐに気を取り直したように笑みを作り。
「そうですね……立派な花瓶よりは綺麗なグラスか茶器に活けたら素敵ですね。……何か探しましょう」
と考えながら答えてくれるので、では早速部屋に帰りましょう、ということとなる。
カエデが持ってきてくれた花器候補はカットが綺麗なガラスのコップと白い陶磁器のティーカップとミルク用のポット。
ティーカップは深さがないので可愛いけれど却下。
ミルク用のポットはカップより少し大きめの物なので深さもあって活けるのにちょうど良さそう。
試しに水を入れてダリアの花を差すと青い花びらと白い陶磁器のコントラストが綺麗。
キラキラしたグラスもいいなとは思ったけれど、花が大振りなのでこちらの方がおさまりがいい。
「あら、素敵。それならテーブルで毎日眺めるのにちょうどいい高さですね」
「ありがとう」
低く活けたダリアはテーブルに置いても向かい側のカエデとの間で視界を妨げないし見える角度もちょうどいい。
褒めてくれるカエデにライアもつい笑みを漏らす。
「……いつか……」
小さな声でカエデがそっと呟いた。
「……え?」
聞き取れなくてライアが顔をあげると寂しそうとも取れるような微笑みと目が合った。
「いえ……」
言いにくそうにカエデが小さくため息混じりに答えてから眉間にシワを寄せ、少し間を置いてからライアの方に視線を向け直す。
ライアの方は自分の聴覚のせいで聞き逃したのかと相手の唇をつい凝視してしまっているので言葉を促しているように見えるのかもしれない。
「いつか、ライア様がきちんとお家に帰れるように、できることはお手伝いさせていただくつもりです。でも今のところは……わたくし達には出来ることに限度がありすぎるのです。……もう少しご辛抱くださいませね?」
ゆっくりと言葉を区切りながら話すカエデの目には意思の強さが表れているようで気休めの言葉を口にしているという雰囲気ではない。
ああこれでは気を使わせてしまうな、と思うのでライアが一旦見開いてしまった目を緩く細めて笑みを作り直し。
「ありがとう。大丈夫よ。……それに」
ふと何かを企むような視線をカエデに向ける。
「今、エリーゼさんにリアムを攻略してもらう作戦立ててるの」
「……はい?」
今度はカエデが思いっきり目を丸くして固まった。
「そんなことになっていたんですね……全く存じ上げませんでした」
ライアが企み途中の「エリーゼにリアムを攻略してもらう作戦」について話したところでカエデが目を丸くした。
いや、正確には聞き始めたあたりから丸くしていた目が、これ以上は無理! というところまで見開かれている。
そもそも、カエデはリアムとエリーゼに血の繋がりがないこと自体知らなかったのだ。
「多分……お屋敷の使用人達はみんな知らないのではないかと思いますけど……」
人差し指を顎に当てながら考え込むように呟くカエデの様子を見るに周知されていないことなのだろうというのが伺える。
「こういう事って……秘密にするような事じゃないと思うんだけどなぁ……」
ライアがつい眉をしかめてしまうのは当然のことだろう。
なにしろ、エリーゼ自身からその話を聞いた時だって特に秘密にしているという感じではなかった。
そしてこの屋敷の当主にしたって、愛人の子を引き取ったという事実がある以上、実子ではないということを公にしてしまった方が自分の評判は良くなるのではないかと思えるのだ。
でも。と、ちょっと考えて見て。
その辺を有耶無耶にしているということに何かしらのメリットがあるのなら……それはおそらく。
「リアム様はご存知なんですよね、そのこと」
「……知ってるらしいわね」
チラリ、と視線がこちらに向いたのでライアが小さく頷きながら答えると。
「花嫁候補、ということでしょうか」
「……多分ね」
イラッとしたような声音でカエデが呟き、ライアがため息混じりに答える。
多分。
おそらく。
そういうことなのだろうという気がする。
懇意にしていた女性の娘を引き取った。それは息子の花嫁候補として。
でも商会の利益のために抱き込もうとしている薬師も女。息子と年齢も釣り合う。
なので、穏便に連れて来ることができる娘の方には仕方なく連れてきたという体の建前を付け、こちらには拉致してきたとは思われないような理由をつける。
そんなところじゃないだろうか、なんて思ったのだ。
そうなるとこの屋敷の当主にとって、息子の嫁としての本命はエリーゼだ。
なにしろ当のエリーゼが乗り気なんだしなんの障害もない。
私の方は……商売道具として手元におきたいとかそんなところだろう。
まぁ、それ以上の情があるとは思えないしあってくれても困るんだけど。
本当に結婚を商売のための手段としか考えていないって事よね。
と思うと、リアムが急に気の毒に思えてもきた。
そもそもあの人、よそで好き勝手に女性と付き合ってるみたいなこと言ってたわよね。結婚と恋愛は割り切るタイプか。そもそも恋愛なんかしてるんだろうか。単に遊びのような気もするし。
でもそれってエリーゼさん可哀想じゃない。
「……ライア様がお可哀想です」
「……はいっ?」
可哀想だと思った対象が自分の思考とは別角度すぎてライアが素っ頓狂な声を上げた。
「だって、そうじゃないですか! エリーゼ様を花嫁候補にと考えていらっしゃったのならライア様がここに連れてこられる必要なんかなかったわけでしょう?
そんな花嫁の替え玉みたいな扱いは酷すぎます。それにライア様には心に決めた方だっていらっしゃるのにそれをわざわざ引き裂いて連れてきておいてまるでついでのような扱い……!
人でなしとはこのことですわね!」
「あ……いや、えーっと……」
なんか色々ツッコミどころがあったけど……どうしようかな。
なんて思いながらライアがつい苦笑する。
「そもそも、ここの当主はそういう碌でなしなの?」
ライアが話題の矛先を変えてみようかとカエデに尋ねてみる。
「え、アビウス様ですか?」
……あー……はい、そんな名前でしたね。
なんて思いながらライアが小さく頷く。
興味のない人間の名前は本当に記憶に留めることができないらしい自分の性格にさらなる苦笑が漏れる。
うちに「話し合い」という名の家探しをしにきた時だって自己紹介は受けていたし、なんならこの屋敷で最初に会った時……正確には屋敷の中を案内してもらっていて、たまたま行き合った時にも挨拶はしているのだが……いかんせん覚えられない。
今となってはディランが世話している花の名前の方は全部言えるんじゃないかというくらいなのに。
そんなライアの自嘲の笑みには気づかないままカエデが考え込んだように視線を泳がせて。
「……実はわたくしもあの方とはあまり接点がないのです。なにしろ私が雇われたのはライア様付きの侍女としてでしたし。……でも、そうですねぇ……お仕事に関しては私情を一切挟まないタイプのようですがリアム様に対しては普通に父親らしい接し方をされていると思うのですが……」
「あ……なるほど……」
ライアがなんとなく納得する。
つまりあれか。リアムに対する父親らしい感情の表れが「エリーゼさん」で、私情を挟まない仕事の方が「私」か。
いやいやいや。そこはどちらかにすべきでしょう。両方いっぺんに具現化しちゃうって人格破綻してるでしょうが。
そしてそれは止めようよ息子。
主に私の方を。「いりません」って断ればいいのに。
……あ、そうか利益か。薬の利益に相当目が眩んでるのか。
「……じゃあやっぱりエリーゼさんには頑張ってもらって、リアムを改心させると共にしっかりたらし込んでもらわないと……」
「ライア様……なんだか笑顔が黒いです……」
心の声がうっかりダダ漏れだった上、指摘までされてしまったライアが慌てて、うふふと笑うとカエデの笑顔が微妙に引きつった。




